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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
煩悩コントロール
21/110

煩悩コントロール(5)

(1) 

 閉店後、シャロンは小洒落た雰囲気の小さな酒場で酒を嗜んでいた。


 彼には行きつけの酒場が二件あった。

 一つはハルが経営するラカンターだが、あの店の賑やかな雰囲気と、何かと口煩いハルの存在は気が滅入っている時には正直応えてしまう。

 だから、今夜のように一人でゆったりと飲みたい気分の時は、十名足らずで満席となる手狭さだが、隠れ家を彷彿とさせるこの店に訪れることにしていた。


 黒檀で作られた五角形のカウンター席に腰掛け、スコッチが入ったグラスを傾ける。

 カラカラと回る氷の音と共に、琥珀色の液体がグラスの中で微かに揺れている。

 その様を眺めながら、シャロンは今日のグレッチェンについて思い出していた――



 クラリッサと共にグレッチェンが奥の部屋へ入ってからしばらくして、二人は共に店へと戻って来た。

 交渉は成立したようである。

 グレッチェンはシャロンの傍に寄ると、彼にしか聞き取れない小さな声で話し掛ける。その際、彼女の顔色が異様に青白いことがやけに気になった。


「あぁ、分かったよ。すぐに奥の部屋へ行こう」


 シャロンとグレッチェンはクラリッサを店内で待たせたまま、奥の部屋の扉を開ける。

 部屋に入ってすぐグレッチェンを椅子に座らせると、シャロンは実験道具が並んだ机の上から白木の小箱を持ち出し、一本の注射器を取り出す。

 そして、消毒液で浸した脱脂綿、試験管も一緒に手に取り、グレッチェンの傍へと近づく。

 左腕の袖を肘まで捲り上げたグレッチェンは、注射器を持つシャロンの姿を目にすると露骨なまでに顔を横に背けた。

 よく見ると、か細い肩が小刻みに震えている。


 父レズモンド博士から受けた虐待を想起させられるからか、グレッチェンは注射器に対して強い恐怖心を抱いていた。

 しかし、注射器で血液を採取しなければ『毒』として依頼人に渡すことができないため、こうしてシャロンに血抜きを頼んでいるのだ。


「グレッチェン。痛くないよう、すぐに終わらせるから。拳を力強く握っておくれ」

 注射器から必死に目を逸らしながらも、シャロンに言われるがまま、左手を拳に形作るとぎゅうっと固く握りしめる。

 シャロンは、白く細い腕を脱脂綿で消毒した後、注射針を突き刺し、筒を少しずつ押し引いていく。

 赤々とした血液の量が注射器の約四分の一まで達した所で、先程の脱脂綿で皮膚を押さえつけ、素早く針を引き抜く。

「グレッチェン、もう終わったよ。痕は揉まずに、少しの間これで押さえていなさい」

 怯えた顔のままで振り向いたグレッチェンはシャロンの指示通り、脱脂綿で注射痕を強く押さえつけた。

「……ありがとうございます……。お手数掛けました……」

「いや、気にしなくていいさ。素人が簡単に出来るものではないし。こう見えて、私は注射を打つのが巧かったからね。実習の時によく褒められたものだよ」

「…………」


 顔色が冴えないグレッチェンを気遣ってか、シャロンがややおどけた口調で昔話を話したものの、それは却って今のグレッチェンの精神状態には逆効果にしかならなかった。

 注射器を片付けても尚、グレッチェンの顔色は一向に優れない。


「……君の、その顔色の悪さは今回の依頼と関係ありそうだな。一体、どんな依頼内容だったんだ??」


 『仕事』を引き受けた際、シャロンに依頼内容を全て包み隠さず報告するという約束を二人は交わしている。

 グレッチェンは、そこだけが鉛と化したのかと思う程に重く感じる唇を何とか開き、クラリッサから受けた依頼をシャロンに報告したのだった。


「……何故、君はクラリッサ嬢の依頼を受けたのだね??大金に目が眩んだのか??」

「……はい……。研究費に回すお金が、欲しかったんです……」

「……本当にそれだけか??」


 基本的に、シャロンはグレッチェンの『仕事』に関して口を挟むことは一切しないのだが、今回の依頼には少々引っ掛かるものを感じたため、珍しく彼女を問い質した。


「まさかと思うが……、クラリッサ嬢と妹君、彼女の婚約者との関係を、かつての私とマーガレット、君との関係を重ね合わせてしまい、マーガレットへの罪の意識から引き受けてしまった、とかではないだろうな??」

「…………違います…………」

 グレッチェンは否定してきたものの、消え入りそうな弱々しい語気から察するに、嘘だとシャロンは確信した。

 だが、あえてそれ以上は言及せず、代わりに「……そうか……。ただ、この手の依頼は余り引き受けるべきではない、と、私は思うがね。『止むに止まれぬ事情で、どうにも行き詰ってしまった人にのみ、毒を売る』という君の矜持に反している」と、厳しく忠告を述べる。

「……すみません……。ついお金に目が眩んでしまいました……。以後、この手の依頼は一切引き受けないことにします……」


 グレッチェンはシャロンに謝罪しつつも、あくまで大金が目的だったという旨を強く主張し続けてくる。

 どうしてこうも意固地なのだろうか。


「そうした方が賢明だろう。……ところでグレッチェン、さっきから気になっていたが……、体調が悪いのか??貧血でも起こしたのかと思うくらい、真っ青な顔色をしている。今日はもうアパートに帰って休みなさい」

「いえ、大丈夫です……!」

「その顔色は誰の目から見ても大丈夫そうには見えないがね。うちは仮にも接客を生業としている以上、そんな青白い顔でお客の前に出るなど逆に失礼に当たる。怪我の痛みもまだ残っているだろうし、今日はゆっくり休んで明日からまた元気に働いておくれ」


 グレッチェンは釈然としない様子だったが、シャロンの言葉に対して反論の余地もなかったため、「……分かりました。では、クラリッサさんに『毒』をお渡ししたら、お言葉に甘えさせていただき、帰らせて頂きます」と、答えた。


 試験管の中で血液と僅かな量の水を混ぜ合わせ(血液が凝固するのを防ぐため)、濃い焦げ茶色の小さい薬瓶に入れ替えた後、店に戻ったグレッチェンはそれをクラリッサに手渡す。

 クラリッサは無言で深々と一礼すると足早に店から去って行き、それから間もなくして、グレッチェンも店を後にしたのだった。





(2)

 カウンター席の後ろ側には、やや低めの、白木で作られた八角形のテーブル席が設置されていて、そこの一席に座っている若い女が先程からしきりにシャロンの背中に視線を投げ掛けてくる。

 シャロンは最初から女の視線に気付いてはいたものの、今夜は女と戯れる気分ではなかったのであえて無視を決め込んでいた。

 それでも、女は粘り強く彼を見つめ続けていたため、とうとうシャロンは根負けし、女の方を振り返った。

 女は、アッシュブロンドの長い髪に淡いグレーの瞳が印象的な女で、どことなくグレッチェンと似ていた。

 しかし、ワイングラスを傾けながらシャロンに向けて自信ありげに艶然と微笑む姿は、どう見ても赤の他人でしかない。

 グレッチェンの場合、控えめに薄っすらとしか笑わないからだ。


 シャロンはグレッチェンの笑顔を見るのが何よりも好きだった。


 出会った頃の、笑っているのか泣いているのかよく分からない、ぎこちないばかりの下手な笑い方しか出来なかった彼女を知っているだけに、ちゃんと笑えるようになったのが我が事のように嬉しかったからだ。


 だからこそ、今日のように過去が原因で傷つく姿は見るに耐えられないが、彼女は今も過去に苦しめられている。


 彼女と共謀して実の父と姉の命を奪わせたのはまぎれもなくこの自分だ。

 それどころか、今も彼女に罪を犯させ続けている。



 誰よりも愛おしい存在にも関わらず、自分は彼女を傷つけてばかりだ。



 そんな男が、彼女を愛することも彼女から愛されることも許される筈などない。


 自分に出来ることは、彼女の特異体質を治すべく研究に取り組むことくらいである。 



 シャロンは微笑む女に向けて、にこりと爽やかに笑い掛ける。


「レディ、宜しければ私と一緒に飲みませんか??勿論、何か飲み物も奢りましょう」

 すると女はパッと顔を輝かせ、すぐさまシャロンの隣の席に身を移した。

「ミスター、貴方のような素敵な紳士とご一緒できるなんて嬉しいわ」

「こちらこそ、大層美しい淑女と時間を共に過ごせるなど光栄の極みですね」



 やがて二人はどちらかともなく身を寄せ合うようにして、酒場から真夜中の歓楽街の雑踏の中へと消えて行った――


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