第四話
シルビアが店を去った後、何事もなかったかのようにグレッチェンとシャロンは通常業務に勤しみ、午後九時近くに店を閉めた。
「グレッチェン、たまには飲みに付き合ってくれないか」
今日の売り上げを帳簿に書き綴っていたグレッチェンに、シャロンは誘い掛ける。
「お断りします」
グレッチェンはシャロンの方を一切見向きもせず、帳簿にペンを走らせながら即座に断りの返事を返す。
「相変わらず、君はつれないなぁ」
「仕事と私生活は切り分けたいので。それに、昨夜も朝まで飲んでいましたよね??」
「な、何故分かったんだ……」
「勘です」
「君は恐ろしい女性だな……」
「貴方の行動が分かり易いだけです。冗談はさておき、シャロンさんも若くないのですから、お酒の飲み過ぎが原因で身体を壊されでもしたら、洒落になりませんよ」
グレッチェンはペンをカウンターに置き、帳簿をパタンと閉じる。どうやら書き終えたようだ。
「そうか、仕事であれば付き合ってくれるのだな??」
「はい??」
「今日は情報収集をしに行こうと思ってね」
グレッチェンは怪訝そうな顔でシャロンを見返す。
「今日、君の毒を求めにきた女の身辺調査だよ」
「それならば、必要ありません。私は彼女に毒を売る気などありませんから」
「そう言うと思ったよ」
シャロンの言わんとする言葉の意味が掴めず、首を傾げているグレッチェンに向けて彼はニヤリと微笑んだ。
「あの女、ドハーティの売春宿の娼婦だろう??」
何故分かるんだ、とばかりに、グレッチェンは淡いグレーの瞳を見開く。
「少しだけ、君達の話を盗み聞きさせてもらったよ」
「趣味の悪いことを……」
「ドハーティは歓楽街でも評判がすこぶる悪い男らしい。君は、あの女の化粧の濃さに何か気付かなかったか??」
「いえ、特には……。あぁ、でも……。もしかしたら、日常的に暴力を振るわれているせいで、顔に痣か怪我でも負っていて、それを隠す為かも知れませんね」
どうでもいいことだけど、とても言いたげな、グレッチェンの素っ気ない物言いに構わず、シャロンは続ける。
「それもあるだろうが……。あの女は年の割に皺が多いし、崩れた顔立ちをしている。あれは恐らく、阿片中毒による後遺症だ。阿片チンキを欲しがったのも、阿片代わりに使用しようとしたのだろう」
「だから何なのです??仮に彼女が阿片中毒者であったとしても、私が毒を売るか売らないかに何の関係もないと思いますが」
いつになく食い下がってくるシャロンに苛立ちを感じ始めたのか、グレッチェンの言葉に刺々しさが増していく。そんな彼女に、やれやれとシャロンは肩を竦めてみせる。
「あの女が自ら好んで阿片を使用しているなら、私も放っておくつもりだ。だが、もしも、ドハーティによって強制的に阿片を与えられていたとしたら……」
「その時は、彼を毒で始末しろ、ということでしょうか??」
グレッチェンは射るような鋭い視線をシャロンに送りつける。
この店の先代の店主、つまり、シャロンの父親は重度の阿片中毒者で、三十年年近くもの間、厚生施設への入所していて、実質この店を切り盛りしていたのは母親であった。
父親がいるにも関わらず、母子家庭のような状況で育ったシャロンは、阿片の危険性を世に広め、後遺症に苦しむ人々を救いたいがために勉学に励み、医者を志していた。同時に、阿片を悪用する人間に対して、強い憎しみを抱いている。
そんな彼の内面的な事情に、グレッチェンは少なからず理解を示しているので、「……分かりました。シャロンさんがそう仰るならば、私は従うまでです」と、静かに告げた。
「グレッチェン。言っておくが、あくまでそれは最終手段だ。私だって、本当は君に毒薬の精製など、出来ればやらせたくないんだ……」
眉根を寄せ、ダークブラウンの瞳に哀しみの色をちらつかせるシャロンに、「……分かっています。貴方のその気持ちは痛い程に、ひしひしと感じていますから」と、グレッチェンは目を伏せて弱々しく笑ったのだった。