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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
54/110

Stand My Ground(3)

(1) 

  湾曲型の天井から吊り下げられた幾つもの豪奢なシャンデリア、床一面に敷かれた、見るからに高級そうなペルシャ絨毯、天板の端に金細工が施されたマホガニー製の四人掛けのテーブル席にて、シャロンの隣に座るグレッチェンはいつになく緊張で身を強張らせている。

 以前、シャロンにこのカフェへ連れてきてもらった時もやたらと気後れしたものだが、今日の緊張はその時の比ではない。


「初めまして、グレッチェンさん。(わたくし)の名はヴァレリーと申しますわ。マクレガー家の秘蔵っ子のお嬢さんにお会いできるなんて、(わたくし)本当に嬉しくてよ」

 向かいの席に座る、栗色の長い髪をスパニエルカールに巻いた女性が、グレッチェンの緊張をほぐそうとしてか、猫撫で声とも取れる声色で自己紹介してきた。

「いずれは義理の家族になるかもしれないのですもの、是非仲良くしましょうね」

 ヴァレリーは常に笑みを絶やさないが、却ってグレッチェンの緊張と警戒心は募っていく。


 自信ありげに弧を描く赤い唇に、艶めいた眼差し。

 一見媚びているようでいて優越的な笑い方には、自らの美しさを自覚しきっているのが嫌と言う程に伝わってくる。

 グレッチェンは、この手の類の女性が物凄く苦手だった。

 死んだ姉、マーガレットが、まさしく目の前の女性と似通った質であったからだ。


「挨拶も交わし合ったことだし、まずは注文を取ろう。ここのココアは美味いともっぱらの評判らしい……」

「まぁ、ココアだなんて……、小さな子供用の飲み物じゃない。第一、あんな甘ったるい物飲んだら太ってしまうわ!(わたくし)は紅茶で結構よ」

「ヴァレリーと私は紅茶で……、グレッチェンはココアで……」

「……私もお二人と同じく、紅茶でお願いします……」

 本当にいいのか??と、気遣わしげなシャロンの視線から逃れようと、グレッチェンは膝の上のナプキンを直す振りをして俯いた。

 頭の上では、通り掛かった女給に注文を告げるシャロンの声が聞こえてくる。


 仲良くしましょうと言っておきながら、ヴァレリーはグレッチェンなどこの場に存在しないかのように、シャロンとばかり会話を続けている。

 シャロンが時折、気を遣って話し掛けてくれるものの、グレッチェンは一言二言返事をするのみで、相変わらず俯きがちになってナプキンの端を指先でいじっている。

 やがて、紅茶と共に、サンドイッチやスコーン、ケーキを乗せた三段ティースタンドがそれぞれの目の前に置かれたことで、グレッチェンはようやく顔を上げる。

 だが、極度の緊張と疎外感の中では味覚も麻痺し、好物の甘い菓子すら無味無臭に感じられ、ちっとも美味しいと思えない。

 シャロンとヴァレリーは先日観に行ったとかいう、クリープ座の演劇公演について楽しそうに語らっている。


「ねぇ、シャロン。前から気になっていたのだけど、貴方が使っているそのネクタイピン、どうにかならないの??」

 ふと会話が途切れ、一瞬空いた間の後、ヴァレリーがシャロンに尋ねた。

「質の良いスーツやシャツ、ネクタイを身に着けていても、そんな如何にも安っぽいネクタイピン使っていたら台無しよ??どうせ、純銀じゃなくて混ざりものの銀製品でしょう??」

「あぁ、これは……。グレッチェンから私への、初めての贈り物で……。子供の小遣いを叩いたものだから決して高価ではないにせよ、気持ちが嬉しくてね。折角だから使わせてもらっているのだよ」


 思わぬ失言を漏らしてしまったせいで、ヴァレリーが気まずそうに俯いてみせる。

 しかし、ヴァレリー以上に、グレッチェンはこれ以上ない程のいたたまれなさによって、胸が息苦しくて堪らなくなった。


(…………やっぱり、余計なことをするべきじゃなかったのよ…………)



 シャロンに贈ったネクタイピンは、約二カ月前の暑い夏の日、アドリアナと一緒に、初めて出掛けたヨーク河沿いの市場で買ったものだった――






(2)

 アドリアナに手を引かれ、グレッチェンは再びヨーク河沿いの遊歩道を歩いていた。

 河を背に、道の端沿いには売り物を乗せた荷台が縦一列にずらりと並び、その距離はおよそ六百メートルに及んでいる。


 日が一番高く昇る時間帯、強い照り返しにより石畳みから放たれる熱が靴底から足の裏へ、じんと伝わってくる。

 市場見物の邪魔になると思い、日傘を差さずに歩いたため、額がじわりと汗ばんでくる。

 

「到着したわよ」

 振り返ってふんわりと笑い掛けるアドリアナにつられ、グレッチェンも微かに微笑み返す。

「覗きたいお店があったら言ってね」

「はい」

 手を繋いで歩く、小柄な若い娘二人は仲の良い姉妹のようであり、市場に訪れた人々からも出店している人々からも注目された。


「お嬢さん方、オリーブの実はどうだい??」

「若い娘さんにぴったりの髪飾りなんて素敵だよ!」

「取れたて新鮮のオレンジ一つ食べてみないかい??」


 下町訛りのみならず、異国の発音混じりの掛け声があちらこちらで飛び交い、声を掛けられる度、アドリアナは愛想よく笑ってみせる。

 反対にグレッチェンは、ひっきりなしのお声掛かりにいささか戸惑い、忙しなく視線を泳がせていた。


「……あ……」

「何、どうしたの??」


 彷徨わせていた視線の端で捕えた、グレッチェンが目にしたことのない、変わった染色と紋様の布が売られている屋台が。


「あの……、あそこのお店に行ってみたいです」

「あぁ、キャラコが見たいのね。いいわよ、行ってみましょ」


 グレッチェンが気になった屋台――、キャラコと呼ばれる異国製の平織物が売られている荷台の傍まで、アドリアナと共に近づいてみる。

 褪せた灰茶色の荷台の色とは対照的に、赤や紫、黄色など目が覚めるような鮮やかな色遣いに見惚れていると、何故か隣でアドリアナが悪戯めいた表情を向けてくる。

「??」

 不思議そうに見返すと、アドリアナは正方形の形に畳まれて並ぶ生地の中から、黄色や白、赤の小花が散らされた淡い水色を基調とする生地を手に取り、グレッチェンの胸の前で宛がった。

「グレッチェンはきりっとした賢そうな顔立ちだから、寒色系の色が似合うわね」

 ふむふむと頷きながら、アドリアナは手にしていた生地を荷台へ返すと、今度は白地に濃緑や黄色の幾何学模様が織り込まれた生地を宛がってくる。

「白もすっきりしていて良いわねぇ」

 グレッチェンに似合いそうな生地を次々と宛がうアドリアナの姿に、固かった表情が自然と緩んでくる。


 けれど、アドリアナは織物を買えるだけの金銭を持ち合わせていなかったし、グレッチェンも買う程特に欲しい物でもなかったので、程なくしてキャラコ織物の屋台から二人は離れていく。

 次はどの店を覗こうか、と、相談し合っていると、近くの屋台から流れてきたらしい、焼き立てのマフィンの甘ったるい匂いが鼻先を掠めた。

 途端に、くぅ、とグレッチェンの真っ平らな腹から空腹を知らせる音が鳴る。

 恥ずかしそうに顔を赤らめるグレッチェンに、「私も丁度お腹が空いてきたし、何か買って食べよっか」と、アドリアナは匂いが流れてきた屋台へとグレッチェンを連れて行く。


「マフィンを二つ下さいな」

「はいよー」

 恰幅の良い中年女性からマフィンを包んだ袋を受け取ると共に、アドリアナが代金を支払う。

「……あ、私の分は自分で払います……」

「いいの、いいの!このくらいはお姉さんが奢ってあげる」

「でも……」

「いいの、気にしないで。はい、どうぞ」

「……す、すみません。……ありがとうございます……」 


 手渡されたマフィンを包み込むように手に持つと、隣を歩くアドリアナは早速マフィンに齧りついている。

 歩きながら食べるなんて、はしたないのでは……、と気にしつつ、アドリアナ以外にも同じように振る舞う人達を何人か見掛ける。

 きっとこの場では許される行為なのだろう、という結論に達したグレッチェンは、マフィンを一口大に千切って口へと放り込む。

 マクレガー家で食べるマフィンと違い、甘さも控えめで少し固いけれど、これはこれで美味しいかもしれない。

 何より、活気溢れる市場を巡るという初めての経験が、グレッチェンの気分をいつもよりも幾らか高揚させていたのだった。


 やがて、二人がマフィンを食べ終わる頃には、市場の列も終わりへと差し掛かる。


「グレッチェン、一通りのお店を回ったけど、本当に何も買わなくていいの??」

「あ、はい。市場の雰囲気を堪能できただけでもう、充分なんです……」

 そう言い終わるか終らないかの間に、おそらく最後方辺りだろう場所の荷台に、グレッチェンの目が釘付けとなった。

「すみません、アドリアナさん。あそこのお店に寄ってもいいでしょうか??」

 言うやいなや、グレッチェンは吸い寄せられるようにその屋台へ近づいて行く。


 テーブルクロスのように、荷台に敷かれた黒い天鵞絨の布の上には、太陽の光を受けてキラキラと光り輝く銀製品が展示されていた。

 指輪やネックレス、イヤリング、髪留めから、スプーンやフォークなど数多くの銀製品がひしめく中から、グレッチェンは一つだけ無性に気になる物を見つける。

 ある一点のみを集中的に見つめるグレッチェンに気付いたアドリアナは、「何か欲しい物でもあるの??」と尋ねた。

 グレッチェンは無言で、そっと指で指し示してみせる。


 グレッチェンが指を差した先には、飾り気のない、至って簡素な作りの小さなネクタイピンで、それを確認したアドリアナは、意外そうに大きな瞳を丸くする。


「もしかして……、あれはシャロンさんに??」

「はい。確か、今まで使っていたものが壊れてしまった、と仰っていたので……。ただ、貰ったお小遣いで足りるのかが分からな……」

「すみません、このネクタイピンはおいくらですか??」

「えっ?!ア、アドリアナさん……!」


 あたふたと慌てるグレッチェンに構わず、アドリアナは、彫りの深い顔立ちに浅黒い肌をした屋台の店主に声を掛ける。

 異国語訛りの目立つ言葉遣いで店主が告げた、ネクタイピンの値段に、グレッチェンの表情はたちまちパッと明るくなる。


「あ、あの……、このネクタイピンを買おうと思います……!」


 純銀ではなく混ざり物の、安物の銀製品だったが、この時のグレッチェンはシャロンに向けて、常日頃の感謝の気持ちを細やかではあるが彼に示したかったのだ。

 アドリアナと共に市場から薬屋に帰ってすぐに、このネクタイピンをシャロンに贈ると彼は大袈裟なまでに喜んでみせ、以来、毎日身に着けてくれていた――、が――




(3)


(……でも、シャロンさんのような身分の方が身に着けるには、もう少し高価な物でなければいけなかったのね……)


 恋人という近しい間柄だからこそ、ヴァレリーははっきりと忠告してくれたが、彼女の他にも同じように思った人が大勢いるかもしれない。

 そう考えた途端、グレッチェンは自らの浅慮に酷く恥じ入りたくなった。


(……せめて、高価なネクタイピンが買えるだけのお金があったら……。ううん、それだって、元を質せばシャロンさんから頂いたお金だったわ……)


 グレッチェンが塞ぎ込む理由を知ってか知らずか、シャロンとヴァレリーの間でネクタイピンの話はとうに終わり、すでに別の話題に切り替わっていた。

 グレッチェンが知らない、加わることの出来ない大人の話に疎外感は募る一方である。



 早く大人になりたい。


 大人になってしまえば、こんな詰まらない失敗もしなくなるだろうし、高価なネクタイピンを自分のお金で買うことが出来るし、大人の会話にだって参加できる。




 すっかり冷めてしまった紅茶を啜りながら、グレッチェンは密かに強く願ったのであった。

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