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「まさか。俺がここに戻ってきたのは、単純に君に興味があるからだ」
「……私に?」
何の変哲もない自分になぜ興味を持つのかわからず、マーヤは首を傾げた。
「俺を王だと知って、あれほどの事を言うのは君が初めてだ」
確かに、普通なら正体を知った途端、その場にひれ伏すべきだが、それもやっていない。
アスランはマーヤに近づき、金髪を一房持ち上げた。
「それにこの金髪も珍しい。凄く綺麗な髪だ」
どこが綺麗なのだ、とむっとする。
周りから散々に言われているこの髪を、家族以外で褒めた者などいない。
嫌いではないが、人には受け入れられない髪色だと自分が一番良くわかっている。
「君自身に興味がわいた。どんな人で、どんな事をしているのか、知りたいんだ」
頭を優しく撫でられたその心地に、じわりと胸に何かが染み渡る。彼はとても嘘を言っているようには見えない。マーヤにとって、家族以外でこんな風に言ってくれる初めての人だ。
昔から髪色や母親の身分の事をからかわれ、貴族社会にも居場所はなかった。だからこそ外に目を向けて商売を学び、自分の力で何かを成そうと必死になっていた。
こんな、会ったばかりの、少し顔と身分が良いだけの男に、簡単にほだされるわけにはいかない。
だけど、温かな好意を向けられて、誰が冷たくはねのけられるのだろうか。
こんな価値もない女に、興味をひかれたなんて。
「……馬鹿な人」
耐えていた涙が、頬をつたった。
***
「だから! 何度言えばわかるの? 皿はこうして持って布巾でふくのよ!」
昼時に、店の中からマーヤの怒鳴り声が響いた。
マーヤが怒っているの相手は、この国の王・アスランだ。しかし、この店でそれを知る者はマーヤ以外にいない。
皿をマーヤが洗い、それをアスランがふく。ただそれだけだと言うのに、彼は先ほどから何度も手から皿を滑り落として割っているのだ。
「皿をふくなんて俺はやった事が……」
「やった事なくても覚えてやるのよ! なんでこんな作業もできないの」
厳しいマーヤの叱責に、アスランは頬をかいて言葉を返す。
「君は、教えるのには凄く厳しいんだな」
「あなたが出来なさすぎるの!」
「……ごめん」
困った様に彼はそう言う。しかし、皿の持ち方、ふき方なんてそもそも教えるほどの事でもないのだ。
「……お嬢様。仲良く皿洗いなんて、抜け駆けは駄目ですよ」
声が聞こえ、振り返れば柱の影からじっとこちらを妬ましそうに見るミアがいた。
歯を食いしばって何やら悔しそうな表情だが、食事で使う皿をこう何枚もあっけなく割られては放っておけないのだ。
「ただの皿洗い。こういう事もできなきゃ一人前じゃないわ」
何の一人前になれるというのか、と自問が浮かんだが、心の声を聞き流す。自分だって意味不明な事を口走った自覚はある。しかし、お気に入りの高い皿をぱりんぱりんと割られれば、誰だって少し怒ると思う。
「だったら私も一人前になりたいので混ぜて下さい」
アスランに近づきたいミアはマーヤの言葉に乗ってきた。しかし、それを鋭い声で撃ち落とす。その一人前どうのという話は忘れて欲しいのに、ミアも変わった少女だ。
「あなたは品の点検、接客、買い出しと随分仕事がたまっているはずだけど?」
皿洗いなんてやっている暇などないはずだ。
サボり魔のミアはすぐに遊んでしまい、一人でこなせるはずの単調な作業を溜めてしまっている。
「そ、それはあの、今はいいと言いますか……、その……」
「今はいいなんて言ってないで早く作業してきなさい!」
ぴしゃりと命じるとミアは素早く返事を返して退却していった。
長年働いているおかげか、怒らせるとどうなるかはわかっているらしい。
聞き分けの良い彼女に満足し、皿洗いを再開すると、アスランがこちらを見ていた。
「……なに」
「いや。こんなに和む空気が珍しくて」
城ではもっと張り詰めているのだろうか。
「……お城はそんなに窮屈なの?」
「まあね。早く王位なんて退きたいよ」
他の者が聞いたら卒倒してしまうだろう。
しかし、王族だなんて貴族や庶民の憧れだが、王族は王族で大変らしい。
確かに、ただでさえ貴族もあれこれと規制があったりしてあまり自由がきかないのだ。王族──王は更に窮屈だろう。
「逃げ出したいとさえ思うときもある。……だからここで働かせてもらって凄く助かる」
「王様なら政治もやるんでしょ? 時間は大丈夫なの?」
「だいたい夕方から夜にやるから問題ない」
朝からここで働いていて夕方から夜まで政務。それってかなり辛い日程ではないだろうか。ちょっと体調が心配になる。
ちゃんと睡眠はとれているのだろうか。過労になったりはしないだろうか。
そんな風に彼を見ていると、考えを読まれたのか苦笑気味に笑われた。
「いや、体調とかは問題ない。二、三時間の睡眠が取れれば大丈夫だから」
「二、三時間!?」
自分ならそれだけの睡眠じゃとても足りない。眠たくて頭が動かないだろう。
「慣れてるから」
「……慣れるものなの?」
「まあ」
アスランは特になんでもないように答えるが、普通の人達はもっと十分な睡眠をとる。
二、三時間で平気なんて、信じられない。
「アスラン、皿洗いはもういいからちょっと仮眠とって」
彼が拭いている皿を取り上げ、自分の仕事部屋の方を指差す。
「あたしの部屋にソファーがあるから」
「いや、いいよ」
マーヤの提案を即答で断るアスランを睨みつけ、容赦なく背中を押して自分の仕事部屋へ押しやる。
「今日からアスランだけお昼のこの時間は二時間だけ睡眠時間だから!」
二時間しか睡眠時間を与えてやれないが、少しくらい疲れも取れるだろう。
「え、でも」
「反論は一切聞きません。寝てなかったらクビだから」
高飛車にそう言い捨ててマーヤは一人、皿洗いの作業に戻った。