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x breakers  作者: 風薙流音♪


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鉄塔

 

 少年は今日も見上げている。歪に大地に突き刺さった巨大な鉄の塊を。

 少年は昨日も見上げていた。雲の上に隠れた頂から歌声が零れていた。


***


 その鉄の塊は十年前のあの日、世界がひっくり返り、常識がでんぐり返ったあの日から、静かな田舎の村に突き刺さっていた。当時村に住む約二百人もの人が誰一人気付かぬうちに、それはいつのまにか村のほぼ中心地にある田んぼに聳え立っていたのである。


 眠りから覚めた村には周囲の山よりも高い鉄の塊が、朝日を浴びて歪に曲がりくねった影を落としていた。その姿は異様で奇妙なことこの上なかったが、報道陣が押し寄せることはなかった。村人も誰一人警察に通報するようなことをしなかった。いや、できなかった。その日は世界がそれまでとは大きく異なってしまった日だったから――



「オレはあの〈とう〉のてっぺんに行く」

 少年は仲間たちにそう宣言した。たいして大きくもない村である。少年と輪を作っている六人の子たちが、そのままこの村に住む六歳の、つまり遊び盛りで学校に入る前の子たちの全てだった。その七人の中で少年は大将と呼ばれていた。


「またおんなじこと言って~。昨日もそんなこと言ってさ、こわくなって逃げてきたじゃない」

 おさげ髪の少女が呆れた様子で大将に応える。周りもうなずき「うんうん」「そうだそうだ」「よわむし~」「九回目の失敗だね」と、好き勝手に野次を飛ばす。大将は一瞬苦い顔をするが、おさげ少女に視線を向けて、

「昨日は、あれだ、腹が急に痛くなったんだって。こんどはいけるよ。母ちゃんに〈おまじない〉をかけてもらったから」

 すると、おさげ少女はムッとした表情になり、

「あたしの〈おまじない〉じゃあ、やくたたずっていうのね」

「いやいや、そういうことじゃなくてさ、何ていうかケイケンの差ってやつがほら……」

 大将は首を左右に激しく振りながら慌てふためく。

「いいわよ。もう大将にはかけてあげないからっ」

「え、ちょっ、ちょっと……」


 おさげ少女は立ち上がると輪から抜け出し、器用に木の枝を利用して自分の背丈の数倍もの高さから降りていく。地面に足が着くとすぐさま村の方へと駆けていった。大将は駆け去っていくおさげ少女を、手を伸ばしたまま姿勢で見送ってしまっている。すると、髪を左右に一筋ずつ三つ編みにまとめた少女がため息混じりに呟く、

「大将は〈オトメゴコロ〉がわかってないわ」

「うんうん。その通り。あれじゃあハナちゃんかわいそうよ」

 立ち上がれば腰にまで届きそうな長い髪をした少女も相づちをうつ。

 大将は三つ編みの少女に向き直ると、

「なぁ、ミツ。それって何味だ? 梅か? 納豆か? それともキムチとか?」

 と、腕を組みつつ真顔で問いかけた。ミツと呼ばれた少女は思案気に応える。

「お母さんは甘酸っぱいって言ってたから、梅なんじゃないかしら。それもハチミツで漬けたやつ」「うんうん。あれはおいしいよね!」と、長髪の少女。

 大将は神妙な顔で頷く。

「なるほど。ハナと仲直りするためにはハチミツ梅おにぎりか! ミツ、ヤナギ、ありがとな! じゃ、オレ行ってくる!」

 大将はそうと決めると近くにあった赤い傘を掴み、勢いよく開くと、傘を差したままで地上二十メートルの高さから飛び降りた。

直後、風鈴が涼しげな音を奏でる。

 一陣の風。

 大将の体は重さなど無いかのように風に乗って村の方へと飛ばされていく。大将は振り返らない。真っ直ぐに村の目印を見ている。目印――鉄でできた巨大な塔を。



 そこは村の集落から程近い山の大樹の上。自分たちで作った〈秘密基地〉には五人が取り残されていた。ここから見ると巨大な鉄の塔は、自由帳に書かれた幼い子どもの落書きにしか見えない。歪で、ぐにゃぐにゃで。ただ縦に途方も無く高く、空を貫き立っている。

 その先がどうなっているのか、地上から見ることはできない。


 その歪な三歳児の落書きに向かって、赤い傘が風に乗って流されていく。

「あれは気持ちよさそう」「うんうん。ずるいよね、大将のチカラって」

ミツの呟きにまたもや長髪の少女は続く。流されていく傘を目で追う少女たちの後ろから少年の静かな、力のこもった声がかかる。

「ヤナギのチカラも十分反則ものだと思うよ。『植物はお友達』だなんてさ。この〈秘密基地〉もさ、ヤナギがこの大樹さんにお願いして登りやすい枝だとか皆で座れる広さの空間だとかを作ってもらわなかったらここまで快適には過ごせないよ」

 丸眼鏡をかけたひょろながの少年はノートパソコンを操作しながら長髪の少女、ヤナギに言う。

「うんうん。さすがノーベルね。よくわかってる!」

 ヤナギは嬉しそうに顔を綻ばせる。

「まあ、ね」と素っ気無く応える少年は誰もが博士と呼びたくなるような佇まいをしながら、科学者の名を仇名として持っているらしい。ノーベルは応えながらも軽く眼鏡を直した。顔が少し赤みを帯びていて、その仕草は少年の照れ隠しのようにみえた。


「そういえばトンちゃんもドングリも今日はずいぶんと静かだね」

 ヤナギの言葉に隅の方に居た二人に視線が集まる。誰がどう見ても、丸々と太ったがっしりした少年がトンちゃんであり、その隣に縮こまっている半分ほどの大きさの小柄な丸坊主少年がドングリであることは一目瞭然だった。他の子の、ゆうに二倍はある体の腹の部分をさすりながらトンちゃんは言葉を探す。

「きょうの、あさは、ごはんを、さんばいしか、たべてないんだ」

 トンちゃんのゆっくりとかみしめるような、一人だけ違った時間の流れに生きているかのような物言いに、ドングリ以外の皆が曖昧にうなずき同情の視線を送る。いつもの半分ほどしか食べられなかった仲間が静かになるのは仕方の無いことだ。

 トンちゃんともなると本当に満足いくまで食べられる日だって月に一度あるかないかである。そのことも大抵の食事で満足できる面々は気の毒に思えてしまう。

ミツは視線を隣にずらしトンちゃんに隠れた影にドングリを見つけて、首を傾げ問う。

「ドングリは? トンちゃんは食べないと動かないけど、あんたはいつだってどこにだってちょろちょろと動き回ってるじゃない。いつも真っ先に大将に付いていくくせに。今日はそんな隅っこで何をやってるのよ?」

 ミツはぶっきらぼうに言うが、その幼い顔には僅かに心配そうな様子が見える。


 ドングリは皆が集まったときからずっと、体育座りで顔を膝に埋めた状態のままで居た。ただでさえ一番小さいのに、縮こまっている為に余計小さく見える。トンちゃんがのしかかれば間違いなくペッタンコだろう。その小柄のせいで、今の今まで誰もドングリの異常には注意を払わなかった。普段から仲間の中でも喜怒哀楽の激しい少年なのだ。いつもそれに構っていたらキリが無い。とはいえ、今日の様子は尋常ではない。よく見ると、その肩がわずかに震えている。夏の晴れた日の、まだ日が高い昼下がりだというのに。

 風鈴が鳴る。

 音色は優しく響く。

 さすがに仲間たちはもうドングリの尋常ではない様子に気付いていた。ヤナギは問う。

「ドングリ、どうしちゃったの? 体ブルブルふるえてるよ? だいじょぶ?」

 ノートパソコンから顔を上げて、ノーベルは滔々と話し出す。

「可能性としては、夏風邪、オネショ、カキ氷の食べすぎで腹痛なんかがありがちだね。ただし、ドングリが馬鹿だというのなら風邪の可能性は極めて低くなるけど、とりあえず大将よりかはマシだから……」

「そんなまどろっこしく聞く必要はないわ。ドングリ、顔を上げて話しなさい!」

 ミツが一喝。

 ドングリの体がその声に一瞬震える。

 風鈴が歌っている。静寂の中に澄んだ音色が流れる。

 ドングリはおずおずと顔を上げた。その目は泣き腫らしたように真っ赤だ。

 ミツの鋭い目線に射抜かれ、ドングリは息を呑み、ゆっくりと重い口を開く。

「ぼ、ぼ、ぼぼぼーぼ、ぼく……」

「しゃんとしなさい!」

「はいっ!!」


 ミツの再度の一喝にドングリはつい背筋まで伸ばして応えてしまう。ふと彼は、来年から入る学校の先生はこのミツよりも怖いのだろうか、と恐ろしい想像をしてげんなりしてしまう。それでも仲間たちに心配されて少しは元気が出てきたようだ。

 ドングリは考える。

 ……大将とハナには気付いてもらえなかったけど、あの二人はいつも〈メオトマンザイ〉というやつらしいのでしょうがない。犬だって手に負えないというし、二人は二人で色々と忙しいんだろうな……

そんなことをつらつらと考えていたら、何とか話すだけの気力も出てきた。

 ドングリは再び口を開く。

「僕……昨日、〈塔〉に行ってみたんだ」

「ドングリが!? どうしてまた? 何をしに行ったのよ? 大将じゃあるまいし」

 ミツが身を乗り出して問いただしてくる。ミツの強い語調にドングリはどうしても一歩後ずさってしまわずにはいられない。

「大将が、最初に〈塔〉にのぼるって言い出したときにさ、言ってたんだ、『〈塔〉から歌がきこえるんだ』って。すごく小さい声で、たぶんそばにいた僕にしか聞こえなかったと思う。それがずっと気になってたから、昨日の夜こっそりと大将について行ったんだ」

 ドングリはそこで大きく深呼吸をした。昨日のできごとを思い出すのに躊躇っているようだった。もちろんそんな事は一人の少女が許さない。

「続きは? まさかそれで終わりなんて言わせないわよ!」

「も、もちろん……」少年はミツにすごまれて溜め息一つ、大きく息を吸って続ける。

「大将は何だか赤いハチマキを頭に巻いて、スゴク気合いが入ってた。少し離れたところからでも分かるくらいに。それからなんか準備運動みたいなことをして、塔に向かって歩いていったんだ」

「あっ! ハチマキってハナちゃんの〈おまじない〉だよきっと! うふふ、らぶらぶってやつだね」と、ヤナギは嬉しそうに笑いをこぼす。しかしミツは先を急かす。

「それはいいからどんどん続けなさいよ! 次は? 次はどうなったの?」

「うん。それであの〈塔〉まで着いたんだけど……」

「焦らさないでよ!」


 ミツがさらに身を乗り出して問い詰め、ドングリの背中はいよいよ大樹の幹にぶつかる。もうあとずさることも出来ない。

「じ、じ、焦らしてなんかいないよ。大将はそこでじぃっと〈塔〉を見上げてたんだ。そうしたらさ、僕がちょっと眠くなってきたころにさ、月が〈塔〉に隠れてて……その……」

 ドングリの声はどんどん小さくなっていく。顔もまたいつの間にか下に向いて、思い出したように体に震えが戻っている。今度ばかりはミツも語調を緩めた。

「それで、あんたが震えるような何が起きたって言うのよ?」

 ドングリは俯いたままでも、声を絞り出す。

「……き、聞こえたんだよ、僕にも。大将が聞いたっていう〈塔〉の歌が。……すごく、すごく悲しくなっちゃうんだ。その歌のせいで僕、昨日は全然眠れなかった……朝になるまでずっと泣いちゃってたんだ……」

 重い空気が流れる。


 と、木々を揺らす風が、風鈴を鳴らしながら少年たちの間を駆けていく。

 涼やかな風が過ぎると、ドングリがまた体を小刻みに揺らしていた。おそらくはまた涙を流して。

 その場の誰よりもよく笑い、よく泣く少年は今、〈塔〉が歌ったという悲しみの歌に涙を流し続けているのだった。

 少年の静かな嗚咽と、風鈴の音だけが、しばらく風に流されていた。

「さて」と、前置きをしながら丸眼鏡を直し、ノーベルが沈黙を破る。

「ドングリ、君はまだだいじなところを言ってはいないだろ。肝心な、大将の失敗談だ。それが無いと困る。それに、思い出しただけでそんな様子じゃあ〈塔〉からボロ泣きの君がどうやって家に帰れたのかもわからない。そこが一番重要だ、この僕にとってはね」

 そう語りかけるノーベルの、丸眼鏡の奥の瞳には、ただならぬ意思が込められていた。

 が、そんなものはお構いなしに、

「うんうん。そこのところが気になりますよぉ!! ヤナギも聞きたい!」

「まさか話さないなんて言わないでしょうね? ね、ドングリ?」

 少女二人はドングリに詰め寄っていた。ノーベルは一瞬で完全に蚊帳の外といった感じである。

 まだ泣いていたドングリも、さすがに自分よりも大きくて強気な少女二人に挟まれては暢気に泣いている事もできないようだった。

「そ、それは……」

「とっとと吐きなさい」

「うんうん。吐いちゃえ吐いちゃえ!」

 ノーベルも仕方なしに加わる。

「ドングリ、頼むよ、話してくれ」

 さらに波状攻撃が続く。ドングリは三方向からの声に囲まれて動けない。三人からの声は次第に熱さを増してドングリに押しかかっていく。


 ドングリがそのプレッシャーにKOしかかる直前、もう一人の声が、響いた。

「し~~~~~ず~~~~~か~~~~~に~~~~~」

 時間を無視して間延びしたトンちゃんの声が再びの静寂を呼ぶ。

 風鈴が、一鳴き。

 それを合図に、トンちゃんがしゃべりだす。

「ドングリは、きっと、ぜんぶ、はなす。ぼくらは、それを、まつのが、いい」

 ゆったりと語る少年は静かに笑っているようにも見えた。どうにもつかみ所が無い。

「うんうん。トンちゃんの言う通りかもね。あたしも待つよ」

 長髪の少女――ヤナギはそう言うと、その長い髪をなびかせて軽やかにドングリから距離をとる。

「トンちゃんがそう言うなら……」

 三つ編みの少女――ミツもまた、普段は昼寝ばっかりのトンちゃんが発した貴重な言葉に習い、ドングリから距離をおく。

「まぁ、僕は話が聞けさえすれば、急ぎはしないよ。まだ、今はね……」

 丸眼鏡のひょろりとした少年はそう言うと再びノートパソコンの操作を始めた。

 ドングリがトンちゃんの方を見る。トンちゃんは微笑みながら頷いて、

「よかった。これでやっと、しずかに、ひるねだ」

 そう言うと一人、〈秘密基地〉の隅に横になって、一瞬のうちに寝てしまった。


 風が流れ、寝息が流れ、風鈴が鳴って、少年と少女は顔を見合わせて笑った。

 大柄で大食いで寝てばっかりの仲間を起こさないように口を両手で押さえながら。

 いくらか日が傾いて、ドングリの涙もようやく乾いたようだ。

 風鈴の優しい音色が皆を心地よく包んでいた。

 ドングリは、手で顔を拭い目を擦ると、意を決して仲間に語りだす。

「僕は、大将がどうやって失敗したのか見てないんだ。その……、歌を聞いてから僕はずっと泣きっぱなしで……このまま朝まで泣いてるかもって思ってたら、今度は、〈塔〉から声がするんだ。僕は泣いてたし全部は聞こえなかったけど、『来て、……けに来て。私を……て。私をお……て。私は……んにいるから』みたいな感じで、てっぺんに来てほしいって言ってるみたいだった。それを聞いてたら、何だか急に恐くなってきて、気づいたときには一目散に家に帰って布団に包まってたんだ……」

 ドングリはそう言って顔を俯けた。その様子を見ていたミツは、

「ねぇ、ドングリ。まだ何か隠してるでしょう?」

 と、ドングリに詰め寄る。

「も、もうこれで全部だよっ!」

 ドングリは首を振って否定する。ミツは妖しげに笑う。

「隠しても無駄! いったい何年の付き合いだと思ってるのよ。あんたは嘘とか隠し事をする時必ず下を向くんだから。さぁ、あとは何があるの?」

 ミツの瞳は爛々と光っている。いじめっ子タイプのようだ。その瞳は真っ直ぐにドングリの瞳を見つめている。

 風鈴が風に翻弄されて激しく鳴り響く。


 ドングリは観念したように溜め息をつく。やがてゆっくりと口を開いた。

「……声が、恐かったんだ……」

「声が? じゃあ、恐ろしい鬼ばばぁが風邪をひいたような声だったの?」

 ドングリは首を左右に振り、声を絞り出す。

「その……逆なんだ……」

「逆?」

「……僕らが、よく知っている声……ハナちゃんの声だったんだよ!! 

 ハナちゃんの声が〈塔〉から聞こえてきたんだ。そっくりじゃなくて、そのまんまの声なんだ! 歌だけのときは、話すのとは少しちがく聞こえるから気付かなかったけど、〈塔〉から聞こえた声はハナちゃんの声だったんだよ! それで……、それでもしハナちゃんが大変なことになっててあんな悲しい歌とかを歌ってるのかな、とか想像したらもう怖くて怖くてたまらなくなっちゃったんだよ……」

 涙がまた一滴、零れた。

 友達のために流れる涙が一滴、零れて落ちる。

 ミツがドングリのいがぐり頭を無言で乱暴に撫でてやる。

 ヤナギはそれを見てうんうん満足顔でうなずく。

 トンちゃんは未だに夢の中で遊んでいるようで。

 そして、そしてノーベルだけはノートパソコンに向かい、忙しく両の手指を動かし続けていた。その場の誰もこの少年の興奮に気付いてはいなかった。画面の映像を淡く反射する丸眼鏡の奥、そのはっきりと意志を込めた瞳には、燃えるような熱さが爛々と輝いていた。



「――ということがあったんだよ、昨日は」

 村を通る用水路の縁に腰掛けて、足を冷たい水に浸しながら大将は身振り手振りも加えて同じようにしているハナに昨日の出来事を説明していた。日差しは強いが二人とも麦藁帽子をかぶり、手には歪なうえにやたら大きなおにぎりを持ち、おいしそうにほおばっていた。

「前から月がよく見える日は〈塔〉のてっぺんから歌が聞こえてたからさ、誰かがてっぺんに住んでんのかな、って思ってたわけだ。だからそいつに会うために昨日も登ろうとしてたんだけどさ、いざ行かん、って時に昨日はいきなりハナの声で『助けに来て』なんて言うんだぜ。そりゃあもうてっぺんにはお前がいて、しかも助けを呼んでる、って思ったさ。オレはもう夢中ですぐさま〈塔〉の中に駆け込んでいった! そしたら入った途端にものすんごい突風で吹き飛ばされちゃって。で、気が付いたときにはもう朝になってて〈塔〉の入り口も無くなってたんだ」

 一通り話は終わったらしく大将も本格的におにぎりに齧り付く。

 ハナはおにぎりをほおばりつつ話を聞いていた。時折顔が具の酸っぱさに渋る。麦茶の水筒でも持って来れば良かったなぁ、なんて考えつつも大将の奇妙な話に疑問をぶつける。

「あたしの〈おまじない〉は?」

 最初に聞くのはやはり自分が心を込めた力作の行方だ。

「たぶん、突風に吹き飛ばされたときに、頭から取れてそのまま……かな? ごめん! 起きてすぐに探したんだけど見つからなくてさ。オレが吹き飛ばされるくらいの風だったからもしかしたら山の向こう側まで飛んで行っちまったのかもしんねぇ」

 大将は俯きつつもハナの表情を伺う。ハナはため息混じりに呟いて、

「そう……。まぁ今回だけは特別に許してあげる。また新しいの作るからそれまでは〈塔〉に近づいちゃだめだからね!」

 と、いつもの強気な調子で言うと、人差し指を大将のおでこに突き立てて押し込みながら念を押す。

「絶・対・に! 〈塔〉に行ったら駄目よ。約束だからね」

 超至近距離から睨みをきかされたうえで、額に指を突き立てられながらも大将は頷きを返す。

「うむ。よろしい」と、ハナは腰に手を当てて鷹揚に頷く。

「ははぁ」と、大将はその前にひれ伏している。

 そんな夫婦劇場を繰り広げると満足したのか、ハナは未だに座ったままの大将に手を伸ばし、

「よし、行こう!」と、誘う。

 大将はその手をとって立ち上がりつつも、問わずにはいられない。

「で、一体どこに?」

 ハナは不思議そうな顔で返す。

「そりゃあもちろん〈塔〉でしょうが。あたしの偽者の正体を暴いてやらなきゃね」

「……今の約束は?」

「だからあたしがいないときの話よ。一人で〈塔〉に行っちゃだめってこと」

「さいでしたか……」

 大将は繋いだ手を猛烈に引っ張られながらも、〈オンナ〉ってわからんなぁ、と自分にも聞こえない声で呟くのだった。

 空にはまだ日の光が溢れている。

 青白い満月は静かに夜闇の舞台が広がるのを待っていた。



**



 そして、満月の夜、少年と少女の固く握られた手は引き離されることとなる。


 少年は広い大地に取り残され、

 少女はどこまでも高く伸びる〈鉄塔〉の、その天辺(てっぺん)にある一室へと連れ去られた。


 鉄塔は十年もの間、堅くその入り口を閉ざす。

 あたかも少年と少女の成長を待つかのように。


 少年は〈塔〉の外壁から登り続け、しかし必ず突風に突き落とされた。

 少女は〈塔〉の天辺から歌を朗じ続けたが、やはり風に吹き消された。


 十年間、少年は登り続け、

 十年間、少女は歌い続けた。

 少年の手はついに天辺には届かず、

 少女の声はついに大地には届かず、

 十年の後、その日はやってきた。

 そうしてその日は、やってきた。

 〈鉄塔〉が二人を引き裂いてから丁度十年目、

 満月の夜に〈鉄塔〉は再びその堅い口を開く。


 誰も知らない。

 〈鉄塔〉こそがこの日を心から待ち望んでいた。

 〈鉄塔〉こそがこの日のために耐え忍んできた。

 誰も知らない孤独の中で、

 ただ歪んだ〈鉄塔〉だけはこの十年間の全てを知っている。

 歪な鉄の塊が背負った真実と、少年と少女に託された希望の、その全てを。



「俺はあの〈塔〉の天辺に行く」

 十年前と同じ言葉を、今や十六歳となった大将は、あの時より一人少ない仲間たちに宣言した。今では窮屈になった〈秘密基地〉に六人が皆集まることは久しぶりのことだった。

 ここに来ればどうしても失くした仲間を思い出してしまうから、どうしても足は遠のいてしまう。それでも、仲間たちの絆は変わっていなかった。十年間もの間、少しも。

 沈み始めた太陽の光の中で、仲間たちは深い頷きを返す。野次を飛ばすものはもういない。

 目の前にいる逞しく成長した少年は、十年間も失った少女を取り返すために挑み続けたのだから。

「今日が十年目の満月。約束の日だ。一週間くらい前からかすかに歌が聞こえ始めて、ついに昨日は、歌がはっきり聞こえた。あれ以来聞こえなくなっていた歌が、また聞こえだしたんだ。必ず今日、〈塔〉は口を開ける。たぶん、それが最後のチャンスだ。必ず今日、天辺までハナを迎えに行く」

 大将の言葉には自信と、十年間変わることの無かった強い意思が込められていた。

 大将の揺るがぬ意思に静寂が響く。

 風鈴は、もうここには無い。

 夏の音が好きな少女を失くしてから、ここには涼しげな音は響いていない。


 白衣に身を包んだ少年が、今では四角くなった眼鏡をあげてから口を開く。

「僕も賛成だ。今日しかない」ノーベルは語り始める。「僕だって十年間、〈鉄塔〉の観察と研究を続けてきた。僕は決して『忘れない』。それが僕のチカラだからね」

 ノーベルはノートパソコンを開きつつ早口で語り続ける。

「十年前のあの頃からすでに、僕はもう世界の謎を追い始めていたんだ。特に、今では《どんでん返し》と呼ばれるあの日、二十年前の世界が激変した日についてね。あの日以来何もかもが変わった。常識も物理法則も数学も、気候も生態も天体も、とにかく何もかもが」

滔々と語るノーベルの瞳には、あの頃から変わらない熱がある。

「空想だった物語が突然目の前に現実として現れ、僕らみたく子供たちはチカラを持って生まれ始めた。幸いチカラはどれも、〈力〉としては使いようの無い文字通り〈少女の空想〉が具現化したものだったし、十八歳になる頃には失われるから良かったよ。そうでもなかったら混乱の最中で子供たちがどんな目に遭ったか想像したくもない。〈以前〉を知らない僕たちには実感がわかない話だけど、その混乱は想像できるからね。そして、ちょうどその次の日にあの〈鉄塔〉も現れたわけだ。世界中のあちこちで……」

「くどい! とっとと本題に入りなさいよっ!」

 ミツが鋭く言い放つ。チェックのスカートをはきブラウスに赤いネクタイを崩して着けて、すっかり女の子らしくなっていた。三つ編みとキツい口調だけは変わらない。少年たちは誰一人、口ではミツに敵わない。


「……ということでした、マル。とにかく、あの〈鉄塔〉も空想や夢の世界の産物だと思っていい。あんな無茶苦茶なものが倒れないのは周囲の空間ごと〈そういうもの〉になっているからだよ。だから大将でも、外からではチカラを使っても登れなかったんだ。未だにあの〈鉄塔〉については鉄製としか分からない。それこそ中に入って登りきらないことにはね。ただ、これは推測の域を出ないけど……」「長すぎるわよ」ミツは呆れて言う。

 ノーベルは一呼吸置いて、

「……この〈鉄塔〉はおそらく《どんでん返し》の引き金となった少女と深く関係している」と、言い切った。そして、不敵に笑う。

 話を頷きつつも聞いていたヤナギは首を傾げ、

「うーんと、それって大事なことなの?」と、問う。

 ノーベルは咳払いを一つ、

「つまりね、この〈鉄塔〉からハナちゃんを助け出すことは、そのままこの世界全体の巨大な謎を解くことにも繋がっていく。それだけのことをこれから大将はやろうとしているんだってことだよ!」

 ノーベルは興奮して熱弁を振るうが、ある意味暢気な仲間たちには世界の謎は〈たいした問題〉にはならない。大将は〈塔〉に視線を向けて言う。

「まぁ、俺はハナさえ取り返せればそれでいいんだ」

 大将の決意にヤナギは以前と変わらない調子で微笑を返す。今では彼女の髪は膝丈にまで達していた。

「うんうん。やっぱり王子様は囚われのお姫様を助けてなんぼだからね。それでこそ大将!あと大事なのは、ハナちゃんを必ず〈お姫さまだっこ〉で連れて帰ってね!」

「あぁ、わかってる。それも〈オトメゴゴロ〉ってやつだろ。俺だっていつまでもおにぎりばかりじゃ芸が無いからな」

 大将はヤナギに向かって親指を立て、笑顔で〈グッド〉のサインを作る。

 ミツとノーベルは頭に手を当てて呟く。

「……アンタ十年で鍛えたのは体だけなのね……」

「……世界よりも〈お姫さまだっこ〉が大事でいいのか……」

 それを聞いてドングリもトンちゃんも笑う。

今ではドングリも少しは背が伸び、遊園地のアトラクションに乗れない事もなくなっていた。それでも丸坊主のスタイルは変えていない。失った仲間が丸坊主の頭に『ドングリとニックネームをつけてくれた』から。

 そして、トンちゃんはダイエットに成功してがっしりとした巨漢に成長していた。実際には彼が自分のチカラの使い方を知ったというだけで、食べる量は十年前より格段に増えているのだが。

 そうして仲間たちは夜の訪れの前に楽しい時間を過ごす。懐かしさの溢れる自分たちの〈秘密基地〉で。


 やがて、夜の帳が下りて月の輝きが次第に増していく。

 大将がポケットから古びた布の塊を取り出してミツに手渡した。

「それさぁ、ミツのチカラで直せないか?」

 それはハチマキだ。ボロボロになって最早頭に巻く事もできなくなったそれは、しかし大切にされている事が伝わるような綻び方をしている。ミツが息を呑む。

「アンタ、これってハナの〈おまじない〉じゃない! 無くしたって言ってなかった? それも十年前に」

「探したんだよ、ハナが連れ去られた後、すぐに。チカラとかもその時に初めて応用できるようになったんだ。それまでは傘を使ってうまく方向を決めて飛ぶ、ってのしか使いようを考えなかったけどさ。それだってノーベルの入れ知恵だよな?」

「そうだよ。大将は自分のチカラを扱いきれずにいつもあさっての方向に流されて怪我してばかりだったからね。アイディアは小説からのパクリだけどさ」

 ノーベルはもうすでにノートパソコンで観測器の調整に入っていたが、会話は全て聞こえている。昔から同時に幾つものことができるのはこの少年にとっての常識だ。


 ミツは再び大将に視線を戻し、問う。

「……ってことはそれから十年間、肌身離さず持ってたわけ?」

「? そうだけど。だってミツもヤナギもいつも言ってただろ。『約束を破る男なんて最低だ』、って。それは約束なんだよ、ハナとの。〈塔〉に近づく時は、ハナと一緒か〈おまじない〉を持っているときだけってな」

 ミツは驚き呆れつつも自分の目の前にいる男に素直に感心してしまっていた。彼女の性格上、素直に褒めることはしないが、それでも、

「バカ正直って……、アンタとことんバカね」彼女には珍しく、顔には優しげな微笑が浮かぶ。

「いいわ、アンタの頭にきつく巻けるように、十年前の状態に戻してあげる。昔はそんな年数まで制御できなかったけど、アタシだってハナのために何もしてこなかったわけじゃないからね」

「……その修行のために僕は散々な目にあったんだけどね……」

 ノーベルがぼそりと呟くが、無論その言葉は潔いまでに無視される。

「ミツのチカラは『物の時間を巻き戻す』こと。散々僕の持ち物は原子レベルだの土だのにまで戻されたけど、今ではかなりの精度になってるよ」

 ノーベルはどこか遠い目をしながら解説を加える。それでも、キーボードを叩く音が止まることは無い。

「ま、そういうことよ。貸して」

 ミツはボロボロのハチマキを受け取ると、事も無げに『時間を戻し』た。ハチマキは元通りのしっかりとした布の張りを取り戻す。そこに縫い止められた言葉も形を取り戻す。

「す、す、スゴいね!! ただ口が悪いだけじゃ無かったんだ!」

 ドングリが興奮して口走る。彼は次の瞬間には空中を舞っていた。つまり、神速で動く三つ編みの少女に突き落とされて。

「はい、確かに十年前に戻したわ。多分、ハナが込めた祈りも一緒に、ね」

「うんうん。愛だね! ミツのチカラで今、愛は時空を越えました!!」

 ヤナギは興奮の一線を通り越してはしゃいでいる。

 大将に返されたハチマキには文字が糸で綴られている。ただ、『大将』、と。

「ありがとう」

 大将はその、真紅に染め上げられたハチマキを額に巻く。十年間分の想いも一緒に、気合を込めて、締める。

「行こう」

 始まりを告げる言葉は静かに語られる。仲間たちは、ただ静かに頷いた。



 闇の中でなお、一際濃い闇に塗りつぶされた、そこは〈塔〉の影の中だ。

 いまや天頂に差し掛かろうという満月は夜の闇に深い影を刻む。強い光は濃い影を生む。

 まばゆいばかりの月光が作る影は、墨を何重にも塗り重ねたように漆黒。光も、音でさえも吸い込まれてしまったかのように暗く、沈黙が満ちている。

 そこに、人がいた。思い思いの格好をした若い六人のグループだ。

「ぼくが、せめて〈塔〉までの道を照らすよ。それくらいしか、大将とハナのためにできることは無いからね」

 グループの中で頭三つ飛び出したトンちゃんが、その巨漢で一歩前に出る。

「昔は食べて、寝て、それだけだったけど、最近では動くのも楽しくなってきたんだよ」

 トンちゃんはそう言うと更に一歩前に出た。大将は後ろから声を掛ける。

「いつだってトンちゃんはどっしりと構えてて、俺のことを支えてくれてたよ」

 トンちゃんは笑顔で振り返る。

「大将、一つ頼んでいいかな?」

「もちろん」

「ハナちゃんを……、ハナちゃんを連れて帰ってきてね。二人の夫婦漫才、もう十年も見てないんだから。あれを聞いてるとぐっすり眠れたんだよ」

「わかった。必ず、連れて帰る」

「うんうん。それと〈お姫さまだっこ〉を忘れずにね!」

 トンちゃんはヤナギにも微笑を返す。

「トンちゃんのチカラは『何でも食べる』こと。それこそ、無生物でも概念でも夢でも『何でも』ござれだ。昔はそれらも全部自分の胃に取り込んでたけど、今では僕の研究で『別腹』にも取り込めることが分かったからね。食べ過ぎた分もそちらに回して、適度に運動すれば健康二重丸の巨漢に成長するわけだ」

ノーベルはまた妙な機械をいじりながらも解説を始める。今度は少しトンちゃんの肉体改造の成功を自慢しているようでもあった。ミツは意味も無くノーベルの頭に一つ打撃を入れておく。

「ノーベルには感謝してるよ。それじゃ、早速、『いただきます!』」

 そう言って、トンちゃんは目の前の『闇を食い』始めた。掴んでは口に運び噛り付く。

 月光により生み出された影と、夜の闇と、それらは一緒くたに巨漢の口に運ばれ、瞬く間に〈塔〉までの道はうっすらと光を帯びるまでになった。


「なかなかおいしいね、月光の影って。『ごちそうさまでした』」

 大将は頷く。

 そして、目の前の〈塔〉を見上げる。

 満月が天頂に近づくにつれ、その姿は〈塔〉に隠されて見えなくなっていく。

 歌が、聞こえてきた。

「あの時と同じ声だよ。ハナちゃんの歌声。でも……あの時聞いた歌は、確かに悲しい歌だったのに、今日の歌はスゴく明るい歌だよ。なんか元気が沸いてくるみたいな。応援歌みたいだ」

 ドングリが落下の際痛めた足をさすりつつ、十年前を思い出して言う。

「十年間で成長したのは俺たちだけじゃないんだ。そういうことだろ」

 大将は笑みを浮かべて、本当に楽しそうに言った。

「あれ? 十年前の歌って結局ハナちゃんが歌ってたの? まだ攫われてないのに?」

 ヤナギが困惑顔で頭を抱えながら問う。もちろん応えるのは一人しかいない。

「あの〈鉄塔〉は空間そのものが歪んだ〈不思議空間〉なんだよ。物事の順序も、そもそも時空そのものだってどれだけ歪んでいてもおかしくは無いさ。さっきも〈秘密基地〉で、十年前のドングリの証言と最近観測された歌の声帯データなんかを織り交ぜて僕の仮説を皆に説明するつもりだったんだけど……」

 そこでノーベルはちらりと顔を上げてミツを見る。

「何か文句でもあるの?」

 ミツは鋭い視線でノーベルを射殺した。ノーベルは視線を機械の群れに戻す。

「……いえ、ありません。解説は以上です、マル」

 そして、明るい歌が降り注ぎ、朧に輝く道を、大将は歩き出す。

「じゃ、俺、行ってくる!」大将の瞳は迷い無く〈塔〉を見定める。

「いってらっしゃい! 王子さま♪」ヤナギは手を振り見送り、

「ちゃんと連れて帰ってきなさいよ」ミツはぶっきらぼうに告げ、

「気をつけて。ずっとここで二人を待ってるから」トンちゃんは優しく言葉を掛け、

「大将、頑張れ!」ドングリは精一杯の大声で励まし、

「外からの観測・援護は任せていいよ。後で〈塔〉の中の様子は聞くから、そのつもりで」ノーベルは眼鏡を軽く上げて言う。

 大将は振り返らない。その視線は真っ直ぐに〈鉄塔〉の入り口へと向かっている。

 ついに、満月がその姿をすっぽりと〈鉄塔〉に覆われる。そこが天頂だ。

 一瞬の沈黙を破り、静かに、しかしはっきりと、〈鉄塔〉がその口を開く。

 大将はついに〈鉄塔〉に挑む。十年越しの想いを胸に。



「行ったね。振り返らずに」ヤナギは零すように言った。

「昔からアイツはそうよ。一度決めたら振り向かない。ハナはそんなアイツをからかう意味でも『大将って名付けた』んだから。アタシやヤナギ、それにハナ自身は名前からそのまんまだけどね」

 そういうミツの声は優しい響きを持っていた。ノーベルが後を引き取る。つくづく解説が好きな少年だった。

「トンでもなくデカくて優しかったから、ちゃん付けで『トンちゃんと名付け』、頭が丸かったから『ドングリと名付け』、そして僕には偉い学者さんになってスンごい賞を取ってくるようにって笑いながら『ノーベルと名付けた』。今ではもう、何となく使い続けてきたこのニックネームも替え難いよね」

 そういう彼の声も柔かい。その場に残された五人全員が、大将とハナが帰ってくることを確信している。

「うんうん、ほんとにナイスネーミングだよね、ハナちゃん」

ヤナギが実感を込めて言う。そして思い出したように続ける。

「ハナちゃんが帰ってきたら、考えてもらわないとね」

「何を?」

 ミツが眉根を寄せる。ヤナギは満面の笑みで一気に喋った。

「私たちのチームの名前! 私、いつもハナちゃんにそれを頼むのを忘れてたの。ハナちゃんが十年は戻らないってノーベルなんかが言った時には、十年後だと私たちもバラバラかなって不安だったけど、皆変わらずに私の大事な仲間なんだもん! やっぱりチーム名が無くちゃ、締まらないもんね、特に決めポーズとかがさ」

「チーム名か……。いいわね、それは。ただ、決めポーズは拒否するわよ、アタシは」

 ミツは相変わらずなヤナギに釘を刺しておく。


 そしてふと気になって、ノーベルに問う。

「そういえば、大将のチカラって何なの? 自由に空を飛べるわけでもないし、イマイチ分からないんだけど」    

 ノーベルは顔を上げることもなく、答える。

「あぁ、知らないのも無理はないか。使い勝手が難しい上に〈鉄塔〉を外から登ろうとしたときには突風のせいでチカラが完全に通用しなかったからね。大将のチカラは『風になる』ことができるんだよ。ただ、それこそブレーキもハンドルも利かない暴走のようなものでね。だから『傘で風に乗る』ことでスピードを殺して操作できるようにしたんだ。ハチマキを見つけたのは体の一部、目だけを『風にして』一気にこの辺一体を探したらしいよ。それからは色々と試してたから、色々とできるようにはなっているだろうね」

「なるほどね。じゃあ、ハナのチカラは分かる?」

「彼女についてはそれこそデータが足りないんだけど……、さっきの会話の中で一つ仮説は立ったよ」

「それならとっとと言いなさいよ」

「学者はおいそれと確信の無い仮説を言わないものなんだけどね……。僕が立てた仮説では、ハナちゃんの能力は――」



 少年は飛ぶように〈鉄塔〉を駆け登る。

 事実、少年は体の大半を『風にして』いた。極限まで体を軽くしたその登り方はほとんど飛んでいるように見える。結果として足が鉄柱を蹴る力は、ことごとく上へと登る力へと変換されている。

 鉄が、少年に蹴られて硬い音を発する。音は連なり、一つの流れ、音楽となって少年の元に届く。その音色は、己の限界速度で突っ走る少年に優しい笑みをもたらす。

 少年は最早、迷いも逡巡も無く、歪な〈鉄塔〉の内部を真っ直ぐに駆け登って行く。

 〈鉄塔〉の内部に階段などは無い。所詮はただの鉄の塊である。その中は空洞になっており、そこには外からの見た目と同じく無茶苦茶に鉄柱が張り巡らされているだけだ。そこには道も、ましてや道印さえもありはしない。

 しかし、少年はただただ駆け登る。力強く、天辺へと。

 その顔が下を向くことは無い。ただ上を見上げ、進むべき道を瞬時に判断して止まる事無く登り続けた。

 ――その先には必ず、少女がいる――

 それは少年の勘であり、確信であり、そして――真実だった。

 果たして、時間の感覚が無くなってからも途方も無い時間を登り続けたその先に、〈鉄塔〉の天辺である一室があった。



 そこは月光に照らされて、穏やかな空気が漂う一室だった。

 いや、屋根も床も無く、吹きさらしになっている空間を部屋とは呼べないかもしれない。しかし、何らかの〈不思議〉が、その空間に作用して部屋を形作っている。それまでより大きな鉄片を床にして、不可視のバリアを天井として、その部屋は成立していた。

 今まで見たことも無いほどに巨大な月――満月が少年の視界を埋め尽くす。

 そのあまりの大きさに息を呑む。

 どれだけ登ってきたのだろうか。感じたのは果てしない時間と体の疲労。不思議な事に空腹は無い。ノーベルの考え通りに、この〈鉄塔〉の中での時間はおかしなことになっているようだった。

 次の瞬間、気づく。目の前、ほんの十メートル先に、少年に背を向けて歌を歌い続ける少女の姿がある。気づいたときにはもう叫んでいた。少女の名を。

「ハナ!!」

 少女の肩が、少年の声に揺れる。

 恐る恐る、といった様子で少女がゆっくりと声の方向に振り返る。

 少し大人びた様子に成長した少女は驚きに口を抑え、遠慮がちな声で、尋ねる。

「たいしょう?」

「俺だ。ほら、〈おまじない〉もしているだろ? 十年も待たせちゃったけど、迎えに来た」

「ホントに大将なの?」

「俺だよ。それ以上聞くとハナのおねしょが何歳まで続いたか、皆にばらすぞ」

 少年は笑いながら言って、一っ飛びで少女と同じ床に立つ。

「じゃあ、確かめさせてよ」

 少女は目に涙を溜めながら、微笑み、言った。

「どうすりゃいいんだ? 今日はハチミツ梅おにぎり持ってきてないぞ?」

 少年は困り顔で尋ねる。

「キスして」

「……はっ?」

 予想外の要求に少年は反応できない。

「私のこと好きだったら、キスしてよ。小さい時はしてくれたじゃない」

「それって、三歳くらいの話だろ?」

「あなたが本物の大将なら、言い訳しないで……して」

 そう一方的に言い放つと少女は、顔を上向きに目を閉じる。


 少年は頭をかき、苦笑してから、

「これも〈オトメゴコロ〉なのか?」

 呟き、唇を重ねた。

 ……と、少女の目が見開かれる。少年を力の限り突き飛ばす。

「ちょ、ちょっとなんでいきなり唇なの? ほっぺでしょ、キスって言ったら!! 昔だってほっぺに軽く〈チュッ〉だったじゃないの! もうっ! 心の準備もしない内に私のファーストキスが終わっちゃったじゃないのよ!!」

 少年は何とか床の上に踏み止まり落下を免れた。少女の理不尽な物言いに確信する。目の前の少女は自分の幼なじみ、その人だと。少年は体勢を立て直し、再び少女の前に立つ。

「責任はとるよ」

「どうやって!? もう過ぎ去ったものは取り戻せないのよ! あぁ、私の青春がぁっ!」

 少女は両手で頭を抱え唸っている。少年は少女に破壊力抜群の言葉を投下する。

「結婚しよう」

「……はいっ!?」

 今度は少女が度肝を抜かした。

「じゃあ決まりで」

「ちょ、ちょっと、今のは返事じゃなくて、えぇと、驚きで、その、えぇと、なんていうか、その……」

「じゃあ嫌なの?」

 少年は少女の顔を覗き込むようにして真剣な顔で問う。

 少女は思わず視線を外して、ぼそぼそとしばらく呟いてから、

「………………嫌じゃ、……ない…………」

 少女は顔を真っ赤にして俯き、答えた。いつの間にか、涙は散ってしまっている。

「よし。じゃあ、キスして」

「あんた、たまにぶん殴りたくなるわ。十年ぶりにだけど」

「また突き飛ばされたんじゃ、命がいくつあってもたまんないからな」

「……ばか」

 少女は少年の頭を勢いよく鷲づかみに両手で掴むと、爪先立ちになって自分の唇を少年のそれに重ねた。

 満月の光が二人を祝福するように、降り注ぐ。



「おめでとうっ!」

 不意に、二人の後ろから少女の声が響いた。

 今は口を塞がれて話せないはずの少女の声が。

 少年は驚き、慌てて目を開く。そこには、確かに少女がいた。

 少女も驚いた顔をして体を離す。

「いやぁ、いいものを見せてもらっちゃったな。若いっていいよね。私なんか二十年もずっとここにいるからさ、そういう浪漫に餓えちゃってしょうがないわけよ」

 その声は、やはり目の前の少女のもので。しかし少女は口を動かしてはいない。

 少年は振り返る。

 そこには、十年前に少女を連れ去っていった女がいた。

 距離にして十メートルの位置。部屋の反対側に女は立っていた。

 あの日と同じように、妖しい笑みを浮かべて。年の頃は確かに二十歳前後に見えた。

 そして、少年は宿敵とも言える相手に、問いを投げかける。

「なんで、ハナと全く同じ声なんだ?」

「そうねぇ、まぁ、一言で言えば『母が望んだ』からかな。私を創ったお母さんが、〈マザー〉が望んだのよ。だってそうでしょ? 思い出してみて。私の歌が、その娘の声で聞こえたからこそ、あなたたちは今ここにいるはずよ。全て〈マザー〉の意思のままに、ね」

 少年は、問いを重ねていく。

「誰だよ、〈マザー〉ってのは? それに、ハナを十年間も閉じ込めて、何が目的なんだ!」

 女は、少女の声で優しく諭すような調子で答える。

「いいわ、あの日の約束どおりここまで登って来たあなたには、知る権利があるわね」

 そういって女は微笑む。少年は警戒から身を硬くしたままで、女の言葉を聞いていた。

「まず一つ目ね。〈マザー〉については多分、あなたたちの眼鏡をかけたお友達が一番詳しいとは思うけど、《どんでん返し》を起こした張本人よ。当時十八歳の少女が世界を巻き込んだ歴史上最大の事件を起こしたってわけ。その人こそ私たちを創りだした、母たる存在」

「それで〈マザー〉か……。創りだしたって言うのは一体どういうことだ?」

「せっかちねぇ。まぁ、いいけど」女は微笑を崩さずに続ける。

「文字通りの意味よ。ゼロからまるまる、私は〈マザー〉に創られたの。あなたたちのそのチカラも、二十年前に世界中に現れた、この〈鉄塔〉のような〈異常〉も、全ては〈マザー〉が紡いだ物語のカケラ。何もかもが一人の少女の空想と妄想の産物なの」

 女は世界の大事件を、さもご近所のお話とでも言うように軽く語った。さすがにノーベルでなくとも、驚かずにはいられない話だ。


 少年は息を呑む。少女は少年の後ろで黙ったままだ。

「それは世界が、この世界が丸ごと一人の少女の物語にされちまったって言うのかよ?」

「あら、意外と物分かりがいいのね。その通りよ」

「それじゃあ、ハナを閉じ込めたっていうのは……」

「そういう物語だから、ね。同時にその囚われの少女を想う少年――あなたもまた、物語に組み込まれていたのよ。もちろん二人が主役ね。そして十年間二人はお互いを想い続けて、それぞれの〈闘い〉を続ける。もしも今日までにどちらか一方でも諦めていたらその時点で〈BAD END〉、この〈鉄塔〉は物語という拠り所を無くして崩れ落ち、少年は崩壊に巻き込まれて、少女は落下して死亡する。そういう物語だったのよ。そして、二人が諦めずに、逞しく成長しながら十年間〈闘い続けた〉暁には、この通り満月の下で再会する〈HAPPY END〉というわけ。ま、キスまでは想定内だったけど、さすがに結婚とはねぇ……。十年間見てきたけど、まだまだあなたたちを分かってはいなかったみたいね。だから、もう一度言っておくわ、おめでとう!」

 女は笑顔でそう言うと取り出したクラッカーを三つ、いっぺんに鳴らした。

 少年は戸惑い顔で、

「じゃあ、これでもう帰っていいってこと?」

「えぇ、〈HAPPY END〉だからね。その娘と一緒に帰っていいわよ。絶対安全な滑り台も貸すから、一瞬で地上に着くわ。もうさすがに気付いてると思うけど、この〈鉄塔〉の中はあなたが入った時から時間の流れから切り離されているから、仲間たちを驚かして華やかに帰還してちょうだいな。正確に言うとね、物語には本来、〈時間〉なんて存在しないはずのものだからさ、この状態が普通なんだけどね。あなたたちがいるから無理矢理この〈鉄塔〉の中でも〈時〉を動かしていたのよ。再会した時に十歳差だとつまらないからね。おかげで大変だったわよ? 二人の妨害もしとかないとチカラであっさりと再会されたら困っちゃうじゃない? 物語としては〈強い想い〉で再会してくれないと、ね?」

 そう尋ねるように言うと、女は深々と頭を下げた。数秒経ってから、頭を上げる。


 女は照れた様子で言う。

「ごめんね、十年間も物語に付き合わせちゃって。そしてありがとう、おかげで無事、物語を閉じられるわ。もちろんめでたしめでたし、でね」

「アンタのことを倒さなきゃいけないとかは、ナシってことでいいんだな?」

 さすがの大将でも、笑いながら話し、祝福し、謝り、礼まで言い出す目の前の女を見ていると、警戒心も十年分の怒りも何だかばかばかしくなってきていた。

「えぇ、あたしはただの〈黒子〉だと思っていいわ。超絶能力バトルもナシよ。言うならば、ここまでの年月がボスのようなものだったのよ。実際さぁ、今日は体が疲れただけでしょ? 今までの十年間の方がどれだけきつかったか、思い出しなさいよね。あなたは自分を誇りにしていいわよ。女の子も健気に励ましの歌を十年間歌い続けた根性娘だしね。あなたたち、お似合いよ? ずっと二人を見守ってきたこの私が言うんだから間違いないわ」

 そう言って、女は手を振るうと、そこに唐突に穴が開く。恐らくは、滑り台の入り口が。

「まぁ、信用しないんだったら来た道を戻ってもいいわ。とはいえ、ここで怪我されたら私のプライドに傷が付くから思いっきり保護させてもらうけどね」

 女はやはり笑顔のままだ。少年は溜め息一つで十年分の怒りを腹の底から追い出そうとする。終わりよければ全てよし、と自分に言い聞かせて。

「信用するよ。アンタを疑ってもしょうがないしな。それに、今の話を聞いてたら、アンタに怒ったりするのも馬鹿げてきた。素直に滑り台で降りさせてもらうよ。それでいいだろ、ハナ?」

 少年は後ろの少女に振り返る。


 すると、少女は悲しげな表情で女を見つめていた。その瞳からは今にも涙が零れ落ちようとしている。

「ハナ? どうしたんだ? やっぱり一発は殴っておかないと気が済まないか?」

 少女はおさげ髪を左右に揺らし、否定する。そういえば、少女の髪型は以前のまま、おさげ髪だ。十年もの間、〈鉄塔〉に閉じ込められていたのに。

 少年の疑問は連なる。さっき女は、この〈塔〉の中の時間は今では止まっているものの、今までの十年間はずっと動き続けていたと言っていた。食べ物や飲み物、それにトイレだって行かないわけにはいかないだろう。それらはどうしていたのだろうか。そして、少女の髪を切り揃えるのは誰だろうか、と。

 少女の女への反応を見て、少年は一つの結論に達した。そこに見えたのは恐怖や怒りではなかった。あれは――もう親愛といってもいい。十年分の。そして、少年は女に再び目を向ける。

「アンタがハナを世話したのか? 十年間も?」

「愚問ね。あたしが世話しなきゃ、死んじゃうじゃないの。こんなとんでもない場所に連れて来られたら、誰だってね。それに言ったでしょ、一人でずっとこの〈塔〉にいたから暇つぶしに多少は構ってあげただけよ。女の子は髪が命でしょ? あなたには仲間がたくさんいて、その娘は孤独っていうのは不公平だからね。その娘を誘き寄せるために歌っていたのだってあたしだしさ、そういうバランス調整と細かい小細工とかも物語の〈黒子〉である私の役目なのよ」

 そう言って女はまた笑顔で答えた。最初に見たときから変わらず妖しさを含んだ笑み。


 少年は今、その笑顔の奥にかげりを見たような気がした。疑問はすぐに問になる。

「アンタは、アンタはどうなるんだ。俺たちがこの〈鉄塔〉から出た後は?」

「もう分かっているはずよ。さっきも言ったでしょ。もうあなたたちの〈闘い〉は終わっているって。私はもうあなたたちに倒された存在。そして悪者は静かに滅びるものよ」

 そこで、今までずっと黙っていた少女は声を荒げた。

「そんなのおかしいよ! あなただって何もかもその〈マザー〉のためにやった事なんでしょ? それなのに、せっかく何もかも上手くやったのに、なんであなたが滅びるなんて言うのよ! あなたは私に優しくしてくれたわ。最初は信用できなかったけど、十年も一緒に暮らしてたんだもの、あなたが本当に優しい人だって、私には分かるわよ!」

 少女の声は、響く。

 女の笑顔が崩れる事はない。

「言ったでしょ? あなたに優しくしたのはバランス調整に過ぎないって。それに、あたしは人間ではないわよ? 言ったじゃない、私は〈マザーに創られた〉存在だって。この、あなたたちが今いる〈鉄塔〉、これがそのまま私。私は〈鉄塔〉そのもので、〈鉄塔〉は私そのもの。わかった?」

 女の表情は変わらずに笑顔。

 しかし、少年はもうその仮面の向こうに、悲しさと切なさに満ちた本心があることを確信している。少年は問いを重ねる。

「それでいいのか? アンタはホントにそれでいいのかよ? 今まで十年も一生懸命俺たちをいじめてきて、俺たちが再会できたら祝福して私は死にますさようならだって? そんなのは納得いかない! 責任を果たせよ!」

 少年のあからさまな挑発に、女の顔にも目に見えてかげりがさす。

「責任? あなたたちこそ無責任に好き勝手言っているだけじゃないのよ。笑わせないで。あたしは〈マザー〉に綴られた存在。〈マザー〉は私に、あらすじとそれを物語として成立させるためのチカラを与えたの。私にとってそれを完遂する事が全て。もうすぐでそれが終わるわ……」

 そこで女は再び笑顔を見せる。今となっては少年には作り笑顔にしか見えない。


「……あなたたちのおかげでねっ! 本当に感謝してるのよ? あなたたちを選んでよかった。失敗したら何も残らないけど、成功したから私の紡いだ物語は残る。それで満足よ。そしてそれが私の果たす責任なの。さぁ、大人しく帰って仲間たちと笑い合いなさい!」

 女はもう一度手を振るう。すると今度は、〈鉄塔〉が軋み出した。

「さぁ、もう直に崩れるわ。といっても、物語として本になるから下のお仲間も巻き込まれる心配は無いわよ。『崩れ落ちる〈鉄塔〉の中から、少年は少女を抱きかかえ現れました。そうです、二人はついに試練を乗り越え仲間たちのもとに戻ってきたのです。そうして二人は末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし』ってね」

 物語が語り部のチカラで急激に進みだす。最早エピローグに向けて話は急激に展開し始めていく。少年は歯噛みする。これでは全然、感動も達成感もあったもんじゃない。後味が悪すぎる。

「待てよ! 俺たちを十年間もいじめてたんだ! 責任をとれ! そのために生き続けろよ!! それまではずっと独りでここにいたんだろ? ドングリはアンタの歌が悲しいって言って一晩泣き明かしたんだ! 寂しかったんだろ? そしてこの十年は楽しかったはずだ! ハナと一緒に暮らしてたからっ! そうでもなければ人質の髪にまで気を使うことなんかないはずだろ!?」

 もはや女は、また元の、仮面の笑顔を見せて手を振っていた。少年は悔しさに床を殴る。

 〈鉄塔〉の内部は急速に崩壊している。じきに目に見えて崩れ出すだろう。もう、長くは保たない。それは、同時に女の死が近づいていることを意味する。少年は焦る。

「なんか方法は無いのか。ハナ、何か、何か無いか? ハナのチカラとかで、何かできないか?」 

 その瞬間、少女が閃きに顔を跳ね上げる。

「あたしの、チカラ……。そうだ。それしかないわ」

 〈鉄塔〉はもう目に見えて崩れ出し始めている。もう時間は無い。〈鉄塔〉と〈女の命〉のカウントダウンが刻々と刻まれていく。

 少年は少女と離れ離れにならないように少女の手を握る。十年前と変わらぬ暖かさのその手を、あの時よりも、強く、きつく。少女が握り返してくる。想いは確かに通じている。

「一つだけ可能性があったわ。あたしのチカラに賭けてみる?」

「もうそれしかないだろ。信じるよ、ハナのチカラ。ここまで来たらダメで元々だ。俺はこんなの〈HAPPY END〉とは認めたくないからな。ハナもそうだろ?」

「もちろん!」


 少女は、未だに崩壊の中で手を振る女の方に向き直る。そして、崩れ落ち始めた〈鉄塔〉の音に負けない声で、少女は朗々と、歌うように女に呼びかける。

 十年間の日々は伊達ではなかった。

 成長したのは身体だけではなかった。

 ただ少年を信じて声を張り上げ歌い続けたのは、無駄では無かった。

 少年は今、力強く少女の手を握ってくれている。そのことが、少女に力を与えてくれる。 

 少女の声は鉄が奏でる音にかき消される事無く、女に響く。

「〈鉄塔〉さん、あなたをこう呼ぶのは初めてだけど、きっと名前なんて持っていないだろうから、今はそう呼ぶわ。

 〈鉄塔〉さん、あたしはあなたを呪います。

 あたしを十年間も閉じ込めたあなたを簡単には許せない。

 〈鉄塔〉さん、あなたをあっさりと逃がしはしない。

 あたしのチカラであなたをこの、現実の世界に縫いとめます。

 〈鉄塔〉さん、あなたを簡単に死なせはしない。

 あたしがあなたを許すその日まで、あなたを死なせない。

 〈鉄塔〉さん、あなたを人間として『名付けます』。

 あたしがあなたに、人間としての名を『命名します』。

 〈鉄塔〉さん、あなたの名は、(くろがね)塔子(とうこ)

 あたしが名付けたからには、あなたはもう人間です。

 鉄・塔子! こんなところでは死なせないから!!」


 少女がチカラを用いてそう言い切ったとき、〈鉄塔〉は一気に瓦解する。鉄は砕けては消えていく。物語となって本に書き込まれていくのだろう。少年は少女を〈お姫さまだっこ〉すると、チカラを使い『足を風にして』、まるでスノーボードで雪山を下るようにして、一気に鉄の波を滑り降りていく。少女は必死に、両手を少年の首に回ししがみ付きながらも、眼をこらして鉄・塔子の姿を探した。しかし、その姿は崩れ落ちる鉄の群れにかき消され、見つけることはできなかった。



「――おそらく『何にでも名を付けること』じゃないかな。だから僕たちはニックネームを替えないし、そんな気も起きない。それに、彼女の〈おまじない〉もただのハチマキに『〈おまじない〉と名付け』て祈りを込めたものだと思うよ。とはいえ、推測の域は出ない。本人がどこまで自分のチカラに気付いているかはわからないけどね。もしかしたら十年間のうちに気付いているかもとは思うけど……」


 少年の言葉を遮り、〈鉄塔〉が突如轟音を上げる。

 少年たちの会話は、唐突に響いた音に中断される。

 〈鉄塔〉が、音を立てて崩れ出していた。

 ノーベルがいち早く反応する。

「うわっ、危ない。トンちゃん! とりあえずこの辺一体の〈危険〉を『まるごと食べて』!」

 ノーベルはすぐさま頼れる仲間に指示を出し、機械に素早く目を走らせ、操作盤を高速で叩く。トンちゃんはすぐに口を大きく開けて、一気に〈危険〉を『飲み下していく』。地面にはもう鉄片が落ちてくる事は無いだろう。

 ノーベルは機械の数値を素早く拾い上げ、状況を分析していく。


「……何が起きているのかまるでわからない。二人の安否も不明だ。トンちゃんのチカラで、たとえ二人が落ちてきたとしても死なないとは思うけど……」

 そう言って、ノーベルは傍らのドングリに視線を移す。少年は何やら屈み込んで、必死に手を動かしている。

「ドングリ? どうしたんだ?」

「の、の、ノーベル、大変だよ、二人は上手く降りて来てるみたいだけど、塔子さんが半分もう物語に書き込まれててすんごく中途半端な状態で、このままだと、し、し、死んじゃうよ!」

 小柄な少年は光り輝く本を前に、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、しどろもどろになりながらも、意味不明だが大変そうだと分かるような内容を伝えてくる。


 〈光り輝く本〉。それはドングリが、今日この場に持ってきていたものだ。さっきまで光ってはいなかったはずのそれは、今や眩いほどに輝き、そして次々と白紙のページに『物語が書き綴られている』。その速度は相当なもので、残りのページは急速に減っていく。

 ドングリはその本を止めようとしているようだが、手を出せないでいる。

 崩れ始めた〈鉄塔〉。

 光り輝き、物語を自動的に綴り始めている本。

 焦りまくり、それでもなおドングリが危機を伝えてくる、女性の名、

 (くろがね)塔子(とうこ)――鉄の塔。

 ノーベルの頭脳は一瞬で数十通りの可能性を考えていく。

 彼はあらゆる〈伏線〉を『決して忘れない』。

 すべては彼の中で一本の線となって繋がっていく。

 彼はその顔に笑みを浮かべると、即座にドングリに答えた。もちろん、正解の解答を。


「ドングリ、嫌な内容の本なんて無理して読む事は無いよ。それでも勝手に物語が進んでしまう時は、『書き換え』ればいいんだ。物語を、結末を、自分が望むとおりに、ね」

 そう言ってノーベルは白衣の胸ポケットから赤いボールペンをドングリに手渡す。

「きっとそれが、昔から人のために誰よりも涙を流してきたドングリ、君のチカラなんだと思うよ? だから、自分を信じて、チカラを使うんだ。十年間、たった一人であの二人の物語を、そうしてせっせと紡ぎ続けてきたのは、その為だったんだろ?」

 ドングリは涙を拭い、赤ペンをその手に握り直す。

 〈鉄塔〉は崩れ続き、本のページは次々に捲られていく。

 何一つとして、止まり彼が動き出すのを待つものはない。

 ただ、彼を信じる仲間たちを除いては。


「勝てるかな? 僕なんかの物語が、世界を丸ごと飲み込んじゃうような人の物語に……」

 ドングリは迷い、足踏みをしている。ノーベルはそっと彼の背中を押す。

「一つだけ確実な事は、〈面白い本が生き残る〉ってことだよ。それだけは、このノーベルが自信を持って証明するよ。あとはドングリが信じる物語を紡げばいい。君が、心の底から面白いと思える、そんな素敵な物語を、ね」

 ノーベルはそう言って、やはり照れ隠しに眼鏡を持ち上げる。どうやらもう、機械の操作はとっくに諦めているようだ。

「たまにはいいことも言えるのね、ノーベル」

 そう言うと白衣を後ろから蹴り飛ばして、ミツがドングリに言葉を掛ける。

「ドングリ、よく分からないけど、アンタの書く物語の方が、あたしは読みたいわ。きっと、呆れるほどにお人よしな物語でしょうからね」

 そう言って、ミツはめったに見せない笑顔を見せた。

「うんうん、ドングリの書く物語なら、誰でも安心して読めるよ、きっと。だって、誰も泣かなくて済むもんね♪」

 ヤナギもミツの後ろからひょっこりと顔を出して満面の笑みで言った。

「ドングリ、いい物語を書いて。ドングリが自分を信じられなくても、僕たち皆が、信じているから。ドングリの事を」

 トンちゃんが軽く腹をさすりながらいつもの優しい笑顔で言った。

「ぼ、ぼ、ぼぼぼーぼ、ぼく……」

「さっさと書けっ!」

 ミツが足踏みするドングリの背を蹴り押すように喝を入れる。甘くはない。


 もう、彼の顔からは恐れも、迷いも、不安でさえももう、消えていた。

 仲間の励ましが、ドングリに力を与えてくれた。

 もう、逃げない。

 少年の〈闘い〉が始まる。

 ドングリは、赤ペンをしっかりと握り直すと、もう残りの少なくなった本の、そのページに浮かび上がり続ける物語の上に赤で彼が望む『物語を上書き』していく。

 必死に手を動かし続ける少年を、仲間たちが笑顔で見守っていた。

 〈鉄塔〉が止まる事無く、崩れ、消え去っていく中で、誰よりも小柄な少年の〈闘い〉が続いていく。

 少年は一人で〈闘う〉。

 少年はしかし独りではない。

 少年にはもう迷いも無い。

 少年の物語は紡がれていく。

 少年の自身の手で。

 少年の望む〈HAPPY END〉に向かって。

 少年が望まぬ〈HAPPY END〉を塗りつぶして。



『崩壊が続く〈鉄塔〉から高速で、少女を抱きかかえた少年が滑り落ちてくる。

 巨漢の少年がその『速度を食う』と、二人はゆっくりと滑り降りてくる。

 仲間たちは歓声を上げて、二人を迎える。

 赤いハチマキの少年と、その少年に〈お姫さまだっこ〉をされたおさげ髪の少女とを。

 二人の顔にも安堵と喜びが広がるが、しかしすぐに暗い表情を見せる。

 仲間たちがいぶかしんで、問い掛けようとしたそのとき、

 最早、元通りの田んぼとなった〈鉄塔〉の、その跡地から、産声が、響く。


 夜の静寂を破って、少年たちの再会の喜びの上に、あらん限りの力で泣き叫ぶ声が響く。

 空から降りてきた二人は、すぐさまその産声の下へと駆け寄っていく。

 その顔には抑えきれない期待が浮かぶ。

 仲間たちもまた駆けていく二人の後を追って駆け出す。

 そこには、赤ちゃんが一人、泣き叫んでいた。

 田んぼのど真ん中に、柔らかい布に包まれて、生まれたばかりの命が産声を上げていた。

 真っ先に駆け寄ったおさげ髪の少女が、赤ちゃんを抱き上げる。

 元気な女の子の赤ちゃんだ。

 少女の瞳から、止めどなく喜びの涙が零れ出す。

 ハチマキ少年も傍に寄り添い、少女と目を合わせて満面の笑みを浮かべる。


 仲間たちは追いついてきて、突然の展開に唖然としている。

 それでも、赤ちゃんを囲んで満面の笑みを浮かべている二人を見れば、説明はいらない。

 三つ編み少女は、説明好きな白衣の眼鏡少年が口を開く前に蹴り飛ばして口を封じる。

 ロングヘアの少女は幸せの絶頂といった様子の二人に問い掛けた。

「あれ? 二人とももう子どもできちゃったの!? 入籍は? 結婚式は? 新居は?」

 二人は顔を見合わせると、同時に噴き出した。

 おさげ髪少女は少年を見て、それから腕の中の赤ちゃんを見て、頷き答えた。

「結婚はするわよ。でもこの子は、それこそ天からの授かりもの、かな」

 笑って答えるおさげ髪の言葉に、ハチマキ少年とロングヘア少女以外の仲間たちは度肝を抜かれて固まってしまう。

 ロングヘアの少女は満足顔で頷き、も一つ聞かせて、と言って、

「その子のお名前は?」

 赤ちゃんの名を尋ねた。

 ハチマキ少年とおさげ髪の少女は、嬉しそうに顔を見合わせて一緒に答えた。

「「(くろがね)塔子(とうこ)!!」」

 二人の声に反応したのか、赤ちゃんの泣き声は一層大きくなる。

 少年たちは皆で心の底から笑い合った。十年ぶりに、皆で。

 これから、少年たちには忙しい夏が訪れることだろう。

 きっと、風鈴の音が、優しく響く場所で』


 〈HAPPY END♪〉


2005.10.16

※投稿時に、冒頭の字下げのみ行ったメモ。元々ギッシリ隙間がなかったので、適度に空白行を差し込んでみたメモ。2026.1.11

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