第四章 真実はいつだってくだらない 【1】
降霊術に必要なものはほぼ揃った。あとは月が欠けきるのを待つだけだ。曇り一つ無い新月の深夜。これが降霊術を行うのに最適な条件だ。
僕達はそれまでの間、エルザの計らいによりローレシーク邸で過ごすこととなった。主は薬師としてのジンガの手伝いをしたり、セイルの話し相手になったりした。僕のほうもお気に入りの場所を見つけたり、爪とぎに最適な大木を発見したりと結構充実していた。
使用人の顔見知りも増え、僕が日向ぼっこをしていると名前を呼んでくれたり、エサをくれたりと良くしてもらえるようになった。昼寝している時に頭をわしゃわしゃと撫でてくるのはちょっと止めてほしかったけど。
エルザとセイルの関係は表面上は変化を見せなかった。けれど、主が繋いだ水鏡の道を使って、僕達をまぜてこっそりと交流をするようになっていた。最初はぎこちなかった二人だったが、徐々に打ち解けていってるみたいだった。
和解したのがきっかけとなったのか、セイルは少し明るくなった。主の話だとよく笑うようになったらしい。自分から使用人に声をかけたり、仕事を手伝いに行ったりしているセイルの姿を、僕もちょくちょく目にする。
ただ、正妻だけはダメだったようだ。エルザが前よりも間に立つようになったが、やはりセイルに良い感情を持てないでいるらしい。
こればっかりはどうにもならないと、ジンガも苦笑しながらそう言った。だけど、降霊術がきっかけで変わってくれるかも知れないとも言った。僕達が出来ることは、最悪のパターンにならないように祈るしかない。
そして、ついに降霊術決行の夜がやって来た。降霊術用の服に着替えた主に引きつられ、僕達は屋敷の中庭に立っていた。
「どーしよー。わーん、どうしようラース」
急に主が僕に泣きついてきた。どうやら緊張が頂点に登りきっているようだ。僕を抱きしめる主の腕に力がこもっていた。少し、苦しい。
「始まっちゃうよーついに始めちゃうんだよ」
そんなこと言っても、仕方がないじゃないか。主は了承しただろ。降霊術をやりますって。
「そうだけどさ、やっぱりなんかあれなんだもん。体、むぞむぞするんだもん」
どんな状態だよ。呆れつつ、僕はため息を零した。主は本当にこういった魔術が好きじゃないんだな。どうしてそこまで嫌がるのかと、僕は主に訊ねてみた。
「だってこの格好に、やってること! どう見ても悪い魔女じゃんかー」
今の主が着ているのは、漆黒のローブ。その背中には怪しげな紋章が濃い紫の刺しゅう糸で縫いこまれている。さらには主の顔には、黒い文字みたいなのがごちゃごちゃと書かれている。薬草から絞り出した塗料で書いたものだ。ローブを着込んでいて見えないが、顔以外の全身にもそれはある。
首からは水晶だの魔石だのを下げ、手首には銀の腕輪。明かり一つない闇夜の中でそれらが怪しい光を放っている。
傍目から見れば、完全に怪しい人だ。
ちなみに僕も術具の一つである首輪を付けさせられている。ところかしこに砕かれた魔石が縫い付けられていて結構重い。
「私、こういうことするために魔女をなったわけじゃないのに」
しょんぼりと主はうつむく。主が魔女となる志願動機となったのは「綺麗なお花をいっぱい咲かせて、皆を笑顔にしたいの」とかいう平和的というか、お花畑的なものだったらしい。が、皮肉なことに主にあった才能は対極方向の魔術であった。神の悪戯ってこういうこと言うんだなと僕は思う。
けれど、今はそれが人の役に立ちそうな状況じゃないか。
「そ、そうかな?」
結果よければ全て良しだよ。主がこういった魔術を苦手としていたら、セイルは悩んだままだったじゃないか。この屋敷の人たちだってはっきりしないまま対立を深めていったかもしれないし。
「そっか。うん。よし! 私がんばるよ、ラース」
主は力強くうなづくと、立ち上がってぐっと拳を伸ばした。よしよし、やる気になったようだ。本当にのせるのが簡単な主だ。
僕が内心ほくそ笑んでいると、二人分の足音が近づいてきた。ジンガとセイルだ。
「こっちは準備出来たぞ、リュノ」
ランタンを右手も持ち、ジンガはにやりと笑った。その隣にはセイルがいた。
「セイル様はなかなか魔術の筋がよろしいですな! 俺が少し話しただけですぐに理解なさる」
「いえ、ジンガさんの教えが良かったからです」
謙遜しつつも、セイルはまじまじと主の姿を見つめていた。そりゃ初見の人間はぎょっとするよな、あの格好は。でも出来れば、そこに触れないでいただきたい。せっかく主が乗り気になっているのだから。
「セイルくん。私、がんばるから。だから心配しないでね」
主が先に口を開いた。良かった。セイルが主の身なりの感想を言う前で。彼は主の言葉に、強張った顔をゆるめて静かにうなづいた。
「頼むぞ、リュノ。お前の力だけがこの屋敷を解決出来るのだからな」
「うん。任せて、ジンガ兄さん」
決意を新たにする主。これでもう泣きごとなんか言わないだろう。
後はこの場で屋敷の皆が来るのを待つだけだ。夜風が少し寒かったが、屋敷の人間全員が入りきる部屋が無かったのだ。仕方ない。でもやっぱり寒い。こういう時ほど、長毛種に生まれれば良かったと思うことはない。
やがて、屋敷からぞろぞろと人が降りてきた。見知らぬ顔も何人かいる。その中で一際威厳を放つ老年の女性がいた。あれが正妻か。エルザに似ているが、彼女よりも性格がキツそうな顔つきだ。
「待たせたな」
先頭に立っていたエルザが口を開いた。
「リュノ嬢、改めて私からもお願いしたい。私の父をこの場に呼び戻してくれ」
「はい」
返事をすると、主は人々の前に立った。そして、これから行うことの説明を始める。自分が魔女であること。セイルから依頼を受け、その流れでこの屋敷にやって来たこと。それらも全て主は口にした。少しのざわめきもあったが、特に混乱は無かった。エルザがあらかじめ屋敷の中で説明してくれていたのだ。
正妻が何か反応を見せるかと思っていたが、彼女は黙って主の話に耳を傾けている。
「では、始めます」
主がくるりと背を向けた。僕もそれにならう。
僕達の眼前には、大きな噴水があった。その傍らに小さな祭壇が設置されている。ジンガとセイルが用意してくれたものだ。主はその前に達、右手を掲げる。そこから銀の首飾りが落とされた。が、首飾りは祭壇の上に落下せず、淡い光を放ちながら宙に浮かんでいる。
主の口から呪文が紡がれ始める。呪文というよりも歌に似ていた。それに合わせて主の首から下げた魔石が光る。連動して僕の首飾りの石も輝き始める。ちょっと眩しいが、今は我慢だ。
風が止んだ。木のざわめきが消え、フクロウの鳴き声さえも耳に届かなくなる。この場に響くのは、主の声のみだ。
祭壇で灯されていた五本のろうそくの火が揺れる。主が呪文を唱えれば唱えるほど、その揺れは激しくなってゆく。そして、不意にろうそくから火が消えた。同時に背後から小さく悲鳴が上がった。恐らくランタンの明かりが勝手に消えたんだろう。
「さぁ、還れ。ここはそなたが歩んだ地。そなたの紡いだ血。肉体から解き放たれた魂よ、還ってくるがよい。私が許す。神々の鎖は、もはや意味を為さない」
最後の一節を主は唱え終わった。すると、中に浮いたままの首飾りの光が強くなった。そして、光は大きくなってゆっくりと人の形を作り出す。ぼやけていた光の塊は、やがてその輪郭をはっきりとさせる。
光は神経質そうな男の姿になっていた。後ろから旦那様! という声が聞こえた。
「はじめまして、領主様。私はリュノ・コルテスと申します」
主が自己紹介をする。これも儀式の一環によるものだ。
「急なお呼びをして、申し訳ございません。少しの間、お話をお願いします」
『おぉ、ここは私の屋敷か』
夢見心地といった口調で故ローレシーク卿が声を出した。彼の声は、この場にいる人達全員の頭の中に直接響き渡っているはずだ。霊の声は口で会話というより、思念で会話といったほうが近い。
「領主様、お訊ねしたいことがございます。あなた様の後継者となる人物は一体どなたですか?」
核心を主は訪うた。背後からは固唾を飲む気配を感じる。
だが、領主は主の質問を耳にしている様子は無かった。キョロキョロと辺りを見渡している。何かを探しているのか?
やがて彼の視線が一つに止まった。僕は思わず視線の先を見てしまった。そこにいたのはセイルだった。
『おお、セイル! 私の大切な息子よ』
きっと領主はその身が動かせていたのなら、駆け寄ってセイルを抱きしめていただろう。それくらい弾んだ声音だった。だが、それで決まってしまった。
領主が選んだ後継者は、セイルだ。
皆もそう思ったに違いない。エルザが諦めたように小さく息を漏らしていた。
当のセイルは困った表情をしていた。そりゃ本人はその気が無かったもんなぁ。けどこれで異議を唱える人はいなくなるだろう。僕は素直にそう思った。
「どういうつもりですか、あなた!」
耳をつんざくような女の怒号に、僕の体はびくっと震えた。
正妻の怒鳴り声だった。彼女は怒りを顔に露わにさせて、つかつかとこっちにすごい速さで寄って来る。主と僕は迫力にその負けて、彼女に道を譲ってしまった。その間を、使用人数人がが彼女をなだめようと後を追って来る。
領主の前にたどり着いた正妻は、整えられた髪が乱れているのも気付かない様子で声を張り上げる。
「エルザは? あの子はどうなるのですか! あなたが無理やりあの子を男と同じように育てさせ、それでこの扱い。あなたそれでもあの子の父親ですか!」
『黙れ! 私の子はセイルだけだ! たとえ血が繋がってなくともセイルは私の大事な息子だ』
「そんな言い訳を誰が……え?」
時が止まった。本当にそんな気がした。僕も、他の皆も何も言えなかった。セイルが後継者に選ばれるのは少しは予想出来ていたけど、血は繋がっていないと告白されるのは考えもしなかったからだ。
というか、セイルは大丈夫なのか? 父親じゃないと領主の口から明言されてしまったんだぞ。僕はすぐにセイルを見た。彼の顔は真っ青になっていた。今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「セイルくん!」
すぐに主が彼に駆け寄る。主はセイルの手を掴み、なんとか彼気を持たせようとした。
『セイル、大丈夫か? ああ、なんと痛ましい表情を……』
あんたは黙っとれ。本っ当に今日ほど人の言葉で喋れたらと思うことはない。
「お黙り! それよりもあなたは事情を説明しなさい。こんなくだらない騒ぎを巻き起こして、よくもまぁそんなしおらしい口が利けますね!」
『黙れ黙れ! お前こそ何だその口の利き方は! これだからお前のような女を妻にしたくなかったんだ』
「お二人とも、少々落着きを。お口が過ぎますよ」
白熱する夫婦喧嘩に割って入ったのは、ジンガだった。
「薬師、お前は下がってなさい」
睨む正妻の視線に怯まず、ジンガは一歩みを繰り出す。その姿を、僕は少しカッコイイと思ってしまった。
「いいえ、奥様。今は先に、領主様が何故セイル様をご自分の息子だと主張するのかをお訊ねしましょう」
「……分かったわ」
お、思ったよりも聞き分けがいい人なんだ。横で満足げにうなづく幽体のおっさんよりも、僕は好感が持てそうだ。
正妻が静かになると、ジンガは領主のほうへと向きなおす。
「では、領主様。ご説明を」
『うむ、あれは私が七つの頃であった』
【続】