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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
55/110

Stand My Ground (4)

今回、残酷描写有り。苦手な方はご注意下さい。

(1) 

 数時間後、ヴァレリーと別れたグレッチェンとシャロンは、カフェから少し離れた通りに停まっていた辻馬車に乗り込んだ。

 そう広くない車内で隣同士に座ると、すぐさまシャロンはグレッチェンに向き直った。

「……グレッチェン、すまなかったね。君に一度会ってみたいという、ヴァレリーの我が儘に付き合わせてしまって……。疲れただろう??」

「いえ……、そんなことは……」

「無理する必要はないよ。私も、もう少し君があの場に馴染めるよう、上手く気を配れなくて申し訳なかった」


 違う、シャロンは何も悪くない。

 二人と違い、子供ゆえに会話内容についていけなかったり、もっと愛嬌のある、とっつきやすい性格であれば、ヴァレリーだって自分に話し掛けやすかったかもしれない。


 などという説明すらも上手くできず、グレッチェンは只々『そんなことはない』という否定の意を示すために首を何度も横に振ってみせた。

 言葉を持ってしてきちんと説明できないのも子供ゆえ、語彙が足りないせいに違いない。

 至らない自分への歯痒さ、気遣ってくるシャロンへの申し訳なさから、グレッチェンは車窓越しに見える街の様子を眺める振りをして、彼から視線を逸らした。

 晩秋である時期の夕刻、濃い橙色とマゼンタが混じり合った夕焼け空には、夜闇の使者らしき黒雲が覆い被さろうとしている。

 更に馬車が進むごとに景色も闇の中へと溶け込んでいく。

 それでもグレッチェンはシャロンから顔を背けたまま、窓の外をじっと眺め続けた。

 シャロンは困ったように軽く嘆息し、それ以上は何も言おうとはしてこなかった。


「……あの……」

 窓の外に目を向けたまま、突然グレッチェンが小声でシャロンに声を掛けた。

「……ん??どうした??」

 顔を見ようともしないグレッチェンに気を悪くしたり、咎めることもせず、シャロンは返事をする。

「……シャロンさんは……、あの方、ヴァレリーさんと……、ご結婚されるつもりなのですか??……その……。いずれ、義理の家族になるかもしれない、と言われていましたし……」


「…………」

 先走って、随分と面倒なことを言ってくれたものだ、と、内心ヴァレリーに若干の苛立ちを覚えつつ、シャロンはあくまで冷静に淡々と答えた。

「……あぁ……、そう言えば、そんなようなこと言っていたな……。彼女とは結婚するつもりなど毛頭ないよ。否、彼女に限らず、私は相手が誰であっても結婚などしない」

 シャロンの答えを聞いたと同時に、グレッチェンは勢い良く彼を振り返る。

「……おね、……亡くなられたマーガレット様のことが原因ですか??」

「……違う。彼女は私の中ではすでに過去の人でしかない」

「……では、私、のことが原因ですか??私の身体を……、治すまで、ということでしょうか……」


 シャロンは一瞬だけ目を細めて険しい表情を見せたものの、すぐに切なげに眉根を寄せ、縋るように、グレッチェンが膝の上で組んでいる小さな掌に自身の掌をそっと重ねた。


「……アッシュ、否、グレッチェン。私はね、君には人として、女性としての幸せを手に入れて欲しいと切に願っているんだ。君の身体を治すためなら、私は私自身の人生を掛けてもいい。結婚して所帯を持つなどしたら、君への研究どころではなくなってしまうだろう。だから……」

「……私の身体が治るまでは独り身を貫く、ということなのですね……」

「あぁ、そうだ。君の身体が治り、互いに愛し合える者と出会って幸せを掴むのを見届けるまではね」

「…………そう、ですか…………」


 グレッチェンはシャロンの手をさり気なくどかすと、再び窓の外に視線を移した。

 外は、夕焼け空を飲み込んだ夜闇により薄暗く、建物も道行く人の姿もよく見えない。


 シャロンは人生を犠牲にしてでも、自分の為に力を尽くそうとしてくれているのに。

 自分は彼に助けられてばかりで、何も返すことが出来ない。

 悔しくて情けなくて――、何という為体なのだろうか!


 早く大人になって、少しでもいいから彼の役に立つ人間になりたい。

 それが、ちっぽけな小娘にしか過ぎない自分にできる唯一の恩返しだ――



『グレッチェンは、本当にシャロンさんが大好きなのね』


 二か月前、市場でネクタイピンを買った帰り道、アドリアナから言われた一言。


 大好き、とは、一体どういう意味で言っているのか。

 確かに、レズモンド邸で彼と出会った当初、兄がいたならこんな感じなのだろうか、とか、大変おこがましい考えではあるが、彼を王子様のような存在だと感じていた時もあった。

 けれど、何冊か読んでみた恋愛小説の登場人物達のような、愛だの恋だのといった甘やかなものとも何か違う気もする。


 返答に困って口を噤んでしまったグレッチェンを見て、アドリアナはくすり、と笑った。


『難しく考えなくてもいいのよ。グレッチェンは、シャロンさんの喜ぶ顔を見たくてこのネクタイピンを買ったのでしょ??嫌いだったり、特別好きな人じゃなければ、わざわざそんなことしようなんて思わないんじゃない??』

『……そう、ですね……』


 アドリアナがハルに対して抱く想いは、自分がシャロンに対する想いと同じなのだろうか。

 その時は尋ねることができなかったが、今なら聞いてみたいと思う――




「……シャロンさん、今度、私をお店に連れて行ってくれませんか??」

「今は駄目だよ」

 予想通り、シャロンは間髪入れずにグレッチェンの頼みをすげなく却下した。


「君も知っているだろう??今、歓楽街では『切り裂きハイド』による事件が多発していて、犯人は未だに逮捕されていない。今の所は、犯行は夜中から明け方の時間帯に娼婦が被害に遭っているだけだが、いつ何時日の明るい時間帯に一般女性に狙いを定めてくるのか分からない。だから、犯人が捕まって事件が解決するまで、君を店に連れて行くことはできない」


 アドリアナと市場に出掛けた日から程なくして、歓楽街では娼婦ばかりを狙った連続通り魔事件が発生し始め、最初の事件から二カ月が過ぎた今も尚、被害者は増加の一途を辿っている。

 事件に巻き込まれることは勿論、被害者の殺され方がいずれも目も覆いたくなる程の残虐さに加え、偶然にも殺害現場後や無残な遺体を目にしてしまう可能性も充分有り得る。

 そのため、シャロンはグレッチェンを薬屋に連れて行かなくなり、アドリアナとはあれ以来二カ月、全く顔を合わせていなかった。


「……でも……」

「駄目だと言っている。……大方、アドリアナのことが心配なのだろう??」

「…………」

「気持ちは非常に理解できるがね……。まぁ……、彼女の店は基本的には置屋だし、客引きに出掛けなければならない時には、ハルが厳重に注意を払っているから大丈夫さ。それに……、彼女はあと少しで身を売る仕事から足を洗えるようだ。どうも、年が明けたらハルが娼館を現店主から引き継ぐことになったらしく、その暁にはアドリアナを身請けして結婚するそうだ」

「……本当ですか?!」

 思いがけない吉報に、グレッチェンは珍しく大きな声を上げる。

「あぁ、ハルとアドリアナの二人から聞かされたから本当だよ」

「それならば尚の事、アドリアナさんに早くお会いしたいです」


 グレッチェンは、先程までの意気消沈していた姿からは想像できない、真っ直ぐな強い視線でシャロンに訴えかける。


「うーん、そうだなぁ……。じゃあ、今度、アドリアナにグレッチェンを交えて食事にでも出掛けないか、と誘ってみようか……」

「ハルさんにも一声伝えた方が良いのでは??」

「あぁ、そうだね……。でないと、後々面倒な事態になり兼ねないしね……」


 ハルの名前を聞き、さも面倒臭そうに顔を顰めてみせるシャロンを見て、グレッチェンはようやく薄っすらと口許に笑みを浮かべたのであった。







(2)



 ――翌日の明け方過ぎ――



 夜通し医学書を読み耽っていたシャロンは、気付くと机に突っ伏したまま眠りに落ちてしまっていた。

 薄い毛布を肩から羽織っていたとはいえ、明け方の空気の冷え込みに寒気を感じて目が覚めたシャロンは、部屋から出て便所へと向かう。


「おはようございます、シャロン様。こんな朝早くに起きるなんて珍しいですねぇ」

 便所から出て部屋へ戻る途中、今朝の新聞を配達夫から受け取ったエドナと廊下で鉢合わせた。

「うん、今朝の冷え込みで目が覚めてしまってね。あぁ、起きたついでに新聞を読みたいから、貰ってもいいかね??」

 エドナから新聞を受け取ったシャロンは、廊下の壁に凭れて立ったまま新聞に目を通し出す。

 シャロン様、お行儀が悪いですよ、と、窘めながらその場を去っていくエドナに「まぁまぁ、別にこれくらいはいいじゃないか」と苦笑していたシャロンだったが、三面記事の文面を見た瞬間、一瞬にして笑顔が引き攣り、瞬く間に消え失せていった。

 記事を読み進めていく程にシャロンの顔色は青ざめていく一方で、気を抜いたら壁に凭れながら、床にへたり込んでいただろう。


 呆然自失となりかけているシャロンの隣から、扉が開く音が聞こえる。

 そう言えば、ここは母の部屋の近くだった。


「あら、おはよう、シャロン。今日は珍しく早く……」

 朗らかな笑顔で挨拶をしかけた夫人は、普段は冷静な息子のただならぬ様子に思わず眉を潜めた。

「シャロン??顔色が悪いけど……、一体どうしたの??」


 自分とよく似た、端正で涼し気な母の顔を無言で見返すも、シャロンは夫人にも伝えるべきか逡巡する。

 夫人も、シャロンが口を開くまで黙って待っている。


「…………お母さん…………。この三面記事を見て下さい……。なるべく、記事だけを読むように……、写真は見ないように……。気分が悪くなったら、すぐに読むのは止めて下さい……」

 夫人は訝し気に、シャロンに手渡された新聞の三面に目を通し始めると共に、ひっ!と小さく悲鳴を上げ、記事を読む間もなくシャロンに新聞を押し返した。

「すみません、お母さん……。朝からこのようなものを見せてしまい……」

「いいえ……、いいのよ……」

 そう言いつつ、夫人は口元に掌を宛がい、シャロン同様青ざめた顔をしてぶるぶると全身を震わせている。


「……お母さん、この事は絶対にグレッチェンには内密にお願いします……。新聞もしばらく、彼女の目に触れないように気をつけてください……」

「……えぇ、分かったわ……」

 シャロンの言葉に、夫人は幼子のように何度も小刻みに頷いてみせた――





 ――昨夜未明、歓楽街にて切り裂きハイドの手による、新たな殺人事件が発生――


 ――発見された遺体は、髪を引き千切られて四肢をバラバラに切り刻まれた上、顔面を叩き潰されていた――



 ――――この最も残虐極まる非道な犯行の被害者の身元は―――――





 ――――――――アドリアナ・スミスという、二十二歳の娼婦である―――――――――――



 


 シャロンの脳裏に、ハルとの結婚を告げるアドリアナの何とも幸せそうな笑顔が浮かぶ。

 直後、記事と共に掲載されていた、アドリアナの遺体写真に切り替わってしまう。

 比較的他人に冷淡な質のシャロンだが、稀に見る心根の優しさや、グレッチェンやハルと深い関わりを持つアドリアナには少なからず親愛の情を抱いていた分、これは悪い夢だと信じたかった。

 自分ですらこれ程までに激しく動揺してしまうのだ、姉のようにアドリアナを慕っていたグレッチェンが知ったら……、誰よりも純粋且つ繊細な彼女の心は、この不条理で残酷すぎる事実に、果たして耐えられるのか。

(……あの子は今まで散々、充分すぎる程の苦しみを味わわされてきたのだ……。これ以上、あの子が傷つき苦しみに苛まれるような思いはさせたくない……)


 ――いつかグレッチェンが大人になり、事実を受け止めきれるだけの強さを身につけた時まで、何としても隠さなければ――


 間違っているかもしれないが、アドリアナの件はグレッチェンの為には黙っているのが一番だ。

 この時のシャロンはそう信じて疑わなかった。

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