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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
63/110

Stand My Ground (12)

 (1)



 ――時、同じ頃。この街の高級住宅街のとある屋敷にて――



 個人の書斎にしてはいささか広すぎる部屋の壁際には、天井まで届きそうな程の高さを誇る本棚が四方に置かれている。

 全ての本棚の段には余すところなくぎっしりと分厚い本が並べられており、背表紙に書かれた題名などから医学関連の書物だと窺えた。

 中心に配置されている書斎机やベッドを始めとする家具一式を、本棚で取り囲む錯覚を覚えてしまう部屋の中央の奥――、まだ囂々と炎が燃え盛る暖炉の前にて、腹から足元に薄い毛布を掛け、古いウィンザーチェアに腰掛けている老紳士の姿があった。

 膝の上には途中のページが開かれたままの、解剖学の本。

 本を読んでいる最中に睡魔に襲われたからか、老紳士はうつらうつらと微睡んでいた。


 不意に、誰かが肩を叩いてくる感触を感じ、重い瞼をゆっくりと開く。

 茫洋とする視界に映る、見慣れない人物の姿を確認した老紳士の眠気は一気に吹き飛ぶことになった。

 その人物とは――、長身痩躯で真っ黒なスーツに身を包んだ、ハニーブロンドの短髪の若い男――、が眼前に佇んでいる。

驚く余りに身じろぎした老紳士の膝から本が滑り落ちる。

 男は、老紳士が声を上げるよりも早く、椅子の後ろへ回り込んで彼の口元を塞ぎ、ナイフを首元に宛がってきた。


「観念しなぁ、コッパーフィールド卿さんよぉ。……いや、今はあえてこう呼ばせてもらおうかなぁー??『切り裂きハイド』さんよぉ」

 『切り裂きハイド』と呼ばれた瞬間、老紳士はカッと目を見開き、明らかに動揺の色を浮かべた。

「あんたが切り裂きハイドだって証拠はこっちで掴ませてもらったぜぇ??ったくよぉ、ファインズ男爵家の侍医っていう地位を笠に着て、警察上層部に圧力掛けやがってぇ……。おまけにさぁ、うちが経営する娼館の娼婦までぶっ殺しやがってよぉー。歓楽街を荒らしまくってくれただけでなく、うちの『商品』にまで手掛けやがったからにはただじゃあ済まさねぇぞぉ??」

 小猿を彷彿させる剽軽な顔立ちにヘラヘラとだらしのない笑み、間延びした口調とは裏腹に、男の金色が入り混じったグリーンの瞳の奥には憤怒の炎が燃え滾っている。

「あんたの息子が娼婦遊びに狂ったあげく梅毒でおっ死んじまったのはぁー、確かに気の毒だとは思うぜぇ??大事な大事な一人息子だったらしいしぃ??で、息子が死んじまったのが原因で、妙ちくりんな新興宗教にのめり込んだとかぁ??何か良く知らねーけど、人間の三大欲求の内、性欲を否定するとか、性を売りにする淫売に天罰が下るよう祈りを捧げるとかぁ??俺からしたら、バッカじゃねぇの!って思うけどよぉー」


 盲信する宗教を愚弄する男に、コッパーフィールド卿は先程までの恐怖で凍り付いた表情から一転、視線のみで人を殺せるのでは思える程の凶悪な目つきでぎろりと横目で睨み付ける。

 しかし、老紳士の気迫もどこ吹く風、とばかりに男は鼻歌でも歌い出しそうな勢いで、楽し気に笑ってみせ、あろうことか口元を塞いでいた手を離してしまったのだ。

 この機を逃すまい、と、老紳士は声の限りに叫ぼうと――したが、男が、首の皮が切れるか切れないかギリギリのところでナイフを押し付けてきたため、吐き出そうとした言葉だけでなく息まで飲み込む羽目に陥った。


「いいねぇー、その、如何にも殺人鬼然とした狂気的なやばい目付き!そういやさぁ、共犯の御者の野郎も、その宗教に入信していたらしいじゃーん??どうせ、あの冴えない風貌からして、性的不能か何かで馬鹿にされて女に恨みでもあったんじゃねぇの??あんた、そこに付け込んで犯行手伝わせていたんだろぉ??あぁ、ちなみに、あの御者なら今頃は暴漢に扮した俺の仲間に殺されていると思うぜぇ??あと、あんたが宗教介して親しくしていた警視総監の元にはぁ、親父が直々に出向いてったみたいだしぃ??あの警視総監様もひっでー奴だよ!あんたの娼婦殺しはゴミ掃除してくれているようなものだから逮捕なんてとんでもない、むしろ街の害悪を片付けてくれることに感謝すらしている、なんて抜かしやがったってさ!!道理で、事件現場付近であんたの家の紋章の旗印が掲げられた箱馬車を見掛けたって証言を徹底して無視決め込んで、握り潰していた訳だわぁ!!警察最上層が凶悪犯罪を容認するなんざぁ、まったくもって世も末だね!!」

「……君は何者だね??どのようにして我が屋敷に侵入したのだ??見たところ、金品目的の強盗の類ではなさそうだが……」


 次から次へとまくし立てる男を遮り、コッパーフィールド卿は長らく閉ざしていた口を開き、言葉を発した

 質問を受け流すと思いきや、またもや男はぺらぺらと喋り出した。


「あぁ、こりゃあ失敬、失敬!俺は、サリンジャー一家の者でねぇ」

「……サリンジャー一家だと?!あの、野蛮で卑しい移民上がりの犯罪集団か?!男爵様はまだお前達のような者と親交を……!!」

「あららー、失礼しちゃうねぇ。俺達はその男爵様から、無能な警察連中では解決できそうにない事件を秘密裏に片を付ける役目を頂いて動いているだけなんだけどぉ??まぁ、手段を選ばないし、場合によっちゃいくらでも手を汚す点は認めるけどさぁー。あぁ、そうだ!……実はさぁー、あんたにこの手紙を渡してくれ、と、男爵様から頼まれたんでねぇ。でも、俺みたいな得体の知れない若造なんざ、格式高いお屋敷の使用人から門前払い食わされるのが目に見えてるじゃーん??だからさ、誰にも気づかれないようこっそりと塀を乗り越えて、玄関の錠前を仲間に破らせて屋敷内に不法侵入させてもらったって訳ぇ。で、これがその手紙な!」


 あっさりと侵入手口や素性を洗いざらい白状する青年に再び閉口しつつ、コッパーフィールド卿は差し出された手紙を恐る恐る受け取った。

 差出人の名を確認した途端、老紳士はあわや手紙を手から落としそうになった。

 筆跡からは間違いなく、ファインズ男爵本人が書いたものだと伺えたからだ。


「そうそう、ちなみに俺から手紙を渡されたらすぐにその場で読め、って、男爵様からの伝言ねぇー」

 男からナイフを首に宛がわれた状態で、重度のアルコール中毒者のごとく手をブルブルと大きく震わせながら封を開け、一枚の便箋を取り出す。

 便箋の中には、三角形に小さく折り畳まれた白い薬包が挟まれてあった。


「それは後でいいから、まずは手紙を読めよ」

 突如険しい口調に切り替わった男に言われるがまま、文面に目を通す。

 内容を読み進めていく内にコッパーフィールド卿の様子が変わり、読み終えると同時に腰が砕けて椅子からずるずるとずり落ちていった。

 彼の手の中から擦り抜け、床に敷かれた絨毯に堕ちた手紙と薬包を拾い上げた男は、ざっと手紙の文面を軽く読み流す。



 ファインズ男爵からコッパーフィールド卿へ宛てた手紙の内容を要約すると――、『男爵家の侍医の役目を今日限りで解任する。汚らわしい犯罪者などに自分や我が家族の身を触れられたくなどない。残虐非道な事件の数々は勿論、侍医と言う立場が故、貴様の罪によってファインズ家の威信と名誉も著しく傷つけられたことが到底許し難く、よって貴様には罪を償う機会など与えぬ。事件の動機については一切黙秘せよ。そして、その死を持って、我が家名に泥を塗ったことを償うのだ』と――



「へーえ、つまりは男爵様なりのあんたへのお慈悲ってところかい」


 男は手紙を読み終えると、暖炉の炎の中へと手紙を放り込んだ。

 手紙は音もなく、一瞬にして黒い灰かすと化していく。

 男は床に崩れ落ちたまま、茫然自失のコッパーフィールド卿の掌の中へ薬包を押し込む。


「とりあえず、あんたへの用件はこれで終わりだ。男爵様の命令に従うもよし、まぁ、従わなくても警察が令状持ってここへ訪れるのも時間の問題だよなぁ。あとのことはあんた自身が決めることだしぃ、早いところどっちにするか選びなぁー。あぁ、ちなみに、俺の事を警察に話しても無駄だから」


 男は馴れ馴れしい仕草でコッパーフィールド卿の肩をポンポン軽く叩くと、振り返ることなく部屋から出て行ったのだった――







(2)



 ――更に二日後――



 朝食後の居間にて、共に長椅子に座りながら新聞を読んでいたシャロンとグレッチェンは、三面記事の見出しに目に留めるなり、思わず互いの顔を見合わせた。


「……シャロンさん……」

「……君が言わんとすることは、何となく分かるよ……」


 シャロンが拡げた新聞を隣から覗き込むグレッチェンの瞳には、怒りと戸惑いがないまぜとなり、感情の揺れが手に取るように読み取れた。

 シャロンも目を伏せ、内から湧き上がる憤りを抑えつけている。



 切り裂きハイドの正体判明――、犯人は、この街の統治者ファインズ男爵家に代々仕えし侍医コッパーフィールド卿であった。

 ところが警察が家宅捜査に乗り込んだ際、彼は服毒自殺を図り、すでに事切れていたという――



「……逮捕を恐れての自殺とは、何と卑怯な!……」

 苛立ち紛れに乱雑な動きで新聞を畳むシャロンの横で、グレッチェンは黙って俯いている。

 膝の上で固く拳を握りしめ、胸の奥に渦巻く様々な黒い感情に心を波立たせながらも耐えていた。

 否、正確に言えば、耐えるしかない、と、心中で自身に言い聞かせるより他に成す術がなかったのだった。

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