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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Lies and Truth
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第十四話

 ドハーティを殺害した後、女は足早にその場を立ち去り、人気の少ない裏通りをあてもなく闊歩していた。

 時折、すれ違う酔っ払いからヒュウッと卑猥な意味を込めた口笛を吹かれたりしたが、それも無視してひたすら歩き続ける。

「姉ちゃん、いくらだ??」

 背後から見知らぬ男にいきなり強く肩を掴まれ、さすがの女も冷やりと恐怖を感じて身構えた、その時であった。


「レディに対して、もう少し紳士的な態度で臨むべきじゃないかね」


 女にとって、最も耳馴染みのある声が聴こえてきた方向を注視する。

 そこには、黒いフロックコート姿のシャロンが佇んでいた。


 男は、シャロンの口調と纏っているコートの質の良さから上流の人間だと勘違いし、潔く女を解放するとすごすごと大人しくその場を離れて行く。


「レディ、貴女を買いたいのですが……、一晩おいくらでしょうか??」

 尚も気障な口振りを崩そうとしないシャロンに、女――、街娼に扮したグレッチェンは呆れながら答える。

「……ミスター、私は高いですよ」

「そうか……、それは残念だな。では、こうしよう。私は君を抱きはしないが、一晩話し相手になって欲しい。お茶くらいなら出すし、決して悪くない話だろう??」

 子供じみたシャロンの得意げな笑顔に、グレッチェンはほんの少しだけ、ごく僅かに表情を緩めてみせる。

「えぇ、ミスター。それならば、格安の値段で付き合いましょう」

 グレッチェンの返事にシャロンは、「これで決まりだ」と、彼女の華奢な手を引き、そのまま店へと連れ立っていった――






 店の二階――、シャロンの私室に入るなりグレッチェンは、足の踏み場がない程散らかっていた部屋の中が綺麗に片付いていることに、思わず目を見張った。

 驚くグレッチェンの様子に、シャロンは苦笑いを浮かべる。

「シャロンさん、やればできるじゃないですか……」

「レディを出迎える為に頑張ったんだぞ??すぐにお茶を淹れるから、そこの長椅子に座って寛ぎたまえ」

 グレッチェンはシャロンに促されるがまま、海老茶色の合皮で作られた長椅子に腰掛けた。


「グレッチェン、やっぱりお茶を飲む前に身なりを整えようか」

 シャロンは、グレッチェンが被っていた黒髪の鬘を取り外し、押し潰されてくしゃくしゃに乱れてしまったアッシュブロンドの短髪を手串で丁寧に梳いてやる。

 粗方髪を整えてやると、一旦下の階へ降りていき、今度は濡らしたガーゼを手に私室に戻ってきた。

「この、崩れてしまった化粧も落とさねば」

 シャロンは、グレッチェンの肌を傷つけないように優しく手を動かしながら、少しずつ化粧を拭き取っていく。


「……これで良し。あぁ、やっぱり君は素顔の方がずっと綺麗だよ」

 グレッチェンは照れ臭そうに薄っすらと頬を赤く染め、徐にシャロンから視線を逸らして俯いてしまう。

「よくもまぁ……、そんな歯が浮きそうな台詞を恥ずかしげもなく言えますね……」

「私は思ったことを素直に言ったまでさ。何度でも言う。君は自分が思っている以上に綺麗な女性だよ」

「…………」


 度重なるシャロンの褒め言葉に、グレッチェンは益々顔を俯かせるばかり。

 よく見ると唇をきつく噛みしめていて、恥ずかしいというよりも込み上げてくる感情を、必死に耐えるような表情を浮かべていた。


「……私は、ちっとも綺麗なんかじゃない!だって……、私の血は、人を死に追いやるおぞましい毒物だもの……」

「グレッチェン、それは違う。君は、博士の残酷な実験による被害者なだけだ。おぞましいのは彼の行いであって……」

「それなのに……、貴方は私を救い出すために、約束されていた、輝かしかったであろう人生と、長年抱いていた夢を全て捨てた。それこそ、綺麗でまっさらだったその手を、大勢の血で汚してしまった……」


 大切な物を扱うように、グレッチェンはシャロンの大きな掌を両手でそっと包み込む。

 その姿は余りに幼気で、シャロンは彼女をきつく抱きしめてやりたいという強い衝動に駆られた。

 同時に、抱きしめた瞬間、いとも簡単に壊れてしまうのではと怖くなり、結局何もせずに踏み止まったが。


「……昔の話は、しない約束だろう??」

「……すみません……」

「……私が君を救うために夢を捨てたことも、人知れず手を汚したことも、君の身体を治す研究に人生を賭けていることも、全て私自身の意思だ。君が責任を感じる必要は一切ない」


 いつになく突き放した冷たい言い方をしている、と、シャロンは心の中で自嘲した。

 しかし、これこそが紛れもない彼の本心でもあった。


「グレッチェン、君は少し疲れているんだ。鎮静効果のある茶を淹れるから、それを飲んだら、ベッドですぐに眠るといい」

「……いえ、お茶を頂いたら、すぐにアパートに帰ります」

「駄目だ。今何時だと思っている??遠慮しなくていいから、今夜は一晩泊まっていきたまえ。あぁ、心配しなくても君に手を出すことは絶対にしない」


 グレッチェンは尚も不安そうにして、上目遣いでシャロンを見上げてくる。


「何だね??私を信用していないのか??」

「……いえ、そういう訳ではなく……」

「はっきり言いたまえ」

「……ベッドは一つしかありませんが……、まさか、一緒に寝るとかでは……」

「そんな訳ないだろう??私は長椅子で寝ることにするから。……ん??ひょっとして……、添い寝でもして欲しいのかね??」


 途端にグレッチェンは眉根を寄せ、たっぷりと軽蔑を込めた眼差しでシャロンをきつく睨みつける。


「趣味の悪い冗談はやめてください」


 ようやく、いつもの調子に戻ってきた――、安堵したシャロンは再び階下に降りていき、今度こそ紅茶を淹れる準備を始めたのだった。

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