スウィート&スウィート(後編)
前半は、グレッチェンがシャロンに引き取られて一年程経った頃。
後半は、現在の二人。
前編以上に、意味なしオチなしの甘々なだけの話になってしまいました(´・ω・`)
(1)
しとしとと、朝から絶え間なく降り続ける雨の音を聞きながら、シャロンは机の上で新たに手に入れた研究書に目を通しては、気付いた事や役に立ちそうな事をノートへ書き記している。
本当ならば、新しい恋人と共に観劇に出掛ける予定であったのだが、生憎の雨のため急遽その予定は中止となり、これ幸いにとグレッチェンの身体を治す研究に取り組んでいたのだ。
「シャロン様、午後のお茶のお時間です。すぐに居間の方へとお越し下さいませ」
扉を叩く音と共に、長年マクレガー家に仕える女中エドナが扉越しにシャロンに呼び掛ける。
(もうそんな時間になっていたのか)
窓越しに映る空がどんよりとした濃灰色の雲に覆われ、全体的に薄暗いせいで、時間が移行していく感覚がいまいち掴めずにいた。
凝り固まった肩や背中の筋肉をほぐすため、左手を後頭部に回し、右腕を真横に真っ直ぐ伸ばしながら、そのまま後ろへ引っ張るようにして大きく背を逸らす。筋が引き攣る鈍い痛み、痛い筈なのに心地良く感じる。
「エドナ。すぐに居間に行くと、母やグレッチェンに伝えておいてくれ」
言うやいなや、シャロンはすぐさま本を閉じて椅子から立ち上がったのだった。
染み一つ見当たらない真っ白なテーブルクロスの上に、更に深緑色の短めのクロスを被せた丸テーブルを、シャロン、マクレガー夫人、グレッチェンの三人で囲む。すぐにエドナが紅茶と菓子、デザートナイフとフォークをそれぞれの場所へと置き、テーブルの真ん中ら辺にはティーポットを置いていく。
皿の上には匙付きの小瓶に入った苺ジャムとクロテッドクリーム、胡桃を思わせる形の薄茶色い小さなパンのような菓子が三つ並んでいる。今日はアフタヌーンティーの定番、スコーンのようだ。
マクレガー家のスコーンには干しぶどうが混ぜられているが、幼い頃から慣れ親しんだ味だからか、甘い物が苦手なはずのシャロンでもこれだけは例外的に好んで食している。
早速、フォークとナイフを使って切り込みを入れようとした時に、ふと気付く。
スコーンの形がいつもより歪なのだ。
さりげなく夫人やグレッチェンのも盗み見てみると、中には少々焦げ付いているものや、大きさが明らかに異なるものもあった。
「そうそう、今日のスコーンはね、グレッチェンが作ったのよ」
「グレッチェンが??」
シャロンがグレッチェンの方を見ると、グレッチェンは恥ずかしそうに目を伏せる。
「……お義母様とエドナさんに教えていただきながら、初めて作ったのですが……。あまり上手に作れなくて……」
「あら、そんなことないわよ。少なくとも私はそう思うわ。それに味見したエドナだって、初めて作ったにしては上出来だって褒めていたじゃない」
「…………」
「本当に駄目だったら、エドナがお茶のお菓子として出す事を許すはずがないもの」
夫人に諭されながらも、それでも自信が持てずにいるのか、グレッチェンは押し黙ってしまう。
マクレガー家で暮らし始めてから一年。今までとは打って変わり、心穏やかな生活を送っているお蔭か、グレッチェンは心身ともに見違える程健康になった。 灰色だった髪の色も本来のアッシュブロンドに戻り、華奢な事には変わりないが身体に肉も付き、顔色も随分と良くなってきている。
流行のドレスに身を包み、夫人やエドナによってよく手入れされた、艶々と輝くアッシュブロンドの長い髪をハーフアップに結い上げた姿は誰の目から見ても、儚げだが賢そうな美少女として映るだろうに。
しかし残念なことに、グレッチェン自身はそのことに全くと言っていい程無自覚なので、時々このような卑屈な態度をしばしばとりがちであった。
「そうか、グレッチェンが作ったのか。どれどれ、早速頂くとしようか」
スコーンをフォークで支えながら、慣れた手つきでナイフで真ん中に切込みを入れ、そのまま半分に割ってみせる。二つに割れた内の一つを手に取り、クロテッドクリームを切り込んだ面に薄く塗ると、一口齧る。
「うん、美味いよ。砂糖の加減も甘すぎず足りなさすぎず、生地も良い塩梅で焼けている」
シャロンがスコーンを食べる様子を食い入るように見つめていたグレッチェンは、大仰なまでに胸を撫で下ろしてみせる。
「ね、言ったでしょ??」
夫人が茶目っ気たっぷりな視線を投げかけると、グレッチェンはややバツが悪そうに、控えめに薄く微笑んでみせたのだった。
ようやく安心したからか、グレッチェンもシャロンに続くようにスコーンにナイフで切込みを入れて半分に割ると、切り込んだ面にクロテッドクリームを塗り、更に溢れんばかりの量の苺ジャムを乗せていく。
ちょっとジャムの量が多すぎやしないか、と、甘い物に関しては欲深なグレッチェンに呆れていると、案の定、スコーンに齧りついた際に上唇や唇の端にいっぱい赤い果肉がくっついてきた。当のグレッチェンはと言うと、口元を汚すジャムを拭いもせず、どことなく満足そうにもぐもぐと口を動かしている。
まるでげっ歯類の小動物みたいだな、と、年の離れた妹同然の娘が見せる、年齢より少々あどけない仕草をシャロンは優しく見守っていたのだった。
(2)
--時は進み、八年後ーー
「シャロンさん、そろそろ休憩にしましょうか」
客が多く訪れ、店が忙しくなる前――、大体三時半頃になると、シャロンとグレッチェンは十五~二十分程休憩を取りがてら、お茶を飲むことにしている。
「そうそう、昨日お休みだったのでスコーンを作ったんです。焼き立てじゃないですし、一日経っているから固くなっているかもしれませんが、それで良ければお茶のお供にどうでしょう??」
グレッチェンは読書や散歩の他に菓子を作ることも好きで、休みの次の日に、作った菓子を店に持ちよることもしばしばあった。菓子と言っても、高級品である砂糖や卵を節約しながら作ったものなので、菓子と言うには甘みや柔らかさが正直物足りない、お粗末な代物だったが、甘い物が苦手なシャロンにはその控えめな甘さが却って彼の舌に良く合った。
「勿論、頂くよ。君が作る菓子は美味いからね」
「分かりました。では、すぐにお茶と共に用意しますね」
言うやいなや、グレッチェンはカウンターから奥の部屋へと姿を消していき、シャロンも程なくして彼女に続いた。
薬草や化学薬品が入り混じった異臭と共に、紅茶の香りと甘いジャムの匂いが漂う中、流し台付近に置かれたローバックチェアに座り、テーブルを挟んで二人はスコーンを齧りつつお茶を共にしている。
干しぶどうの入っていないスコーンに、シャロンはマーマレードを薄く塗り、グレッチェンはこんもりと溢れんばかりの苺ジャムを乗せている。
(これだけは幾つになっても変わらないのだなぁ……)
流石に、ジャムが唇にくっつけばすぐに指で拭うものの、甘い物を食べている時の緩み切った口許や頬、蕩けんばかりにうっとりとした淡いグレーの瞳は、普段は理知的で冷たい鉄面皮を張り付かせているとは到底考えられない程、無邪気で可愛らしかった。
「あの……、何でしょうか??」
シャロンの視線に気付いたグレッチェンが、訝しげにこちらを見返してきた。
「あぁ、いや……。好きだなぁ、と思ってね……」
「シャロンさん、甘いものがお好きでしたっけ??」
残りの欠片にまたたっぷりとジャムを乗せながら、グレッチェンは首を傾げている。
「さて、どうだろう??」
シャロンはわざと意地悪気にはぐらかすと、少し固くなっているスコーンに齧りついたのだった。
(終わり)




