第三章 姉と弟 【2】
いきなり頭を下げた主に、セイルは目を白黒させた。
「セイルくんの依頼、受けることは出来ないの」
「そんな、どうして」
「でも、その代わりにこういうことはどうかな」
主は全てをセイルに話した。大体はジンガの部屋で話し合った内容の復唱なのだが、これを話すということはセイルがジンガたちに踊らされていたということを伝えるということだ。ジンガだったらきっと上手にその部分だけ切り取っても不自然のないように伝えれただろう。が、残念なことに主は兄弟子よりも弁が立たない。
本当ならジンガを連れてきたかったのだが、薬師の仕事があるとかで来れなかった。本当は仕事じゃなくて逢引でもしてるんじゃないかと僕は思っているのだけど。
下手に嘘を付くよりもと、主は包み隠さずに丁寧に説明した。ところどころでつっかえていたが、主にしては上出来だった。
セイルは何も言わない。黙って主の話に耳を傾けている。
「だから、セイルくん。お願いします」
「リュノはどう思う?」
主の頼みを、セイルは逆に問い返した。
「僕は本当に父の、領主様の子供だったのかな?」
主は答えられない。
「正直言ってさ、僕はそっちのほうが怖いんだ」
鈍く光る首飾りを、命綱のようにセイルは握り締めた。今の彼は、まるで道に迷った幼子にように見えた。
「ずっと父さんが欲しかったんだ」
「セイルくん……」
主は慰めようとしたらしいが、良い言葉が見つからなかったらしい。結局黙ってしまう。
「母さんと二人で暮らしていていろいろと大変だったけど、それでも楽しかったし不満は特には無かったよ。けど、やっぱり時々思ったりしたんだ。どうして僕には父さんがいないんだろうって」
だから領主が自分の父親だと名乗り出てくれた時、嬉しく感じたと彼は言った。
ポツリポツリと語るセイルの姿は見ているだけで痛々しく、僕は思わずうつむいてしまった。
きっと彼はまだ整理しきれてなかったのだろう。母の死も、突然現れた実の父のことも、自分の出自でさえも。いかに周囲が、領主がセイルを溺愛していると見ていてもセイル自身は不安が拭いきれなかったのだろう。
急に振って沸いた幸運をすぐさま受けいれられるほどのしたたかさも、セイルは持っていなかったのだろう。
「父の霊は、本当のことしか話さないんだろう? だから、もし僕が本当の息子じゃなかったって言われたとしたら僕は……」
屋敷から追放さることより、我が身に呪いをかけられることよりもセイルにとってはそのことが恐ろしく感じているのだろう。言葉を詰まらせるセイルに、主が口を開いた。
「大丈夫だよ」
主の両手がセイルの手をそっと包み込んだ。
「だって皆が見てたんでしょう? セイルくんのお父さんが、あなたのことを本当に大切に接してくれていたってことを。だからきっと大丈夫だよ」
まっすぐに主はセイルを見つめたままで言葉を続ける。ジンガと違って飾り気のない率直な言葉だが、今のセイルには主が伝えたいことがちゃんと伝わることだろう。
「もし万が一があったとしても、少なくとも私とラースは変わらないよ。きっとジンガ兄さんも、エルザ様も」
「エルザ様が?」
意表を突かれたらしく、セイルが驚きの声を上げた。無論、僕もだ。何故、主はエルザの名を上げたのだろう?
「だって、エルザ様はどこか無理している感じがするから」
おいおい主、一体今まで何を見ていたんだ。エルザがセイルに対して放った発言、行動。全てが凍てついたものだったじゃないか。
僕の指摘に主は首を横に振った。
「ううん。エルザ様、いろいろと不自然だったもの。きっとセイルくんにわざとセイルくんに辛く当たってるんだと思う」
言われてみれば、いくつかそんな節々あった気がする。が、本当にそうなのだろうか。あの時の「私はアレが気に入らない」というエルザの言葉。僕にはそれが演技だと思えなかった。
セイルも素直には主の話を受け入れ辛いといった様相だ。半日しか会話してない僕達よりもエルザについてよく知っているのは彼なのだから、当然だろうな。だけど、もしかしたらそれがかえって真実に辿り着きにくいということなのかも知れない。
エルザとセイルは端的に言ってしまえば、敵同士の間柄だ。お互いにそう思ってないとしても、やはり偏見が入ってしまうのかもしれない。
僕が延々と思案していると、部屋の中央に放置されたままの皿がカタカタと音を立て始めた。その動きは先ほどよりも強いものだ。
「な、なにが起きたんだ?」
怯えるセイルに主は大丈夫だと語りかける。
「きっと向こう側からこっちに誰かが通って来てるんだと思うんだけど」
その割りには振動が激し過ぎる。このままでは皿にヒビが入ってしまうのではないか?
そうこうしているうちに大きな水柱が立った。ばしゃりと飛沫を立ててそこから現れたのは、ジンガだった。
「よぉ。邪魔しますよ、セイル様」
軽い調子で手を振りながら、ジンガは皿から離れた。水柱は未だに立ち上ったままだ。ジンガがそこから右手で何かを引き寄せる仕草をする。すると、水柱からメイドが一人現れる。
……ジンガ、やっぱりお前は逢引に行っていたんだな。
「なーんかラース、俺のこと誤解してね? お前の視線が痛いんだけど」
おや。珍しく僕の真意が伝わったようだ。
「ジンガ兄さん、さっき仕事があるって」
「ああ、仕事だったんだよ。さ、どうぞ」
ジンガが恭しくメイドに礼をした。メイドは戸惑う素振りを見せている。チラチラと大きな眼鏡越しに青紫色の瞳がセイルのほうを覗いている。
ん? 青紫色の瞳……。
「ひょっとして、エルザ様?」
主の問いにメイドがコクリと頷いた。
「え、えええええええ!」
「しっ。声が大きいぞ、リュノ。一応の変装されているが、誰かに見つかったら面倒だろう。……エルザ様、俺が出来るのはここまでです。あとは自分の言葉でお話ください」
「わ、分かった」
間違いなくエルザの声だった。昼間の人物とは結びつかないほどのおぼつかない足取りで、彼女はセイルに向かって歩き出した。
エルザが近寄るに連れてセイルの表情は強張ってゆく。
「セイル」
エルザが初めて彼の名を口にした。そして続いた言葉に僕達は仰天する。
「セイル、私はお前が嫌いだ」
一気にセイルの顔が悲しげに歪んだ。ひょっとしたら、エルザから直接敵意を口に出されたのは初めてだったのか?
「エルザ様! どうし──」
主の口はいつの間にか後ろに回っていたジンガの両手によって塞がれていた。そして、そのままズルズルとセイル達から引き離される。もがもがと抗議の声を放つ主の耳元で、ジンガは何かを耳打ちした。すると主は渋々といった様子で黙り込んだ。
エルザは深呼吸一つすると、喋りを再開させた。
「どうしてお前だけが父上に可愛がられるんだ。……いつも思っていたさ。私だって父上の子なのに、父が私とお前を見る目は全然違う。かけてくれる声の柔らかさが違う。笑顔だって、父上はとうとう私に一度も見せてくれなかった。それが悔しくて悔しくて、たまらなかった」
悲痛な告白だった。きっとエルザも父親からの愛情が欲しくて仕方なかったのだろう。セイルと同じで。
エルザの声は濡れていた。もしかしたら、泣いているのかも知れない。彼女の背後にいる僕たちには、その表情が見えない。
「父上がお前を可愛がる姿を見る度に、苦しかった。父上は本当に私のことを愛してはないのだなと思い知らされたのだからな」
「申し訳、ございませんでした」
謝るセイルの頭にエルザの手がそっと伸び、そのまま彼を撫でた。驚き、彼はすぐさま顔を上げた。
「まぁ、それが娘としての私の本心だ。私とお前と同じ年頃だったのなら、ずっとお前が憎くて堪らない状態だっただろう。だが、さすがに一回りも離れているとな。うん、いろいろと余裕が出来てくるのだよ」
そうして、今度はエルザが頭を下げた。
「すまなかった。母上の命とは言え、お前に辛く当たってしまった。それでも、ほんの少しはお前が気に入らないと思っていたこともあった。だから、許してくれとは言わない」
「そんな、僕のほうこそエルザ様達のお気持ちも知らずに……ごめんなさい」
「お前が謝ることはない。ただ、私が少し意地を張りすぎていただけなのだから」
なんだか、和解し始めている。あっという間の急展開に僕はポカンと口を開いたままだった。そんな僕の耳にジンガが安堵の息を吐く音が届いた。
「やれやれ、とりあえずこっちは解決したか」
「仕事って、エルザ様をセイルくんと仲直りさせることだったの?」
ゆるんだジンガの手の間から、主が小さく訊ねた。彼はそれに頷く。
「呼び出した領主殿がどう答えたにしろ、あの二人は今後も顔を合わせてくいくんだ。しこりを残したままで過ごさせるのは大変だろ。ま、すぐに仲良くとはいかないだろうけどな」
僕が廊下を激走していた頃と同時刻、ジンガはエルザを説得していたらしい。セイルに自分の本心を伝えるべきだと。
「前々からお話はしていたんだけどな、ようやく今日動いてくださった。セイル様のほうが受け入れてくださるか心配だったが、そっちはリュノがフォローするだろうから任せておいた」
「私、そんなこと聞いてなかったんだけど」
ジンガは恐らく主のお人好しさに賭けたんだろうな。主はエルザに対して悪印象は持っていなかったようだし。ジンガが自らの思惑を主に黙っていたのは、主は嘘が下手だからだろう。それと、次期領主問題に関して関係のない第三者の言葉のほうがセイルの心に届きやすいと考えたんだろうな。
またまたコイツの計画通りに事を進めさせられてしまった。それがちょっと釈然としないけど。
「まぁ、俺がやってきたことは全部下地作りだ。要は裏方。お前達は主役なんだから、最後に堂々と登場してもらったというわけだ」
物は良いようみたいな発言をしやがって。
「主役だなんて、そんな。私、まだまだ未熟だよ」
本当に主はおだてに弱いな。全く、僕がしっかりしていなくちゃ。悪人にでも騙されたら大変だ。
「そっちの話し合いは終わったか」
目元を赤くさせたエルザがこっちを見ていた。その隣にはセイルがいる。その表情には、もう暗いものなんてなかった。きっともう彼は自分を呪って欲しいなんて発言はしないだろう。
セイルが主の前までやって来る。そして、主に向って手を差し出した。足元から覗いている僕には、それが何かは見えない。けど、その手の上にあるのは彼の首飾りなんだろうというのは分かった。
「父さんを、僕達の父と話をさせてください」
改めてのセイルからの依頼。主は少しの間黙って、やがてこくりと頷いた。
【続】