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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
煩悩コントロール
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煩悩コントロール(7)

 開店時間である午後十二時を過ぎたにも関わらず、店に姿を現さないシャロンを起こすため、グレッチェンは店の二階ーー、彼の私室へと足を運ぶ。

 扉を叩き、「シャロンさん、いつまで寝ているのですか。もうすぐお昼の一時でになりますから、いい加減起きて下さい」と、声を掛けるがシャロンからの返事は返ってこない。

(こういう場合は……、徹夜で研究をしていたのか、朝まで飲んでいたか、もしくは……、……性懲りもなく女性と戯れていたか……、ってところかしらね……)

 寝坊の理由が研究であるならば、むしろこのまま寝かしておいてあげようかと思うが、残りの二つであれば容赦なく叩き起こすと決めている。グレッチェンは勢い良く扉を開け放った。

 医学書や薬学書が机の上や書棚だけでなく、床の至る所に散乱しているせいで足の踏み場がない。衣類や酒瓶が転がっていないだけ数段マシではあるが、それでも散らかり放題な部屋にグレッチェンは軽く眩暈すら覚えてしまう。これはまた、近日中に部屋の掃除を強制遂行しなければ……、と足元に拡がる本の山脈を踏まないよう慎重に避けながら、ベッドの傍まで近づいていく。

 部屋着ではなく、ワイシャツに薄茶色のベストと揃いのズボン、窮屈だったからか、カラータイは外しているものの、昨日と同じ服装。つまり、飲みに出歩いていたということだ。その証拠に、香水の匂いと共に酒の臭いも漂ってくる。

 それだけではない。シャロンが身に付けているベルガモットの爽やかな香りとは明らかに違う、甘ったるいヴァニラの香りが微かに鼻先をくすぐった。

 

 酒を飲んでいただけでなく、女とも遊んでいたのか。

 

 グレッチェンは薄い唇を真一文字にきゅっと引き結ぶと、黙ってシャロンの寝顔を食い入るように見つめた。

 

 グレッチェンの複雑な心中など知る由もなく、シャロンは規則正しい寝息を立てて眠りこけている。

年相応に薄っすらと小じわが目元などに浮かんでいるものの、童顔に加え、髭が薄いこと(毛抜きで充分事足りるので髭剃りいらずだという)、不摂生な生活を送っている割に女性顔負けの綺麗な肌質(よくお客の女性達に羨ましがられている)により、寝顔だけ見ると二十歳前後の青年のようだった。

 そう言えば、ずっと前に顧客の一人が「シャロンさんのお肌つるつるー!ねぇねぇ、触ってもいい??」とせがんできたため、客の気が済むまで顔を触らせていたのをふと思い出す。途端に、言いようのない怒りが沸々と沸き起こり、胸の中で燻り始める。

 


 どうして、誰にでもいとも簡単に触れさせるんだろうか。

 そうやって自分を安売りしないで欲しいのに。



 これが嫉妬心だということにグレッチェンは気付いていなかったが、それとは別にもう一つ、今までにない不可思議な感情が芽生え始めていた。



 私だって、他の人達のように触れたくて仕方ないのにーー



 グレッチェンは今一度、シャロンの寝顔をまじまじと見つめる。 


 

 少しくらいなら、眠っている間だけなら、触れてもーー



 グレッチェンは恐る恐る手を伸ばし、シャロンの頬にそっと触れてみる。

 とても三十過ぎの男性のものとは思えない、滑らかできめ細かい質感が心地良く、円を描くように何度も指先で優しくなぞる。

 グレッチェンの指の動きがくすぐったいのか、シャロンは僅かに身じろぎするものの、目を覚ます気配が一向になかった。それが却って、グレッチェンの欲望を更に焚き付ける。


 頬から顎に掛けて指を滑らせ、下唇を親指でゆっくりゆっくりとなぞる。

 頬以上に柔らかな感触。

 男性の唇は往々にして硬いものだと思っていたが、シャロンの唇は薄さに反して、まるで熟れた果実のような柔らかさで驚きを隠せない。


 この唇に、一度でいいから触れられたいーー。



「……ん……」

 シャロンが漏らした声でグレッチェンは我に返ると同時に、素早く手を引っ込めた。直後、今し方自分が取っていた行動全てに激しい羞恥心を覚える。

(……私ったら、何ていやらしいことを考えているのよ!こんな痴女まがいなことを……)

 グレッチェンは何度も頭を激しく振ったり、両手で頬を軽くパンパン叩いたり、頬を叩いたはいいが左頬を怪我していることを忘れていたせいで叩いた後に痛みで顔を顰めたりと、完全に取り乱してしまっていた。

「……グレッチェン、何を遊んでいるんだ……」

 いつの間にか目を覚まし、ベッドから起き上がっていたシャロンが、呆れた様子でグレッチェンの不可解な行動を眺めていた。

「……な、何でもありません!それよりもシャロンさん。開店時間はとっくに過ぎていますから、シャワーでも浴びて、さっさと身支度して店に入って下さい!!」

 グレッチェンはシャロンをキッと睨みつけると、逃げるようにして部屋から出て行った。

 一人部屋に取り残されたシャロンは、訳が分からずグレッチェンの痩せた背中を見送った後、「私を起こしに来た……のか??その割に、いつもの迫力がなかったなぁ……」としきりに首を捻っていたのだった。

髭の手入れが毛抜きで事足りる~の下りは、作者の身内による実話です。

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