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ろじかる☆めいど

作者: ta1

「ねえ、最後にこれだけ聞かせて。メイドがこんなことをして、お父様が知ればただでは済まないわ。なのに、どうしてわたくしの味方なんかしてくれたの?」


     ☆


 私はロゼッタ。とあるお屋敷に仕えるしがないメイドです。好きなことは推理小説を読み散らかすことと、人を言い負かすことです。


 二階への階段を上がってそのまま廊下を奥へ進むと、前方に精緻な意匠の彫り込まれた大きな扉が見えてきます。いつ見てもご立派なこの扉は、ここがこのお屋敷の主人である旦那様のお部屋だということを示すものです。

 扉の前で立ち止まった私は、抱えてきたお盆を片手に持ち直し、こつこつ、と静かにノックします。

「娘はまだ見つからないのかッ!」

 返事の代わりに返ってきたのは、旦那様の怒声でした。ややあって薄く開いた扉の向こうから執事が顔を出します。

 細身の執事の影からちらりと室内を覗きこめば、扉に負けず劣らず豪奢な装飾の施された机に座り、電話をどやしつけている旦那様の姿が見えました。

「『有力な情報は何もない』!? もう一週間も経ってるんだぞ、この無能警察め! 『事件性が薄い』!? 駆け落ちじゃなくて誘拐だ! 娘は、メリッサはあの家庭教師に誘拐されたんだ! おいッ! 聞いてるのか!? もしもし! もしもーし! ――畜生!」

 まだ庶民には高嶺の花である電話の受話器を叩きつけながら高級机を容赦なく蹴飛ばした旦那様は、腕のいい職人が丁寧にしつらえた椅子を軋ませてふんぞり返り、苛立ちを隠すことなく盛大に舌打ちします。

「クソッ、だからどこの馬の骨とも知れないような貧乏学生なんか嫌だったんだ! あの教授が優秀な学生だと強く薦めるから仕方なく家庭教師として雇ってやったが、頭がいくら良かろうと流れているのは所詮貧乏人の薄汚れた血だ!」

 それからもう一度机を蹴飛ばし、執事を怒鳴りつけました。

「酒だ! 早くしろ!」

「只今」

 執事はそれでも慇懃に礼をすると、私からお酒の乗ったお盆を受け取って、さっさと戻れと目だけで合図をします。私はそれに従い、黙礼だけしてお部屋を辞しました。

 背中でぱたん、と扉が閉じます。

「メリッサもメリッサだ。あんな男に誑かされて、親の決めた縁談を反故にするとは。全く、先方に何と申し訳をすれば……」

 扉越しに聞こえてくるくぐもった酒枯れ声は自らの立場を案ずるばかりで、そこに娘への愛情のようなものは感じられません。

「……やれやれですわ」

 私は誰にも聞こえないように一つため息をつくと、そっとその場を離れました。


 ご覧の通り、このお屋敷では今とある事件が起こっています。

 その事件とは、一週間前の夜更けに、このお屋敷のご令嬢であるメリッサお嬢様が家庭教師の青年と失踪されたもので、世に言う駆け落ちというやつでした。

 かたや資産家のご令嬢、かたやただの貧乏学生であるお二人はいわゆる身分違いの恋をなさっていました。恋は障害が多ければ多いほど燃える、若い娘にありがちな勘違いです。

 その勘違いに冷水をぶっかけたのが、近頃お嬢様に舞い込んだ縁談でした。お相手は旦那様がお仕事で大変お世話になっている方のご子息だそうで、お話がお嬢様へ届いた時点ではもう、両家の間では式の日取りまで決まっていたのだそうです。

 結局、お嬢様は旦那様の面子よりも、ご自身の想いを優先されました。お嬢様は「やっぱり先生が好きです」と置き手紙を残し、家庭教師の青年と姿を消したのです。警察にも届けを出しましたが、まあ、あの有り様で、失踪から一週間が経つ今も依然お嬢様の消息は掴めないままです。


「せんぱ~いっ、大変ですぅ~!」

 二階から一階に降り、廊下を歩いていると、前方から子犬が走ってきて私のお腹に飛びつきました。

「ユリア、どうしたの?」

 いえ、子犬ではありません。小さいけれど、黒いワンピースに白いエプロンを掛けた、私と同じメイド服姿の人間です。私がお腹からその身体を引き剥がしながら尋ねると、ユリアと呼ばれた少女はやっぱり子犬みたいなまん丸の蒼い目に涙を浮かべて私を見上げます。

「せんぱ~い、助けてくださいぃ……」

 ユリアは私の後輩のメイドです。私より二つ年下で、今年十四歳になったはずですが、私の肩にも届かないくらいの低い背や、長い髪を高いところで二つに結んだ髪型、子どもじみた口調や仕草のせいか、もっと年下のように見えます。

「また何か失敗したの?」

 そして、彼女は仕事が出来ません。もうここに来て一年くらい経つはずですが、壊滅的に仕事が出来ません。それでも職を失い路頭に迷うことがないのは、このお屋敷の七不思議の一つです。

「今度はなあに? 食器棚のお皿を全部割った? それかお使いの帰りに食材を全部野良犬に食べられた? それとも……」

 だから、大方また何かやらかして先輩メイドに大目玉を食らったのだろう、と、その時は思っていたのですが……。

「違うわ!」

 反論はユリアからではなく、その前方、厨房の入り口のところで仁王立ちをしたメイドから返ってきました。ユリアが私のエプロンの裾をぎゅっと握りしめます。

「どういうことですの、マリー先輩?」

 私が呼びかけると、マリー先輩と呼ばれたその人は、カチューシャで前髪を上げた額をぴかっ、と輝かせ高らかに謳います。

「私の名推理でさっきようやくわかったの! 犯人はユリア、あんただってことがね!」

「な、何かの間違いですよぉ~!」

 マリー先輩が力強く繰り出した人差し指の射線上で、ユリアが身をよじって悲痛な声を上げました。推理小説の一場面でも演じているようですが、それにしては緊張感が足りません。

「……一体何の話ですの?」

 状況が読めずに首を傾げる私を見て、マリー先輩は興を削がれたようにがくっと肩を落としました。

「あんた、殺人事件だとかそういう物騒な本ばかり読んでる癖に察しが悪いわね……!」

「小説は作り話ですもの。名探偵だとか犯人だとか、そういうものが現実にひょいひょい顔を出していたんじゃたまりませんわ」

「それはどうかしら」

 そっけなく突き放す私に、マリー先輩は意味ありげににやりと笑います。

「例えば、今回の駆け落ち事件はあの色呆け娘と、身の程知らずの家庭教師が二人っきりで犯行を成功させたと誰もが思っているけれど、実はそこにもう一人、共犯者がいたとしたら?」

「……どういうことですの?」

 そこまで聞いてようやく、私はマリー先輩がいつものようにユリアの失敗を叱っているわけではないことを理解しました。続きを促す声がおのずとワントーン低くなります。

「というのも、この事件には一つ、不思議な点があるの。あんたも聞いたでしょう? あの夜、敷地の外につながる出入口は、正門も裏門も翌朝まで施錠されたままだった。このお屋敷は、一種の密室状態だったの。邸内の鍵は夜の間旦那様のお部屋の金庫で管理することになっているから、お嬢様が持ち出すことは不可能だったはずよ。だとすれば、お嬢様はどうやってこのお屋敷から逃げ出したのか? 警察も何よりそれを不思議がってたわ。――けれど私は気づいたの。もしお嬢様たちの駆け落ちを手引きした犯人がいたとすれば、お屋敷からの脱出は容易だった、ってね」

「それが、ユリアだっておっしゃりますの?」

「そう、その通りよ!」

 声を震わせる私に、マリー先輩は我が意を得たというように両手を打ち合わせました。

「わっ、わたし、そんなこと……っ!」

 ユリアが抗議の声を上げますが、すっかり名探偵を気取っているマリー先輩の耳には届きません。

 代わりに私が震えるその手を取ります。

「……わかっているわ、ユリア」

 ユリアの涙を浮かべた碧い両目が、絡めた指の先の私の顔を不思議そうに見上げました。

 マリー先輩は古株のメイドで、直接聞いたことはありませんが多分私たちよりいくつも年上です。だから、本来どんな理不尽なことを言われても、私達下っ端メイドが口答えを出来る相手ではありません。

 私だって自分の身は可愛いです。が、それでも、私にはこの後輩メイドの無実を証明してやる責任がありました。

 私はマリー先輩をまっすぐに見据えます。

「マリー先輩の言い分は分かりましたわ。けれど、ユリアがその犯人だと仰るなら、その根拠を聞かせていただけますこと?」

 私の挑むような視線にマリー先輩は一瞬苛立った表情を見せましたが、よっぽど自分の推理というやつに自信があったのか、ふんっ、と鼻を鳴らすと勝ち気に胸を叩きました。

「もちろんよ、名探偵マリーの名推理、聞かせてやろうじゃないのっ!」


「まず前提として、犯人はメイドなのよ。お嬢様とあの家庭教師がお互い好きあっているのを知ってたのはメイドだけだもの」

 そうです。お二人がただならぬ関係にあることを、少なくとも私たちメイドは知っていました。お嬢様の身の回りのお世話でお嬢様や家庭教師の青年と何かと接点が多かったことと、色恋に聡い若い娘たちが多いこと、女の職場でうわさ話は一昼夜かからずに広まることが主な理由です。

「しかもあんたたち若い子はお見合いが決まった時、悲恋だなんだと騒いでいたじゃない。動機としては十分じゃないの?」

「だ、だって、本当に好きな人がいるのに、親が決めたっていうだけで出会ったばかりの人と結婚しなきゃいけないなんてかわいそ……って先輩、痛いですぅ~……」

「あなたは少し、黙っていなさい」

 ユリアはつねられた手の甲をのんきにさすっていますが、マリー先輩の勝ち誇ったような笑みはそれでますます濃くなりました。

「そして、犯人がメイドであるならば、とある逃走経路が浮かび上がってくる」

 そう言って、マリー先輩は厨房の中に移動します。流し台の下にしゃがみこんで、そこに備え付けられた収納の扉を開くと、奥の方から何かを取り出します。

「この旦那様すら知らない合鍵の隠し場所を知っているのも、メイドだけ」

 その手に握られていたのは、二本の鍵でした。メイドである私たちはそれが何であるかを理解しています。

 だから先輩は私たちに声を掛けることなく厨房の奥へと進み、私たちもそれに続きます。

 マリー先輩はまず厨房の奥にある裏口に一つ目の鍵を使い、扉を開けました。

 さらにその扉から裏庭に出ると、今度は二つ目の鍵で裏門の鉄格子を開けました。

 裏門は、人通りの少ない裏通りに通じています。人目を避けてどこかに逃げ出すのにはぴったりでしょう。

「まあ、そういうわけね。先代の旦那様に仕えていたメイドが夜遊びに出かけるために作った合鍵らしいけど、今代のあの旦那様の下で使う輩がいるなんて思いもしなかったわ」

 マリー先輩はふふん、と満足気にほくそ笑みます。その笑顔の不気味さにおののいたのか、ユリアがびくっと跳ね上がって私の背中に素早く潜り込んできます。

「けれど、これだけの理由ならユリアじゃなくても、他のメイドにだって可能性はあるのではなくって?」

 ワンピースの腰辺りに張り付いたユリアを引き剥がしながら私が反論すると、マリー先輩はむしろ待ってましたと言わんばかりに歓声を上げました。

「これだけ、じゃないのよ、ロゼッタ! 裏口が厨房の中にある以上、厨房に他のメイドが残っている間は犯人が鍵を持ち出すことも、実際に犯行に及ぶことも不可能。必然的にその日最後に厨房を出たメイドが犯人ということになるわ。――あの夜最後まで厨房に残っていたのは、当番の皿洗いが終わらずに一人で厨房に残っていたユリアだった」

 厳粛に、しかし口元は他人を論破する愉悦に緩ませながらマリー先輩は告げます。

「よって、お嬢様の駆け落ちの手引きをした犯人はユリア、あんたよ!」

「――それは違いますわ」

 ずびっ、と何らかの光線を放たんばかりに繰り出されたマリー先輩の人差し指は、しかしユリアを射抜く前に急ブレーキです。

 きょとん、と見返す二人にサンドイッチにされたまま、私は続けました。

「だって、あの夜、私もユリアの皿洗いを手伝っていましたもの」

「あっ!」

 ユリアの表情がぱっと明るくなり、対照的にマリー先輩の表情はぐっと険しくなります。

「ロゼッタ、あんた、ユリアをかばってるんじゃないでしょうね」

 胸ぐらを掴まんばかりに威圧的に間合いを詰めてきたマリー先輩を、私は暴れ馬をいなすような気持ちで制しました。

「先輩、考えても見て下さい。ユリアがあの量の洗い物を一人でやっていたんじゃ、きっと朝になっても片付いていませんでしたわ」

「そんなわけっ……」

 マリー先輩は一瞬激高しかけて、

「……くッ、あるわね。ユリアだものね」

「そうですわ、ユリアですもの」

 普段散々見せつけられているユリアの仕事の出来なさを自分の中で否定し切れなかったのか、悔しげに爪を噛みます。

 私は追い打ちを掛けるように続けました。

「それに、私たちが部屋に戻った後厨房に忍び込んで事に及んだとすれば、他のメイドだって犯人になり得ますわ。だとすれば、これだけの理由でユリアを犯人だと断定するのは難しいのではなくって?」

 私がまっすぐ目を見ると、マリー先輩は唇を震わせながら「くっ!」と目を伏せます。

 決着が、つきました。

「仕事に戻りましょう、先輩。――ユリア、行くわよ」

 ユリアを促し、私は邸内へ踵を返しました。先輩はしばらく悔しげに唸っていましたが、

「ああっ! そうだわ!」

 突然の大きな歓声が裏庭いっぱいに響きました。その声音には起死回生の興奮と、ひらめきの快感が大いに含まれていました。

「ちょっと、ちょっとこっちに来なさい!」

 私たちは先輩に促されて、お屋敷の裏ではなく、側面の壁が見える位置に移動します。

「あれよ!」

 マリー先輩はその内、二階の端にある部屋の窓を指さしました。

「あれは?」

「物置部屋よ!」

 マリー先輩は鼻息荒く答えますが、私たちとしては「だからどうしたんだろう?」という気持ちでいっぱいです。

 そんな私たちの表情を見て、先輩は少し憐れむような調子で説明を始めました。

「もうっ、察しが悪いわね。あの部屋の窓からお嬢様は抜けだしたのよ。ロープか何かを垂らして。この面の窓からなら、裏門の鍵がなくても直接敷地の外に出られるわ」

「ああ、確かに……」

 マリー先輩の言うとおり、この面の壁は敷地をぐるりと囲う鉄柵が壁のすぐ近くに接していて、確かに二階の窓からロープを垂らせばそのまま敷地外に降りることが出来るでしょう。他の面の窓からであればそれをしたとしても、正門か裏門の鍵を持っていないのであれば、成人男性の背丈よりもうんと高い返し付きの鉄柵を乗り越えなければいけません。

 先輩の言い分は理論としては実行可能でしょう。でも、私の頭にはどうしても拭い去れない疑問が一つ。

「それ、本当にお嬢様に出来ますの? お嬢様は確かに手の焼けるお転婆ですけれど、それでも普通の女の子ですのよ? ロープを伝って窓から外に出るだなんて……」

 先輩は一瞬うっ、と言葉を詰まらせますが、すぐにやけくそみたいに叫びました。

「恋する乙女に不可能はないわ! ロープをドアノブか何かにくくりつけてお嬢様が窓から脱出した後、ユリアがロープを回収し、窓の鍵を閉める。完璧じゃない。――となればユリア、あなたの部屋を調べさせてもらうわよ。ひょっとしたら証拠となるものがまだ残されているかもしれない!」

 マリー先輩は一方的にまくし立てると、勢いのままユリアを引きずって邸内へと戻って行きました。

「せんぱ~い、へ、へるぷみぃ……」

 ユリアの涙混じりの断末魔がだんだん遠ざかっていきます。

「……無茶苦茶ですわ……」

 どうやら、マリー先輩はすっかりユリアが犯人であると思い込んでしまっているようです。けれど、ユリアが犯人であるはずはないし、そもそもマリー先輩の新しい推理は、どう考えても悔し紛れの言いがかりにしか聞こえない……と思っていたのですが……。


 今私の目の前には大蛇のようにとぐろを巻いたロープの山があります。長さも強度も十分で、やろうと思えば人間の一人や二人、二階の窓から脱出させることなんて容易いでしょう。

「何でロープなんて持っているのよ?」

 私が小声で問いただすと、ユリアは目の端に涙を浮かべ、

「わ、わたしの故郷ではロープを悪魔よけにする風習がぁ……」

「それマジで言ってますの?」

「大マジですぅ……」

 耳をぺったりと伏せた子犬のような風情でユリアはそう言いますが、マリー先輩の言いがかりよりもよっぽど荒唐無稽に聞こえてしまいます。若い娘の部屋からこんな立派なロープが簡単に出てくるものですか。

 何だかこうなると私もユリアが疑わしく思えるような気がしてきました。この子の無実は、私が一番理解している筈なのですけれど。

「やっぱり私の推理は正しかったのよ!」

 ユリアが青ざめている一方で、「証拠品」を見つけ出したマリー先輩はいきいきと額を輝かせています。

 今、私たちがいるのは件の物置部屋です。使われなくなった家具や、用途のよくわからない装飾品などが普通の部屋の半分ほどのスペースに詰め込まれています。

 マリー先輩は物置部屋だというのに無駄に立派で頑丈そうなドアノブにロープを括りつけると、自分の推理の正しさを誇示するように実演を始めました。

「このドアノブに片方のロープの端を固定してから、もう片方を窓の外へ」

 この物置部屋の窓は他の部屋とは違って天井に近い位置に換気と採光のための窓があるだけですが、窓際にはおあつらえ向きに机が置かれており、さらにその上にその辺に転がっていた椅子を積んで踏み台にすることで、マリー先輩はやすやすと窓を開けました。窓自体のサイズも、特別大柄な人間でもなければ十分に出入りは出来そうなものです。

 マリー先輩がロープのもう一端を窓の外へと放ると、室内でたわんでいたロープがするすると窓の外へと流れていきました。

 ロープが地上に辿り着いたのを確認して、マリー先輩は一人満足気に頷きます。

「お嬢様はこれを伝って窓から脱出し、愛の力で無事敷地の外に降り立つ。後はユリアがロープを回収し、窓を閉めて鍵を掛ける。完璧だわっ!」

 マリー先輩はてかてかと額を輝かせて自画自賛しますが、私としてはやっぱり普通の女の子がロープを伝って窓から脱出するなんて、いくら恋する乙女に不可能がなくても、現実的には無理があるように思えるのですが……。

 けれどマリー先輩はそんな私の懸念など知らず、再び意気揚々と宣言します。

「観念なさい、ユリア。お嬢様の駆け落ちを手引きした犯人はやっぱりあんたなのよ!」

 「それは違いますわ」とは、今度は言えませんでした。「愛の力」を言葉で論理的に否定することはなかなか難しいことですから。

 でも、そうも言ってはいられないようです。

「さあ、来なさい! 旦那様があんたの悪事を知れば、ただで済むとは思わないほうがいいわ!」

「そ、そんなぁ! わたしの仕送りが止まったら、故郷の弟妹たちがぁ~!」

 マリー先輩は怯えるユリアの細い手首をむんずと掴みました。小柄なユリアはその分体重も軽く、このままではあっという間に旦那様の前に突き出されてしまうでしょう。短気で独善的な旦那様なら、マリー先輩の推理も鵜呑みにしてしまうかもしれません。その場合ユリアは……クビで済めば、まだ良い方でしょう……。

「せ、せんぱ~い、助けてください~!」

 ユリアがじたばたもがきながら涙目で私に手を伸ばしました。

 改めて言いますが、ユリアは断じてお嬢様の駆け落ちを手引きした犯人ではないんです。それは私が一番よくわかっているんです。

 だから、私は部屋の中から「ユリアが犯人ではない理由」を探し出そうとします。

 それは、真実じゃなくたっていいんです。マリー先輩がユリアが犯人だと言い張るのを諦めてくれれば――マリー先輩を言い負かすことさえ出来ればそれでいいんです。

 部屋のある一角に目をやったとき、果たして私はそれを見つけ出しました。

「……マリー先輩、やっぱりユリアは犯人ではありませんわ」

 努めて静かな声で告げると、マリー先輩はユリアにヘッドロックを極めながら目を三角にします。

「はあ!? 証拠見せなさいよ! 証拠!」

「やってみればわかりますわ――ユリア、ちょっとあの窓、もう一度開けてみてくれる?」

「は、はいぃ~」

 マリー先輩が訝しみながらもユリアを開放すると、ユリアは言われたとおりに窓際に寄って行きます。まず腕で踏ん張って机の上に這い上がると、次に座面に膝をつきながら椅子の上へ。危なっかしくも何とか椅子に立ち、窓の鍵を開けようと手を伸ばします。

「えいっ」

 ……が、伸ばした手は空を切りました。

「あれっ? えいえいっ!」

 爪先立ちでうんと腕を伸ばしてみますが、届きません。

「え、え~い!!!」

 意を決してジャンプ一番、窓枠に飛びかかってみますが及ばず、それどころか着地を誤って椅子を蹴倒してしまいます。机から落ちた椅子がけたたましい音を立てて床に転がり、それから一拍遅れてユリアがびたん、と床に尻もちをつきました。

「せ、せんぱ~い、おしりが痛いですぅ……」

 床にぺったりと座り込んだままユリアが涙目で振り返ります。私はそんなユリアを黙殺して、マリー先輩へと向き直りました。

「というわけです、先輩。ユリアは決して、お嬢様の駆け落ちを手引きした犯人なんかじゃありませんわ」

 小柄なユリアでは、机や椅子を踏み台にしても、天井に近い位置に付いているこの部屋の窓を開閉することは出来ないのです。となれば、マリー先輩の考案したトリックはユリアには実行出来ないことになり、晴れてユリアの無実が証明されることになります。

「――なによなによなによ!」

 けれど、マリー先輩は自身の推理が言い負かされたことを認めませんでした。いえ、推理が言い負かされたのが分かったから、あとは勢いで押し切ろうという腹みたいです。

「言わせておけばロゼッタ、あんた、さっきからやたらとユリアを庇い立てるけど、何か理由があるわけ!? ひょっとして、あんたらがグルになってお嬢様をッ……!」

「マリー先輩」

 我ながら、会心のタイミングでした。

 私がぴしゃりと叩きつけた呼びかけで、マリー先輩は一瞬言葉を失いました。すかさずその間隙を奪い取り、会話の流れを私に引き寄せます。

「さっき、旦那様のお部屋に行った時、旦那様が警察の方とお電話をされていて、その時私も知ったのですけれど、あの夜の夕食後、旦那様がふとそういう気分になって散歩に出かけられたそうなんです。ただ、本当に思いつきの行動だったから、自分が出かけた後、執事に戸締まりをするように言いつけるのを忘れたそうで……。旦那様も些細な出来事だったから今日になってやっと思い出したそうなんですが、警察の方が言うにはお嬢様はその隙を付いて家を出られたのではないかと」

「えっ」

 わざと畳み掛けるようにまくし立てる私に、マリー先輩は気圧されているようでした。

 他人を言い負かす時に肝要なのは、中身ではなくタイミングと雰囲気です。例えそれが真実ではなくても、相手が反撃の言葉を失ってしまえばそれで私の勝ちなのです。

「ですから、マリー先輩」

 夢と現実の境を見失っているような呆け顔でぽかんとこちらを見返すマリー先輩に、私は少し挑発するように告げます。

「いもしない幽霊の尻尾を掴もうとするより、お嬢様が無事帰ってくるようにお祈りでもなさっていたほうが賢明ではないかしら?」

 これがとどめでした。

 わざとらしく十字を切って見せる私に、さっきまでぴかぴかと誇らしげに輝いていたマリー先輩の額が見る間に真っ赤になっていきました。それでもマリー先輩の口元は往生際悪くわなわなとうごめいていましたが、とうとうキィッ、と鳥の鳴き声みたいな声を上げました。

「わかったわよ! そうね! その通りよ! ――ユリア!」

「は、はいぃ!」

 鋭く名前を呼ばれ、びくりと身をすくめたユリアに向かって、

「疑って悪かったわね!」

 大音声で竹を割ったように気持ちよく言い捨てると、マリー先輩はそのまま物置部屋を出て行ってしまいました。ずかずかずかと暴力的な足音がだんだん遠ざかっていきます。

 その足音が聞こえなくなったのを確認してから、私たちは物置部屋から廊下に出ました。

「先輩、ありがとうございましたぁ~」

 さっさと仕事に戻ろうとする私に、尻尾を振って飼い主に服従する子犬のようにユリアがまとわりついてきました。私はユリアの身体を引き剥がしながら、努めてなんでもない顔をして応じます。

「いいえ、当然のことをしたまでよ」

「マリー先輩ってなんだか迫力のある人だから、わたし、いつも気迫に負けてしまうんですぅ……」

「あら、勿体無い。あんなに扱いやすい人なんて他にいないわよ?」

「ほえ?」

 きょとんとするユリアに、私は振り返りもせずに続けます。

「だってユリアを犯人だとすっかり思い込んでいて、他の人物が犯人であることなんて全く眼中にないんですもの。――あの夜、最後に厨房を出たのはユリアだけじゃないのに」

「あ、あのう、先輩、それはどういう……?」

 さすがのユリアも不穏な空気を感じ取ったようですが、理解しているというよりは嫌な予感を振り払えずにいる様子で、おどおどとこちらの表情を覗きこんできます。

 私はそんなユリアに微笑んで言いました。

「私も所詮、若い娘でしかなかったってところかしら。――私のせいで濡れ衣を着せられてしまって、ごめんなさいね」


     ☆


「それは――お嬢様があんまりにも悲観的なことばっかり仰るから、言い負かしてやりたくなったんですの。やれ『運命だもの、仕方ないのね』、だとか、『喜んで殉じなければ、神様が決められたことだもの』だとか、聞いている方が恥ずかしいですもの。そうです。それだけのことです。そうに決まってますわ。

……だから、そんな顔なさらないでくださいな、お嬢様。色んな方に迷惑を掛けて行くのだから、もっと悪い顔しなくっちゃ。……そう、そうです。――どうぞ幸せになってくださいな、お嬢様」

(了)

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