第十三話:ターニングポイント
「謝ること……? それに最後って……」
昏睡から目覚め、床に手をついて上体を起こしたクレアが、戸惑いを隠せない様子で呟く。
クレアに真剣な眼を向けて、できるだけ淡々と説明する。
「まず……俺は——魔王だ。二年前、前代魔王デガンドがライト・プレノミスによって討たれた直後、人間であるはずの俺に邪神の寵愛が降りた」
クレアが大きく眼を見開く。
人間に邪神の寵愛が降りたという前例はない。
「……変な冗談はやめてッ! 私は勇者よ! 魔王が近くにいて気づかない訳——」
そこまで言って、クレアが口籠もる。
そう、彼女自身が最もよく理解している。
自分の魔力探知では、邪神の寵愛に気付けないということを。
「……信じられないというなら、証拠を出そう。——剣士ガロルド。お前と俺が出会った日、ガロルド・ペンジャーを殺したのは俺だ」
クレアがその深紅の瞳を大きく見開く。
ピンクの唇がわなわなと震えている。
クレアを必要以上に昂らせないよう、細心の注意を払って続ける。
「頼みといっても単純な話だ。今から俺の身体に邪神を降ろす。そうしたら、クレア。お前が、俺ごと邪神を殺してくれ。成功すれば魔王は今後生まれなくなり、失敗すれば世界が滅ぶ。わかりやすいだろ?」
目の焦点がズレたように、クレアはその焔を灯した双眸を空中に漂わせる。
そして俺の顔、左手、床に置かれた聖剣の順に視線を投げかけ、最終的に隣に立つローブを着た黒髪黒目の男性にその照準が合う。
「…………ねえッ! そこの人ッ! なんとかしてよッ! なんで……どうしてこんな……」
咽び泣きながら、恐らく味方ではないであろう男に懇願する。
クレアの目尻から流れ出た雫の軌跡が、蝋燭の淡い光を反射している。
同じく困惑しているレオニスを、俺は目で制止する。
「落ち着け、クレア。……これしか、お前を……お前たち人間を、守ることができない。呪縛の連鎖から、な」
「……私、アゼルに守ってもらいたいなんて言ってないッ!」
クレアは潤んだ瞳で俺を睨み付け、喉の奥から震えた声を振り絞る。
それに対して困り果てたような顔をして窘める。
「子供みたいなこと言うなよ、クレア。これはもう、俺たちだけの問題じゃない。人類、そしてこれから産まれてくるだろう人類、全員を守る為だ。……クレアが魔王討伐を目指す理由と同じだよ」
クレアは一瞬果てしない未来を観るような顔をしたが、すぐに食い下がってくる。
「ならッ! なら私がッ! アゼルを殺さなければいいでしょッ! 今までみたいにッ!」
「落ち着け、クレア。仮にお前が俺を殺さなくても、お前が死んだら次の勇者が俺を殺しにくる。もしそうでなくても、俺の次の魔王がまた人間とは限らない。…………恐らくこれが——ラストチャンスだ」
クレアが苦虫を噛み潰したような顔をして悶える。
やがて聖剣テュラントを手に取り、ふらふらよろめきながら拘束された俺の目の前まで歩いてくる。
「……なにをする気だ?」
俺の問いにクレアは答えない。
クレアは激昂して赤くなった顔を一層赤く染め上げて、さらにもう一歩俺の真ん前まで近づき、そして——
「……っんぐッ!?」
クレアが俺の唇に勢いよく唇を重ね、その柔らかく暖かい舌をねじ込んできた。
甘い唾液でトロトロになった舌を、無抵抗な俺の舌に絡ませてくる。
「……っぷはッ!! く、クレア……? これはどういう……?」
完全に塞いだ俺の口をようやく解放した後、クレアは一歩後退り、眼を斜め下に伏せ、口を左手で隠している。
クレアは何も答えない……が、そこで異変に気づく。
「——魔力の浄化が……弱まってるッ!?」
弱まってるといっても、未だに放出した魔力のほとんどが浄化されている……しかし、今まで全体の0.1%だけ浄化されずに残っていたのが、10%ぐらいまで残存しているといった感じで、俺からしたら雲泥の差だ。
「……くっ!」
クレアが聖剣を床に突き刺し、膝立ちで身体を支えるのもやっとの様子で堪えている。
恐らく、先程のディープキスがトリガーとなって魔力浄化を緩和したのだろう。
そして、クレアは今まさに俺の邪神の気配に初めて曝され、その絶対的な邪気に勇者として強烈な拒絶反応を起こしている。
暫くして、息を切らしたクレアが立ち上がる。
その顔色は、先程までとは打って変わり蒼白としている。
「……アゼル……今、終わらせるッ……。私が——『邪神の寵愛』を斬り捨てるッ!!!」
まさか——俺から『魔王という運命』だけを斬り離すというのかッ!?
今まで魔力探知もできず、邪神の気配すら感じ取れなかったのに……?
「…………そんなこと、できるのか? いや、できるとしても結局——」
瞬間、クレアが俺の右頬を叩く。
バチンッという乾いた破裂音が鳴り響く。
「私はッ!! アゼルの命がなにより大事なのッ!! 勇者とかッ! 世界平和とかッ! ——アゼルを守れなきゃ、意味ないのよッ!!!」
クレアの瞳には、俺の全てを導く太陽が力強く輝いていた。
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