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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Everybody's Fool
39/110

Everybody′s Fool (3)

(1)


 ――翌日――



 薬屋の開店時間――、午後十二時になる少し前に、シャロンは二階の私室から降りて来て店の中に姿を見せた。

 店内には、いつも通りの男装姿のグレッチェンが、すでに一時間近く前から開店準備を一人で行っている。

「おはようございます、シャロンさん。もう頭痛の方は治まったのでしょうか??」

 グレッチェンはカウンターに入り、朝一番に届いた薬品をカウンター後方の薬品棚へと並べている。今彼女が手に取っているのは、少々値の張る精力剤の瓶だ。

「あぁ、お蔭さまで一晩眠ったらすっかり治ったよ」

「……それなら良かったです。もしや風邪でも引かれたかと、心配していましたから」

 グレッチェンは一瞬だけ薬品棚からシャロンに視線を移し、薄く笑ってみせる。

 子供と見紛う程に小柄で華奢な身体つきに反し、慎ましやかな笑顔は実年齢よりも大人びており、不覚にもシャロンはドキリとさせられた。


 彼女の事は出会った当初より、年の離れた妹のような存在だとずっと考えていた。筈であったのに。

 いつ頃からだろうか、少なくともこの一年程の間で彼女の事を妹ではなく、一人の女性として急激に意識し始めた自分に気付いていた。

 これが他の女であれば、すぐさま口説き落として、あわよくばベッドの中まで連れ込もうと目論むだろう。

 しかし、シャロンはグレッチェンへの自らの想いに、見て見ぬ振りを決め込んでいる。

 彼女を救うためとはいえ罪を犯した自分に――、また、彼の為に彼女が罪を犯し続けることを容認している自分に――、彼女を愛する資格などある訳がない。


「シャロンさん??」

「あぁ、すまない。ちょっと考え事をしていた」

「……そうですか。でも、ボーっと他事を考える暇があるのでしたら、棚に薬品を並べるのを手伝ってください」

 さりげなくグレッチェンに注意されてしまったシャロンは、力無く肩を竦めてみせる。

 そしてカウンターの上に置かれた箱の中から、オキシドールの瓶を手に取った時だった。


 扉が開き、仕立ての良いドレスを纏っているが、ひどく疲れ果てた顔付きの中年女が店に入って来た。

 女は、グレッチェンとシャロンだけしか店内にいないことを確認するように、周囲に二、三回視線を彷徨わせた後、カウンターへと足早に歩み寄る。

「……すみません、こちらのお店で、絶対に証拠が残らない毒を秘密裏に売っている、という噂をお聞きしたのですが……、」


 どうやら、この女はグレッチェンの毒を求めて、ここへ訪れたようである。


「はい。マダムの仰る通り、この店では証拠が残らないだけでなく、即効性と確実性が非常に高い毒を売っておりますが」

 シャロンが女の問いに答える。

「あの……、お金はいくらでも払います……。私に毒を売って下さい……、お願いします……」

 女はカウンターの前でグレッチェンとシャロンに向かって、深々と頭を垂れてみせる。

「……毒を売るかどうかは、貴女が毒を求める理由如何によります。なので、まずは奥でお話を聞かせて貰えますか??」

 冷たい鉄面皮を顔に張り付かせたグレッチェンは、女をカウンターの奥の部屋へと案内したのだった。



(2)

 グレッチェンと女が奥の部屋に入ってから約十分後、女は店の中へと戻ってきた。

 それと同時に、シャロンは未だ奥の部屋にいるグレッチェンに呼び出される。

 毒の用意――、グレッチェンの血液を注射器で抜いてやるために。


「今日は、随分あっさりと結論が出たのだな」

 数多くの実験道具が並ぶテーブルの上で、血液を注射器から琥珀色の小瓶に移し替えつつ、グレッチェンに尋ねる。

 グレッチェンは、部屋の奥――、流し台付近に置かれたローバックチェアに座り、注射を打たれた箇所を脱脂綿で押さえながら、答える。

「今回の依頼も、阿片中毒で苦しむ夫を早く楽にしてあげたい、ということでしたので……」

「またか……。これで四人目じゃないか」

 シャロンは眉間に皺を寄せて、思わずグレッチェンを振り返る。


 ここのところ、店には阿片中毒で苦しむ家族、もしくは恋人、友人を、阿片の過剰摂取に寄る中毒死に見せ掛けて毒殺したい、という理由で毒を求めに訪れる者ばかりが続いていた。

 阿片は、精神安定や鎮痛等の効果をもたらすので、特に、医者に掛かれない貧しい者達は阿片チンキを使用する者も数多い。そのため、日常的に常用することで知らず知らずの内に重度の阿片中毒を患ってしまう場合も多くあった。


「それだけではありません……。今回の依頼者のみならず、今まで同じ内容で毒を求めに訪れた方達が口を揃えたように、殺害対象の者が『銀の鎖』という秘密俱楽部に通っていた、と言うんです」

「銀の鎖??」

「はい。何でもウォルター・ケインとかいう実業家が、週に一度、彼の邸宅に人を集めては交霊術の会を開いているとか……」

「交霊術だと??下らないな……。大方、表向きは交霊会と称しているが、実際のところは乱痴気騒ぎに耽っているだけなのだろう……」


(……ん??銀の鎖……、ウォルター・ケイン……)

 シャロンの胸の中で何かがざわつき始める。

 と同時に、脳裏に浮かんできたもの――……


 ――歓楽街の中の鄙びた裏通り、赤黒く変色した古い煉瓦造りの建物、薄暗がりの中、赤い壁に飾り付けられた大きな銀の鎖、妖しげな白壇の香り……――


「シャロンさん??」

 急に黙り込んだかと思うと、真っ青な顔色に変化していく彼を気遣うグレッチェンの声で、シャロンの思考は一気に現実に引き戻された。

「あ、あぁ、すまない。一瞬眩暈が生じてね……」

「やはり、まだ身体の調子が……」

「なぁに、大丈夫だよ。……あ、毒の用意は済んだから、早くあのマダムの元へ渡しに行ってあげなさい」 

 そう言ってシャロンは、まだ何か言いたげなグレッチェンの小さな手に、毒の入った小瓶を半ば強引に押し込む。

 グレッチェンはシャロンを気にしつつも、女に毒を渡しに部屋から出て行く。

 グレッチェンの姿が消えると、シャロンは先程まで彼女が座っていたチェアに腰を下ろし、小さな丸テーブルに両肘をつけて頭を抱え込んだ――



 女が帰ったであろう時間を見計らって、シャロンはようやく奥の部屋から姿を現した。


「シャロンさん、やはり無理をされていませんか??」

「いや、もう大丈夫だよ……」

「…………」

 グレッチェンの訝しげな視線。

 本人はそんなつもりは一切ないのだが、その真っ直ぐさに咎められている気分に陥ってくる。

 他の女であれば、シャロンは笑顔を見せて適当にあしらう、要は嘘を吐くところだが、彼はグレッチェンに対してだけはどうしても嘘を吐き通せない。


 遂に観念したシャロンは、一際大きく嘆息した後、重く固い唇をどうにかして開いた。


「…………グレッチェン、私の……、父が、労咳の療養で長年サナトリウムに入院していることは知っているね??」

「……はい」

 何故、今、シャロンの父の話題が急に出てくるのか、という疑問を僅かに表情に浮かべつつ、グレッチェンは返事を返す。

「……実はだね、父は……労咳なんかじゃない。父……、否、あの男は……、重度の阿片中毒者で、二十三年前から厚生施設に入院させているんだ……」

「……えっ……」

「……今まで、嘘をついていて本当に申し訳なかった」

 グレッチェンに向かって、シャロンは頭を下げてみせる。

「……いえ、事情が事情ですから……、止むを得ないと、思います……」


 グレッチェンは頭を横に振り、気にしていない、という旨の意思表示を強調して見せると共に、あることに気付いた。


「……あの、もし間違っていたら、申し訳ありませんが……」

「何だね??」


 グレッチェンは一旦、口を噤み、言葉に出していいものかどうか、逡巡する。が、すぐに恐る恐る、といった体で言葉を続けた。


「……もしかして、シャロンさんのお父様と、ウォルター・ケイン氏には何らかの関わりがあるのでしょうか……」

 シャロンはひどく緩慢な動きで頷く。

「……私も確証を得ている訳ではないがね。恐らくは、あの男の阿片中毒に拍車を掛け、施設に入院を余儀なくさせられたのは、ウォルター・ケインとの関わりが原因かもしれなくてね……」

「…………」

 一段と顔色が青くなっていく一方のシャロンに、掛ける言葉が見つからない。

 ただ彼が――、彼だけでなくマクレガー家の人々がルパートのことで長年苦しんでいただろうことは、この短いやり取りの中だけでも痛い程充分に伝わってくる。

 いたたまれなくなったグレッチェンはシャロンに寄り添おうと、彼のすぐ傍まで近づこうとした。


 けれど、間が良いのか悪いのか、丁度扉が開き、一般の顧客女性が店に入って来た、

 すると、それまでの顔色の悪さから一転、シャロンがいつも通りの爽やかな笑みで接客を始めてしまったため、グレッチェンも一旦意識を切り替え、本来の仕事を再開したのであった。



 顧客が帰った後、グレッチェンは再びシャロンに向き合う。



「……シャロンさん、私は……、貴方が望むならば、出来る限りお役に立ちたい、と思っています……」

「…………何が言いたいのかね??」

 怪訝な顔で、シャロンはグレッチェンを見返す。

 少々険しさが入り混じった、涼し気なダークブラウンの瞳に臆することなく、負けじとグレッチェンはシャロンに視線を送り続け、静かに告げる。


「……ウォルター・ケイン氏への恨みを晴らすため、復讐をお考えでしたら……。貴方が直接手を下す代わりに、私が毒で始末しようと思います」

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