第九話:船旅
優しい兄がいた。
血こそ繋がっていなかったが、俺にとって本当の家族は兄だけだ。
兄はいつでも俺に剣と魔法を教えてくれたし、俺を本当の弟として可愛がってくれた。
兄は世界の終焉を望んでいた。
俺を最後まで守ってくれた。
今度は、俺が兄の意志を守る番だ。
†
「クレアは、魔力欠乏によって周囲の魔力を浄化する能力が発動しなくなることを知ってたのか?」
「うん、エリス様の神託でね。でも実際に魔力欠乏が起こったのは初めてだよ」
クレアが腕を伸ばしながら答える。
クレアが内包する魔力は恐らく俺と同じくらい。
俺も魔王になってから魔力欠乏に陥ったことは一度もないしな。
「……そういえば、クレアはレベルいくつ?」
俺の問いに、クレアの動きが止まる。
あれ、聞いちゃまずかったか?
暫く斜め上を見ていたクレアが、誤魔化すように言う。
「え、えーと……アゼルが一発で当てれたら教えてあげる!」
「はあ? えーじゃあ……54?」
予想よりちょっと高めに答えると、ニコニコしたクレアが「ぶっぶー」と言いながら両腕でバッテンを作る。
……え、これ正解発表ない感じ?
クレアは俺の腕を引っ張って、船の甲板に連れ出した。
「ほら、めっちゃ海きれーだよ?」
貿易都市キラドの領主に次は東海岸を北上する予定だと伝えると、なんと都合の良い貨物船に乗せてもらえることになった。
この船の目的地はファーガン王国北東部の城塞都市グランツ。
あの地下水道のアジトにいた邪教徒を拷問しまくって、強いて言うならそこが一番カルヴァドル教団の本拠地がある可能性が高いと思った。
波が無数に刻まれ陽光を照り返す海面を、クレアが眼を輝かせて眺めている。
俺はその端正な横顔をじっと見つめてる。
……なんかエモいな、これ。
「クレアは船乗るの初めてか?」
「そうなの。だから今日船に乗るのすっごい楽しみだったんだー」
実は俺も不正乗船せずに船に乗ったのは初めてなのだが、それは伏せておく。
二人して落下防止用フェンスに寄りかかり黄昏れていると、急に貨物船全体が大きく揺れた。
揺れは徐々に大きくなり、転覆ギリギリの状態が続く。
振り落とされぬようフェンスにしがみ付いていると、やがてけたたましい音を立てて船を揺らした張本人が現れた。
「食船巨蛸ッ……」
全体的に焦茶色で、一本一本の触手は根本の方だと太さ二メートルはあるだろうか。
吸盤の大きさは不揃いであり並び方も歪だ。
八本の触手の内四本で船を押さえ込みながら胴体部分が海面から姿を現す。
「なにあれ! おっきいイカだよ、アゼル!」
蛸だって。まあそれは置いておいて。
「クレア、氷属性でクラーケンの動き止めて。そしたら俺が——」
俺が言い切る前に、クレアは既に甲板を走り高くジャンプして、空中で魔力を込めた聖剣を振るった。
斬撃の真空波は徐々に氷塊を巻き込みながら肥大化して空中を進み、クラーケンの頭部を切り裂いた。
その断面は凍てついていて、しかも凍結は徐々に触手全体にまで侵蝕する。
クレアが凍った触手を強く踏み飛ばして宙返りしながら甲板に着地する頃には、全身氷漬けにされたクラーケンは氷が割れると共にバラバラに崩れ、海の波に呑み込まれていった。
「あれ、ごめん。バラバラにしちゃった。もしかして、食べたかった?」
は? バケモンかこいつ。
「いや、クラーケンの肉は美味しくないらしいし……じゃなくて、なに今の技。あんなの歴代の勇者にも中々できる芸当じゃない」
クレアは照れくさそうに頬を掻いて、
「あはは……やってみたら、なんかできちゃった。なんか、遠くからでも斬れる気がしたんだよね」
こいつ、天才すぎるだろ……
やろうとしてできる技じゃねえ。
てか、遠距離斬撃に属性付与までできるとか、ほんとにレベルいくつだ?
魔王討伐二周目???
俺が目を白黒させて立ち尽くすのをクレアが不思議そうに眺めていると、若い男性の船長が甲板室から走って出てきた。
「いやー助かった! 君たちがいなかったらあのまま海の藻屑になってたよ!」
船長とクレアが握手する。
ちょっとモヤモヤして目を逸らす。
「いえいえ、勇者として当然のことですから」
「若いのに頼もしいな! お礼と言っちゃなんだが、グランツに着いたら穴場のレストランに……」
チラッと視線を向けてきた船長をギッと睨みつける。
船長は怯えた顔をして、やっぱりなんでもないと言い残して足早に去っていった。
「船で海魔を撃退するなんて、物語に出てくる勇者っぽくて良いよね!」
あんなデカい蛸を一撃で屠ったとは思えないほど無邪気な微笑を浮かべている。
「ま、そうだな。初めて乗った船でクラーケンに襲われるなんて、勇者としての運命力があるのかもな」
「ちょっと! 私のせいで魔物に襲われたって言いたいの?」
少し揶揄うと、クレアは怒った風に笑い出した。
とはいえ、クレアは歴代の勇者の中でも特に数奇な運命を課せられているのかもしれない。
そしてその一端は、間違いなく俺が握っている。
もしも、俺が魔王でなく、あるいはクレアが勇者でなかったら、俺たちはどんな関係になっていただろうか。
いや、そもそも出会うことすら……
「あっ! 城壁に囲まれた街が見えてきたよ!」
クレアが指差した方に視線を向ける。
城塞都市グランツ。
街全体を囲む正六角形の城壁と、煉瓦造りの赤い街並みが一望できる。
「……着いたら、ご飯食べに行こうか。……二人で」
クレアが眩しい笑顔で頷いた。
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