表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
閑話②
68/110

六ペンス銀貨が運ぶ幸せ

昨年の活動報告で上げたSSを修正し、本編にて再掲載したものです。

(1)


 ――クリスマスの約五週間前の安息日――



「シャロン、グレッチェン。今日はStir Up Sundayよ」

   

 午後のお茶を終えた直後、グレッチェンとシャロン、彼の母マクレガー夫人が居間で寛いでいたところ、突然夫人がこう切り出したのだ。


「あぁ、そう言えばそうでしたね。もうそんな時期になりましたか」

「エドナには、お茶を飲み終わり次第、皆で厨房に来てほしいと言われているの。だから、そろそろ行きましょう??」

 

  空のカップをソーサーの上に置くと、夫人は静かに席を立ち、シャロンも後に続く。

  二人の遣り取りの意味が分からず、きょとんと眺めていたグレッチェンも訳が分からないながらも慌てて椅子から立ち上がり、二人の後を追った。


「あの……、シャロンさん……」

「うん??どうしたんだい、グレッチェン」

 厨房に向かうため、三人で廊下を歩いていると、グレッチェンがシャロンのベストの裾をおずおずと引っ張ってきた。

「あの……、今から何を目的で厨房へ行くのでしょうか……??」

「ん??何を……って??家族でクリスマスプティングの生地を混ぜ合わせに行くのだよ」

「何のために、ですか……??もしかして、これはこの国の誰もが知っている常識なのですか??」

「……もしかして、君……。知らないのか……??」


 途端に、グレッチェンの顔色がカッと朱に染まり、淡いグレーの瞳が見る見る内に潤みを帯び始める。

 しまった、と、シャロンが思った時には二人の様子に気付いた夫人も立ち止まっていて、怪訝そうな顔つきでこちらを振り返っていた。


「ちょっとシャロン。貴方、グレッチェンに何を言ったの??可哀想に……、今にも泣き出しそうな顔をしているじゃない」

 夫人はすぐにグレッチェンの傍に近づいて彼女の肩を抱き、シャロンを咎めに掛かった。

「ち、違うんです……、お義母様……。私が、いけないんです……。私が、無知なだけなんです……」

「どういうことなの??」


  上手く説明できず、もごもごと口籠っているグレッチェンに代わり、シャロンが「お母さん。どうもグレッチェンは、クリスマスプティングの風習を知らないみたいなんです……」と耳打ちした。

「えぇっ?!何ですって!!」


  この国の老若男女の誰もが知っている、最下層の貧民ですら耳にするくらいはあるだろう風習を、仮にも上流であるレズモンド家の執事の娘(周囲にはグレッチェンの素性はこう報されていた)とあろう者が……、と、夫人は目を瞠って驚いてみせた。

  同時に、『生まれてすぐに母親に死なれ、身体が弱い事も含めて養育を持て余した父親に屋敷内の一室にずっと閉じ込められていた。そのせいで年齢よりも精神が幼く、本来身に着けている筈の常識や教養も持ち合わせていない』という話を思い出し、夫人は心臓を直に鷲掴みされたような息苦しさを覚えた。


 しかし、それも束の間。

 元来、明るく朗らかな性質の夫人のこと、すぐにグレッチェンに向けてにっこりと微笑み掛ける。


「グレッチェン、恥じることなど一切ないわ。知らないのなら、今から私とシャロンとエドナで教えてあげるだけのことだもの」


  夫人の言葉と笑顔により、グレッチェンの重く沈んでいた表情は僅かに和らぎ、遠慮がちに唇は緩く弧を描いてみせた。




(2)


  三人が厨房の中に入ると、丁度エドナが作業台の上に並んだ大量のドライフルーツやスパイス類、卵、櫛型に切られた林檎、パン粉、ブランデーやビールなど、クリスマスプティングの材料を順に大きなボウルに次々と放り込んでいるところだった。


  エドナのテキパキとした手際の良い動きを眺めつつ、夫人とシャロンはグレッチェンに、クリスマスプティングに纏わる風習を教え始める。


「クリスマスプティングを作る日は毎年決まっていて、Stir Up Sundayに最低でも十三種類のプティングの材料を、家族が一人一人願い事を心の中で唱えながら、かき混ぜるの。かき混ぜる方向は必ず東から西へと決まっていて、願い事は絶対、口に出してはいけないわ。」

「何故、材料は十三種類以上で、かき混ぜる方向が決まっているのですか??」

「主と、主に付き従う十二人の弟子達を現しているのだよ。彼らについては、君がこの間読んでいた聖書にも登場していただろう??かき混ぜる方向に関しては、諸説あるが……、一番分かり易いもので言うと、太陽の動きに反するのは縁起が悪いからだそうだ」


  得意げに蘊蓄を語ってみせるシャロンに、グレッチェンは目を輝かせて真剣に聞き入っている。


「もう、そんな小難しい話なんてどうでもいいじゃない」

「お母さん……、どうでもいいとは酷いですね……」

「はいはい。あとね、グレッチェン。生地が出来た後にも、もう一つ風習があるの」

「何でしょうか??」

「プティングペイスンに詰めた生地の中に、ラッキーチャームを入れること」

「ラッキーチャーム??」


  またもや知らない言葉を耳にしたグレッチェンは、再び小首を傾げた。


「災いを取り除き、幸せを運んでくれる小物と言われるものさ。六ペンス銀貨、指貫、釦、指輪……とか。まぁ、風習もラッキーチャームもただの非科学的な一種の遊びみたいなものだよ」

「ちょっとシャロン……。そんな夢を壊す様なことを一々言わなくてもいいの」

「そうですよ、シャロン様。折角のプティングを作る楽しみが台無しになってしまうじゃないですか」


  すかさず、夫人とエドナから交互に責められ、シャロンは思わず首を竦めて黙り込む。

  母とエドナの二人掛かりでやり込められるシャロンが可笑しかったのか、グレッチェンが珍しく声を立てて笑ってみせる。


「さぁさぁ、皆様方。全ての材料をボウルに入れましたから、あとは順番に混ぜて下さいな」


  エドナに促され、最初に夫人が木べらを手に取ってボウルの中の、茶色い生地を決められた方向に沿ってかき混ぜていく。

 続いて、今度はシャロンに木べらを手渡し、シャロンも同じように生地をかき混ぜる。

 砂糖やフルーツの甘さと、シナモンとアルコールのほろ苦さが混ざった香りが厨房中に漂う中、いよいよグレッチェンの番となった。

  緊張のせいか、やけにかちこちとした固い動きでグレッチェンは木べらを受け取った。


「そんなカチコチに固まらずとも、気軽な気持ちで行えばいいのだよ」

 シャロンに苦笑されながら、グレッチェンはぎこちない手つきでボウルに左手を添え、木べらをぐっと固く握りしめて真剣そのものの表情で生地をかき混ぜた。


(あ……、願い事を唱えなきゃいけなかったわ……)


 グレッチェンは真っ先に思いついた願い事を心の中で唱えながら何回かかき混ぜた後、シャロンと夫人、エドナの顔色を上目遣いでちらちらと窺った。


「あの……。これで、良いんでしょうか……??」

「えぇ。じゃあ、次はプティングベイスンに生地を詰めたら、ラッキーチャームを入れましょう」


 あらかじめエドナが用意していた小さな植木鉢を思わせる陶器の型を、三人は一つずつ手に取り、生地を詰めていく。

 その際、型の傍に置かれていたラッキーチャームを、やはり一つずつ適当に選んで生地の中に埋め込んだ。


「ふふ、良かったわね。これでクリスマスプティングの風習を、グレッチェンも直に体験できたのだもの」

「はい。初めてでしたから、何だか緊張してしまいました……」

「じゃ、来年からは楽しんでこの風習に臨まなきゃね!何と言っても、約五週間後にプティングが完成したら、クリスマス当日にはもっと面白いものを体験できるわよ」

「えっ??これで終わりじゃないんですか??」


  グレッチェンは目を丸くして、夫人の顔を凝視するも、夫人はその問いに関しては笑顔を見せるばかりで答えようとはしてくれなかった。




(3)


 ――そして、クリスマス当日――



 暖炉で暖まった部屋の中、煌々と赤い炎を揺らめかせる蝋燭、七面鳥の丸焼きやミンスパイ等が並ぶ食卓を、静かに三人で囲む。

 テーブルの近くには、ベルベッドの赤いリボンやクリスマスエンジェル、林檎を模したリースが飾り付けられた、小さなモミの木が置かれていた。


「そろそろ食事も終わる頃ね……。エドナ、プティングを持ってきて頂戴」

「はい、奥様」


 夫人に声を掛けられたエドナは部屋を出て行くが、程なくして、陶器の器に入った真っ黒で真ん丸な形のプティングをトレイに乗せて再び部屋に姿を現した。


  エドナは、それぞれの席にプティングの器を置いて行くと、まず最初に夫人の手元のプティングに、柊の枝を飾りつけた鉄製の柄杓で熱したブランデーをそっと掛ける。

 一瞬、青白い炎を纏ったプティングは、その形状から火が点された大砲の弾のように見える。

 グレッチェンは、もの珍し気にその光景をじっと眺め、シャロンや自分の番が回ってきた際も食い入るように見つめていた。


「約五週間の間、たっぷりと丹念にブランデーを染み込ませて熟成させ、更に食べる直前にも長時間蒸し直して温まっているところへ、アルコール度数の高い酒を落としてアルコール分を飛ばす。すると、こうやって瞬間的に炎が上がるのだよ」

「そうだったのですね。いきなり炎が上がるので、少し驚いてしまいました……」

 シャロンの説明に、グレッチェンはうんうんと何度も小刻みに頷いてみせる。

「さぁ、冷めない内に早速頂きましょう」


 夫人の一声を合図に、三人はプティングをスプーンで掬い取っては口元へ運んでいく。

 どこかいかめしい見た目を裏切らず、ずっしりとした重い食感に濃厚なブランデーのほろ苦い味わい。

 正直なところ、少女のグレッチェンにはこのプティングの美味しさはまだ理解できなかったが、大切な人達と温かいプティングを食べながら、共にクリスマスを過ごせることに大きな幸せを感じていた。


 ――昨年までは、暖炉もなければ日当たりも悪い、薄暗く寒い部屋の中、粗悪で少量のオートミールとビスケットを、たった一人きりで細々と口にするだけだったから――


 ふと、心に差し掛かった小さな陰りを振り払うように、グレッチェンは半分食べ終わったプティングの真ん中らへんにスプーンを差し入れる。


 カチン!


 金属同士がぶつかり合う、固い感触と冷たく無機質な音。


「??」


 はしたないと思いつつ、スコップで土を掘り起こすようにしてスプーンの先を進めてみると――


 真っ黒な生地の中から銀色に光るコインが姿を現した。


「良かったじゃないか、グレッチェン。残念ながら、私は釦だったよ」

「あらあら、グレッチェンたら。これは幸先良いわねえ。六ペンス銀貨はね、幸せを運んでくれるのよ」

「……幸せ、ですか??」


 つい一年程前までの自分には、全くもって馴染みがなかった言葉――、グレッチェンは戸惑ったものの、すぐに二人に向かってこう告げる


「いいえ、お義母様、シャロンさん。私は今でも充分幸せなのです。ですから、これ以上、幸せを望んだら……、罰が下ってしまいます……」

「グレッチェン、それは違う。いいかい??今までの君の生活を考えたら……、もっと幸せになることを望むべきなんだ。それは欲張りでも何でもない、当然のことだ。神様だって、きっとお赦しになってくれる」

「……でも……」


(私の幸せと引き換えに、不幸になった人達がいるというのに??)


 言い掛けて、夫人やエドナが傍にいるため、どうにか口に出すことなく言葉を飲み込む。

 グレッチェンが言い掛けた言葉の意味を察したのか、シャロンは軽く眉根を寄せてどうしたものかと、少し逡巡する。


「そうだな……、では、こう考えてみようか。私や母は、君には今以上に幸せになって欲しいと願っている。だから、君自身もどうか幸せを願う事を辞めないで欲しい」

「…………」


 いつの間にか、グレッチェンに向き合う形で彼女を優しく諭すシャロンの姿に、夫人は密かにあることを思いつく。



 ――グレッチェンが十五歳を迎えた年からは、毎年クリスマスプティングの中に銀貨の他に、指輪を混ぜよう――


 シャロンに諭されている内に次第に納得し始めたのか、頷くグレッチェンの、どこか恥じらうようなはにかんだ笑顔は、恐らく息子だけにしか見せないものだろう。

   

(あんな幸せそうな、可愛らしい顔を見せられたら……、ねぇ……)


 夫人は二人に気付かれないよう、傍らに控えているエドナと意味ありげな視線を送り合っては、軽く肩を竦めてみせたのだった。

六ペンス銀貨は幸せを、指輪は結婚が近い事、ボタンや指貫はまだまだ結婚の機は当分ない……、という意味だそうです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ