煩悩コントロール(4)
ツンと鼻をつく異臭が微かに漂う奥の部屋へと、グレッチェンは女を案内した。
部屋の中央にはテーブルが二台合わせて置かれ、試験管装置、丸や三角といった様々な形のフラスコ等の実験道具が並んでいる。
女は、四方の壁それぞれに置かれ、薬品と医学書が隙間なく並べられた棚を物珍しげに眺めていたが グレッチェンに隅の流し台付近――、簡素な丸テーブルと二脚のローバックチェアのある場所まで来るよう指示され、慌ててそちらへと向かう。
二人はそれぞれ椅子に腰を下ろすと、「まず始めに、貴女のお名前をお聞かせ願えますか??」と、グレッチェンは女の名を尋ねた。
「私の名は……、クラリッサと申します」
女――、クラリッサは名を告げると同時に、膝の上で指先を揃えてグレッチェンに深々と頭を垂れる。
綺麗な言葉遣いといい、礼儀正しい所作といい、間違いなくクラリッサは中流以上の家柄の女性だろう。
惜しむらくは、髪がオレンジ掛かった硬い髪質の赤毛の上、目も鼻も口もどれも小作りなことといい、鼻から頬に掛けて散った雀斑といい、どうにも地味で垢抜けない印象が拭えない。
決して醜い訳ではないし、見ようによっては愛嬌のある顔立ちをした、素朴な雰囲気の令嬢といったところか。
「クラリッサさん……、ですか。わざわざご丁寧な挨拶ありがとうございます。では、単刀直入にお聞きしますが、何故貴女は毒を必要としているのでしょうか??」
顔を上げたクラリッサは、グレッチェンの顔をただじっと見つめるばかりで、中々口を開こうとしない。余程答え辛い内容なのだろうか。
グレッチェンが答えを黙って待っていると、クラリッサはグレッチェンの顔を凝視し続けたまま、ようやく口を開いた。
「貴女、その顏の怪我はどうなさったのですか??」
グレッチェンは、質問した内容と全く関係のないクラリッサの返答に、大いに戸惑った。
「あの……、私は毒を必要とする理由をお聞きしたいのですが……」
「可哀想に……。こんなに綺麗な顏をしているのに、いいえ、綺麗な顔しているからこそ余計に痛々しいわ……」
「…………」
クラリッサはグレッチェンの質問を無視するだけでなく、自分の話したいことのみを一方的に話すばかりだ。
会話の受け答えがまるで噛み合わず、グレッチェンも思わず閉口してしまう。
それにしても、何故自分の顔について、人々は綺麗だとか美人だとかわざわざお世辞を述べてくるのだろうか??
「……お気遣いありがとうございます。ただ、お言葉ですが、私は別段綺麗な顏をしている訳ではありませんので、お世辞は無用ですよ」
「随分と謙虚な方なのね。でも、お世辞じゃなくて、貴女は本当に綺麗な女性よ。その灰色掛かったブロンドの髪も長く伸ばしさえすれば、さぞかし艶めいたものでしょうし、薄灰色の瞳もとても神秘的だし、見るからに知的そうな美人というところかしら」
「……はぁ……」
クラリッサは、どこか茫洋とした遠い目をしてグレッチェンの容姿を褒め称えてくる。
当のグレッチェンはと言うと、そんなことよりも、理由を早く教えて欲しいのだけど……、と、いささか苛立ちを募らせ始めていた。
「化粧っ気がなくてもそれだけ美しいなんて、羨ましい……。…………憎らしさを覚えるくらいにね…………」
茫洋としていたクラリッサの瞳に狂気めいた光が宿り、刹那、グレッチェンの背筋に薄ら寒いものが走り抜ける。
「そうよ……。美しいというだけで、小さい頃からいつもキャロラインばかりが皆から可愛がられていたわ。私は赤いリボンが欲しかったのに、あの娘の方が似合うからと青いリボンを無理矢理押し付けられた。綺麗な物や可愛い物は全部あの娘にばかり回されていたの。私だって欲しいと訴えれば、貴女はお姉様なのだから妹に譲りなさい、の一点張りで取り合ってもらえなかった。いいえ、それだけじゃないの。あの娘は私からエリックを奪ったのよ。エリックも酷いの。姉か妹かの違いなだけで、同じ家の娘と婚約することには変わりないのだから別に問題はないだろう、どうせ結婚するなら美しい方がいいに決まっている……なんて……」
終始、自分の話したいことだけを話し続けるクラリッサだったが、グレッチェンは彼女が毒を求める理由を何となくだが理解、することが出来た。
「要するに……、婚約者を奪った憎い妹を毒殺したい、ということで、宜しいでしょうか……」
クラリッサは、小さな子供のように何度もコクコクと首を縦に振ってみせる。
グレッチェンは、クラリッサの依頼を受けるかどうしようか、正直なところ迷っていた。
色恋の感情というものは、理屈ではどうにも割り切れないものだとグレッチェン自身が痛感しているので、痴情の縺れによる依頼は基本的には断っている。
だが、妹への憎悪を露わにさせるクラリッサの姿と、自身の姉マーガレットの姿がどうにも被ってしまい、憎しみの矛先が自分に向けられている様な錯覚に陥ってしまうのだ。
もしも、マーガレットが生きていたら――、シャロンを奪った憎い女だと憎悪の炎を燃やされ、自分をこの世から抹殺しようと目論むに違いない。
誰よりも美しく、気位の高い激情家だったマーガレットならば充分あり得る話だ。
「……あ、ごめんなさい。私ときたら、つい我を忘れてしまったわ」
話すだけ話してすっきりしたからか、狂気じみた様子から一転、いつの間にかクラリッサは元の礼儀正しく、大人しそうな令嬢の姿へと戻っていた。
「あら??貴女……、顔色が随分と悪いわよ??大丈夫??」
「あ……、はい。大丈夫です……」
そう答えながらも、グレッチェンの顔色は真っ青だった。
「それならばいいけど……。そうそう、この依頼、勿論受けて頂けますよね??報酬はこれだけあればいいでしょう??」
クラリッサは、椅子の横に置いていた小型トランクを持ち上げるとテーブルの上に乗せ、グレッチェンの目の前でおもむろに中身を開いてみせる。
トランクの中に敷き詰められた札束の数を目の前に、グレッチェンの心は更に激しく揺れ動いた。
そう言えばこの間、シャロンが遥か東方に位置する島国の医学書を欲しがっていたような……。
グレッチェンが自らの血液を毒として売る裏稼業を始めたのは、研究に必要とする書物を買うための借金を、シャロンにさせない為である。更に元を質せば、その研究はグレッチェンの特異体質を治す為に続けているものなのだ。
決して納得はいっていないが、背に腹は代えられない――、グレッチェンは遂に決断を下す。
「クラリッサさん、貴女の依頼を引き受けることにします」
グレッチェンは感情の一切を取り払った冷たい声色で、静かにそう告げたのだった。




