第三話 白服の男
車内から煌めく街並みを眺めていた悠斗の頭は、状況に反してどんどん冷静になっていた。
普段の彼なら確実にパニックになっていただろうし、今の状況がリラックス出来る訳でもないが(座席の座り心地は車のそれとは思えないほどであったが)。
なぜ落ち着いているのかも判らないが、今は自らの状況整理にその明晰な頭脳を使う事にした。
まず状況整理をと考えたが、今日一日の自分の行動は(帰宅してメールを見た後)大凡、普段自分からは想像できないものばかりであったし、正直なぜこの車に乗っているのかもわからない。
普段の自分であったなら、十分熟考した後に最善の選択をするわけだが、今日の自分の行動は最悪の選択をし続けているようでもあるし、それと同時に最高の選択でもあるように思えた。
しばらく熟考をした悠斗が出した結論は『わからない』であった。
夜の街を走り続けていた車が、ゆっくりとそのスピードを落としていった。
「到着しました。」
黒服の男が、また事務的にその口を開いた。
悠斗が窓の外を覗くと、一つの高層ビルが目に入ってきた。
(厄介なことになりそうだな)
悠斗はビルを見た後、口の中で呟いた。
実際悠斗は、こんな立派なビルに招待されるとは考えていなかった。
どこかの廃墟にでも連れ込まれると思っていたからで、少なくとも目の前に悠々とそびえる立派なビルではない。
黒服の男にエスコートされ車から降りると、悠斗は真っ直ぐビルへと向かった。
もちろん黒服の男も後ろからついてきている。
エレベーターに乗ると男は躊躇なく最上階のボタンを押した。
これは本格的にやばいことになってきたと考えていると、悠斗の気持ちとは裏腹にエレベーターはその重い腰を持ち上げて、どんどんと上へと登っていった。
今更になって気づいたが、このビルに入ってからというもの自分と黒服の男を除いて誰とも合っていない。
まだ時刻も八時を少し過ぎたくらいだ。
これだけ大きなビルだ、時間も時間であるため受付係が居ないのは理解できるが、警備員の一人や二人がいてもおかしくは無いだろう。
いくら八時と言っても誰も居ないという異常に、先程やっと冷静になってきていた悠斗を焦らせるには十分だった。
しかし、無常にもエレベーターは最上階へと到着した。
最上階に着いた頃には悠斗の心境は、電車に乗った頃と同じ状況まで陥っていた。
扉が開くと男はすぐに降りたが、悠斗が一向に降りてこない事に気づき扉に手をかけた、男は何も言わず振り向き悠斗を見つめている。
(くそっ!)
悠斗はもう引き返せない状況になって、今更ながら不安と恐怖に足が動かなくなってしまった。
いくら無意識のうちにここまで来たと言っても、途中で帰宅することは出来たはずだし、本音を言うなら好奇心に負けたと今なら思える部分が多々あった。
そんな自分が作り上げた状況なのだから、今ここで怖気づいている自分が酷く情けなく思えた。
やっとのことで足を引きずりながらエレベーターを降りると、黒服の男はその先に続く廊下を歩きだした。
「あなたが説明をしてくれるわけじゃあ・・・」
沈黙に耐えられなくなったのかそれとも不安や恐怖を拭い捨てるためか、どちらかは判らないが悠斗は口を開いた。
「いえ」
一言。
男は余りにも短い返事をした。
その身のこなしや、態度からどのような答えが帰ってくるのかは簡単に想像出来たが、その短く、何の熱もこもっていない言葉に悠斗はさらに自分の訳のわからない状況に追い込まれていくのであった。
(ですよね・・・)
心の中だけでも冷静になろうと務めるも、現在の状況が一変する訳もなく。
むしろ、廊下の突き当たりにうっすらと見える扉に近づくに連れて、悠斗の不安は募るばかりであった。
「こちらになります」
そう男が呟きながらその大きな体を廊下の隅に寄せると、先程までうっすらとしか見えていなかった扉が悠斗の前に佇んでいた。
「どうぞお入り下さい。」
有無を言わさぬような男の声色にビクビクしながらも、悠斗はその扉を開き、恐る恐る部屋の中に体を滑り込ませた。
部屋の中は少しの間接照明があるだけで薄暗く、テーブルが一つに椅子が二つと質素な作りであった。
よくよく眼を凝らしてみると、都市ならではのネオンを一望できるほどの大きな窓ガラスの前に人が立っている。
体格からして男だろう。
先程までの黒服とは真逆の圧迫感の与えない印象を与える白いスーツを着た男が、ネオンに煌めく街を見下ろしていた。
男は悠斗へと振り返りながらその口を開いた。
「ようこそ、如月悠斗くん。」