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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
煩悩コントロール
30/110

煩悩コントロール(14)

(1)

 銃を構えた右腕の角度が下がる。

「……くっ……」

 シャロンは小さく呻くと、グレッチェンの肩を抱いていた左手を後ろ手にして床につけ、仰向けに倒れ込んでしまいそうな身体をどうにか支えた。

(……お義母様、せっかく仕立てていただいたのに申し訳ありません!……)

 シャロンの右肩の赤黒い染みの範囲が拡がっているのに気づいたグレッチェンは、アンダースカートの膝辺りを両手で掴み、下履きのペチコートと共に勢い良く横へと引き裂いていく。

 グレッチェンのこの行動に驚いたクラリッサは、ナイフを三度固く握り直す。だが、即座にシャロンが銃口の角度を上げ直したため、あえなく動きを封じられてしまう。更に緊迫感が増した空気の中、グレッチェンは破ったスカートとペチコートの生地をシャロンの右肩にきつく縛り付け、止血を行ったのだった。

「……すまない、グレッチェン……。ちょうど骨に当たる箇所だったからか、傷自体はそこまで深くはないのだが……、思ったよりも出血が……」

 疲労と傷の痛み、出血により、シャロンの顔面は蒼白で額には脂汗が滲んでいる。まさに満身創痍、といった体のシャロンに対し、遂にグレッチェンは感情を爆発させた。 

「シャロンさん!貴方、馬鹿なんですか!!危険を承知で凶刃の前に飛び出すなんて信じられません!!もしも刃が首に当たって頸動脈を切られでもしたらどうするんですか!!それこそ失血死は免れませんよ!!」

 グレッチェンは珍しく声を張り上げ、シャロンを全力で罵倒した。

「ば、馬鹿とは何だ?!君ねぇ!それが助けに来た者への言葉かね?!」

 命がけで助けたにも関わらず、まさか罵倒されるとは思わなかったシャロンも、反射的に大声で言い返す。

 あわや言い合いになりかけたところで、「貴方に、もしものことがあったら……」と、グレッチェンは悲痛な面持ちで顔を俯かせてみせた。

「グレッチェン……、その台詞、そっくりそのまま君に返すよ……」

 グレッチェンを安心させるため、痛みを堪えてシャロンは微笑んでみせる。が、すぐにクラリッサに向き直り、鋭い視線で見据える。

「貴方……、なぜこんな女を助けるの??確かに美しいけれど……、淫売の性悪女なのよ??」

 静かな怒りをつぶらな瞳に滾らせているクラリッサの言葉に、シャロンは違和感を覚えた。

「シャロンさん……。クラリッサさんは、私のことをキャロラインさんだと思い込んでいるみたいなんです……」

「何だって?!」

 グレッチェンは事が始まった経緯を、要点をかいつまんで説明する。

「……要するに、君はとんだとばっちりで殺されかかったのか……」

「……はい。ですが、そんな間違いを犯すまでに彼女は精神的に追い詰められてしまったのでしょうが……」

 そうは言うものの、グレッチェンも何故クラリッサが乱心してしまったのか、皆目見当がつかない。

「……思い当たる節があるにはあるのだが……」

 今度はシャロンの方が、クラリッサとキャロラインの間に起きた一悶着を語り出す。

 たかだかドレスにワインを引っかけられたくらいで、あの淑やかで大人しげな令嬢が恐ろしい殺人鬼へとたちまち変貌するものなのかーー、二人の中でどうにも疑問が払拭しきれない。けれど、その些細な諍いが妹への憎悪と言う名の、長年に渡り蓄積された膿にメスとして切り込んでしまったのかもしれない。

 しかし、どんなに理由を推し量ったところで、真実はクラリッサのみが知り得ることだ。それよりも、どうやってこの場を切り抜けるのかーーと、二人が考えを巡らせているところへ、思わず顔を顰めてしまうような甲高い悲鳴。廊下中に響き渡る大きな声で、猿のようにキャーキャーと涙交じりに叫び散らしている。

(あぁ……、これは益々もって面倒な事態になり兼ねないな……)

 シャロンは思わず、頭を抱え込みたくなった。


 盛大な悲鳴を上げているのは、シャロンの後を追い掛けてきたのであろうキャロラインだった。



(2)

 キャロラインは二人のメイドの死体を発見してしまい、美しい顔を涙でぐちゃぐちゃにさせて腰を抜かしかけていた。

 クラリッサは背後から響く悲鳴の先を振り返る。直後、瞳に明らかな動揺の色を浮かべ、シャロンに寄り添うグレッチェンと背後のキャロラインとを何度も何度も交互に見比べてみせた。

おそらく、何故キャロラインが二人もいる?!とばかりに、混乱に陥っているのだろう。手にしていたナイフが滑り落ち、そのまま絨毯の上をシュルシュルと二、三回円を描きながら少し遠くへ転がり落ちたこと、それを拾い上げることすらしようとしない程だった。

 その間にも、キャロラインが耳をつんざくような悲鳴を上げて、這う這うの体で元来た道をよろよろと戻って行く様子に、シャロンとグレッチェンはホッと胸を撫で下ろす。

「……レディ・クラリッサ。これでご理解いただけたかと思いますが……、貴女が襲い掛かった女性は妹君のレディ・キャロラインではありません」

「……何ですって?!……」

 クラリッサは目を白黒させて、もう何度目かになるだろう、グレッチェンとさっきまでキャロラインが居た場所をまた見比べた。

「……では、私は、また関係のない人間を手にかけようとしていたの……??……」

 ここでクラリッサは、ようやく自分が犯した失態に気付く。途端に全身を脱力させ、へなへなと床にへたり込み、がくりと肩を落とす。

「クラリッサさん……、私は……、以前貴女に毒を売った者です……」

 周囲に人がいないことをよく確認した後、グレッチェンはついにクラリッサに自らの素性を明かした。

 クラリッサはゆっくりと顔を上げ、グレッチェンをじっと見つめる。正気を取り戻しつつあるのか、つぶらな淡いグレーの瞳の中の狂気はすっかり影を潜めていたが、代わりに完全に生気を失っていた。

「……毒??……あぁ、貴女、あの時の……。鬘を被って盛装していたから、全然分からなかったわ……」

「……でしょうね……。でも、私は貴女にどうしてもお願いしたいことがあって、この夜会に参加したのです」

「……お願い……??……」

 ここでグレッチェンは、エメリッヒ邸へ来た目的――、報酬として貰ったお金と引き換えに売った毒を返して欲しいという旨を伝えた。

「……せっかくだけど……、その毒ならもう無いわ……」

 あぁ、やはりキャロラインに渡そうとしたワインの中に毒を仕込んでいたかーー、シャロンとグレッチェンは目配せした合った後、軽く嘆息をついた。


「……だって、毒を買ったはいいけれど、後になってだんだん恐ろしくなってきて……。結局、洗面台に流して全部捨ててしまったの……。さすがに殺すのは可哀想だと思って……」


 全く予想だにしなかったクラリッサの答え。


 捨てた?!


 驚愕の余り、二人は再び顔を見合わせ、お互いに目をパチパチと細かく瞬きを繰り返した。

 

「……でも、顔を合わせると駄目ね……。あんな女死ねばいいのに、って思ってしまうの……。自分が綺麗だからって、どこまでも私を馬鹿にして親切すらも徒で返してくるんですもの……。だから、やっぱり殺してやろうと思って、カトラリーからナイフを奪ったの。あの使用人達は邪魔しようとしてきたから……」

 

 誰に言うでもなく、茫洋とした虚ろな瞳でクラリッサは淡々と語り続ける。しかし、彼女が更に続けた言葉に二人は我が耳を疑う事となった。


「結局、キャロラインは殺せなかった……。でも、関係のない、身分の低い使用人を殺した罪で捕まるのは絶対に嫌……。本末転倒だもの……。ねぇ、また私に毒を売ってくれないかしら。お金なら幾らでもあげる。殺すのは自分だから、貴方達にも足がつくこともないわ。ね、いいでしょう??」

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