Stand My Ground (7)
(1)
「失礼!この辺りで青いケープを纏った十三歳くらいの女の子を見掛けませんでしたか?!灰色掛かった長い金髪で、かなり小柄な子なのですが……」
教会から広場へと続く、ブナの並木道を通り行く人々に、シャロンは手当たり次第にグレッチェンの行方を尋ね回っていた――
目が合った瞬間に逃げ出したグレッチェンを、シャロンは脇目も振らずに追い掛けた。
人目も憚らず、草木を必死で掻き分け、背の低い鉄柵を飛び越え――、普段の上品な紳士然とした彼からは想像もつかない取り乱しように、ハルや彼の店の娼婦達は唖然とするより他に成す術がなかった。
髪や衣服についた草や落ち葉、木の枝を払う事もせず、固い土の上に着地したシャロンは人だかりを押しのけてグレッチェンの後を追おうと――、ところが、すでにグレッチェンの姿は消えており、シャロンの顏からは一気に血の気が失せていく。
「おい、シャロン、どうしたっていうんだよ??」
背後から、少し枯れたような低い男の声。
振り返ると、柵に掛けた手を支えに、ハルが鉄柵を飛び越えているところであった。
「……ハル……」
「気障で気取り屋のお前らしくないぞ。一体、何があったんだ??」
ハルに事情を話していいものか、シャロンはほんの一瞬躊躇った。
アドリアナの死をグレッチェンに隠していたと知ったら激怒するだろうし、それ以前に彼を酷く傷つけてしまうかもしれない。
しかし、グレッチェンに嘘をついていた結果、今の最悪な事態に陥っている訳であり、子供の彼女ですら誤魔化せなかったものを、人並外れて勘の鋭いハルならいとも簡単に見破るだろう。
観念したシャロンは、ハルの怒りを買い、二、三発殴られるのを覚悟の上で事情を説明し始めた――
「……で、グレッチェンが行きそうな場所の目星は付いているのか??」
「…………」
話が終わるやいなや、ハルの口から出てきた言葉にシャロンは思わず目を瞠った。
「何だ、お前、その鳩が豆鉄砲を食らったような顔は」
「……あ、いや……」
戸惑うシャロンを一瞥した後、ハルはふん、と鼻を鳴らしてみせる。
「お前がしでかしたことは正直腹が立って仕方がない。だが……、今はお前を殴るより、グレッチェンの行方を探す方がよっぽど大事だ」
「……すまない……」
「謝るのは俺に、じゃねぇ。グレッチェンと、あそこで眠っているアダに、だ」
ハルは顎を使い、アダの墓がある方向を指し示した。
「……って、無駄なお喋りはこの辺にしておいて、二手に別れてグレッチェンを捜すぞ。俺は教会の周辺、お前は教会近くの広場とその周辺を捜せ。それでも見つからなければ……」
「グレッチェンが逃げた方向から推測するに、イースト地区に向かった可能性が高い。多分、歓楽街やサウス地区には行っていないだろう」
「イースト地区か……」
ハルは眉間に皺を寄せ、渋面を浮かべる。
「いや、イースト地区ならさして問題はないんだ。あの地区は人情味のある連中が集まっているから、迷い込んだ子供を丁重に保護してくれる可能性が高い。問題は……、イースト地区を越えて、ノース地区に入り込んでいたら……」
『ノース地区』とハルが口にした途端、シャロンの背筋にゾッと怖気が走った。
ノース地区はこの街の最下層の人々――、赤貧の日雇い労働者、移民、前科者、路頭に迷う浮浪者などが集う地区であり、街で最も治安が悪く、同じく治安が悪いとされる歓楽街の裏通り以上に危険な場所として有名なのだ。
そんな場所へ、いかにも世間知らずと言った体の、身なりの良い少女が紛れ込んだら――
ドカッ!という音と共に、尻に強い衝撃が走る。
均衡を崩したシャロンは前へつんのめり、危うく転倒しそうになるのをどうにか踏み止まった。
背後からハルが、シャロンの尻目掛けて思い切り蹴っ飛ばしてきたのだ。
じんじんと痛む尻をさすりながら、痛みで目尻に薄っすら涙を浮かべつつ、無言でハルを睨みつける。
シャロンに睨まれてもハルはどこ吹く風といった体で、彼の尻を蹴った足を地に戻すと、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「……何て顔をしてやがる。気が動転するのはよく分かるが、あくまで最悪の想定だ。子供の足であそこまで行きつくことは、まぁ、有り得ないとは思う。とりあえず、まずは教会周辺と広場周辺からだ。案外、広場の木々の陰に身を潜めているかもしれん。もしも見つからなければ、今度はイースト地区とノース地区に分かれて捜そう。全て見回ったら、グレッチェンが見つかっても、……見つからなかったとしても……、一旦は教会の正門前で落ち合おう。その時に、俺かお前のどちらともあの娘を連れていなければ、警察に捜索願を依頼するか……。……あいつらは出来損ないの能無しばかりだから、余り当てにはしたくねぇけどな」
「重ね重ねすまない・・・・・・。恩に着るよ・・・・・・」
「あ??別にお前のためじゃねぇ。グレッチェンを万が一の危険に曝したくないだけだ」
グレッチェンを見失い、途方に暮れかけていたシャロンだったが、ハルの協力の下、改めてグレッチェンの捜索を開始したのだった――
(2)
――一方、グレッチェンはと言うと――
鉄柵の前から広場へ続くブナの並木道を、教会や広場へ訪れる人々の流れと逆行しながら、グレッチェンは無我夢中で走り抜ける。
身体が小さく細いお蔭で人の波にぶつかることもなく、難無くするすると間をすり抜け、先へ先へとどんどん進んでいく。
ただし、当のグレッチェンはほとんど無意識下の動きではあったが。
アドリアナは死んでいた。
切り裂きハイドに殺され、遺体をバラバラにされた。
シャロンはアドリアナの死を隠し、嘘をついていた。
シャロンに見つかったから逃げた、というよりも、数々の到底受け入れ難い、残酷な真実から目を背けたくて逃げた。
何故、どうして。
再び、二つの単語のみが頭の中でぐるぐるぐると繰り返し浮かんでは消え、また浮かんでは……。
嫌だ、こんなの信じたくない!
誰か、質の悪い冗談だと言って!
恐ろしい悪夢を見ている私を今すぐ叩き起こして!
半ば停止した思考のまま、今自分がどこにいるのかさえ全く分からずに、ひたすら街の至る所を闇雲に疾走する。
その内に息が上がり、肺や脇腹、ふくらはぎ、足の裏が順に痛み始める。
それでもグレッチェンは走るのを止めようとしない。
足を止めたら最後、今よりも遥かに耐え難い、精神的な苦痛に見舞われてしまうに違いないし、苦痛に耐えられるだけの自信と覚悟が足りていないのを理解しきっているから。
いっそのこと、体力の限界、昏倒するまで走り続けてしまった方が――、周囲の大人が聞いたら叱責ものの考えだが、今のグレッチェンは本気でそう思っていた――
一体、どれだけの距離と時間を走り続けていただろうか。
「……あぅ!……」
曲がりくねった薄暗く、気味の悪い雰囲気の路地に差し掛かった時、突如として何かに足を引っ掻け、受け身を取る間もなく派手に転倒してしまった。
けれど皮肉なことに、転んだことがきっかけで、グレッチェンはようやく冷静さを取り戻した。
(……ここは一体、何処……、なの??)
冷静さを取り戻したのと引き換えに、いつの間にか、見知らぬ土地に迷い込んでしまったことへの強い不安に襲われる。
グレッチェンが倒れた場所――、道の両端に連なる家々は屋根が崩れ、壁の漆喰がほとんど剥がれ落ちている様なあばら家ばかりで、道幅も馬車一台が通れるかどうかと言った具合に狭い。
下水や工場排水の他に、魚や動物の死骸が腐ったような異臭がどこからか漂い、鼻が曲がりそうだ。
固く冷たい地べたに伏せたまま、何に足を取られてしまったのか、視線を後方に向けて確認する。
狭い道を挟み、道の向かい同士のあばら家とあばら家の間から、一本の茶色い長縄が張られている。
グレッチェンはこの長縄に足を引っ掻けてしまったのだ。
子供の悪戯か何かにしては少々質が悪いのでは、と、思いながら立ち上がろうとしたグレッチェンの周りを、あばら家や路地の陰に隠れていたらしき大勢の少年達がぞろぞろと取り囲み始める。
年はグレッチェンよりも幼い者、同じような年頃の者、少し上の者とまちまちだったが、全員に共通するのは、ツギハギだらけで垢汚れや破れが目立つ服装、痩せこけた身体つき、子供らしからぬ荒んだ目付き。
更には、少年達の手にはこん棒やナイフなどの凶器が握られている。
「おぉ、今日は上等な『獲物』が捕まったぜ!!早速身ぐるみ剥いじまおうぜ!!」
「……嫌っ!」
たちまち恐怖に駆られたグレッチェンは、反射的とも言える素早さでさっと立ち上がり、近づいてきた少年達の内の一人に渾身の力を込めて体当たりを食らわせた。
小柄で華奢な、大人し気な少女からの思いも寄らぬ反撃をまともに受けた少年は、均衡を崩して地面に投げ出された。
「貴方達が欲しいのはこれでしょう!?」
グレッチェンは手に握っていた財布を少年達目掛けて投げつける。
餌に群がる鳩のように、少年達は我先にと財布に飛びつこうとして、諍いを起こし始めた。
少年達が財布を奪い合っている隙に、と、彼らに背を向けて走り去ろうとした――
「誰が逃げていいっつったよ!!」
「痛っ!!」
全員が財布に群がっているものだとばかりに思っていたのに。
少年達の中でも一番年上で大柄な体格の少年が、グレッチェンの長い髪をきつく引っ張って動きを封じてきたのだ。
「財布と財布の中身だけで足りると思ってんのか?!お前の着ている服も靴も下着も、お前自身も全部だ!!チビだけどかなりの上玉だからな!人買いに売り飛ばせば結構な金になりそうだからよ!!絶対に逃がさねえぞ!!」
自分とさほど年が変わらない少年に、引き千切られ兼ねない程の強い力で髪を引っ張り上げられ、凶悪な犯罪者そのものの下卑た嫌な笑みを向けられたグレッチェンの恐怖は、すでに最高潮に達していた。




