水路
「温花っ――!」
あの声を聞いてから記憶は曖昧で。
それまでの記憶も途切れ途切れでまるで夢を見ているようだった――。
どうしよう――。
門は閉ざされているのに足元の端はどんどん上がっていく――。
うまく判断ができない。
このままだと押しつぶされる、ここから高い、冷たい水路に飛び込むしかない。登る場所なんてない。
潰される直前に飛び降りたんだけど、漢服という重たい布。刺されるかもしれないと着込んでいた中が、水を含んで動けない。
泡が体を包んだ後の水は冷たくて、感覚が遠くなる。このふわふわした感じはきっとあの香に何かあったのかもしれない――。
気がついた時にはもう戻れない気がした――。
「服を脱ぎ捨てて!」
横にドボンと音が響き、小さな泡が体にまとわりつく。
沈んでいくしかないあたしの服を水の中で解いて、誰かが破いていく。布は水の中を照らす光の方に上がって水の中を暗闇にしてしまった――。
「なんてことっ?!」
「医学館の男がお妃様に口付けなんて……!」
耳の奥は水が溜まっていてよく聞こえない。でもなんだか、騒がしくて――。
俺はここへ来て何が起きているのか、理解が追いつかなかった――。
上半身裸の男は緑の衣に何かを包み、水路の中から這い上がり、自分の衣の水を勢いよく絞る。
宮中の人々に囲まれる中、名前を叫ぶ人に迷わず口付ける――。
红京「……温花息をしてください!温花っ――!」
真っ白の体、唇は真っ青のその妃の名前を何度も呼ぶ。その異様な光景に思わず俺も声を出す。
楊兎「红京っ!」
红京は焦っていたのか、添えている手が震え、呼吸を促すために何度も、何度も――。
红京から冷たい水が流れ落ち、こちらを不安そうに見つめる。
红京「陛下に報告をしていただけますか?――実行犯は間違いないので」
楊兎「わかった。……周りに兵がいるのもおかしいよな〜」
言葉は淡々としていた。
いつも冷静な红京に戻った……?
そんな男は温花の濡れた髪を撫でると、また静かに、優しく口付ける――。
流れ落ちる雫が太陽の光に照らされ、花に落ちていくようだった。
温花「ゲッボッ……!」
一気に目が回ったのか体の中に力が入り、口から大量の水が吐き出された。喉の奥が焼けるように痛くて……これは胃液……?
少しずつ息ができるようになると、ぼんやり周りが見えてきて――。
红京「温花……」
その声にこの世に引き戻された。
红京が見つけてくれたのに――。
だめだ……ここで、みんなが見てる場所で親しいなんて姿見せられない。
この名前が大好きだったのに、大事にできていなかった自分に嫌気がさす。
その名前を呼ばないで――。
温花「――誰……?」
絞り出した言葉はきっとこれで十分なはず。
红京は一瞬目を細めた。
あ……だめだ……体に力が入らない……。
言葉がうまく出て来ない……。
红京「楊兎将軍、医学館で処置をさせてください」
「医学館は女人禁制だろう?!」
「しかもお妃様の一人を連れていくなんて……!」
「医学館の者は宦官ではないのでしょう?」
「お妃様に口付けをするようなお方が次は何をなさるのか……!」
「元々男女の中だったのでは?!」
ぐったりとしている温花を红京は自分の服に包み隠した。
红京「人を死なせたくないだけです、道を開けてください」
楊兎「红京、温花を頼んだ!」
男は目で人を殺せるような姿で歩いて行った――。




