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まるで、これでは自分が彼のことをそう思っているようではないか。
断じて違う、とすぐに否定する。
意地の悪い笑顔は憎らしい。
食事を毎度ねだるのは厚かましい。
勝手に体に触れるのも口づけるのも失礼極まりない。
せっかく用意した食事も料理が冷めた頃に食べるし──つまり情事にふけっていた為だが──、なによりマーヤを落とそうと躍起になっている事がよくわかるのがなんとも腹立たしい。
コムルの元へ行くにしろ、新しく人を雇うにしろ、……アスランの元へ不本意ながらも嫁ぐにしろ、一度父親に話に行った方がいいだろう。
多忙の父は夕食時くらいしか顔を合わさないが、その夕食時も最近マーヤがきちんと時間に帰らないせいで──もちろん誰かさんのせいだが──、まともに顔を合わせていない。
今夜あたり話に行こうか、とマーヤは心に決めて、おざなりになっていた帳簿への目通しを再び開始する。
***
店仕舞いの時刻となり、店を閉めて片付けを終えてジーナと共に屋敷へと帰る。
屋敷を守る門番が、久しぶりに夕刻に帰ってきたマーヤを見て驚いた。
それもそのはず。二週間以上ずっと深夜すぎ、もしくはそのまま帰らない事も多かったのだ。
「お父様は帰られてる?」
「はい、今夕食を準備している頃かと思います」
父親はきっちり時間に正確な質だ。門番が把握しているという事は、急な仕事が入ったり、マーヤがいない間に生活リズムが変わったという出来事がなかったのだろう。
「わかりました。ジーナ、あたしの分もすぐに用意させて」
「はい、お嬢様」
ジーナが厨房へ向かうのを見て、マーヤは父がいるであろう部屋へ向かう。
時には著名人を、時には友人を招き談笑や食事を楽しむ大きな部屋で、父親であるサフスは杯を手にその恰幅の良い体をクッションに埋れさせていた。
マーヤは傍に置いてある酒瓶を手に、父親に酌をする。
「……ん? マーヤか?」
とろんと酒でその丸いまなこを蕩けさせた父親は、低い眠そうな声でマーヤを呼んだ。
「顔を見せるのは久しいな。……ん、商売の話か? それとも結婚の話か」
マーヤが用もないのに尋ねてこないことをわかっているのだろう。この父親の話の速さがマーヤは好きだ。
「両方ですわ、お父様」
静かに使用人達が料理を並べていくのを見て、マーヤはひとまず近場の料理を父親に差し出す。
にこりと微笑めば、なんとも言い難い表情をサフスは浮かべて、受け取った。
「こわいな。お前が笑顔の時は何かある時だからな。あいつもそうだった」
と、今は亡き母親の事も引き出してサフスは言う。久しぶりに娘と会えたのは嬉しいのだろうが、何を言われるのか、もしくは何を頼まれるのかと身構えているのだろう。
「いやだわ、お父様。何もない時でも笑顔です」
「いやいや、お前達母娘は似ているからな。何か用事がなければそう大げさに笑わないだろう」
さすがにわかっている。マーヤはそれでも笑みを崩さず、自分も酒で喉を潤しながら話し出す。
新しく雇った男が実は王だったこと。長く働いていたセタが裏切ったこと。それによって人出が足りなくなっていること。──王に、求婚されていること。
最近の出来事を語り、マーヤは父親の様子を伺う。
サフスは考えるように目を伏せて唸り、杯を煽る。
「お前としては王の元へ嫁いで店を畳むか、嫁いだ後だれか代理を立てて新しく人を雇うか、……嫁がず念願の異国に繰り出すか、と言ったところだな」
事情を話しただけでマーヤが何に悩んでいるのかサフスは言い当て、それで、と続ける。
「お前の気持ちはどうなのだ」
「あたしの……?」
「本来ならにべもなく嫁がなくてはならない話だ。それをお前の意思を尊重して待って下さっておられる。そうまでしてくれる王のことを、お前はどう思っている?」
確かに本来なら否など考えることも許されず従うしかない。それを王も大妃も、マーヤの意思を大事にして強制していない。
「あたしは……」
どう思っているか聞かれると困る。マーヤはアスランについて考えた。
「……まだわからないのです」
「では嫌いか?」
「いいえ」
それは断言できる。
アスランに聞かれた時も、それだけはわかっていた。
「……正直に申し上げるなら、あの人となら結婚してもいいと思えるのです。優しいし、なにかあっても頼れます」
「では何を迷うのだ」
「……諦めたくはないのです」
自分の夢を。それは決して貴族の娘が夢見るものではない。
だけど小さな頃から異国で商売したいと夢想し、それを叶えるために今まで頑張ってきた。
それが、全て無になるのだ。結婚という、檻によって。
「あたしは嫌です。あの人が憎いのです。あの人となら良いと、この夢を諦めてもいいと思えてしまって。そう思う自分も嫌です」
たかが一人の介入で、なぜ小さい頃から頑張ってきたものを諦めるのだろう。諦めさせるのだろう。
自分の頑なな意思が壊されるようで怖い。一人に変えられる、変えてしまえるだけの弱いものではなかったはずなのに。




