煩悩コントロール(8)
(1)
ーーそれから、しばらく経ったある日ーー
薬屋に顧客達が訪れる時間帯は主に夕方の十六時以降であり、開店時間の正午~十五時半頃までは比較的暇を持て余していることも多い。その間、薬品の在庫管理などを行い、在庫が切れそうな商品があれば仕入れ先へ発注書の手紙をしたため、郵便局へ届けに出掛けたりなどの雑務をこなすのだが、それでも暇な時間を完全に潰すまでには至らない。なので、グレッチェンは店番をしがてら、しばしば本や新聞を読んでいた。
特に、『依頼人』に毒を受け渡した後、グレッチェンは必ずと言っていいくらい、連日ありとあらゆる種類の新聞に目を通している。国内最大手の新聞社のものから、眉唾なネタばかりを寄せ集めた些末なカストリ新聞社のものまで。そうやって、毒を売った人間が起こした事の顛末を毎回確認するのだ。
とはいえ、グレッチェンの毒の正体はごくごく少量の血液のため、一度体内に入りさえすればすぐに吸収され、死んだ人間をを検死解剖したとしても証拠が残らない。そのため、死因は急性心臓発作として片づけられてしまう。
ちなみに、クラリッサが妹キャロラインを殺害するのに毒を買ってからしばらく時間が経過したにも関わらず、どの新聞を読んでもそれらしい記事が見当たらないことから、どうやらまだ実行に及んでいないことが伺えた。そして様々な新聞を読み続けて行く内に、この姉妹の身元や評判も徐々に知り得ることとなった。
クラリッサとキャロラインは、首都及びこの街、南方に位置する地方都市アレクサの三か所にて貿易会社を経営する一族、エメリッヒ家の令嬢だった。
エメリッヒ家は元々、小さな貿易会社を一つだけ経営していたのだが、この国が植民地支配する大陸の東方部から香辛料や紅茶、キャラコなどの輸入を始めたことが爆発的な利益をもたらし、中流から上流へと一気に駆け上がった成金一族としてこの街に名を馳せていた。
姉妹の噂としては、姉のクラリッサは貞淑で慎み深いものの器量がいまいち、妹のキャロラインは美しく闊達だが男好きで浮気性、二人を足して二で割れば理想的な女性となるのだが、などと揶揄されているらしい。
同性で年齢の近い兄妹姉妹はお互いに対抗意識を抱きやすいと、どこかで耳にした覚えがある。幼い頃より、家族からも世間からも常に比較され続けてきた姉妹がどうして仲良くなることができるだろうか。
姉妹に関する心無い記事を目にする度、グレッチェンは深く嘆息したものだった。
できることなら、クラリッサがこのまま毒を使わずにいてくれればいいのだけどーー
毒を売っておきながら、随分と自分勝手なことだと重々承知しているが、今回に限ってはそう願わずにはいられなかった。
記事を一通り読み終えたグレッチェンは、カウンターの上に載せていた新聞を折り目に沿って丁寧に畳んでいく。その様子をすぐ隣に立つシャロンがそれとなく見つめていて、彼の視線に気付いたグレッチェンは「あの……、何でしょうか??」と訝しげに尋ねた。
「いや……、頬の痣が随分と薄れてきたなぁ、と思ってね」
シャロンの言う通り、グレッチェンの左頬の怪我はかつて頬全体が見事に青紫色に腫れ上がってしまっていたのだが、今ではやや薄紫掛かっている程度にまで回復していた。グレッチェンは化粧をしないものの、化粧のやり方次第では痣を消すことも可能だろう。
シャロンは慈しむような手つきで、グレッチェンの左頬を指先でそっと撫でる。
「シャロンさん、気安く触らないで下さい」
「あぁ、すまない!つい……」
グレッチェンから厳しい言葉を突きつけられたシャロンは、慌ててすぐさま手を引っ込めてしまった。
(……あぁ、どうしていつもこう、つっけんどんな態度を取ってしまうのかしら……)
新聞を奥の部屋へ片付けに行きがてら、グレッチェンは一人で反省していた。
出会った頃は「シャロンさん、シャロンさん」と親鳥の後をついて回る雛のごとく、臆面もなく彼の事を素直に慕えていたし、彼のどうしようもない部分を散々見せつけられていても尚、心の奥底では今も慕い続けているのに。
いつから自分には可愛げというものがなくなってしまったのか。
先程よりも一段と深いため息を零すと、グレッチェンはすぐにカウンターへと戻っていった。
(2)
更に時間は過ぎて行き、午後八時半を回ったところで二人はぼちぼちと閉店準備を始めた。
外に出してある立て看板を中へ仕舞おうと、グレッチェンが看板を手に運ぼうとした時、一人の女がふらふらと店の中へ入ろうとしてきたのだ。
「すみません、もう今日は閉店となりますので……」
「別にいいじゃないの、どうせ閉店準備は今始めたところでしょ??融通の利かない人ねぇ」
止めるグレッチェンを詰ると店の扉を開け放し、強引に中へと押し入ってきた女を見て、シャロンは思わず表情を強張らせた。
「会いたかったわぁ、ミスター。いえ、シャロン・マクレガーさん」
閉店と同時に店に入って来た、アッシュブロンドの長い髪と淡いグレーの瞳の、高慢そうな美しい女ーー、クラリッサの妹、キャロライン・エメリッヒだった。
さすがに動揺を隠せないでいるシャロンを、面白いものでも見るかのようにキャロラインは一瞥する。
「何故、自分の素性が分かったんだ?!って顔をしているわね。そんなの簡単よ。貴方程女性慣れしている派手な男性ならば、歓楽街の女達は良く知っているんじゃないかと思って、何人かの街娼に尋ねて回ったの。そしたら、全員が貴方の事を知っていて、色々と親切に教えてくれたわ」
キャロラインは誇らしげに大きな胸を突き出し、不敵に笑い掛ける。
「それはそれは……。そこまでして私に会いに来ていただけるとは……、男冥利につきますね」
シャロンはどうにか爽やかな笑顔を浮かべてみせるが、いつもよりぎこちないのが自分でも手に取るように分かってしまう。彼の隣には、いつの間にか中に戻って来たグレッチェンが黙って彼らのやりとりを注視している。
二人の間に漂う嫌な緊張感に気付いているのか、いないのか、キャロラインは上目遣いでシャロンに媚を売るような視線を送り続ける。どうやら、酒を飲んでいるのか、少々酔っ払っているように思う。
「私は、キャロラインよ。キャロライン・エメリッヒ。よく覚えといて頂戴、マクレガーさん」
「えぇ、たった今覚えましたよ。きっと一生忘れることはないでしょうね」
キャロラインの熱視線と共に、すぐ隣ではグレッチェンからの、冷気と勘違いしそうな程の刺すような冷たい視線を感じながら、さて、どう切り抜けようかとシャロンは逡巡する。そんなシャロンの心中を知ってか知らずか、キャロラインはカウンターに身を乗り出してこう言い放った。
「ねーえ、マクレガーさん。噂で聞いたのだけど、この薬屋で即効性と確実性がありながら、絶対に証拠が残らない毒を売っている、って本当なの??もし、本当なら……、私に売ってくれないかしらぁ。何でかって言うのはぁ……、私、実の姉に命を狙われているかもしれなくてー。だから、殺される前に殺す……、というか、自分の身を守るために欲しいのよ。ね、いいでしょ??」
外見も性格もまるで似ていないというのに、互いへの殺意だけは共通しているなんてーー
すっかり返答に窮してしまったシャロンに、キャロラインは期待に満ちた眼差しで見つめ続けている。
「…………キャロラインさん、でしたね…………」
落ち着いているが、凛とした張りのある高めの声が店内に響いた。
「申し訳ありませんが、そのような理由では毒をお売りすることは出来ません」
声の主ーー、淡いグレーの瞳に無機質な冷ややかさを湛えたグレッチェンが、遂に沈黙を破り、静かにそう告げたのだった。




