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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
57/110

Stand My Ground (6)

(1) 

 この街には三つの教会が建てられており、各教会によって訪れる人々の身分や階級が違ってくる。

 今シャロンが佇んでいるのは、本来ならば彼よりも身分が格下の者ばかりが通う、教会内の墓地であった。 


 小さな森かと思う程に、様々な種類の木々が無数に生い茂り、各家の墓石もごちゃごちゃと入り乱れ、伸び放題の雑草や地面の苔に埋もれてしまっている。

 どれがどの家の墓石なのか、非常に分かり辛い中、喪服を着た女達と共にシャロンは、たった今設置されたばかりの真新しい墓石を囲んでいる。

 この国では、死=新たな人生の始まり、という死生観の下、葬儀までの期間を空けることも手伝い、葬儀で故人を悼みはしても哀しみを露わにさせる者は少ない。

 だが、今回に限っては故人の死因が死因なだけに、集まった者達の間には哀しみのみならず、怒り、失望……など多くの感情が静かに渦巻いている。


 シャロンにアドリアナの密葬を伝えたのは、彼女と同じ娼館で働くレベッカという娼婦であった。

 突如薬屋に姿を見せたレベッカは、匂い立つような美貌を陰らせながら葬儀の日時を伝えると、「難しいでしょうけど……、アダが可愛がっていたとかいう、シャロンさんのリトルレディにもあの子を見送って欲しいの」と言い残し、去っていった。


 グレッチェンに真実を打ち明け、アドリアナへの別れをさせてやるべきか――、彼女の非業の死を徹底して隠し続けながらも、シャロンは迷い続けていた。

 そして、結局真実を言えずじまいのまま、とうとう葬儀の日が訪れてしまったのだ。

 本来ならば、家族や近親者以外は埋葬には立ち会わないのだが、アドリアナは身寄りがなく家族に近しい間柄だった店の娼婦達に、「最後まで見届けてあげて欲しい」と縋りつかれ、場違いは承知の上でこの場に残っている。

 普段ならば文句の一つでも言ってきそうなハルも、特に咎めもしてこなかった。


 苔だらけの地面から、墓石のすぐ目の前に立つ、ハルの後ろ姿にさり気なく視線を移動させる。

 すすり泣きすらしてみせる女達と違い、ハルは気落ちする風でも哀しむ素振りも一切見せず、黙って墓石を真っ直ぐに見据えている。

 シャロンにはそれが却って痛々しく感じられた。

 いつも飄々と振る舞い、決して他者に弱さを見せないところが、彼の弱さのように思う。

 ただし、それはシャロン自身にも言えることでもあるが。


 墓地の奥まった場所には楓の並木が不正列に続き、その真下には教会内と外を隔てる、申し訳程度の背の低い鉄柵が設置されている。

 鉄柵の向こう側では、埋葬の様子を窺おうと集まる野次馬達が群れをなし、人だかりが押し寄せていた。

 大方、切り裂きハイドの新たな犠牲者の葬儀だと、どこからか情報が漏れているのだろう。

 舌打ちをしたいのを堪えて、シャロンは外の野次馬達を忌々し気に睨みつける。

 次の瞬間、睨んだ方向にて小さなどよめきが起き、柵のすぐ手前に陣取っていた、肥え太った二人の中年女が後ろを振り返る。

 一体、何事が起きたのか、と事の成り行きを見守ろうとしたシャロンだったが、人々のどよめきの理由を知った直後、思わず瞠目せざるを得なかった。


 二人の中年女の真後ろに立っていた人物が突然倒れたらしく、周囲にいた人々が必死で助け起こしていた。

 女達も咄嗟に助け起こすのを手伝ったお蔭で、すぐに立ち上がった人物、それは――


 家で勉強している筈のグレッチェンだった。


 大声で叫び出したい衝動を抑えつけ、代わりにシャロンは何度も細かく瞬きを繰り返す。

 労働者階級であろう、質素な身なりの人々の中にあって、上等な深い青色のケープを羽織った儚げな美少女の姿は嫌でも人目を引いてしまう。

 今まで気付かずにいたのは、二人の中年女の巨体によって見事に姿を隠されていたからか。

 立ち上がりはしたものの、グレッチェンはいつになく青ざめた顔色で、助け起こしてくれた周囲の人々に恐縮しきりと言った体で何度も頭を下げてみせる。


 一体、いつからグレッチェンはこの場にいたのか??

 何を思って、たった一人で教会などに向かったのか??


 全く状況が把握できず、鉄柵の向こう側のグレッチェンを凝視したまま、シャロンは一人混乱に陥っていた――、が――

 離れた場所であるにも関わらず、シャロンの視線を感じ取ったのか、はたまたほんの偶然か――


 憂いを湛える淡いグレーの瞳と、確かに視線が絡み合った。


「……あ……」

 自分のものとは思えない、掠れ切った声が漏れる。

 余りに小さく、グレッチェンのいる場所まで聞こえていない筈なのに。

 その呟きが合図だったかのように――

 まるで恐ろしい悪魔と出会ったみたいな、この世の終わりを垣間見てしまったみたいな――、グレッチェンは顔を思い切り引き攣らせると――


 その場から弾かれたように、一目散に逃げ出したのだった。




(2)

 ――教会での出来事より、半時程前――


 夫人達の目を掻い潜って屋敷を抜け出し、外へ飛び出してみたものの――、シャロンが家を出てから随分と時間が経過していた。

 おまけに、一人きりで外出するのは何分初めてである。

 たちまち不安に駆られたグレッチェンだったが、シャロンと外出した折りの記憶を元に、人通りの多い大通りまで歩くことにした。

 マクレガー邸の居住区は中流家庭の家々が集まる区画で、デタッチド・ヴィラと呼ばれる、赤煉瓦造り、もしくは白い石造りの一軒家や、セミ・デタッチド・ハウスと呼ばれる二世帯住宅風の一軒家などが何件も並んでいる。

 その住宅街を東へ二本ほど通りを抜けると、カフェや食堂、洋品店、雑貨店等が立ち並ぶ大きな通りに出る。

 確かこの大通りには、辻馬車や無蓋の馬車が一定の間隔を空けて、客待ちをしている。

 まだ十三歳になったばかりの少女、しかも同年代の少女と比べてかなり小柄で華奢なため、実年齢よりも幼く見られる分、乗車拒否に遭うかもしれない。


(でも、手持ちのお金で乗車賃は足りる筈だし、声を掛けるだけでも掛けてみなきゃ……!)


 大通りに辿り着いたグレッチェンは、早速近くに停まっていた無蓋の馬車に声を掛けてみる。


「すみません、イースト地区の教会まで行きたいので、乗せていってもらえないでしょうか……??」

「お嬢ちゃん一人で行くのかい??」

 案の定、御者は不審げな顔付きで尋ね返してきた。

「一足先に教会に出掛けた家族が、現地で私を待っているのです」

 教会に『家族』が出掛けたのは本当だが、あとは嘘だと思うと心苦しくはあったが、乗車拒否される訳にはいかない、と、内心で自らに言い聞かせる。

 御者は、「お嬢ちゃん、お金はちゃんと持っているのかい??それとも、教会にいるとかいう家族が料金を支払ってくれるのかい??」と、料金支払いについて確認を取って来た。

「はい、お金でしたら……」

 グレッチェンは右手に固く握りしめていた財布を開いて、中身を御者に見せてみる。

 まさか、わざわざご丁寧に手持ちの金を見せつけてくるとは思わなかった御者は吃驚し、「わ、分かったよ!お嬢ちゃんがお金を持っていることは分かったから!早く財布を閉じて、後ろに乗りな!!」と、狼狽えながらグレッチェンに、座席に座るよう促した。

「ありがとうございます。では、イースト地区の教会の手前までお願いします」


 こうして、無蓋の馬車に乗り込んだグレッチェンは、アドリアナの葬儀が行われている教会まで難無く辿り着くことに成功したのだった。


 補正された石畳の道から、徐々に未舗装の凸凹とした土の地面へと変わっていき、車体の揺れが大きくなってきたところで、目的の教会に到着した。

 料金を支払い、去っていく馬車を見送りながら、緊張した面持ちで城壁のように高くそびえ立つ、頑強な鉄柵、教会の正門を見上げてみる。

 けれど、この門を開き、聖堂の中へと入る勇気が今一歩持てずにいる。

 自らの意気地のなさに、グレッチェンは焦りと苛立ちを覚えたが、シャロンに見つかるのだけは避けたい気持ちもあり、どうしたものかと立ち尽くしたまま、しばし思案に耽った。


(……そう言えば、教会の裏側からは奥にある墓地が見えたような……)


 死者の埋葬を盗み見するようでかなり気は引けるものの、あそこは楓の並木で陰になるし、野次馬の中に紛れていれば自分の存在が墓地側のいる者からは気付かれにくいだろう。

 思い至ったと同時に、グレッチェンは正門の前から裏側に向かって急いで回り込む。

 教会の裏側には、やはりと言うべきか、埋葬の様子を見守るべく、多くの人々が集まっていた。

 人の群れの中を掻き分けながら、墓地の中が見やすい場所まで進んでいく。


 日の明るい時間帯だというのに、木々に囲まれ雑草が所々生い茂る陰の多い場所なせいか、陰鬱な雰囲気ばかりが醸し出される墓地内にて、複数の人が一つの墓の前に集まっていた。

 墓のすぐ目の前には、グレッチェンがよく知る、男にしては髪が長く、長身の男――、ハルの姿が。

 そして、ハルの隣に寄り添っているのは――、亜麻色の髪の小柄な若い女ではなく、赤茶色の髪で背の高い、艶やかな美人――、偶に薬屋にも訪れていた、ハルの店の一番人気とかいう女だ。

 傍から見れば、喪服を纏っていても隠し切れない、派手な雰囲気の色男と美女は大変絵になる光景で、見る者の目を嫌でも引きつける。

 けれど、グレッチェンには大きな違和感しか覚えない。


 ハルの隣にはアドリアナしか有り得ないし、彼にはアドリアナしか似合わない。


「ねぇねぇ、こんなに人が沢山集まっているけど、一体誰の葬式なのさー??」

 背後から無遠慮ともいえる大声で話す人の気配と共に、グレッチェンを押しやって二人の肥え太った中年女が、背の低い、ボロボロに錆びついた鉄柵の前を陣取った。

 グレッチェン同様、女達に押しやられた別の中年女は一瞬嫌そうに鼻先に皺を寄せつつ、すぐに得意げな顔で話し出した。

「あんた達知らないのかい?!少し前に、切り裂きハイドに殺された淫売女の葬式だよ!!」

「えぇっ、そうなのかい?!?!」

 二人の中年女が話に食いついてきたことで、女の話に拍車が掛かり出す。

「あぁ、本当さぁ。たった今埋葬された、その淫売の殺され方ときたら、それはもう背筋も凍り、吐き気をもよおす程のものだったってねぇ!亭主から聞いた話じゃ、両の手足、首、胴体は全部バラバラ、顔も見るも無残に叩き潰され、髪も引きちぎられていたそうだよぉ」

「うわぁ……、薄汚い淫売といえ、それはちょっと気の毒だねぇ……」

「そいつは若いの、婆ぁなの??」

「うーん、どうだったかな……。二十歳そこそこの若い女で、名前が……、何だったっけ??」

「あぁ、勿体振らずにさっさと教えておくれよぅ」

「待って待って、あと少しで思い出せそう……。あぁっ!アドリアナ何とか、って女だったような……」


 バタン!!


 女の話が終わる直前、周辺にいた人々は一様に驚きの声を上げ、音が聞こえた方に意識を集中させた。

 人々の視線の先には、重病人のように真っ青な顔色をしたグレッチェンが地面に倒れ伏していた。

 アドリアナの死のみならず、その詳細を知ってしまった衝撃で心が耐え切れず、気を失ってしまったのだ。


「ちょっと!あんた!!大丈夫かい?!」

 突然倒れ込んだ少女を周囲の人々は、頬や肩を軽く叩いては意識を取り戻させようと試みる。

 そのお蔭か、グレッチェンは手放した意識をすぐに取り戻すことができた。

「あぁ、良かった。気分はどう??顔色が物凄く悪いけど……」

「……あ、いえ……。多分、大丈夫……、です」

「本当に??」

「はい……、助けて頂いてありがとうございます……」

 余りの衝撃でまだ頭の中は混乱状態ではあるが、とりあえず起き上がらなければ……、と、手を貸してもらいながら、グレッチェンはよろよろと覚束ない動きでどうにか立ち上がる。

 助けてくれた人々にぺこぺこと頭を下げて礼を述べていると、どこか遠くより訴えるような強い視線を感じ取った。


 そちらを見てはいけない。


 本能が喧しい位に騒ぎ立てているにも関わらず、吸い寄せられるように視線の元を辿ると――



 涼し気なダークブラウンの瞳と、視線がかち合ってしまった。



 後はもう、全て無意識で身体が勝手に動いてしまった、といっても過言ではない。


 気付くとグレッチェンは、この場から全力で逃げ出していたのだった。 

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