薬庫の夜と朝
医学館の静けさを破るように、焦りを含んだ大きな声が響いた――。
「红京――」
「医学館第3班!红京はどこだ!?」
「お調べに向かうように!」
華有様の「お調べ」に向かうように――。
華有様の目に留まった男たちは屋敷に呼ばれ、お調べされることになる。皇太后様の妹であり、皇子のいる華有様に逆らうことなど許されることはない。
お調べ、それはつまり――。華有様を楽しませなければいけない。
この裏の制度を楊兎将軍は強く嫌がっていた。
皇帝直属の楊兎将軍が長を務める白飛営以外の兵営のほうか、頭の切れる文官たちが務める尚書省の選ばれた男たちが呼ばれる。
薬臭い男たちが選ばれることは無かった――。
どうして俺なのか――。
軍の男のように体格がいいわけでもない、尚書省の男たちのように家柄や頭が良く、容姿が整っているのではない。
やはり谢琦様は華有様に付いている人物なのか?
なぜ温花はあのとき谢琦様に上級妃の魏峰様の名前を出して牽制したのか?
水路で温花を消す作戦を俺が阻止してしまったからなのか?
それとも俺を駒として使う算段があるのか――?
理由は挙げればいくらでもある――。
俺の名前が華有様まで届いてしまったのだろう。
隣で疲れ果てて寝ている温花はまるで子どものように寝ている――。
谢琦様が酒を飲ませて吐かせてくれたおかげで顔色は良いが、濡れたままでは風邪をひいてしまうな。着替えさせて温めて、医者として処置をしたいことは山ほどある。
どうしてこの人はこんな状態になるまで走ってしまうのか――。
心配だが、自然と口角が上がる――。
温花は子供っぽいところがある。
一言で言うなら「お転婆娘」自分の命が何度も危なくなっている場面があったのにその性格は変わらなかった。
自分のためだけに生きるなんてしたことがないと。自分が一番でいいことも分かっていながら、それができずここまで疲弊していた。
笑顔に隠されていた「影」を俺は見ている。
国で一番情報通の皇太后様から興味をわざと引いたとすれば――?
北の地で帰るための情報を得ようとしていたとすれば――?
森の中で谢琦様、華珩様と接触したのも――?
危険だと分かっていても華有様の屋敷に向かったのも――?
皇帝だと分かっていて華辉様と過ごしていて――。
楊兎将軍と剣術を身につけようとすることも――。
まるで温花は自ら選んだみたいじゃないか――。
北の地で言っていた俺が帰れる方法を探していたとしたら――?
俺のためにここまで命をかける必要があったのか――。あまりに無鉄砲すぎる。
そして温花は朝まで寝続け、俺は華有様に呼ばれているお調べに行かなかった――。
温花「……わぁつ!」
腕の中の温花は驚いて飛び起きた。
そして寝ぼけたように目を閉じた。
温花「夢か……」
红京「睡眠薬を盛られ、水路に落ちたことが夢だとでも?」
温花「うん、絶対そう……!」
红京「死にかけてそれはないでしょう……(笑)」
温花「だって……現代とこっちのことの夢見てたらどっちがどっちかわからなくなって……(笑)……えっと……トイレに行きたい」
红京「それもそうですね、ずっと寝ていましたから。案内しますが、くれぐれも騒がないようにお願いします」
トイレに行きたい気持ちは本物で――。
目の前には红京の体があって――。
いつの間にか男物の、医学館の衣になっていて――。
えっと――。
温花「……急いで行ってくる」
あれは夢だ。うん、絶対夢だ――。慌てて飛び起きてしまう。
前を歩いている緑の衣の人は癖っ毛の髪の毛には跡がついていて、肩が凝っているのか大きな背中を回している。
眠そうな目はさらに眠そうにして、こちらを振り返り見下ろす。
红京「ちゃんと着いてきてますか?」
あ――。
心臓が痛い――。
ただ静かに頷くしかあたしにはできなかった。
なんで水路から落ちて助かったんだっけ?なんで红京と薬庫にいるんだっけ?なんで着替えてるんだっけ?
全部夢じゃ無かったってこと、かな――?
だめだ心臓が痛くて考えられない。
また薬庫の奥へ隠れるように戻ると红京は何かを思い詰めていた。
温花「――红京どうしたの?」
红京「すいません、温花様に1つ聞いてもいいですか」
温花「うん、いいよ?」
红京「どうして危険なことを繰り返しているんですか」
温花「どうして――?人生楽しみたいから?彩りかな……?」
红京「どうして貴方が疑問系なんですか」
温花は暗い部屋で笑った。人生の彩りを作る?危険なことばかりなのに?
わからない――。
红京「すいません、もう1つ質問いいですか?」
温花「うん、いいよ」
红京「誰かのために生きることのほうが難しいのではないでしょうか?」
温花「あたしは考えてしまう性格だから、それが癖でそっちのほうが楽ってだけだよ。红京も楊兎将軍に助けられたからここにいるんでしょ?」
温花はニコニコと笑っている。
红京「そうですね……あの人に助けられたのでこの国に留まることもありだと思いました」
温花「あたしは红京のことすごく尊敬してて……他人のことも尊重しつつ、自分の軸もずれないから」
红京「なるほど……確かに楊兎将軍のためにと思えば行動の指針とても決めやすかったかもしれません」
誰かのために生きてみることは楽に指針を決めることができる。でも温花はこのままではいけない。
誰かのために生きすぎるのも疲弊し切ってしまう。もしそれが俺であるとすれば――。
温花「红京は今回の件、何1つ悪くないからね。事が大きくなりすぎたから、あたしが責任取らなきゃだし!ありがとう!」
红京「……どうしてそんな死に急ぐんですか」
温花「だから、红京がいればあたしはこの世で死なないって!(笑)」
红京「次は救えないかもしれないんですよ――?」
温花「红京助けてくれてありがとう」
そうか、いつもこうやって温花は立ち上がっているのか――。
温花はいつもの笑顔でまるで何も怖いものはないと言っているようだ。
红京「どこに行くつもりですか」
温花「陈莉のところ。急ぎたいの」
この人は誰かを思いすぎる。自分の身もかなり危ないはずなのに。陈莉のところに行くのもかなり危ない。
温花は現代に戻れていたはずなのになんで帰らないんだ――。
红京「わかりました。俺も向かわないといけない場所があります」
温花「红京、死なないでよ」
红京「それはこちらのセリフです」
温花は医学館の衣に長い髪を靡かせて、自分の屋敷に戻って行った。
温花には陛下、楊兎将軍もいる大丈夫だ。
俺は俺のできることをやる。




