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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Foxy Blue
100/110

Foxy Blue(6)

(1)


「……と、いう訳なんです」

「そうか……、私とは面識がなかっただけであの少女は店の客だったのか」

「はい」


 グレッチェンから昼間起きた出来事の報告を受け、渡されたタイピンをネクタイに差し挟む。

 ヨーク河の藻屑にも野犬の餌にもなっていなくて心から安堵する。

 これでシャロン自身の問題は一応解決した。解決したのだが。


「それでですね……、なぜビアンカさんがシャロンさんのネクタイピンを持っていたのですか??事情知ってそうなハルさんに訊いてみても、シャロンさんに尋ねて欲しいとの一点張りで……」

「そりゃそうだ。自分の失敗は自分の口から語るってのが筋だろ」


 結局、こうなるらしい。

 いつもなら即反論するが、今回ばかりは言い返せない。

 不甲斐なさと申し訳なさでいっぱいになりつつ、今度はシャロンがグレッチェンに事の経緯を説明し始めた。

 真相を知れば、グレッチェンはさぞや呆れ、また、厳しく叱責してくるだろう。大事な物を簡単に盗まれるなど情けない、と。

 そう覚悟を決めていたのに、意外なことに彼女は呆れもしなければ怒りもしなかった。


「怒る必要がないから怒らないだけです。怒られたいのですか??」

「そんな趣味はないが、自分にも隙があったからなぁ」


 シャロンの殊勝な反応にグレッチェンは目をぱちくりと瞬かせた。

 冷たく見られがちな彼女が垣間見せた幼い表情に、緩みそうな頬を引き締める。


「何をにやけているのですか。気持ち悪いです」

「だな。もっと言ってやれ」

「にやけてないっ!お前は黙っててくれっ!というか、お前、自分の店はどうした!開店時間はとっくに過ぎてるだろう?!」

「あ??今日は臨時休業だよ、臨時休業。どっかの馬鹿のせいで、ほぼ寝ずに朝早くから街中の蚤の市回ってくたくただし」

「……それは、うん、悪かった……」

「……うわ、シャロンが俺に謝るなんて、気持ちわりぃ……」

「お前……、お前って奴は……」


 世話を掛けた分、憎まれ口にさえ反論できない。

 昔の自分ならどうだったか。『それはそれ、これはこれ』と割り切ったし、『頼んでもいないのに勝手に手伝ってきただけじゃないか』などと平気でのたまい、激怒させただろう。


「茶番はこの辺で終わらせようぜ。ってことで、小娘ちゃんよぉ」


 ハルの呼びかけが現実へと立ち返らせた。

 呼びかけと共にハルがテーブルを挟んでビアンカに向き直る。

 座面の端寄りに浅く腰掛けたビアンカは誰とも目を合わせないよう、床へ視線を落としていた。中途半端な長さの栗毛は適当にくくっていてさえアホ毛が浮いている。

 特にアホ毛が目立つ頭頂部を見下ろすと、視線を感じるためか益々俯かれてしまった。


「ハルさん、彼女の名はビアンカさんです」

「おっと、そいつは失礼。ビアンカちゃんよぉ。別に俺達はお前さんを警察に突き出すつもりは毛頭ねぇ……、って、俺、昼からずっと話してるよな??俺以外の二人も同じ考えだと思う。訳を話して、二度と盗みはしないって誓うなら許して見逃してやるってな。だろ??」


 ハルの問いかけにグレッチェンと一緒に首肯する。

 ネクタイピンを盗んだ件を許すつもりはない。だが、警察に突き出す気もない。下手すれば数十年単位での服役、最悪死刑を課せられる可能性があるからだ。

 昔よりは改善されつつあるが、罪人への刑罰は罪状の軽重ではなく階級に左右されやすい。極端な話、殺人を犯した上流階級が大金積んであっさり保釈されても、小さなパンひとつ盗んだ労働者が終身刑を言い渡されることだってある。未成年だろうと成人だろうと関係なく。


「だとよ。よかったな、この二人も俺も人が好くて」

「自分で言うか??」

「他の店なら有無も言わさず警察突き出すだろう。自分の店で堂々と窃盗騒ぎなんて起こされちゃ商売に関わってくる」


 ビアンカの痩せた肩が大きく跳ねる。カンテラの薄明かりの中でもはっきり見て取れた。ハルはテーブルから身を乗り出し、ビアンカへ詰め寄った。


「お前さん、ここんとこ色んな酒場で盗みを繰り返してたんだろ??」

「…………」

「違うなら違うってはっきり言やいい」

「…………」

「なんだよ、言えないってことは」

「……警察につきだすならとっととそうすればっ?!ぎゃっ!」


 ハルから顔を背け、質問されるごとに更に端へ端へ、少しずつ寄っていく内に、ビアンカはとうとう均衡を崩し椅子ごと倒れてしまった。


「ハル、少々苛め過ぎじゃ……」

「うるせぇ、嫌われ役買ってやってんのに文句言うんじゃねぇ」

「ビアンカさん、……大丈夫ですか??」


 いたた……、としたたか打ち付けた腕を抑え、床に座り込むビアンカへグレッチェンがそっと手を差し伸べる。これまでの剣幕を思い返すと振り払うものかと思われた。


 しかし、ビアンカは差し出された手を振り払いはしなかった。

 振り払いはしなかったが、掴もうともしない。否、掴みかけて、宙で手の動きを止めている。


「ビアンカさん??」

「イヤ、じゃない、の……??」

「何がです??」

「あたしの……、手が」

「なぜ??」


 本気で不思議がるグレッチェンに、ビアンカは自棄くそに叫んだ。


「あたしの!手!この手だよ!!気持ち悪いとか、変な病気移りそうとかって思ったりしないの!って!!」

「まったく思いません」

「ウソだ!」

「いいえ、ウソではありません。砒素の薬害の痛みで辛そうだと思うくらいです。実際に辛いですよね??窃盗や脅迫でお金を工面してまでカレンデュラの軟膏を手に入れたがるくらいには」


 カレンデュラの軟膏と聞いた途端、ビアンカは再び俯いてしまった。


「グレッチェン、カレンデュラの軟膏は薬害には」

「はい、効果は極めて薄い、というか、皆無ですよね。ビアンカさんには再三お伝えしています。それでも、どうしてもあの軟膏がいいと仰るのでお売りしていました」

「どうりで……、近頃すぐにその軟膏の在庫が切れてしまうのか。おや、どうした??」


 本日二回目の、グレッチェンのきょとんとした顔。


「シャロンさん……、ちゃんと薬の在庫確認してくれているのですね」

「君ねぇ……、私を何だと思ってるのかね……」


 ハルが堪らず横でぶふぉっと噴きだす。

 笑いを必死に噛み殺している分、目尻に涙を浮かべる様が憎たらしいったらない。


「ハルさん笑い過ぎです」

「いや、わるい、わる……、くっ」

「特に笑うことでもないというのに。すみません、この人達は無視していいです」

「さりげなくひでぇぞ」

「達って……、なぜ私も含まれるんだ?!」

「お二人とも少し黙っていてください」


 絶対零度の声で鋭く窘められては口を噤むしかない。

 元を正せば誰の発言でこうなったのか、グレッチェンはまるで分かっていないけれど。

 しかし、大人達のふざけた態度(ハル以外はふざけているつもりはないが)に多少なりとも気が抜けたのだろう。ようやくビアンカは怖々とグレッチェンの手に掴まった。


「薬屋の、おねえさん……」

「はい」

「あの塗り薬、だけど」

「はい」


 グレッチェンに引き起こされ、ビアンカは立ち上がりながら口を開く。


「あたしが使ってる訳じゃないんだ」







(2)


 グレッチェンは成人女性の中でも小柄な部類だ。

 この国の成人女性の平均身長5.3フィート(164㎝)に対し、ぎりぎり5フィート(155㎝)といったところか。

 グレッチェン以上にビアンカはずっと小柄だった。カウンター越しでのやり取りでは意識していなかったが、こうして面と向かってみると目線の位置がだいぶ違う。

 その肝心の目線はグレッチェンではなく床に向けられていた。


「あたしさ、おねえさんたちに悪いことしたなって、ちょっぴり思ってる、よ……」


 ちょっとだけかよ、と、ハルの舌打ちが薄闇に響き、シャロンが窘めている。

 ビアンカはどこか不貞腐れた様子で俯き、両脚を落ち着きなく揺する。本当に反省しているのか、疑わしい。


「だからさ、いい加減、帰らせてほしいんだけど……」

「お前ちっとも反省してないだろ??」


 ハルが見兼ねて横から口を挟む。

 心外な、と言わんばかりにビアンカはカッと目を大きく瞠った。


「あたし、ちゃんと反省してるし!反省してるもん!してるんだからー!!」


 また癇癪が始まるか、と身構えると、案の定、ビアンカはうわぁあああーん!!と派手に泣きじゃくり始めた。


「反省はしてる!でも、うちでルーシーおねえちゃんが待ってるもん!ルーシーおねえちゃんが待ってるから帰りたいだけだもん!あたし以外におねえちゃんの世話してくれる人なんか誰もいないし!」

「ルーシーお姉ちゃん??」

「あの塗り薬だってルーシーおねえちゃんのために買ってただけだもん!ちょっとでもいいから元気になって欲しくて……!」


 グレッチェンはシャロンからハルへと視線を巡らせる。

 困惑気味な視線を受けると二人は揃って頭を振った。


 この調子では夜が明けてしまうし埒が明かない。どうしたものか。

 ビアンカの望む通り、これ以上は何も聞かず黙って家に帰してやってもいい気がしてきた。一方で、一度(見え透いてはいても)嘘を吐かれたせいで彼女の言い分を完全に信用するのも難しい。単純に、夜更けに未成年をひとり帰す不安もある。


 両方を解消するためにはどうしたらいいか――



「シャロンさん、ハルさん。ちょっとした提案があるのですけど……」


 ビアンカの泣き声を背景に、三人は顔を寄せ合い、何やら話し合いしだしたのだった。

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