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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
煩悩コントロール
26/110

煩悩コントロール(10)

(1)

 黒い燕尾服を纏うシャロンの腕に自身の腕を遠慮がちに組ませ、グレッチェンは大勢の紳士淑女がひしめき合う大広間へと足を踏み入れた。

 スカートが円筒状でやや引き裾になっているドレスを纏い、踵の高いクロムウェルシューズを履いているせいで歩きにくく、どうしても歩調が普段よりたどたどしいグレッチェンを、シャロンは少しでも歩きやすいようにさりげなく誘導する。

「あの、シャロンさん……」

「うん、何だね??」

「私……、どこか変なんでしょうか??気のせいか、先程から会場にいる方々がこちらをチラチラ見ては、何か話されているみたいで……。歩き方がおぼつかないせいでしょうか??それとも……、このドレスが私には似合っていないとか……。あ……、もしかして、鬘がずれているとか??」

 扇を口元に当てつつ、グレッチェンがひどく不安げな顔でシャロンを見つめるが、シャロンはきょとんと目を丸くした後、ぷっと小さく噴き出した。笑われたグレッチェンはムッとなり、思わず唇を尖らせる。

「人が真剣に聞いているのに……。馬鹿にしないでください」

「い、いや、す、すまない。普段冷静な君が余りに見当違いなことで不安に感じているのが、可愛らしいというか、何というか……」

 シャロンは余程可笑しいのか、こみ上げてくる笑いを必死で堪えている。

「鬘もずれていないし、このドレスは君以上に似合う女性はいないだろうし、歩き方なんて誰も見ていないよ。しいて言うなら、君の美しさに人々が見惚れ、感嘆の声を上げているだけさ」

「また、そうやって歯が浮くようなことを……」

 怒るよりも呆れの感情の方が勝ったグレッチェンは、プイッとシャロンから顔を反らしてしまった。

(やれやれ……、自分がどれだけ美しい女性なのか、本当に自覚がないのだなぁ……)

 シャロンはそっぽを向いたままのグレッチェンに気づかれないよう、彼女の装いをしみじみと眺めてみる。


 ほんのりと青み掛かった白い生地(照明の光が反射した際、黄ばんで見えぬよう)を基調としたドレス全体には銀糸で刺繍した小花模様が散らされ、小花の蔕部分は青いガラスビーズが縫い付けられている。更に、胸元からオーバースカートのドレープ部分に掛けて、鮮やかな古代青のひだ飾りがあしらわれ、袖口と腰のリボン、アンダースカートの裾周りにも同色の布が飾りつけられている。華美さには欠けるものの、夏に相応しい装いであり、彼女特有の理知的な美しさを十二分に引き立てていた。

 惜しむらくは、髪が地毛ではなく、鬘であることだろうか。後ろで一本にゆるく編み込んだゴールドブロンドよりも、本来の髪色であるアッシュブロンドの方がこの衣装にはより似合うのだが。


 そんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にかグレッチェンがシャロンを再びじっと見上げていた。

 シャロンは中背で決して背は高くないが、それでも小柄なグレッチェンと並ぶと頭一つ分以上の差が出てくる。しかし、今日のグレッチェンは踵の高い靴を履いているため、いつもよりうんと顔が近くなる。

 間近で見る彼女には九年前の無垢で病弱だった少女の面影はなく、凛とした大人の女性へと変貌していることを改めて思い知らされる。だが、今にも消えてしまいそうな程の儚さや、愁いを帯びた瞳だけは相変わらず変わっていない。

「グレッチェン、君は自分が思っているよりもずっと魅力的な女性なのだから、堂々と胸を張って歩きなさい。いいね??」

「…………」

「でないと、君の事を考えて衣装一式揃えてくれた、私の母もがっかりしてしまうよ??」

「……あ……」

 シャロンとよく似た顔立ちをした婦人の、楽しげな表情を思い出したグレッチェンは、バツが悪そうに扇を口元に当てたのだった。


(2)

 キャロラインから夜会の招待状を受けてすぐ、グレッチェンはシャロンに連れられて彼の実家へと訪れていた。

「グレッチェン!よく来てくれたわねぇ。いつ見ても小さくて可愛らしいのに、顔は陶器人形みたいに綺麗……」

 この家の主ーー、シャロンの母マクレガー夫人はグレッチェンの姿を見るなり、挨拶もそこそこに彼女の髪や頬、肩をやたらと撫で回す。

「お母さん……、グレッチェンが困っていますよ……。それと、息子への挨拶はなしですか……」

「あら、いたの??グレッチェンが余りにも可愛いから気付かなかったわ」

「…………」

「それにしても、シャロン。まだグレッチェンにこんな短い髪とみすぼらしい格好をさせている訳??もっとお給金をあげるなり何なりして、お洋服が買えるようにしてあげなさいよ、全く」

 シャロンと同じく、涼しげなダークブラウンの瞳で息子を横目で睨むと、夫人はすぐににこやかな顔でグレッチェンに向き直る。

「今度シャロンと夜会にお出かけするんですって??」

「はい。夜会……、と言っても格式ばったものではなく、客人同士が交流を図る立食の晩餐会みたいな気軽なものらしく、ドレスコードも随分と緩いようです」

「そうなの??じゃあ、イヴニングドレス限定という訳ではないのね」

 夫人の目の奥が、キラキラと眩しい位に光り輝いている。若く美しい娘を着飾らせられることが楽しみで仕方ないようだ。

「ふふふ……、これは私の腕の見せ所ね。事前にシャロンから連絡を貰っていたから、すでにいくつか布地を取り寄せていたの。早速、合わせてみましょう。シャロンは大人しく客間で待っていなさい。絶対に、覗いたり乱入しちゃ駄目よ!!」

「お母さん……、そんなことしませんよ……」

 最早何も言うまいと、煉瓦色の長椅子に腰掛けながら、黙って紅茶を啜るシャロンを尻目に、夫人はグレッチェンを自室へと連れ立っていったのだった。

「あ、あの……、『お義母様』」

「何かしら??」

「私の為にわざわざドレス選びを手伝って下さってありがとうございます」

「もう、そんな他人行儀に畏まらなくてもいいわよ。貴女は私にとって、娘同然ですもの」

 当たり前のように、自分を娘と呼ぶ夫人の言葉にグレッチェンの胸の奥が熱くなった。

 

 九年前、シャロンと共にこの街に訪れたグレッチェンは、十二歳から十五最までの間、マクレガー家でシャロンや夫人らと共に暮らしていた。

 シャロンが卒業を目前にして大学を辞めた理由が、レズモンド家の火災で焼け出され、身寄りを失くした少女を引き取ったからだと知った夫人は驚き、ひどく戸惑いを覚えると同時に、それは長年の夢を諦めてまでするべきことなのか、と言う疑問を抱いた。

 しかし、実際にシャロンに連れられてマクレガー家にやってきた少女ーー、グレッチェンを初めて目にした時、彼が彼女を引き取ろうと思い至った理由に納得せざるを得なかった。

 腰よりも長く伸びた髪は艶の一切がない灰色で老女の髪のようだったし、重度の萎黄病を思わせる痩せ細った身体に青白いばかりで生気のない顔色、体力がないせいか立ち続けることもままならず、シャロンが倒れないようにグレッチェンの身体を支えているお蔭でどうにか立っていられるというものだったからだ。

 ところが、この世界に存在するもの全てが恐ろしく感じるのか、終始怯えている少女がシャロンにだけはすっかり心を許し切っているだけでなく、母である自分ですら、今まで見たことがないような優しい眼差しで少女に接する息子の様子に夫人は悟る。

 

 この二人は、鋼で作られた鎖と同等、いやそれ以上に固い絆で結ばれているに違いない、と。


 聞けば、この少女は火事で焼死した執事の娘で、母親を赤子の時分に亡くしただけでなく、病弱さを持て余した父親が多忙極まる執事業務を理由に、屋敷の一室に押し込めて育児放棄していた、とか。

 目的の為なら他人を利用し、場合によっては蹴落とすことも厭わなかった息子が、初めて人間らしい優しさを向けるに至った過程は分からない。それでも、彼をそこまで変えたこの少女を、一人前の女性になれるよう大切に育てなければーー。

 

 グレッチェンを完全に受け入れるのに、夫人も様々な葛藤を覚えていたが、それをとっくに過ぎ去った今では息子のシャロン以上に大事な娘として、グレッチェンに『お義母様』と呼ばせる程の仲と化している。

 けれど、夫人がグレッチェンにそう呼ばせているのはもう一つ理由があってのことだが、それはグレッチェンにもシャロンにも決して教えようとしなかったのだった。

グレッチェンは白と寒色系、華美なものよりシンプルなものが似合うだろうと思い、こうなりました……。


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