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それでもアスランはマーヤの肩を掴んで簡単に引き寄せてしまい、それが癇に障って思い切り距離を取ろうとすると──ぱっと彼は手を離した。
敷かれた絨毯の上に、簡単に寝転がされたのだ。
状況を理解するまで時間がかかっているマーヤをよそに、アスランは悠然と笑ってマーヤの体を跨いで見下ろしてきた。
アスランは指先で髪を弄び、マーヤの金髪に口づけを落とす。
彼の指先はそれから耳を撫で、頬へ渡り、最後に顎へ伸びて少し上を向かされる。
状況を理解したくなくても、もはやするしかない。
「……駄目よ」
否定の言葉は、拒絶するには弱弱しくて、自分がどれほど迷っているかを明確にしてしまった。
「なにが駄目?」
アスランの口づけが頬に落ち、首筋をたどる。
知らずまつ毛が震える。
答えないマーヤに視線をあげて、アスランは再度問う。
「ん?」
「……ぜ、んぶよ」
声まで震えてしまう。
怖いからではない。ただひたすら駄目という言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
「マーヤ、こっちを見て」
「いや」
ふいと顔を背けると、彼の手で簡単に向きを変えられてしまう。
瞳には勝手に涙が溜まる。
「こんなに綺麗なのに手を出さないなんてもったいないだろ?」
その目は獲物を狙う獣のよう。思わず怯むマーヤに、アスランは優しく笑いかける。
「怖がらなくていい」
怖がってなんていない。マーヤがそう答える前に、アスランによって口を塞がれてしまう。
溜まった涙が同時に零れて、繰り返される口づけは酷くしょっぱかった。
今日で何度目の口づけだとか、そんなものどうでも良くて、ただどんどん自分が落ちていってしまう焦燥感が胸をえぐる。
彼は心地よいから一緒にいると、このまま結婚してしまえと囁く声がどんどん大きくなる。
駄目。いけない。夢を捨てて男を取るなんて、そんな事したくないのに。
──からめ捕られてしまう。この男に。
***
酷く体がだるくて、動くのが億劫だ。
わずか数時間に起きた事は今まで経験したものとは明らかに違っていて、何から何まで初体験。
お互いの息遣いや、声が生々しく耳に残る。
触れ合った体温や感触がじりじりといまだに肌を威圧するように焼いている。
与えられた痛みは市井で聞くよりも大した事はなかったが、苦しくなかったのかと言えばそれは嘘になる。
少ししわが出来てしまった衣服を身につけ、大きなクッションに埋れて寝転がっている彼を見やり、マーヤは目を釣り上げる。
「この事、他言したら許さないから!」
いくら嫁ぎ先だと言っても未婚なのに体の関係を 持ったなんてそんなはしたない事、父や知人に知られたくなかった。
アスランはゆっくりと体を起こし、目を釣り上げて睨むマーヤへ視線を向け、嫌味たっぷりに微笑んだ。
「二人だけの秘密ってやつだな? もちろんいいとも。ただし次は店で会おうな」
「……次?」
「まさか結婚の承諾も得てないのに俺がこの一回きりで引き下がるとでも?」
正直、これで終わりだと思っていた。結婚の正式な断りは後日入れるにしろ、体を関係を持った後はすっぱり諦めてくれると…….。
相手を落として見事、体の関係を築いた後にまでマーヤにこだわるとは思わなかったのだ。
落として終わり、一回体を繋いで終わり。そんな風ではないのか?
マーヤのように容姿が特別整っているわけでもない平凡な娘になぜこだわるのだろう。
「会うって、あなたそんな暇あるの?」
「つくるよ」
「無理するつもり?」
今までの彼の行動から無理をする事を先読みしてそう尋ねると、アスランが小さく笑みを零した。
「心配? ありがとう。でも大丈夫。お店の仕事がなくなったからだいぶ自由な時間がある」
彼の言う“だいぶ”はかなり信用できない。しかし心配などとまた深読みされては困るので、とりあえずマーヤは口を閉じて立ち上がる。
「どうした?」
「もう行くわ。あまり長居すると疑われるでしょ?」
「なにを?」
わかっているくせにそう言う事を聞いているのだとわかり、マーヤは顔をしかめて嘆息した。
「イロイロよ」
一度だけ振り向いてそう言い、マーヤは部屋を出た。
部屋の前で護衛していたのだろう兵士に帰りの道を案内される。
長い長い回廊を歩き、開かれた窓から風が吹き、ヴェールを揺らす。あまりにも穏やかで、静かで、少し足を止めて風に揺らされる。
考えたくない事は放棄して、暫く呆然と立ち尽くしていると、背後からゆっくりとした足音がいくつか聞こえ、マーヤを案内していた兵士は足音の方に視線を向け、慌ててその場にひれ伏した。
「マーヤ」
聞き覚えのある優しい声が聞こえて、マーヤも声の方へ体を動かし──固まった。
「あ、あなたがどうして……」
背後にたくさんの人間を引き連れたその人物は、マーヤも良く知っている人だった。理解が追いつかずに半ば放心してしまうマーヤに、その人は艶やかに小さく笑いを零した。




