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三番目の花嫁  作者: 天嶺 優香
五、決断の夜
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6

「妃になれば気軽に外へ出ることも叶わず商売も出来なくなるでしょう。一生窮屈な身の上です。だけど、それすら甘受したいと思える自分が嫌で嫌で、まるで大きな何かが立ちはだかっていて──あたしは怖いのです」

 それが何かは自分にはわからない。

 だけど全てを凌駕して、マーヤの意思を何もかも捻じ曲げようと、屈服させようとする抗えない何か。

「ではお前は誰しもがその何かによって従って結婚していると? そんなに抵抗するほどそれが許しがたいものだと?」

「いいえ。否定している訳じゃないです。何に重きをおくか、ですわ。あたしはそれによって覆されたくないほど商いが好き。だけど、自分のそれまでの意思を変えてもいいと思えるほどならそれもまた素敵だと思います。──だけどあたしはそれでは嫌です」

 父と娘は、暫しの沈黙の間に見つめ合う。逸らすことをお互い許さず、サフスは娘の真意と決意をはかるため。マーヤは自分の複雑に捩れる心を父に見抜いて欲しいため。

 料理がいつの間にか並び終わり、立ち上る湯気が段々と弱くなり薄くなろうという時、ようやくその長い見つめ合いはサフスによって終わりを告げる。

「……ふ、誰に似たのやら」

「全てはあたしの意地のなすこと。頑固者ゆえに」

 マーヤが誰に似てるかなど明白だ。言わずとも知れる。亡きサフスの妻であるマーヤの母だ。

 彼女は金目当ての娼婦だの毒婦だのと噂する周りを一切放置した。サフスがどんなに言い募ろうとも、それを変えなかった。

──私は、異国の商家の生まれではありますが庶子でございます。ほどよく貧しく暮らしていた庶子が偶然にもサフス様に出会え、子を育めました。

 彼女はそれが幸せだと言う。それこそが最大の幸せである、と。

 庶子が見初められ、最大の幸せを貰ったのなら周りが妬むのも仕方ない。その人達は幸せが羨ましいのだろう。

 そんな者にかまってもこちらが疲れるだけだし、実害もないなら放っておけばよい。その者たちが哀れだと、母はのたまわった。

「しかしいつまでも悩んではいられまい。もう婚約が決まってからだいぶ経っておる」

「……あたしは、恵まれております」

「そうだな」

 家が恵まれている、生まれが恵まれている、とそう言ったことではない。

 このわずかでも自分の意思が通る環境が。少なくとも選択肢のある結婚が。こうしてマーヤが悩んでいることさえ、本来ならば贅沢な悩みだ。

「あたしは贅沢者の我儘でどうしようもない迷惑ばかりかける娘です」

「うん、わかっているよ」

 父はもう全てを見通している。

 マーヤの悩みがもはや父には助言しかできないこと。そしてマーヤが、すでに選択肢を選んでいること。

 この、優しい父親が、マーヤは大好きだ。

「……お前は幸せになるといい」

 涙が勝手に溢れた。

 どう選んでも父とは今後会えなくなる。

 異国に行こう城に行こうが、身分が違ってくるのだから気軽には会えないだろう。

 マーヤは父へ最敬礼をする。

「お世話になりましたお父様」

「こうなることはわかっていた。さみしがるな。怖がるな。お前は強いのだから」

 サフスは穏やかに笑って目を閉じた。もはやマーヤにかける言葉などないのだろう。かけるべき言葉はかけ、聞くべきことは聞いた。父はそう判断したのだ。

 マーヤは白く冷たくなっている指で涙を吹き、静かに退室した。

 部屋を出た後、マーヤは自室に戻った。薄明かりだけ灯る部屋にはジーナが待っていて、真っ直ぐマーヤを見つめる。

「……いかがでしたか。決まりましたか」

 マーヤはソファに座りながら笑った。

「お父様にはやはり敵わないわ。二つある選択肢のどちらを取るなんてもう決まっていることを、見抜かれた。……あとは、あたしにほんの少し勇気がいるだけ」

「二つある選択肢とは、王様の元へ行くか、行かずに異国に出るか、ですか?」

「そうよ。だけどあたしは臆病者なの。怖くて彼に告げることができなかった。……でも頑張るわ」

 落ち着いた心でゆったりと微笑むマーヤの手を、ジーナは両手で包み込む。

 温かい体温がマーヤの冷えた手に熱を運んでくれる。

「私はお嬢様についていきます。お嬢様の幸せを選んで下さい」

 励ますように、勇気を与えるように、闇夜でも光るジーナの緑色の瞳がマーヤを射抜く。

 その光が温かくてとても綺麗で、マーヤはいつまでもそれを見ていたくなる。

「いつまでもどこまでもお供します。どんな時もそばにいます」

 マーヤはくすぐったくてまた笑った。

「やっぱりあたしは贅沢者だわ」

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