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第二章 ローレシーク邸にて 【1】

 主が店を構える森を抜け、馬車で揺られること数十分。僕らはローレシーク家の屋敷門前まで来ていた。

 道中はジンガとおっさんたちの談笑がうるさいぐらいで特に何も無かったのだが、ここに来て問題が発生した。

 門番によって、主に対しての立ち入りが咎められたのだ。時期的によそ者の対応が厳しいのだろう。馬車内での会話でもなるべく人の出入りを控えている状態になっていると言っていた。食料などの調達も宅配ではなく、最近はもっぱら使用人たちが街まで買い物に行っているらしい。よほどの事情が無い限りローレシーク家関係者以外は屋敷内までは立ち寄らせないらしい。どろどろとした内情を知られたくないからだろう。

 おっさんたちが門番に向かって「やれ最近の若い者は融通が利かない」だの「坊ちゃまの命の恩人を蔑ろにする気か」だのやいのやいのやっていたが、無駄だった。……いや、完全には無駄では無かったな。いかつい顔した若い門番はおっさん達の剣幕のせいで涙目になってしまっている。彼はただ職務を全うしているだけなのに。可哀想に。

 こんな辛そうな状況でも、「奥様のお許しがなければ」と言い張った彼は優秀だと感心する。おっさん達はまだブーブー言ってるが。

 事態は膠着したままになるかと思われたが、違った。

「安心してくれ、リュノは正真正銘俺の妹だって」

 ジンガが動いた。胡散臭さは変わりないが、口達者なコイツに任せれば、まぁ何とかなるだろう。なのに主は心配そうにジンガを見つめている。主はいい加減、ジンガの本性に気づいて欲しい。

 門番は相変わらず首を振る。

「ですが薬師殿。失礼ですが、貴方と妹さんはあまりにも……その」

 彼の言いたいことは分かる。

 ジンガの容姿は猫の僕から見ても美形と断言出来る容姿だ。対して主はごくごく普通の顔立ちである。髪質も目の色も違う。疑われない方がおかしい。

 不安からか、僕をかかえる主の手に力がこもった。

「やれやれ、失礼だな。君は」

 ジンガの緑の双眸が潤んだ。長いまつげを落とせば、一見悲哀そうにも見える。そんな視線を当てられて若い門番はたじろいだ。

「みなまで言わせるつもりかい? 同じなんだよ、エルザ様と」

 先ほどの大げさなものと打って変わって、静かな演技だった。顔付きや声、全てに耐え難い怒りが溢れ出している。対した役者振りだ。真実を知っている僕ですら、うっかりとジンガの話を信じそうになる。

「そう言って多くの人間が、俺達に偏見の目を向ける。俺はただ妹と共に過ごしたいだけなのに」

 門番は気まずさからか、目を泳がせている。きっと彼は心中、目の前の人物の古傷に触れてしまったと後悔しているに違いない。

 きっと彼は見かけによらず心優しい人物なのだろう。なんだか僕の良心が痛んだ。

「申し訳有りませんでした、薬師殿」

 深々と頭を下げる彼に、ちょっと同情する。

 クリフの表情はいよいよ悲しみに満ちたものへと変わり、門番の肩にそっと触れた。

「いや、いいんだ。俺こそ大人気なかった。……駄目だな、俺は。こんないい年になっても冷静さを保てないとは」

「そんなことは有りません。家族を思うその気持ちは痛いほど分かります。自分も年離れた妹と並んで歩いてますと、少々視線が痛い時がありますので」

 もしかして、ジンガはそれを知っていてこんな演技をしたのだろうか? だとしたら本当に酷いぞ、この悪魔。

「ですが、やはり許可は出来ません。例え身内であっても通すなと奥様に命じられておりますので」

 ジンガの話術を持ってしてもダメだったか。僕が諦めた時だった。馬のいななき声に合わせて、女の声が振ってきた。

「どうした。門限破りの締め出しでもくらったのか?」

 凛とした声だった。思わず僕はヒゲをピンッと張ってしまった。女は切れ長の目を細めて、馬上から楽しげに僕たちを見下ろしていた。

 妙齢の女性に相応しくない男物の服を、彼女は完璧に着こなしている。色素の薄い髪は長く伸ばされて、後ろで軽く結われていた。まさしく「男装の麗人」といった言葉が相応しい女性だ。

 馬の手綱を細い指で操りながら、女は楽しそうに門番に問いかけた。

「これはいったいどうしたことかな、きみ」

「それがその──」

「俺の妹を客人として迎え入れていただきたいのですよ、エルザ・ローレシーク様」

 優雅な礼を取り、ジンガは女の名を呼んだ。

 ローレシークということは、この女がセイルの話に出てきた「本妻の娘」なんだろう。僕が想像してたよりもセイルと年が離れていた。ジンガと同じくらいの年に見える。

 エルザは「ほう」と小さく息を吐いた。

「ジンガの妹君とな」

 馬から降り、鉄製の門扉越しにエルザは僕らの前へとやって来る。そして、ジンガの後ろに立つ主の姿を見る。

「ふむ、可愛らしい娘さんだな。名はなんという?」

「え、あっはい。リュノ・コルテスと申します!」

「おや? おかしいんじゃないか」

 にたりとエルザが笑う。

「ジンガ。きみの苗字は確かロットリーでは無かったのかい?」

 ……主のバカ。

「母が違うんですよ、俺達。一時期は同じ家で暮らしていたのですが、妹は別の家に引き取られてしまったので」

 すかさずジンガが言い放った。嘘のくせに妙に堂々としているのだから、説得力が溢れている。お前、薬師よりも詐欺師のほうが向いているんじゃないのか?

 エルザのほうを見れば、細い指を曲げて自身の唇に押し当てて何やら思案している様子だった。

「どうぞエルザ様、リュノ嬢の滞在許可を」

「我々からもお願いいたします」

「そうですぞ! この門番は頭が固くて話にならない」

 旗向きが変わったと踏んだらしいおっさん集団がまたわめきはじめた。どさくさにまぎれて門番を悪く言ってるし。門番くん、本当に今日はツイてない日なんだな。

 エルザは門番に向き合い、小さく頷いた。

「構わん。私が許可しよう」

「よろしいのですか?」

「あぁ。母には私から話しておくさ。さ、早く門を開けなさい」

 それを聞き、門番は門扉から鍵を外した。ゆっくりと門は開かれていく。その音よりもおっさん達の歓声のがうるさい。

「さすがエルザ様! お父上もたいそうお喜びでしょう」

「こんなに立派に成長されて、爺は嬉しゅうございますぞ!」

 調子のいいおっさん集団のおべっかを苦笑気にかわし、エルザは改めて主のほうを見やる。

「いろいろと不手際があってすまなかった。ともあれ歓迎しよう。ようこそ、ローレシーク邸へ」

「あ、ありがとうございます」

 主がぺこりと頭を下げる。なんとなく僕はジンガの顔を見ると、ヤツは得意げな表情を浮かべていた。すごく腹立つ。

「それでは、エルザ様。我々は先に屋敷に戻っております」

「リュノ嬢のお部屋をご用意させていただきますので」

「あ、大丈夫です。コイツは俺の同室で。いやーリュノってば、昔から俺にべったりで離れなくて。久々に俺の顔を見たら、甘えん坊が再発したらしいんですよ。夜は一緒の布団じゃなきゃ眠れない……とか。全く駄目だぞ、リュノ。そろそろ兄離れしなくちゃ」

「適当な嘘を並べないでよ!」

 憤慨する主だったが、ジンガは堪えない。それどころか声を立てて笑うだけだ。これでは、ジンガの証言は本当で主は恥ずかしがっているだけにしか見えない状況だ。

「ほっほっほ。仲がよろしいのですな。では、そのようにしましょう。さ、坊ちゃま。早く屋敷の中へ戻りましょう」

「え、あ……」

 ようやくセイルが口を開いた。場の雰囲気に押されて空気になりかけていたな。彼はちらちらと主のほうを気にしている。主はというと、ジンガに怒りを向けるのに夢中で気づいていない。

「さぁあ、行きますぞ」

「僕、リュノと少し話しがあって」

 お、抵抗を見せたか。けど、そんな言い回しじゃ無駄だと思うぞ。

「まずはお体をお休めください。それからでも充分ではないですか」

「で、でも」

「話す時間なら後でも作れるだろう」

 その声の響きに僕はぎょっとした。エルザが発したそれは、さっきまでとはまるで違ったものとなっていた。温かみを感じさせない、真冬のような冷たい声。主も怒鳴るのを忘れてエルザのほうを見ていた。

「わがままを言うな。それにお前は勝手に屋敷を抜け出したのだ。大人しく爺たちの言うことを聞いておけ」

「……はい。申し訳ありませんでした」

「分かればいい」

 言うだけ言ってエルザはそっぽ向いた。明らかにこの場の空気が凍っている。逃れるようにおっさん集団はそそくさとセイルを連れて屋敷へ行ってしまった。

 エルザの隣に佇んでいた馬が鼻先で彼女の肩をつついた。そっと馬の顔を撫でながら、エルザが僕たちに向かって頭を下げた。

「すまなかったな。屋敷まで案内しよう、付いてきたまえ」

 馬上には乗らず、徒歩でエルザが歩みだした。僕と主は黙ってその後に続く。さすがに迂闊に質問出来る状況ではない。と、いうのをぶち壊すんだよなぁ、ジンガという男は。

「相変わらずですな。ここだったら屋敷からの目は届かないんじゃありません?」

 お前も相変わらずだな。どうしたらそんなに飄々していられるのか聞いてみたいよ。だが、ジンガの質問はなかなか興味深いものだった。屋敷からの目。それはいったいどういうことか。

 エルザが鼻で笑う。

「誰が見ているか分からないだろう。私も態度を改めることなど出来ん。ヘタに動けば、使用人たちが余計に混乱する」

「面倒臭いですな」

「全くだ。だが、それもあと少しの辛抱だ」

 何の話をしているのだろう。会話の意図が読めない。ともあれ、主や僕が口を挟む状況じゃないな。

「あのエルザ、様」

 口を挟んじゃったよ、主。

「なんだ? リュノ嬢」

「どうしてセイルくんに冷たくするんですか?」

 今一番聞きづらいこと聞いちゃったよ、主ってば。やっぱり主とジンガは本当に親類なのかも知れない。

 エルザの足がぴたりと止まった。

「変なことを訊ねるんだな、リュノ嬢は」

 あ、さっきと同じ寒波の声だ。それなのに、主は平然としている。質問の答えを聞きたくて仕方が無いのだろう。ジンガはジンガでにやにやとしているだけだし、僕一匹だけが居心地が悪い。

「理由なんか単純だ。私はアレが気に入らない」

 アレ、とはセイルのことをさしているのだろう。きっと。

「そんな、酷いです」

「あぁ。酷いヤツなんだよ、私は」

 そう言って振り返ったエルザの表情に主と僕は息を呑んだ。

 彼女は、笑っていた。いや、笑おうとしているのだろう。だけど目や口元は彼女の思うだろう通りには動かずに、いびつな形になっている。ひょっとしたら、エルザは無理をしているのではないのだろうか。

 僕達が何も言えないでいると、屋敷のほうから若い娘がやって来た。動きづらそうな黒の服に白いエプロンという姿から見て、ローレシーク家のメイドだろう。教育はしっかりされているようで、決して急がずに主人に近寄る。

「奥様がお呼びです」

 その言葉にエルザと、何故かジンガの顔色が曇った。

「そうか」

「なるべく早くにお目通りを。エルザ様、こちらのお嬢様は?」

「俺の妹だよ」

 代わりにジンガが答えた。その芝居がかった響きに、僕は心底うんざりした。これはあれだ。ジンガが悪戯を思いついた時の声音だ。

「すまないね。私が恋しくてここまで来たらしい。おまけに猫のクロまで連れてちゃって」

 ク、クロ? この使い魔である僕が普通の猫みたいなクロという名前だって?

 屈辱だ! これまでにないほどの屈辱の極みだ! 僕には主が命名してくれた、ラースという立派な名前があるというのに!

 メイドは顔を赤らめ、ジンガに魅入っている。まぁ、普通の娘なら当然の反応だろうな。中身はともあれ、美形な男が自分の手を包み込んでいるのだから。

 それでも鳴き声を大として言いたい。おねーさん、男の趣味悪いよ。

「俺も妹が可愛い。一緒にいたいと訴える妹を、そのまま追い返すなんて出来なくてね」

「え、ええ。そのお気持ち分かりますわ」

 侍女の声には彩りが入っていた。罪な男に心が囚われているようだ。可愛そうに。

「おい、ジンガ。うちの若い子を口説かないでくれよ」

 エルザがうんざりしたように言う。すぐにジンガはメイドの手を放す。彼女はその手を抱え込み、熱っぽい目でジンガを見ていた。

「リュノ嬢、きみがジンガと同室でと申し出てくれて本当に助かった。そろそろコイツの見張りが欲しかったんだ」

「はい。目を光らせておきます」

「ちょっと待てリュノ。どうして即答するんだ」

 聞き捨てならないと絡んでくるジンガを無視して、女性陣は話を進める。

「そういうことだから。手配を頼む。まぁもう爺達が動いてるかも知れないがな」

「承知いたしました、エルザ様。ですが、クロ様は?」

 あくまでメイドは真顔で聞いている。猫に様付けする人間を僕は初めて見た。

「リュノ嬢の飼い猫だ。同室であっても構わないか?」

「あ、はい! お願いします」

「だそうだ。頼んだぞ。ついでにお前が屋敷まで彼らを案内してくれ。私は厩舎によってから母上の元へと向かう」

 エルザは馬に跨ると、あっという間にこの場から走り去ってしまった。メイドは彼女の姿が完全に見えなくなるまで頭を下げていた。

「そ、それでは薬師様に妹様。こちらへどうぞ」

「ありがとう。きみの気配りが行き届くところが好きだよ」

「え、あっ、そ、そんな薬師様、お口が過ぎます」

 全身が真っ赤になるメイド。それを楽しげにからかうジンガ。

「ジンガ兄さんって、いつもこんなことしてるのかなぁ」

 主が呆れ気味に呟いた。

 きっとそうだぞ、主。これがあの男の正体だ。僕はこっそりと主がジンガに幻滅してくれるいい機会だと内心ほくそ笑んでいた。


          【続】

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