第三話:麗しき勇者
勇者。
勇者。
勇者。
勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者ゆうしゃゆうしゃゆうしゃゆうしゃ——勇者。
知らずともわかる。目の前の少女は——勇者だ。
呆然とする。なぜ俺は生きている。
隣に座る少女を見つめる。
純真さを具象する銀色の長髪。
目鼻立ちの整った顔には、しかしまだあどけなさが残る。
理解している。邪神の寵愛が警鐘を鳴らす。
少女のやや強張っていた顔に安堵の色が映る。
「……よかった。無事みたい」
手の平を開閉する。
瞬きをする。身体は動く。
しかし、少女から目を離せない。
目尻を下げ、聖炎を宿した深紅の虹彩で俺を見つめる少女。
「大丈夫? まだ無理しないでね。もうすぐ担架を持ってきてくれるから」
いや、わかっている。
こいつに殺意はない。
あまつさえ俺に回復魔法を施した。
だが——こいつは勇者だ。
俺を魔王と気づかぬはずがない。
殺意も、善意も。
俺を油断させる虚像だ。
少女の腕を掴んで押し倒す。
瞳孔が開かれるが、抵抗する様子はない。
「わっ……ど、どうしたの?」
ふわりと甘い香りが鼻腔を擽る。
胸が少しきゅっとする。
一瞬脳が機能を停止する。
思考を取り戻す。
…………殺すか? 今。ここで……
いや、冷静になれ。
こいつが俺の邪悪に気づいてない訳がない。
少なくとも意識を失っている間は気配を隠せてすらいない。
なんならただの聖職者に気取られてもおかしくない。
罠だ。
あいつが自爆魔法を仕込んでいたように。
俺があらゆる奸計で聖職者を拷問したように。
沈黙が続く。
少女は抵抗にすらならない身動ぎをして、頬に微かな朱を注ぐのみ。
意を決する。殺る。
極限まで隠匿した魔力を練る。
が、そこでようやく違和感に気づく。
——魔力が消える。放出したそばから霧散する感覚。
大きく後方に飛ぶ。
鞄に捩じ込んでいた魔剣が俺の目覚めた隣に安置され、柄頭に埋め込まれた宝玉が陽光を反射している。
やはり魔力が消失される……が、この少女の間近程ではない。
吸収……いや、浄化の方が近いか。
一体どうなってる。
周囲の魔力を消滅させる能力なんか聞いたことがない。
邪神の寵愛を持つ者に対してのみ発動するのか……?
少女は上体を起こし目を丸くして視線を投げ掛けるのみで、立ちあがろうとすらしない。
分が悪い。
こちらは魔力をまともに扱えず、向こうの能力は未知数。
「……なんのつもりだ」
「なにって……助けてあげたんだから感謝の一つや二つしてくれてもよくない?」
要領を得ない返答。
というより、何も知らぬ第三者からは少女の好意を邪険にしてるだけに見える。
服の土を払いながら少女が立ち上がる。
念のためこちらの情報はまだ曝さない。
「勇者だろう。なぜここにいる」
「えっ! よくわかったね! なんで知ってるの?」
なんだこいつ……まだ恍ける気か……?
少女の眼からは隠し事をしている様子は見えない。
無防備な立ち姿。純真さを宿した瞳が輝く。
まさかこの勇者……試してみるか。
練り上げた魔力に邪神の気配を織り込み放出する。
そのほとんどが即座に浄化されるが、聖職者や女神の加護を持つ者なら極微量でも知覚して拒絶するほどの邪悪だ。
勇者は変わらず俺をマジマジと見つめるのみ。
そうか。
まだ得心が行かないものの、大方理解した。
——この勇者、周囲の魔力を感知できない。
近くに横たわった魔剣からも平生の禍々しい魔力を感じない。
推度するに、魔力を浄化する対象は制御できず、しかも浄化した魔力を認識できない。
周囲に発生した魔力を無差別に消滅させる力。
女神の加護に付随して得た能力——ではないだろう。
恐らく生まれつきだ。
今まで周囲の魔力を悉く浄化していたせいで、空間に漂う魔力を感知する感覚が失われている。
回復魔法を使えるということは、自身の体内に循環する魔力は知覚できるはずだが……
ともかく、こいつは俺の正体に気づいていない可能性がある。
カマを掛けてみるか。
「なんでも何も、お前から溢れる神聖な魔力は前代勇者と同じく女神の加護を纏っているからな」
「……そっか。ライトさんと同じ……」
反応が薄いな。
一般人では普通女神の加護を看破できない。
やはり魔力への認識が他者とズレていることを自覚している。
周囲の魔力を消滅させるイカれた能力……だが、女神に選ばれたのが運の尽きだ。
うら若き英雄の子よ——魔王を見抜けぬお前ではその天命を果たせない。
「ところで君、サヴァール共和国の出身でしょ。この辺じゃ黒髪黒目の子は珍しいからね」
曖昧に相槌を打っておく。
もしこの勇者の周りに俺の情報を知っている奴がいれば、ここで身の上を開示すべきでない。
サヴァール共和国。
近年の地図にはもうその国名は載っていない。
四年前魔族の侵攻により壊滅した。
「私の名前はクレア・プレノミスよ。知っての通り、新しく女神の加護を賜った勇者。あなたは?」
プレノミス……やはり前代勇者と同じプレノミスの血族か……。
勇者を名乗る少女。
俺と歳は同じくらい。
背丈は俺の方が少し高いくらいか。
私も名乗ったんだから、当然名前を教えてくれるよね、とでも言いたげな透き通った紅蓮の瞳。
俺の名前は——ない。
産みの親の記憶はない。
恐らくどこかでくたばっている。
仮の親のような者もいたが、あいつから貰った名前はもう捨てた。
どのみち本当の名前があっても正直に明かす訳にもいかない。
「……アゼル。そう呼んでくれ」
アゼル。
これからはそう名乗ることにする。
この勇者を撃ち倒すまでの仮の名だ。
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