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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Everybody's Fool
44/110

Everybody′s Fool(8)

(1) 

  血のような深紅色の四方の壁には、やはりと言うべきか、大きな銀色の鎖が飾り付けられていた。


 部屋の北側に設置された窓は、壁の色と同じ深紅のカーテンで隠されており、近くの壁には、裸の男女が複数絡み合う姿を描いた絵、酩酊した酔っ払いが足を滑らせて河に落ちる絵などが飾られてある。

 いかにも妖しげで悪趣味極まる、約二十帖程の部屋の中央――、五人の紳士と一人の中年女が、四隅の角に燭台を並べた長テーブルをぐるりと囲み、交霊の儀を行っていた――




 白髪交じりの長い茶髪に、全身黒づくめの服装をした小太りの中年女(おそらく、霊媒師か)は、自分の席の前にAからZのアルファベット文字全て羅列された紙を敷き、紳士達は目を凝らしてその紙に視線を集中させる。


 パキッ、パキッ!!


 どこからともなく小さな破裂音が鳴り響き、音が聞こえると同時に女霊媒師は、左の人差し指でアルファベット文字を指し、右手でその文字を白紙に書き記していく。


 パキパキ、パキ!!


 音が鳴る度、白紙には次々と文字が埋められていく。




 ようやく音が鳴り止むと、女霊媒師は文字を記した紙を紳士達の中の一人に見せつけるようにして、掲げてみせる。


「コリンズさん、貴方が昔交際していた恋人の名はメリンダ・カーライルさんで宜しいですか」

 問われた男は、「あっ、えっ、は、はいっ!!」と狼狽えながら返事をする。

「貴方は両親に反対されて、泣く泣く彼女とお別れしたそうですね??」

「……はい……」

 したり顔で詰め寄る女霊媒師からの質問に、紳士は語気を弱めつつも答えてみせる。

「たった今、私は彼女の生霊と交信した結果……、カーライルさんはコリンズさんのことを一切恨んでいないそうですよ。その証拠に、この紙に彼女からの伝言を記しました」

 紳士は女霊媒師の手から勢い良く紙を奪うと、食い入るように内容に目を通し始めた――





 引き続き、交霊会を続ける六人の男女を、中央のテーブルから少し離れた場所――、暖炉の前に置かれた、幾何学模様の長椅子に腰掛ける老人と艶やかな美女二人が遠巻きに眺めていた。


 東の異国の血が混じっているせいか、肌がやや黄色っぽく瞳も真っ黒であったが、髪は薄い橙色(加齢で色素が落ちてしまっているが、元は赤毛のようだ)の、高級スーツを纏う老人――、彼こそが、この秘密俱楽部の発足者ウォルター・ケインであり、そのウォルターが肩を抱いている、栗色の緩やかな長い巻毛を無造作に下ろした、涼し気な顔立ちの美女――、もとい、女装した男娼の振りをするシャロンは、さりげなく羽根扇子で口元を隠しては、絶えず込み上げくる嫌悪感と吐き気と必死に戦っている。


「サリーとやら、随分と顔色が悪いな、どうしたのだ??んー??」

 心配そうな声音とは裏腹に、ウォルターはシャロンの細い顎を指でくいっと上向かせ、わざと顔を近づけてきた。

 まさか、『この俱楽部の、非科学的な下らない内容に辟易しきっている上に、貴様に近づかれ、あまつさえべったりと触れられることが堪らなく不愉快で屈辱的だ』などとは言える筈などない。

 代わりに、シャロンはウォルターに向けて艶然と微笑み掛けた。

「……あら、これは失礼致しましたわ、ウォルター様。(わたくし)、交霊会なるものを間近で観るのが何分初めての事でして……。ここにお越しになっている霊媒師様は腕利きの方だと思うのですが……、それでも、得体の知れない霊との交信など……、(わたくし)にはただただ、恐ろしくて堪らないのです……」

「何だ、それでお前は真っ青な顔で怯えているのか。歳や見た目に似合わず、何とも可愛らしいものよのう」

「あら、嫌だ……。そんな意地悪なことを仰らないでくださいな」

 ウォルターがシャロンの顎から手を離すと、シャロンは自ら彼の胸にしなだれかかる。

 いっそのこと、この男の胸の中で嘔吐し、吐瀉物を撒き散らしてやろうか、などという考えに駆られるのを、どうにか踏み止まらせていた。


 そんな二人の様子を長椅子の後ろの壁際で、目に掛かる程長い前髪をした、ブルネットの髪の少年――、もとい、『サリーのお付き役で、男娼見習いの少年』に扮したグレッチェンがじっと見つめている。視線だけで周囲を氷漬けにできるのでは、と思う程の、冴え冴えと底冷えしきった殺気を瞳に宿しながら――


 突如、グレッチェンは誰かに尻をススーッと撫でられ、思わず悲鳴を上げそうになった。


 すかさず、すぐ隣に佇む、ひょろりとした長身痩躯の、真っ黒なスーツ姿の男をキッと睨みつける。

 男はグレッチェンに睨まれてもどこ吹く風と言った体で、涼しい顔で微かに笑った、かと思うと。

「お嬢ちゃん、あんたのご主人想いな気持ちはよーく分かるけど、無闇に殺気立つなよ。こいつに気付かれたりしたらヤバいぜぇ??気を付けな」

「…………」

 ウォルターに気付かれないよう、小声で男から注意を受けたグレッチェンは、唇を真一文字に引き結びつつ、無言で頷き返す。

「よーし、いい子だ」

 男は、唇の端を持ち上げてニヤッと笑う。

 顔立ちは全く似ても似つかないのに、その皮肉気に笑う表情はどことなくハルとよく似ていた――




(2)


 ――遡ること数時間前――



 数日前に、ハルから『銀の鎖』で行う交霊会の日程が今日だと知らされていたシャロンとグレッチェンは、まだ日の明るい昼間からラカンターへと足を運んだ。

 安息日の今日は、薬屋もラカンターも休みなだけでなく、歓楽街の店全体がほぼ休業日にあたるため、普段人通りの最も多い通りですら閑散とした雰囲気に包まれていた。

 しかし、これから変装し、人目を忍んで出掛ける二人にとっては、非常に好都合な状況ではあったが。


「おう、来たか。じゃ、早速準備に取り掛かるぞ」

 ラカンターに着いて早々、二人は奥の部屋へと案内され、シャロンはそこで着替えや化粧をハルに施される手筈になっていた。

「……本当にお前に任せて大丈夫なのか……」

「あ??やり手の元ポン引きの腕を舐めんな。こう見えて、新入りの娼婦達に化粧や美容関係の指導もしていたからな。それこそ、下手な女よりは化粧を上手く施せる自信はある」

 ハルはシャロンと向かい合わせで長椅子に座ると、ローテーブルに化粧道具一式を並べて、手際よく丁寧にシャロンに化粧を施していく。


 更に長い栗毛の鬘を被せられ、シャロンは爽やかな紳士から妖艶な美女へと姿を変貌させた。


「グレッチェン、悪いがドレスの着替えを手伝ってくれ」

「はい」

 シャロンが化粧を施される間に、便所で黒いスーツに赤いリボンタイを身に着け、ブルネットの鬘を被ったグレッチェンは、ハルと共にシャロンの着替えを手伝い始める。

 光沢を放つサテン生地の、華やかで明るめのラクダ色のドレスは、シャロンの白い肌やすっきりと整った顔立ちに良く映え、立て襟で肌の露出が少ない上品な作りも相まって、このドレスを纏ったシャロンは男娼と言うよりも上流の貴婦人にしか見えなかった。

「これでどうだ??」

 ハルから大きめの手鏡を手渡されたシャロンは、思わず顔を顰めてみせる。

「……我ながら、気味が悪い程に女装が似合っている気がする……」

「本当に……。私よりもシャロンさんの方がずっと美しいですよ……」

 複雑そうにしながらも、シャロンの美しさを素直に褒め称えるグレッチェン。

「む……、そうか……」

 憎からず想うグレッチェンに女装姿を褒められ、グレッチェン以上に複雑な気分に陥ったシャロンは適当に言葉を濁す。


「あぁ、もうこんな時間になっちまったか」   

 ハルが懐中時計で時間を確認すると、すでに時間は夕方の五時を回っていた。

「ハル。確か、娼館の用心棒が馬車で迎えに来てくれるのでは……」

 『銀の鎖』という交霊会は夜七時から開始される予定である。

 万全に準備を行ったはいいものの、肝心の迎えが来ないようでは意味がない。

「あの野郎……、忘れてはいないと思うが……」

 シャロンからの訝し気な視線を浴びたハルは、彼にしては珍しく煮え切らない態度を見せる。

 ハルの態度によって、益々持ってシャロンの不安は煽られ、もう一度彼を問い詰めようとした時だった。


 馬の蹄が地を踏み鳴らし、転がる車輪によって馬車の車体が揺れる音が店に近づいて来た――、と思うと、その音は店の裏口の近くで止まった。

 直後、裏口の扉をドンドン、と叩く音が聞こえてきた。

「……やっと来やがったか……」

 今し方火をつけたばかりの煙草を咥えたまま、ハルは長椅子から立ち上がり、扉に向かっていく。


「お前……、遅ぇよ」

「いやー、悪い、悪い!!」


 扉の向こう側から姿を現したのは、ハニーブロンドの短髪に、ハルと同じくらい背の高い、痩せた黒スーツ姿の男だった。


「ったく、相変わらず、お前は緩いというか……」

「へ??緩いのはハロルドの腹じゃねぇの??ちょっと太ったよなあ??」

 あろうことか、男はハルの脇腹を指先で撮み、軽く抓ってみせる。

「……てめぇ。今すぐその手を離すか、煙草を眉間に押し付けられるか、どっちか選べ」

「おぉ、怖えぇ……。へいへい、分かりましたよっと」

 ハルに凄まれてすぐに手を離したものの、男は怖がるどころか、むしろ面白がってさえいる。


 小猿を彷彿させる、どこか剽軽さを湛えた顔立ちと軽妙な口調により、少々軽薄でお調子者めいた雰囲気の男は、長椅子に座ったまま呆気に取られているシャロンとグレッチェンの姿を目に留めると、ハルを押しのける勢いで彼に近づいて行く。


「おぉぉ、あんたが例の、ウォルター・ケインに用があるって奴かぁ!なるほどなるほど、こりゃ中々の上玉じゃねぇかい!!なぁ、あんた、良ければうちの店で働かないか??あんたなら売れっ子になること間違いなしだ!!」

 男から興奮気味に詰め寄られたシャロンは、あからさまに美しい顔を引き攣らせて困惑している。

「おい、ディヴィッド。こいつは堅気の上に無類の女好きだから、勧誘したところで無駄だぞ」

 今にもシャロンの両手を握りしめかねない男を見兼ね、ハルは溜め息交じりに咎めた。

「あぁ、そうなの??なーんだ、つまんねえの」

「お前なぁ、ふざけてばかりいないで、とっととこの二人を馬車に乗せてウォルター・ケインの屋敷まで連れて行けよ」

「へいへいー。言われなくても、やりますよっと」


 終始軽薄な男の態度に、シャロンとグレッチェンは思わず互いに顔を見合わせる。


「……ハル、本当にこの男が我々の用心棒を務めるのか……??」

「あぁ……。こいつの軽いノリに不安を抱くのは多分に理解できる……。だが、こいつはこう見えて、仕事だけは完璧に遂行してくれる……」

「……本当ですか??」

 グレッチェンまで、強い不安を露わにさせてハルに問い掛ける。


「ええぇぇー、嫌だなぁ、もうー。俺、そんなに信用ない訳ぇ??」

「ディヴィッド……、お前は黙ってろ。喋るな」

 へーい、と、両腕を頭の後ろにつけ、不貞腐れる男に再びハルは盛大に溜め息を吐き出す。

「紹介が遅れたが……、こいつの名前はディヴィッド・サリンジャー。つまり……、ドン・サリンジャーの子息で、サリンジャー一家の次期頭首となる男だ……」


 ハルの紹介を受けた男、ディヴィッドは、驚きの余りに目を瞠るシャロンとグレッチェンを、相変わらずヘラヘラと笑いながら見下ろしたのだった――

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