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「それと、これを」
大妃は見覚えのあるオルゴールをマーヤに渡した。あの夜、アスランに贈られたが受け取らなかったものだ。
「でも、そんな資格……」
「いいえ。これはあなたが持っているべきものです」
強い眼差しに見つめられ、マーヤは曲がっていた姿勢を伸ばした。
マーヤは自分が汚い人間だと知っている。わがままで、自分本位で。
だけど、それでもアスランはマーヤを選び、マーヤの為に同性愛者と嘘を吐いた。──マーヤ以外を娶らずにする為に。
その想いを、マーヤは受け取らなくてはならない。自分を否定して落ち込んで、それでその先はなにかあるのだろうか。否、なにもない。暗い気持ちになるだけ。
──マーヤはわがままで、自分本位で、そして傲慢だったのだ。
意地の悪い顔は憎らしい。
食事を毎度ねだるのは厚かましい。
勝手に体に触れるのも口づけるのも失礼極まりない。
こんな面倒で難しく扱いにくい女を好きでいてくれる。
「イザラシャ様、あの人に伝言をお願いしてもよろしいでしょうか」
「構いませんよ」
「五年お待ちします、と。それから……、愛しています、と」
「はい。確かに」
五年はマーヤが決めたライン引き。マーヤが次の男を捜す為のものではない。アスランが五年かけてマーヤを迎えに来れなかった時、もしくは心変わりした時に、彼の心が罪悪感を覚えないように。
ただ「待っている」と伝えてその後、彼に想い人ができて罪悪感を抱えないように。マーヤはきっと五年後も彼を想っているだろうが、人の心はわからないからこそ、必要なライン引きだ。
いつまでも待っているなどと言う綺麗事は言えないし、そんな重みを彼に渡したくはない。
「イザラシャ様、お元気で」
立ち上がり、別れを告げる。
イザラシャは花のように綻んで「マーヤもね」と返した。
大妃付きの侍女に連れられて廊下を歩き、渡り廊下に差し掛かった時に、先程の聖堂が見えた。
──アスラン。
抱えたオルゴールのネジを巻き、その音色に暫し耳を傾けた。
──さよなら。愛しています。アスラン。
こぼれた涙は熱気をはらんだ風に飛ばされた。
***
軽やかな音色が、その箱からは流れる。
町に出れば色々な音で溢れているのに、そのオルゴールの音色だけは静かな冷たい空気で周りを包み、穏やかな音色で心を落ちつかせてくれる。
今日もまたうっとりとその音色に耳を傾けていると、仕事から一度昼飯を作りに戻る母が帰ってきた。
「アヤン、オルゴールはいいから水をくんできて」
「はあい」
家を出て民家を六軒ほど過ぎた所に井戸がある。
アヤンはまだ四歳だが、井戸には必ず洗濯や野菜を洗う女達がいるので、彼女達に水をくんでもらい、それを運ぶのが食事の決まりとなっている。
男は早いうちから鍛えると豪語する母は字や計算をバシバシ教えてくるし、こうして決まりというよりコキ使われるような水汲みでも、まあ井戸では大変人気者で皆可愛がってくれているのでよしとする。
「あ、やっぱり来た! アヤンー!」
井戸では早速出迎えられ桶に水を入れてもらった後、姉のように慕うカノの膝の上に座り、食堂を営む老婆のアジャが客からもらったお菓子をくれた。
アヤンには父がいないが、それを昔母に聞いた事がある。
アヤンの父は置いてきたと母は言う。
母と慕う人と話し、その後港に連れて行かれ、ジーナと合流してコムルの商団と共に国を出た。
どうして置いてきたのか、なぜ父は迎えにこないのか聞いたが母は答えなかった。
──父は、永遠に迎えに来ないのだろうか。
母はよくしてくれている。優しいし、商団の仕事も引き受けながら各地を転々とし、その合間にアヤンの世話もきっちりこなす。最近はこの村を拠点とし、商団の仲間とアヤンを連れて移動したりする。
良い母だが、寂しくないわけではない。
落ち込んだ気分のまま井戸を去って帰路をとぼとぼ歩く。
「おい、そこの子供」
と、やけに偉そうな口調で後ろから声をかけられ、アヤンは立ち止まって振り返ると、旅人風な格好の──つまり、幾重にも気重ねた衣服と目深にかぶったターバンをした男がいた。
「……なにかご用でしょうか」
どんな素性の者かもわからず、警戒しながら尋ねると、男の大きな手がアヤンの頭に伸び、母が朝整えてくれた髪をぐしゃぐしゃとかき乱す勢いで豪快に撫でられた。
「えらく賢そうな子供だな、お前!」
「やめ、うわっ、……もう!」
無理矢理その手を引きはがしてなんとか逃れると、男は笑って膝を折り、アヤンと目線を同じにして問いかけた。
「実は人探しをしている。助けてくれないか、子供」
「……いいですけど、僕の名前はアヤン」
「神の贈り物ね。良い名前だ」
知らなかった名前の意味まで教えられ、アヤンは目を丸くさせる。
「アヤンはサーハルジア語で神の贈り物だ」
「サーハルジアの人?」
「ああ。最近まで住んでいた。迎えに行きたい人がいたんだが家督を中々譲れなくてな。ようやく成人を迎えた甥に全て渡して国を出てきた」
アヤンの母もサーハルジア出身だ。もしかしたら懐かしい話でもできるかもしれない。それに、母は情報通でもある。
「なら家へどうぞ。母もサーハルジア出身だし、ここらへんの住人に詳しいから」
「それは頼もしいな」
笑顔で言う男を、アヤンはなぜだかあまり警戒する気になれなかった。旅人と言っても皆怪しい訳ではないし、この男は良い人そうだ。
そう思って帰宅すると、出迎えた母が腕に抱えた籠を落とし、男も肩に背負っていた自分の荷物を床に落とした。
いつもは笑顔で時には誰よりも冷静な母が、子供のように顔を涙でくしゃくしゃにして笑ったのを、アヤンは初めて見た。
そうして、連れてきた男が、自分と同じ黒髪で、自分と同じ鳶色の目だと言う事にようやく気づいた。
「おまたせ」
男も涙を堪えている顔で、そう答えた。
その男の元へ母が金髪を乱して駆け寄った時。──部屋の奥から、オルゴールの音が僅かに聞こえた気がした。
2014.01.20 天嶺 優香
これにて完結。ありがとうございました!
この小説はエブリスタで2009年より連載していたものでした。
作中の展開、文章の違和感は重々承知の上です。
ここまで読んでくださってありがとうございました!楽しんでもらえたら幸せです。




