雪
あぁ――。
冷たい――。
背中の雪はひんやりと体を冷やし、見上げる空は曇り、雪がしんしんと降り積もる。
このままこの雪があたしの体に積もって、雪になってしまえば全てから逃げることできないかな。
桜色の衣、ターコイズの腰帯。
この雪に埋もれてしまいそうな白い羽織。
銀の華やかな髪飾りがこんなにも重たいなんて。
春にやってきたはずのこの後宮はいつの間にか真っ白な雪に覆われて緑が隠れてしまっていて、屋敷の色だけが景色を彩る。
こんなに冬が長いなんて。
九州で生活していたあたしにとっては本当に辛い――。
白蕾でいることを今否定してはいけない。
完璧な白蕾、桜妃であり続けないといけないから。
ずっと走り続けて、ずっと逃げて、戦って、逃げて――。
弱いあたしが、不器用なあたしが背負えるものでないこともわかっているのに――。
久しぶりに1人の時間ができて、たどり着いた場所がここだった。
だめだ――。
あの屋敷を見たらあたしはあそこがよくなってしまう。
帰らないと――。
だけど力が抜けて積もった雪の中に体が沈み込む。上を見つめると灰色の空に白い雪が落ちてくる。
あぁ、体が重たい。冷たい――。
「大丈夫ですか?」
冷たくなった体がその声を聞いて温かくなる――。
その声の主――。
あたしはすぐに分かってしまった。
あの時と同じ優しい声だったから。
この人はあのときもあたしにチャンスを与えてくれたのに、また同じように戻ってしまったあたしに絶望してしまうんだろう。
もうこの人に逃げてしまってはいけない。
もうこの人に迷惑をかけてしまってはいけない。
もうこの人に見捨てられてしまっては、どうすればいいのか分からなくなってしまいそう。
怖い――。
白蕾「――はい、少し転んだだけなので」
「お転婆もいい加減にしてください」
優しいこの手は顔についた雪を払った。
この人が変わっていないことに嬉しさを感じる。
あたしは変わりたくても変われない。
自分であるために自分が小さくなって、大きく見せようと桜妃までなって。
红京「温花――。どうしてこんな場所に――!――貴方はどうしてこんなことを――!」
久しぶりに見た緑の衣の人は、暖かそうな羽織に身を包みこちらを目を細めて見る――。
あぁ――。
この目知ってる――。
この人の声も――。
優しい手も――。
ゆっくりの口調からどんどん早くなり、怒っている様子だった。
でも、あたしは温花じゃない――。
白蕾「あたしは白蕾です――」
红京「いえ、白蕾様はあの桜妃ですよ?まさかこんなところで雪遊びなんてしませんよ?貴方は温花です」
この目の前にいる女性――。
お妃様は間違いなく墓場の屋敷にいたはずの人。
それなのに纏っている空気は別物だ。
その白蕾様の腕には鳳凰の腕輪が付いていて、これが桜妃としての印なのだろう。
これが現実で、温花様は桜妃白蕾様になっている。
もう白蕾として生きている――。
そんな空気を纏った人物が、あの屋敷の近くの森で雪に埋もれているなんて――。
この人は温花に戻りたいんじゃないのか?
俺が白蕾になっていることを許せないのか――。
この感情の終着点が俺には分からない。
分かってはいけない――。
この人は今度、何をするんだろう。
この人は一人にしてしまえばどんどん進んで行ってしまって。
次、が無いのかもしれない――。
雪の中に埋もれるその人の横に座り込む。
その人の隣に居ていいはずの人はこの世の皇帝。
俺では無い。
その人はこちらをゆっくりと見ると、降り積もる雪が顔の熱でじんわりと解けていく。
红京「その髪の毛を白の羽織の中に入れてください。まさか桜妃が雪に埋もれているなんて誰かが見たら驚いて目がこぼれ落ちてしまいます」
白蕾「うん……」
白蕾と名乗るお妃様は力が抜けるように返事をし、素直に髪の毛を隠す。
遠くに行ってしまったはずのその人がそこにいる――。
突然、この世にやって来て、後宮へ入宮。そして墓場と呼ばれる屋敷で温かく過ごしていたはずの人。
この人は突然、消えた――。
そして突然桜妃として突然、現れた――。
その身を包んでいるもの高価なものばかりだ。
でも声も笑った顔は――。
红京「どうしてここに」
白蕾「――気がついたらここにいたの」
红京「白蕾様は皇帝陛下の寵妃ですよね?早く屋敷に帰ってください。体を冷やしてはいけません」
白蕾「久しぶりに会ったのに红京はお説教、ね――(笑)」
お説教、か――。
早く屋敷に帰ってしまえなんて、「現実的」に考えればこれが正解なのだろう。
白蕾様は手の中で雪を丸めたのかそれをこちらへと投げつけた――。
红京「お説教したいこと……たくさんありますよ」
現実的に考えれば正解。
それがこの人にとってはどうだったんだ。
俺の敷いたレールではなく自分でレールを作って走り抜けていくこの人には、自分で正解を見つけたいだけなんじゃないか。
この世で桜妃という特別な人になった。
俺が足かせになってどうする。
俺にはもうできることは何もない、か。
白蕾様に雪玉を投げ返す――。
そうすると少し嬉しそうに笑う。
張り付いていた仮面が割れたようにも見えた――。
白蕾「すごく忙しいから仕方ないの」
红京「自分の体を大事にしないと何か大事な場面でだめになってしまうかもしれないんですよ」
白蕾「あ、またお説教――(笑)」
ずっと2人で小さい雪玉を投げ合う――。
またそれが宙に舞って、目の前が真っ白になる――。
红京「あなたはここに来てから俺の忠告をしっかり聞いてくれたことがあったんでしょうか……」
白蕾「ないかも知れない……」
红京「ですね」
現実的、正解のレールであれば山も、谷もなく、過ごせたかもしれないのに。
あの墓場と呼ばれた屋敷で、いつものように過ごせたかもしれないのに。
どうしてあの憧れだと言っていた場所から離れてしまったんだ――。
雪玉を当てると動きを止め、小さく雪の中に埋もれていってしまう。
震える声のまま、顔を隠す――。
本当のこの人はどこなんだ。
なんでこの人はこんな不器用な生き方しかできないんだ。
俺はこの人のことを全部知らない。
だけどどんな人かを知っている――。
白蕾「……あたし、ばかなことしかできないの」
強がったこの顔――。
何やってんだ、本当に――。
红京「俺には勝てないですよ」
白蕾「やってみなきゃわからないでしょ」
红京「わかりました――(笑)」
体を起こして何度も、何度も雪玉をぶつけあう――。
年齢、場所、身分――。
羽織も全部脱ぎ捨てて無我夢中で投げ合い、俺たちだけの声が響く――。
あの少し悪そうにした笑い声が、現実的、正解だったはずのレールを壊していく。




