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9試合目:夢の国の、すこし現実

「この土壁の汚れ、見てください。……人のシルエットに見えません?」

「え、ほんとだ」

「ここで炭鉱事故があって、亡くなった人の跡なんです」

「こわっ!」


 デズニーランド三大マウンテンのひとつ、ビッグバンマウンテン。その待ち列の最中、桃井ひかるは八坂明にバックストーリーを語っていた。


 6月の平日。園内はそこまで混んでおらず、ビッグバンマウンテンも30分待ち。

 そしてその30分のあいだ、ひかるはまるでガイドのようにアトラクションの裏設定や都市伝説を延々と語り続ける。


「ちなみに、あそこの木箱、昔はもっと近くにあったんですよ」

「へぇ。なんであんな遠くなったの?」

「バカなタックタッカーがよじ登って塗装剥がしたからです」

「……悲しい話だな」


 デズニー初体験の明は、目をキラキラさせながら話を聞いていた。

 後藤比奈も「へぇ〜」と素直に感心し、そして門真京子でさえ——


(……なにその知識。ちょっと、悔しいくらい面白いじゃない)


 ほんの少し、モヤモヤが薄れていた。

 意識高めの田中も何か話に入りたくて、床を指差す。


「じゃあこの床の汚れは!?」

「それはただの経年劣化ですね」


 ひかるが即答で斬り捨てた。田中の目から光が消えた。


 列はじわじわと進み、5人は小さな団子のようなかたまりに。前から順に明とひかる、その後ろに京子と比奈、最後尾に田中。


 京子はワクワクとドンヨリの混ざった感情をなんとか抑え込もうとしていた。


(……なにを不機嫌になってるのよ、私。ひかるちゃんがあんなに説明してくれてるのに、失礼じゃない)


 気を紛らわせようと、遠くの岩壁の装飾に視線を向けていたとき——

  誰かに、肩を軽くトントンと叩かれた。


「門真さん、大丈夫ですか?」


 横を向くと、明が心配そうな顔をして立っていた。前を見ると、ひかるは比奈と田中に熱心に語り続けている。

 心臓が一気に跳ね上がる。声をかけられた嬉しさと、戸惑いと、なぜか焦り。


「な、なにが? あなたの頭が?」

「違いますよ。……なんか、門真さん、元気なさそうだったんで」


 本気で心配してくる、そのまっすぐな目がまたズルい。

 鼓動が、胸の奥でひときわ大きく鳴った。


(やめてよ……そういう顔、するの)


 これ以上、感情が漏れ出したら気づかれそうで、京子は心の中で懇願する。


「……別に。ちょっと疲れてるだけよ」

「無理しないでくださいね。このアトラクション終わったら、どっかでジュースでも飲みましょうか」


 明がふっと笑う。その優しさに、また口が勝手に動いてしまう。


「夢の国でもコーラなの?」

「……エスパーか何かですか?」

「誰だって分かるわよ!」


 言い返す自分に、少しだけ笑いそうになる。

 ジェットコースターが動き出す前から、京子の心臓はもうフル稼働していた。


* * *


 ビッグバンマウンテンを堪能した5人は、レストランの混雑を避けて、早めのブランチをとることにした。

 ひかるの案内で向かったのは、近くのウエスタン風レストラン。ログハウス風の店内に入り、みんなでメニューを広げる。


「おすすめはこれです! グルメサラダチキン!」


 ひかるがメニューを指差して得意げに言う。

 その瞬間、京子は隣の明の顔がわずかに曇ったのを見逃さなかった。


(……この男、どこまでジャンクフードしか愛せないのよ)


 呆れつつも、京子もメニューに目を通す——そして、察する。

 どの料理も、軽く三千円超え。


 常盤西院高の生徒にとっては、むしろ安く感じる値段。でも——


『僕の家、あんまり経済的に恵まれてなくて……』


 以前、明が何気なく言っていた言葉が、唐突に頭の中で反響する。


「僕、いまダイエットしてるから……今日はいいかな」


 明が笑顔で言う。


「お前がダイエットしてたら、俺は断食しないとダメだろ」


 田中が笑って突っ込む。明は「ごめん」と両手を合わせた。


 その姿に、京子の胸がチクリと痛んだ。


 (無理してるの、バレバレじゃない……)


 ひかるは「食べないなんてありえません!」とブーブー言い出すが、明が「じゃあ少しだけ食べる」ということで折り合いがつく。


 それから10分ほど、明とひかる、比奈の三人がとりとめのない話で盛り上がっている間に、全員分の料理がテーブルに並ぶ。


「いただきまーす!」


 みんなが手を合わせ、食べ始める中——


「……私、これ苦手かもしれないわ」


 グルメサラダチキンを一口食べた京子が、眉をひそめてつぶやいた。


「えええええ!?」


 ひかるがフォークを止めて叫ぶ。


「ドレッシングの質が悪いわ。これはちょっと無理」

「口に合わないなら仕方ないですけど……門真先輩、なかなかのお嬢様ですね。そこも可愛いです」


 ひかるがうっとりとした顔で京子を見る。

 京子は無言で、自分の皿を明の前に押し出す。


「えっ……?」


 驚く明に、京子は視線を合わせずに言った。


「あなた、食べなさい。私はあなたの保護者に任命されたのよ。……食べ残しを処理するのは当然でしょ」

「……普通、逆じゃない?」


 比奈が的確にツッコミを入れるが、京子は聞こえないふりでさらに皿をグッと押す。

 少し照れたように目をそらす京子に、明もわずかに顔を赤らめ、「じゃ、じゃあ……ありがとう」と小さく答える。

 京子はそれに反応せず、咳払いをひとつしてからメニューを開いた。


「……この『炭鉱オムライス』にしてみるわ」

「あ、それ、亡くなった炭鉱のおじさんの好物って設定です」

「……なんか、すごく複雑なんだけど」


 カントリー調の音楽が静かに流れる店内。

 わずかに交わされたやり取りが、張りつめていた空気をほぐす。

 四班は、ごくささやかに——でも確かに、距離を縮めていた。


* * *


「いきなりなんですけど……あのポップコーンバケツ、買ってもいいですか?」


 レストランを出てすぐ、ひかるが少し申し訳なさそうに指をさす。

 その先には行列と、『6月限定! レインコート・ヘルシーマウスのポップコーンバケツ』と書かれた看板。

 価格は五千円。学生には少し贅沢な額だった。


「……レアなの?」


 比奈が首を傾げる。


「はい、今月だけの限定です。どうしても欲しくて……」


 ひかるの目はバケツに吸い寄せられるように釘付けになっている。口元には、大量のよだれ。


「お前、それ病院で診てもらったほうがいいよ」


 明が淡々とつぶやく。けれど、ひかるは聞こえていないようだった。


「私も、ちょっと気になるかも」


 ひかるの熱量につられるように、比奈も興味を示す。


「他のみんなはどうする?」


 比奈が後ろを振り返る。


「僕は……いいかな。この辺、少し散歩してます」


 明が微笑みながら答えると、


「……あなたスマホないでしょ。迷ったら終わりよ」


 京子の一言が静かに突き刺さる。


「……それもそうですね」


 明が素直に頷いた。


「……私がついていくわ」


明が目を丸くする。


「ジャンクフードばっか食べてるから、カロリー減らしたくて散歩したいんでしょ? けど迷子になる未来しか見えないわよ。私はあなたの保護者に任命されてるんだから、当然でしょ?」


 口調はあくまで強気だが、ほんの少しだけ耳が赤い。


「じゃ、じゃあ……お願いします」


 明が、頷いた。


「じゃあ、俺たちはバケツを買ってくるぜ!」


 田中が親指をグッと立てた。実のところポップコーンバケツは全く欲しくないのだが、京子が怖いので列に並ぶことにしたのであった。


 田中の背中をちらりと見ながら、明と京子は人の少ない方向へ歩き出す。


 デズニーランドの小道。木漏れ日の差すベンチのそばを通りながら、2人は足並みを揃える。


「……めちゃくちゃ凝ってますね~」


 明がファンタジーの町並みを見ながら言った。


(⋯⋯幸子さん⋯⋯助けて)


 一方、京子は脳内で幸子さんを召喚しようとしていた。


(どういうシチュエーションなのこれ? 男女が2人で歩くのって、どのぐらいイレギュラーなことなの!?)


 幸子さんの顔だけが現れ、優しく微笑んだ。


(京子さま⋯⋯素直になってみてください)


 脳内幸子さんの後押しがあっても、何を言えばいいか分からない。


 京子が一瞬明を見て、すぐに顔をそむける。

 京子の顔は真っ赤だった。周囲の楽しげな空気、カップルたちの姿、流れるファンタジックな音楽——すべてが非日常の雰囲気を醸し出す。

 しばらく歩いたところで、明が足を止める。


「……さっきのサラダ、譲ってくれましたよね」

「……え?」

「ほんとは苦手なんじゃなくて、僕が何も頼まなかったの見て……。なんとなく、そうかなって」


 京子の口が、何かを言いかけて止まる。


「……ありがとう、門真さん」


 真剣な眼差しの明。その顔に、京子は思わず目を伏せる。


「……私の方こそ、言わなきゃいけないことがあるの」


 ほんの少し震える声。けれど、しっかりとした眼差しで明を見た。


「あなたに、ちゃんと……謝りたいことがあって——」


 そのときだった。


「……あれ? あっきー?」


  不意に背後から飛んできた、聞き覚えのない声。


 京子と明が振り返ると、そこには私服姿の女子が三人。目を輝かせながらこちらへ手を振っていた。どこか垢抜けた雰囲気を纏った彼女たちは、東京に来る前——明が奈良のインターナショナルスクールに通っていた頃の、元クラスメイトたちだった。


「え、あっきーやんな!? 久しぶり〜!」


 その中でもひときわ目立つ、背の高い金髪の少女が小走りで駆け寄ってくる。


「……ニコ? お前、なんでここに?」


 明が小さく驚いたように目を見開く。


 懐かしさと戸惑いの入り混じった声。いつもの柔らかな表情とは違う、どこかよそ行きの顔。


 京子は、その横顔をじっと見つめていた。


 さっきまで自分に向けられていた視線。あの真っすぐな目と声が、別の誰かに向けられた瞬間。


 メルヘンなBGMが、いつの間にか遠くに聞こえる。


(10試合目に続く)


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