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店の自室でクッションに埋れながらマーヤは寝そべっていた。体が気だるくて、帳簿を意味もなくペラペラとめくる。
ふかふかのクッションに顎を乗せ、重い瞼を閉じて、息を吐く。
考えることがたくさんあって、疲れる。アスランに伝えるべきことがわかっても、彼には最近会えない。公務が忙しいのだろうがここ数日はめっき姿を見せない。
いつも事前に連絡を寄越さずふらりとやってくる彼との連絡方法なんてマーヤは持たない。
アスランがその気さえなければいつでも会えなくなるのだな、と気づいて、少し気分が悪くなった。
「お嬢様、先日の売り上げを……、お嬢様?」
目を閉じてぐったりとクッションに埋もれるマーヤの様子を訝しんだジーナが心配そうに声をかけてくる。
それに声を返す気力もなくて、マーヤは手を軽く上げてひらひらと振ってみせた。
「お加減が悪いのですか?」
「そうね、最悪だわ」
何より気分が一番最悪だ。
会いたいのに会えないのがこんなに堪えるものだとは知らなかった。
「何かお持ちしましょうか?」
「大丈夫よ」
短く答えて上げていた手を下ろす。
そのまま目を再び閉じると、ふわりと髪が撫でられる感触がした。
「風邪でも引かれたのですか? 何か冷たい飲み物をお持ちしますね」
返事を待たずにジーナはテーブルに売り上げの報告書だけ置いて部屋を出て行った。
マーヤは寝返りを打って天井を見上げる。細かい柄を描いた天井を見つめ、考え事に再度耽る。
ここ最近いつも夜になるとアスランが現れ、少しの談笑後、彼と体を重ねていた。だからその結果が来るのは当たり前で、必然なのだから仕方ないと思うし、何より女として嬉しく思った。
マーヤはゆっくりと自分の平らな腹に手を当て、柔らかく微笑む。──自分が、彼との子を喜ばないはずがない。
彼がマーヤの元へ訪れたのは、それから四日後のことだった。いつも通り遅くまでやることで手一杯なマーヤは書類にサインしたり、届いたものに目を通していたりして、すぐにアスランの訪問に気づけなかった。
「随分と熱心だな」
低い、穏やかな声が耳に届き、マーヤは紙面から顔を上げる。
壁に背中を預けるようにして立つ彼はゆったりとしたいつも通りの軽装だ。こちらに近づいてきたアスランに頬を撫でられ、気恥ずかしさに目を伏せる。
「なにしてた?」
「……いろいろと、やることがあって。あなたは?」
少し緊張してしまいながら目線を上げると、思ったより彼の顔が近くて、心臓が跳ねた。
音もなく口の動きだけでアスランは笑い、マーヤの額に口づけを落とす。
「最近は、あまり来なかったでしょ? 忙しかったの?」
呂律が上手く回らない。少々舌足らずになりながら口を動かすと、少しだけ離れてアスランは何やらごそごそと腰にくくった袋から何かを取り出す。
「何か贈り物がしたくて。たいしたものじゃないけど、マーヤの店での給金で買ったんだ」
アスランはそう言って手のひらに乗せたのは小さな箱だった。散りばめられたガラス細工が綺麗で、部屋の明かりに反射してキラキラ光っている。
彼の手の中に収まった状態のまま、箱の横についた取っ手をくるくると指先で回すと、軽やかな音楽が流れた。
「オルゴールでしょ。中々ないのにどうやって?」
異国で作られるオルゴールがサーハルジア王国にまで渡ってくることなど早々ない。マーヤも以前異国の商人が訪れた際に見せてもらったくらいだ。
「ひたすら歩き回って探したんだ」
「あたしのために?」
彼の手の上のオルゴールを見つめるマーヤに、アスランは首を傾げた。
「受け取ってくれないのか?」
アスランの問いにマーヤは答えない。普段とは違う様子にアスランは空いた片手を伸ばしてマーヤの顔を自分に向けさせる。
「マーヤ?」
「……あたし」
彼に伝えなくてはいけない。しかし、想像以上に唇が重く舌が鈍い。
たくさんの言いたい言葉が頭の中でぐるぐる回っているが、どれも言葉にならない。
「どうした?」
思い切って彼の顔に視線を向け──その綺麗な瞳に目を奪われる。
鳶色の強い眼差しに、マーヤは混乱していた自分がさっと冷静になっていくのを感じた。頬に添えられた彼の手のひらを感じ、静かな空気の中、ひたりと目線を合わす。
知らず、すっと息を整えていた。
「あたし、あなたとは結婚できない」




