8試合目:カチューシャ持参民
「デズニーランドですよ、デズニーランド!」
6月中旬、1時間目後の教室。八坂明の机の前で、桃井ひかるがぴょんぴょん跳ねていた。
「来週の校外学習、デズニーランドなんですってば!」
「えっ、マジで?」
座ったままの明が、思わず笑顔になる。
「そうなんですよ。なんか、“たまにはガス抜きも必要”っていう名門校の余裕らしいです!」
「へぇ⋯」
明が納得しかけたそのとき。
「……で、なんでお前がそんなに嬉しそうなんだよ」
「そりゃあ私も行くからに決まってるでしょ?」
ひかるが当然のように胸を張った。
「私ほどデズニーを愛してる人間、他にいます? どんな手を使ってでも同行しますよ。特権ですから、特権」
「何者だよ⋯」
明が苦笑する。
本来、1年生のひかるが2年の校外学習に同行する理由はただひとつ——八坂明である。
すでにリサーチ済みだ。明はデズニーランドに行ったことがなく、さらにスマホも持っていない。
このあたりの高校生なら、一度は行ったことがある。待ち時間はスマホで潰し、並びながら自撮りやストーリー更新が定番。だが、明は違う。どんな小ネタもリアクションしてくれる究極のゲスト——デズニーマニアにとっての最高の素材。
(こんな逸材、連れ回さずにいられますかっての)
ひかるの目が、どこかハンターのように光っていた。
「当日は絶対に、やさせんの班に入りますからね! 覚悟しておいてください!」
満面の笑みで手を振り、桃井ひかるは勢いよく教室を去っていった。
「八坂くん、ひかるちゃんと仲いいじゃん~」
ポニーテールを揺らしながら、クラスメイトの後藤比奈がひやかすように言う。
「っていうか、桃井って何者?」
「理事長の娘だよ」
「立場の私物化がすごくない⋯⋯?」
わはは、と笑い合う2人。
その笑い声を、教室の隅の席で門真京子は聞き流していた。机に肘をつき、頬杖をついたまま、うっすらと眉間にしわ。
(⋯⋯あの男、なんであんな楽しそうな顔してんのよ。まさかデズニーが嬉しい? それとも——)
頭の片隅に、嫌な想像が湧き上がる。
(⋯⋯ひかるちゃんと一緒に回れるのが嬉しい、とか?)
その考えを否定しようとすればするほど、胸の奥がざらついていく。
(ていうか、いつの間に“桃井”呼び? “お前”って何? 誰が許可したのよ。私の知らない間に何があったの? え、なに、イベントスキップした? こいつ、やっぱり種馬なの?)
京子の思考が混沌としてきた頃、前の席の女子がくるりと振り返った。
「京子ちゃん、一緒の班だったらいいね!」
「え、ええ⋯⋯私も一緒がいいわ」
「くじ、こっそり細工しちゃおっか〜」
イタズラっぽく笑うその子を見て、京子はようやくひとつの結論にたどり着く。
(⋯⋯そうよ。せっかくのデズニーランドなんだから、モヤモヤしてる場合じゃない。全力で、満喫してやるんだから)
そう決意した、はずだった。
ーーしかし翌日。
『四班:八坂明、田中裕太、門真京子、後藤比奈』
黒板に貼り出された班分けの紙を見た京子は、その場でフリーズする。
(い、一番モヤモヤするメンツじゃない⋯⋯!)
「お、一緒ですね」
「ッ――!」
音もなく背後に現れた声に、門真京子の肩がピクリと跳ねた。驚いて振り返ると、そこにはのんびりとした顔の八坂明。
「⋯⋯そ、そうみたいね」
なんとか平静を装って返すも、声が若干うわずっている。
「門真さんは、デズニーって行ったことあります?」
「⋯⋯何度か」
幼い頃、母に手を引かれて歩いた記憶。着飾ったワンピースも、満面の笑みも、プレッシャーで窒息しそうになる前の頃。
「へぇ、そうなんですね。僕は初めてなんで、楽しみです」
明が素直な笑顔を見せる。それが、なぜか少しだけ癪に障った。
「⋯⋯子どもみたいな感性ね」
「まぁ、ハンバーガーとコーラでできてるような人間なんで、否定はできないっすね」
冗談交じりに笑う明の横顔を、京子は一瞬だけ睨むように見つめた。
(⋯⋯そういうの、ズルいわよ)
と、言えたならどれだけ楽だろうと思いながら。
* * *
「はーい、こっちこっち〜! 整列〜! 夢の国の入口でバラけるとか、愚の骨頂ですからね〜!」
校外学習当日。デズニーランドのゲート前、マスコットキャラ『ヘルシー・マウス』のカチューシャを全力装備した桃井ひかるが、テンションMAXで四班を仕切っていた。
「⋯⋯ほんとに来たんだ、この人⋯⋯」
後藤比奈が呆れと愉快を半々に込めた声でつぶやく。
その横で、八坂明はきょろきょろと視線を彷徨わせながら、なんとか無表情を保とうと奮闘していた。だが——
目元には輝き。それも、かつてないほどの。
「バレバレだよ、八坂くん⋯⋯」
比奈が笑いながら肘でつつくと、明は慌てて視線を逸らした。
「⋯⋯ちょっと見とれてただけ。浮かれてるってわけじゃ⋯⋯」
「はいそこ、イチャつかない!」
少しだけ空気が甘くなった明と比奈の間に、桃井ひかるが勢いよく割って入る。『ヘルシー・マウス』のカチューシャが、彼女の突入スピードに合わせてぷるんと揺れた。
一方、同じ班の京子と田中は、テンションがシベリアの気温並みに低かった。
(よりによって⋯⋯門真さんと一緒⋯⋯)
田中は震える手でリュックの紐を握りしめながら、チラリと京子を横目でうかがう。その目に映るのは、まごうことなき“処刑前の無表情”。
(マジで帰りたい⋯⋯)
実際、彼はかつて軽率に八坂明の陰口を叩いて注意され、軽く凍死しかけた過去を持つ。
一方の京子も、どこか浮かれた様子で女子2人に囲まれている明の姿が目に入り、得体の知れないもやもやに心を支配されていた。
(なにあれ。⋯⋯楽しそうにしてるわね。別に、いいけど)
その場で「やっぱ帰る」と言って踵を返したら、彼はどうするだろう——。
そんな子供じみた妄想が頭をかすめ、自己嫌悪でさらに機嫌が悪くなる。
「門真先輩〜! 夢の国でその顔はダメです! ほいっ!」
ひかるがどこからともなく取り出した『ヘルシー・マウス』のカチューシャを、勝手に京子の頭にかぶせた。
むすっとした顔で腕を組む京子。その無理やり感満載の姿が、皮肉なことにめちゃくちゃ似合っていた。
(やば⋯⋯かわいい)
田中が、かつてのトラウマを一瞬で忘れ去り、口をぽかんと開けて見惚れる。
田中の目がギラリと輝き始める。
(⋯⋯これ、俺の立ち回り次第では、ワンチャンあるんじゃね? 一人くらい好感度上がるんじゃね!?)
――バカなので、一気に元気が出てきた。
そんな田中をよそに、ひかるがカチューシャを全員に配りつつ、スマホを取り出す。
「まずは、万が一はぐれたときのために、LINE交換しましょう!」
みんなが頷き、ポケットからスマホを取り出す――明以外は。
「ごめん、僕スマホ持ってないんだよね」
申し訳なさそうに言う明に、ひかるがすかさず人差し指を振った。
「ちっちっち。問題ありません。すでに把握済みです」
「なんで知ってんの!?」
「やさせんは、はぐれたら迷子センター直行でお願いします」
「それってマジで保護対象じゃん⋯⋯」
カチューシャ姿で狼狽する明。その姿があまりにも間抜けで、京子は思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「冗談です。やさせんには、常に誰かがついてもらいます」
明がホッと胸をなでおろし、隣にいた田中の方へ向き直る。
「裕太、頼むわ」
「お、おう!」
と応じようとした田中の目の前で、ひかるが容赦なく手刀を叩き込むように制した。
「あ、田中先輩は頼りにならないので却下です」
「えええぇっ!?」
田中が思わずスマホを取り落としそうになる。ちなみにこの場で一番カチューシャが似合っていないのは彼である。
「やさせんには、門真先輩についてもらいます!」
「えっ!?」
今度は京子が声を上げ、思わず目を見開く。
「一番頼りになるし、デズニー経験者ですし! そういうわけで、よろしくお願いしますっ!」
両手を合わせてペコリとするひかる。その姿を見た京子の視界に、一瞬後光が差した。
(ひかるちゃん⋯⋯あなたって⋯⋯)
まるで救いの女神でも見るように見つめながら、
(……もしかして、天使なの?)
ーーその「なぜ嬉しいのか」は、自分でも深く考えないようにして、京子は小さく頷いた。
(9試合目に続く)