3
「ジーナ」
彼女を呼び、他の人には聞こえないくらいの声量で、囁きながら命じる。
「取り替えた品物をお金にかえるなら出回っているはずよ。なくなった品物が売られたか他店を調べてみて」
「はい、お嬢様」
出回っていないとすれば、密貿易での闇取引で売られる可能性が高くなる。ジーナに命じて今度はアスランの元へ行く。
「さっきの方と知り合いなの?」
「さっきの……?」
見ていなかったのだろうか。
アスランは荷物を運んでいた手を止め、マーヤの方へ視線を向ける。
「うちの常連なんだけど、あなたを見ていたのよ」
「俺を? 新人がいたから見ていたんじゃないか?」
それもそうだ。常連ならアスランが新人たとわかるだろう。イザラシャもただ新人を見ていただけかもしれない。
──だけど。
知っている人がいた、とイザラシャは言った。ただ新人だと言う理由ではないだろう。
──だけど、それはイザラシャ様に直接聞くべき事かもしれない。
余計な詮索は無意味だ。
知られたくないのかもしれない。本人に聞いてみて、後はイザラシャが判断することだ。マーヤが下手に出しゃばるところではない。
「……そうね。きっと新人だから見ていたのね」
変に探るのを好まないマーヤはすぐに買い出しの話に切り替えた。
「それより、お菓子がもうすぐなくなりそうなのよ。買いに行くから一緒に来て」
言うなり歩いていくマーヤに、アスランは慌ててついてくる。
賑わう大通りから一本奥に入った道を二人で歩きながら、馴染みの老舗の菓子屋へ向かっていた。いくつかの通りを過ぎ、通行人がまばらになった頃、やがて目当ての店が見えてくる。
客なんて来なさそうな街はずれの小さな店。その店を見つけた途端、マーヤは一目散に店へ駆け込んだ。
「こんにちは、おばあさん!」
店にいた女店主はしわだらけの顔で嬉しそうな笑顔で笑い返した。
「いらっしゃい。マーヤ」
白髪混じりの一つに纏めた三つ編みが明るい太陽の下、淡く輝いている。
菓子屋の店主・コクは今でこそ商売人だが、昔は貴族に嫁いだ立派な貴婦人だった。
彼女はマーヤの実の祖母にあたるが、マーヤが生まれる少し前に祖父と大喧嘩をして家を出て行った。
結局その後仲直りをする時間もなく祖父は亡くなり、祖母であるコクはそのまま商売人として暮らしている。
「今日はどれにしようかな。焼き菓子と……」
「この花の形をしたのもいいな」
アスランが隣から陳列された菓子を覗きこみ、赤い花の形をした砂糖菓子を指差す。
「それ可愛いわね。おばあさん、これとそっちのをちょうだい」
「まいど。今日は見ない顔のを連れているんだねえ」
指定した菓子を袋に詰めながらコクは尋ねた。
「最近入ったばかりの新人なの」
「よろしく頼む」
アスランは顔をあげてコクに挨拶する。コクは彼の顔をじっと見て、アスランが不審に思って首を傾げる――その動作の前に笑顔を作った。
「孫をよろしくお願いしますね」
「マーヤの祖母様か。こちらこそ彼女には世話になっている」
コクはにこにこしながら菓子の入った袋をアスランに渡した。
「荷物は男性が持つものだわ。少し重いけど頼みますよ」
「もちろん」
そうしてコクに挨拶を終えてお菓子を持つアスランと並んで来た道を戻っていると、ふいに彼がマーヤの顔を覗き込んだ。驚いて足が止まるマーヤをよそに、アスランは飄々とヴェールで隠された顔を見つめてくる。
「マーヤは……変わった髪の色をしているな」
「え?」
「人が、そんな髪色をしているのを初めて見た」
薄い色合いだからだろうか。しっかり髪も布で覆っているのだが、彼はどうやらマーヤの顔ではなく髪を見ていたらしい。いたたまれなくなって鼻元のヴェールを上に持ち上げる。
「これはね……、あたしのお母様が東洋人の血を引くハーフだったからよ。だから私はクウォーターなの」
あまり話したくはなかった。話せば、辛い思い出も一瞬に蘇ってしまうから。
マーヤは暗い顔になるまいと無理矢理笑顔を作ってみせた。
「よくからかわれたわ。お金が大好きな母親の娘にはお似合いだって」
下町出身の母を金目当ての結婚だと、誰もが蔑んだ。
「でもいいの。あたしは広い世界を知りたくて商売しているの。誰に何と言われようとも、気になんてしないわ」
そうして今まで暮らしてきた。貴族には下町出身だと蔑まれ、庶民には上手く金持ちを捕まえたと妬まれる。
安心できるのは家族と店の中だけ。
「君は本当に……」
アスランが何か言おうとしたけど、強い風にかき消されて聞こえなかった。
もう一度聞こうとして立ち止まって振り返った──刹那。
脇道から体躯の良い男がいきなり剣を持ってこちらへ襲いかかってきた。
「きゃあっ!」
驚いた拍子に地面に尻餅をついた。しかし、恥ずかしがる余裕もなく、男はそのまま振り下ろしてくる。
声を出そうとして──出なかった。
全てが奥に引っ込んでしまって、剣が下りてくるのをただゆっくりと感じて見入ってしまっている。
悲鳴をどこから上げるのかも忘れてしまって完全に混乱した。
ギラつく獣じみた男の目が、やけに光っていた。
「あ……ぁあああっ!」
ようやく声が出たその時に、力ずくで誰かに体を引っ張られた。
男の手によって振り下ろされた剣が鼻先をわずかにかすり、体温が一気に下がる。
「大丈夫。落ち着け」
低い優しい声が、やけに心に染みた。
訳の分からない恐怖で、自分が涙を流していた事さえ気づけないでいた。