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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
閑話②
67/110

『私は、彼の役に立つ人間でいられればそれでいいのです』

シャロンが残念過ぎる&グレッチェンが報われない、ちょっと切ないSS。

 グレッチェンは目の前で繰り広げられている光景を、酷く冷め切った眼差しで傍観している。


「シャロンさん、べリルって一体誰なのよ?!貴方、私の他に付き合っている女がいるのでしょ?!」

「だから……、誤解だと何度も言っているだろう、べス」

「嘘よ!あの時、確かに寝言で私の事、べリルって呼んだじゃない?!」

「昔の恋人の名前だよ。それも、ずっと昔のね」


 黒檀で作られたカウンターを間に挟み、シャロンの恋人らしき女が彼のスーツの裾を掴んではしきりに揺さぶりを掛けている。

 シャロンは女を適当に宥めつつ、皺が寄ってしまった部分が気になるのか、何度もさりげなくスーツに視線をちらちらと落としている。


(恋人よりスーツの皺を気にするなんて、随分と酷いわね)


 淡いグレーの瞳を若干険しくさせ、グレッチェンは気付かれないように横目でシャロンを睨みつける。

 同様に、グレッチェンと言う、全く関係のない第三者がいるというのに、恥も外聞もなく二人の間で起きた事々を喚き散らす女にもうんざりしていた。


 それにしても、いつまで店先で痴話喧嘩を繰り広げるつもりなのだろうか。

 女が店に押し掛けてきてから、かれこれ三十分近くは経過している。

 いい加減、この状況に辟易しきってきたグレッチェンは遂に口を開いた。


「シャロンさん、お取込み中大変申し訳ありませんが、その方共々一度店から出て行って貰えますか」

 声の大きさは控えめながらも辛辣な言葉に、シャロンと女は揃ってグレッチェンの方へと向き直る。

 構わず、グレッチェンは淡々と事務的な口調で言葉を続ける。

「昼間はお客が少ないとはいえ、店先で長々と個人的な諍いをされるのは商売の邪魔になりますし、はっきり言って迷惑です。ですから、カフェかコーヒーハウスにでも行って、そこで気が済むまで、じっくりとお二人でお話をしてきて頂けますか」

「グ、グレッチェン……」

「昼間であれば私一人で店番していても特に問題はないですし」

「…………」

 

 シャロンのもの言いたげな表情からふいと顔を逸らし、グレッチェンはカウンターの奥の薬品棚へと身体ごと向きを変える。

 明らかに「さっさと早く店から出て行け」と、痩せた小さな背中から無言の拒絶と圧力を示すグレッチェンに、シャロンは返す言葉が見つからない。

 急かす様な視線を耐えず送り付けてくる女と共に、すごすごとシャロンは店から出て行かざるを得なかった。


 二人が店から出て行きホッとしたのも束の間、玄関の前で女がキーキーと金切り声を上げ、シャロンが立ち往生している声が扉越しに聞こえてきた。

 何をやっているのか、と、一段と深いため息をついては薬品の在庫確認をしていたグレッチェンだったが、女の叫び声は益々持って大きくなっていく。


(……見苦しいわね……)


 確かに、シャロンは浮気をしていたかもしれないし、彼女に対して不誠実な態度を取っていたかもしれない。

 そこに関しては、深く傷ついているのだろうと、グレッチェンも同情の念を感じている。

 しかし、だからと言って、女の悋気は少々度を越している、やりすぎなのでは、と、グレッチェンの中で不快感はどんどん積み上がっていく。

 同時に、あんな風に思うがままはっきりと己の感情を曝け出し、いかんなく相手にぶつけられる女を、少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましく思った。


 自分の気持ちを素直に表現できるのは、それを許してもらえる立場なり、環境なりに置かれているからだ。


 もう一度、小さく溜め息を零すと、外では女がまるで暴漢にでも襲われたかのような、悲鳴と勘違いしそうな声を張り上げる。

 直後、ドサッと人が倒れる音が。

 一体何が、と流石に気になり、カウンターの中から飛び出し、外の様子を伺うべく玄関の扉をそっと開ける。


「…………」


 扉の隙間から目に飛び込んできた光景。

地面に押し倒されたシャロンの上に女が跨り、ネクタイを締め上げては激しく責め立てている。

 二人の周囲には、何事かと好奇の視線で遠巻きに眺める人だかりが集まっている。

 

 考えるより先に、身体が勝手に動く。


 気付くとグレッチェンは、玄関の扉を勢いよく開け放し、シャロンと女の元へと走り寄ると。

 有無を言わさず女の肩に掴み掛かり、小さく華奢な身体に似つかわしくない強い力で思い切り突き飛ばした。

 意表を突かれた女は、グレッチェンの気迫に驚きながら横倒しで地面に倒れ伏す。

 普段は物静かで礼儀正しいグレッチェンが見せた乱暴な行動に、シャロンも女も周囲に集まった人々も、驚きの余りに言葉を失う。


「な、何をするのよ!!乱暴な!!」

 よろよろと起き上がり、地面に座り込んだ女はグレッチェンを怒鳴りつける。

「その言葉、そっくりそのままお返し致します」

「何ですって?!」

「確かに、うちの店主は貴女に酷い振る舞いをしたかもしれません。それに関しては、私の方からも謝罪致します。申し訳ありませんでした」

 女の目線の高さに合わせるべく、グレッチェンも地にしゃがみ込むと、女に向かって深々と頭を垂れた。

「ですが、思う様な言葉や態度を得られないからと言って。暴力に訴え出るのは最低だと思います」

 顔を上げるやいなや、グレッチェンは刺す様な鋭い視線を女に送りつけて、はっきりと告げた。

「貴女だって、今私に……」

「私は店主の身を守るために、止むを得ずに行ったまでです。往来で馬乗りになって首を絞めるのは、いささか行き過ぎた暴力行為だと思うのですが」


 冷たい鉄面皮を理知的な顔に張り付かせ、抑揚のない口調ではっきり言い切るグレッチェンに、人だかりの中にいた一人がパンパン!と手を叩いてみせる。

 賛同するように、手を叩く人の数が徐々に増えていく。

 すっかり四面楚歌状態の女は意気消沈し始め、顔を項垂れさせて静かに立ち上がる。

 その隙に、グレッチェンはシャロンが身を起こすのを手伝い、髪や衣服についた土埃を払ってやった。


「すまない、グレッチェン。助かったよ……」

「いえ、シャロンさんの身に何かあってはいけない、と思っただけのことです」

 照れ臭そうに薄く微笑みつつ、グレッチェンはすぐに表情をキュッと引き締める。

「ですが、あの女性が傷付いているのは確かですから、この後はしっかりと慰めてあげてください」

「……うむ」


 歯切れが悪いながらも返事をし、立ち上がったシャロンは、俯いたまま立ち尽くす恋人の傍に寄り添い、肩を抱いて謝罪と慰めの言葉を掛け続けた。

 二人の後ろ姿に小さな胸の奥が軋んだ音を立てて痛んだが、気付かない振りをして、グレッチェンは再び店の中へと戻っていった。

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