2
人混みの中、ヴェールで顔を隠して、マーヤとジーナは歩いていた。各地から来た色んな商人が道ばたで店を広げている。
肉を焼く香ばしい匂いに鼻をひくつかせながら、マーヤ達は人ごみを縫うように歩く。
「ねえ、ジーナ。サムさん所のお店によってもいい? あそこは結構掘り出し物があるのよね」
マーヤがそう言いながら歩いていると、どん、と大柄の男がぶつかってきた。肌の焼けた、いかにも柄の悪そうな男だ。
「悪いな、嬢ちゃん」
男はにやりと笑い、一言詫びて歩いて行く。
しかし、そのまま去ろうとする男の手を、マーヤは掴んだ。
「あ?」
捕まれた自分の腕を見て、男は足を止めて顔をしかめた。ジーナが静止の声を上げたが、マーヤは気にせず男を睨み付けた。
「お財布、返しなさい」
「はあ? 言いがかりつけんなよ」
男はマーヤの手を払って向き直る。真っ正面から見れば、やはり大きな男だ。それでも怯むわけにいかず、マーヤは男を見据える。
「でも、あたしのお財布。持ってるでしょ。スリなんて初めてしたの? バレバレよ」
「スってねえよ! 証拠あんのか?」
男の大きな声に、ざわざわとマーヤと男の周りにギャラリーが集まってくる。あまり目立つのは良くないが、マーヤの腰に下げていた財布は現にない。男が財布を持っていったのもきちんとわかっている。しかし、証拠は──
「ないわ」
「じゃあなんで俺かどうかなんてわかんねえだろ」
「持ち物全部出して見なさいよ。それでわかるわ」
「ふざけんな。時間の無駄なんだよ」
男が去ろうとして、マーヤは慌てて腕を掴もうとしたが、誰かが先に男の腕を掴んでいた。
「待て」
低い声だ。マーヤが隣を見れば、黒い布に身を包んだ男がいた。マーヤと同じ、目元しか開いてないその格好から覗く、鋭い鳶色の瞳。
いつの間にマーヤの横にいたのだろう。全く気づく事が出来なかった。
「何だ、お前」
「財布を返せとお嬢さんは言っている。素直に返してやれ」
「ざけんじゃねえよ」
見下して笑いながら、捕まれた手を振り払おうとするが、振り払えない。大柄の男は少し焦った様に腕を引っ張るが、やはりびくともしなかった。
男は目を細めて低い声音で言葉を紡ぐ。
「警官隊を呼ぶか? 今出せば見逃してやってもいい」
漆黒の男は掴んだ腕を捻り上げる。途端に大柄の男が悲鳴を上げた。
「わかった、わかった!」
そう言って片方の手で懐を漁り、マーヤの財布を取り出して地面に投げた。漆黒の男がぱっと手を離すと、大柄の男は急いで逃げて行った。
唖然としているマーヤに、男は声をかける。
「怪我はないか」
男は地面に落ちた財布を拾い、土を払ってマーヤに渡した。
「ええ。どうもありがとう」
呆然としながら礼を言うと、男はずいっと顔を近づけてきた。
「!」
「青い瞳か。珍しいな」
いきなりの事にマーヤの目を覗き、やがて離れると、男は苦笑した。
「それにしても、無謀すぎやしないか。巨漢の腕を捕まえて堂々と言い付けるなんて」
「仕方ないじゃない。近くに警官隊も見えなかったもの」
「そんなに大金が入っているのか?」
男の問いに、マーヤは首を降った。手渡された財布を指で撫でて、マーヤは安堵の行きをもらす。
「違うわ。お金なんてこれっぽっちも入っていないもの。問題はお財布。母さんの形見なのよ。だから取り返してくれて助かったわ。ありがとう」
「なに、若いお嬢さんが困ってるんだ。そりゃ誰だって助けるさ」
男が笑ったのが顔を隠していてもわかった。
思わずこちらも笑顔になるが、ジーナが後ろから自分の名前を呼ぶ。
ジーナに呼ばれて我に返る。見ず知らずの男と町中でこんなに話しているのは女としてはしたない事だ。ましてや相手は顔を隠している。
「わかってるわ、ジーナ」
ジーナへ視線を向け、すぐに男に視線を戻した。
「本当にありがとう。感謝します」
にこやかにそう言い、軽く会釈をしてから男に背を向けた。そのまま目的の店へ向かおうと足を進めた時。
「お嬢さん」
名前を呼ばれ、マーヤは振り返る。
「名前は?」
なぜそうしようと思ったのか、自分でもよくわからなかった。だが、なぜかマーヤの気分は高揚していて、そして会ったばかりの男をすでに気に入っていた。だから、マーヤはヴェールを緩めて顔全部をさらけ出し、笑顔を見せて自分の名前を告げた。
「マーヤ」
「お、お嬢様!」
ジーナが慌ててマーヤのヴェールを直した。マーヤは笑いながら、身を翻し、今度こそ振り返らずに歩いた。
***
良く知る商人のお店へ寄り、品物を物色していると、ジーナが突然ため息をついた。ちらりとマーヤを見て、今度は大きく息を吸って──
「な、に、を、しているんですか!! 貴女様は!」
いきなり怒鳴られ、マーヤは思わず手にしていたガラスの皿を落としそうになった。
「び、びっくりするじゃないの……」