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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Lies and Truth
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第十二話

「シャロンさん、仮眠を取りに行かなくてもいいんですか??」


 マージョリーが店を出た後、シャロンは二階に上がらず、引き続きグレッチェンと店番をしていた。


「うん??あの婆さんと話をしていたら、眠気がすっかり飛んでしまってね。それに……」

 傷ついた君を一人になどしておけるものか、と喉元まで出掛ったが、すぐに「いや、何でもない」と誤魔化してみせる。

 グレッチェンはシャロンが言い掛けた言葉の続きを気にしているようだが、「……そうですか。でも、余り無理はしないで下さいね」とだけ答えた。


(……それはこっちの台詞だ)


 マージョリーからシルビアの死を聞かされたグレッチェンは明らかに傷つき、動揺している。

 表面上はいつも通り、淡々と落ち着いた物腰でいるが、彼女と付き合いの長いシャロンには一目瞭然だった。

 いや、シャロンだからこそ、分かるようなものである。

 グレッチェンは感情の起伏が乏しく、冷淡とも取られ兼ねない、潔癖な態度を取りがちだが、それは彼女の繊細さと臆病さの裏返しでもあった。

「グレッチェン。君は何も悪くないからな」

 暇を持て余し、薬品の在庫確認を始めたグレッチェンの痩せた背中に向かってシャロンは告げる。

 振り向いたグレッチェンは、複雑そうな表情でシャロンに力無く微笑む。

「……ありがとうございます」

 それだけ口にすると、グレッチェンは確認作業を再開したのだった。



 時間は刻々と過ぎて行き、やがて夕方の十六時過ぎとなる。


「グレッチェン、先に休憩に入っていいぞ」

 あと三十分程経つと、娼婦達がぼちぼち店に訪れ始める。

 忙しくなる前に一休みだ。

「分かりました。では、十五分後に交代しましょう」

 グレッチェンがそう言った直後であった。


 娼婦らしき女が五人揃って、順番に店の中に慌ただしく駈け込んできたのだ。


「ねぇ、毒を売っている店ってここなんでしょ??」

 女達の一人が開口一番、二人に鋭く言い放つ。

「そんでもって、あんたが毒を作っているんだろ??」

 女は更にきつい口調でグレッチェンに向けて指を差す。

「レディ。すみませんが、毒の件に関してはあまり大きな声で話されては……」

「坊やは黙ってな。アタイ達が用があるのは、この小娘だから」


 坊や呼ばわりされたことで、さすがのシャロンも少々勘に障り、思わず眉間に皺を寄せる。

 不快を露わにさせるシャロンを無視し、女達は全員カウンターに近づくと依然黙ったままのグレッチェンに詰め寄った。


「ねぇ、お姉さん。昨日、シルビアっていう女が、ドハーティを殺したいから毒を売ってくれって、この店に来たよねぇ??それなのに、あんた、すげなく断ったっていうじゃないかい??」

「はい。仰る通り、私は毒を売りませんでした。しかし、彼女は毒を買う代金をまともに持ち合わせていなかったですし、何より毒を売るに値しない人物だと判断したからです」

「偉そうに……。上から見下してんじゃないよ!この小娘が!!一体、シルビアがどんな思いでここに来たか、知りもしない癖に!!あんたが大人しく毒を売ってくれさえすれば、シルビアは死ななかったかもしれないのに!!」


 女は激昂し、胸蔵を掴まんばかりの勢いででグレッチェンを激しく罵倒した。

 罵倒しながらも、女は声を震わせて今にも泣き出しそうな顔をしている。


「マーサ、落ち着きなよ。この人を責めたって仕方ないだろう??シルビアが死んだのは、この人のせいじゃなくて、ドハーティの豚野郎のせいだよ」

 マーサの我を失っている様子を見兼ねたのか、彼女の右隣に立っている、ふくよかで優しげな女が両肩を抱いて宥めすかせた。

「お姉さん、悪かったね。マーサはシルビアのことを慕っていたから、気が動転しちまってて、不安定な状態なんだ」

「いえ……」

「お姉さんから見てシルビアがどういう風に映ったのかは分かんないけど……、あの人、口は悪くても面倒見の良い人でね。同じ売春宿の仲間だから、って、アタシ達に随分良くしてくれていた。その分、ドハーティには一番殴られていたけどね……」


 ふくよかな女は一旦言葉を切る。

 そして、マーサも含めた他の女達と目配せし合った後一斉に頷き合うと、それぞれ鞄の中から硬貨が入っているであろう小袋を取り出し、カウンターの上に乗せたのだ。


「お姉さん、アタシ達からもお願いだ。あいつを……、ドハーティを殺す為に毒を売っておくれ!!」


 女達は全員でグレッチェンとシャロンに深々と頭を垂れ、カウンターには五つの小袋がきちんと一列に並べられている。

 女達の唐突な行動に二人は大いに戸惑い、思わず互いに顔を見合わせる。


「シルビアがあいつを殺そうとしたのは、家族にもう一度会いたいという気持ちと共に、アタシ達をあいつの暴力から解放させるためだったんだ……。だから、あいつにバレたら殺され兼ねないのを承知で、アタシ達を代表してこの店を訪れたんだ」

「えっ……。ですがシルビアさんご自身からは、家族に会いたいから……、とだけしか、伺っていませんでしたよ……」


 確かに昨日のシルビアの話では、『ドハーティの暴力と売春地獄から抜け出したい。もう一度、息子と一緒に暮らしたい』と、ひたすら自分の願望を述べていただけで、娼婦仲間の話など一切話題にすら出てこなかったのだが。

 するとマーサが、「また、あの人はそうやって……」と、悲痛な面持ちで呟く。

「多分……、万が一、毒を買おうとしたことがドハーティにバレた時のことを考えたんだろう……。アタシ達が酷い目に遭わないよう、自分一人で全部背負いこもうとしたんだ……。馬鹿じゃないか!!本当にバレちまって、気を失うまで殴られた後、ヨーク河に……」

 うぅぅ、と、それきりマーサは嗚咽を漏らすばかりで喋らなくなってしまった。



 グレッチェンは胸に去来する様々な思いをどうにか押さえつけ、その中からこの場で最もふさわしいであろう感情をどう言葉で表そうか、ずっと思案している。

 シャロンも、グレッチェンが果たしてどう結論を出すのか、黙って見守っている。

 女達も、グレッチェンの答えを今か今かと固唾を飲んで待ち続けている。


 沈黙が途切れる様子は全く感じられず、しんと静まり返った店の中で、壁時計の秒針が動く音のみが響く。

 チッチッチッと音が鳴る度、少しずつ空気も張りつめて行く。

 それでも、グレッチェンはまだ言葉を発しようとしない。 


 次第に女達の表情がそれぞれ変化し始める。

 ある者は焦り、別の誰かは苛立ち、哀しみ……と。そろそろ、シャロンも痺れが切れそうになっていて、グレッチェンに何かしら言葉を発するよう、促そうかと思い始めた矢先――


「……分かりました。貴女達の依頼を受けることにします」

 普段と変わらない静かな口調ながら、グレッチェンはその場にいる者全員にはっきりと聞き取れるように告げた。

「ですが、貴女達に毒は売りません」

「何だって!?」


 すぐさま女達はグレッチェンに批難の目を向け、シャロンも耳を疑った。

 依頼は受けるが、毒は売らないとは、一体どういうつもりなのだろうか。


「シルビアさんの死の一因は、私の判断に落ち度があったことも含まれています。ですから、自分が犯した過失は自分自身で責を負おうと思っています」

 女達はグレッチェンの言わんとする意味がいまいち掴めずにいたが、シャロンは瞬時で理解したため、「グレッチェン。気持ちは分かるが、君が自ら手を汚さずともいいじゃないか!」と、彼にしては珍しく声を荒げて反発を示す。

「いいえ、これは私のけじめです」

 グレッチェンは淡いグレーの瞳に強い決意を宿らせ、シャロンにきっぱりと反論する。

 彼女の覚悟の程を感じ取ったシャロンは、それ以上言葉を発することができず、口を噤むより他に術がなかった。


「そういう訳で、皆さん、ご理解していただけましたか??」

 グレッチェンが自分達に代わり、ドハーティへの復讐を遂行しようとしているとようやく女達は気付くと、「ちょ、ちょっと待ってくれよ……」と、混乱に陥った。

「大丈夫です。何があっても成功させますし、皆さんには絶対に迷惑が掛からないようにしますから」

「い、いや、そうじゃなくて……」

「その代わりと言っては何ですが……、皆さんに一つだけ、協力していただきたいことがあります」

 異論も反論も一切受け付けない、と、有無を言わせぬ強い口調でグレッチェンは女達に向き直る。

「シルビアさんのご家族の元を訪ね、彼女が最期まで家族を想い続けていたことを伝えて上げてください。……きっと、それがシルビアさんへのせめてもの供養になると思いますから……」


 それだけ告げると、「シャロンさん。後は貴方に任せて、先に休憩入ってもいいですか??この後、仕事が忙しくなりそうなので。それと……、注射器を一本お借りするのと、小ぶりの大きさで蓋つきの試験管を一つ、貸してください」とシャロンに声を掛け、彼が何か言い出そうとするよりも早く、グレッチェンは奥の部屋へと姿を消したのだった。


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