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6試合目:あこがれ

「八坂って、いいやつだけど⋯⋯正直、あんまり面白くはないよな」


 六月の木曜、掃除の時間。門真京子は、教室の隅で黙々と机を運んでいた。

 隣では田中裕太が、自分の友人らしき男子とだらけた手つきで雑談を交わしながら雑巾を走らせている。


 普段なら他人の会話には一切興味を示さない京子だが——今日ばかりは、なぜか耳が勝手に拾ってしまっていた。


「なにそれ、嫉妬じゃね?」

「いや、ちげーよ。たださ⋯⋯あいつ、ちょっと“良い子ちゃん演技”してる気がしね?」


 ぞわり、と背筋を冷たい何かが這う。

 京子は無言で両頬を軽く叩き、気を逸らすように机の脚を揃える。


「ちょっとクール感出してるっつーか。なに考えてんのか、イマイチ見えないんだよな」

「てか、あいつどこから来たの?」

「知らね。自分のこと、全然話さねーよな。あれ“ミステリアス系”狙ってるだろ」


(⋯⋯キャラを、作ってる? あの男が?)


 思考が濁っていくのを感じながら、京子は一つの机をドン、とやや乱暴に床へ置いた。

 説明の出来ない怒りがメラメラと湧き上がる。


「モテるのも、結局は顔ってことだよな〜。俺らは中身で勝負してんのにさ」

「⋯⋯」


 机の脚が床を打つ音に、田中たちはびくりと肩を跳ねさせ、京子の方を振り返った。


「あ、あの、門真さん!? ごめん、ちょっと話に夢中になっちゃって!」

「マジすみません! 俺もう箒かけるわ!」


 しかし京子は怒鳴りも罵倒もせず、淡々と問いを放つ。


「⋯⋯あなたたち、八坂明と“親しい”の?」


「え? ま、まぁ休み時間とか⋯⋯たまに一緒にメシ行ったりは、するけど」

「つまり、友達?」


 氷のような声だった。

 京子の切れ長の目が鋭く光り、泣きぼくろすら、その威圧感を際立たせている。


「⋯⋯友達、です⋯⋯」


 田中の声が一段階トーンを落とす。その隣の男子が、なんとか空気を和らげようと補足した。


「いや、その、男同士の軽口っていうか、悪気はないんだよ? なんか⋯⋯ノリで言っちゃって」

「そう。じゃあ最低のノリだから、黙ってて」


 京子は冷たく言い捨て、くるりと背を向けた。

 田中は慌てて雑巾を取り出し、隣の男子も一緒に必死で掃除を始める。


 京子は無言のまま、再び机を運び出した。

 けれど心の中では、モヤのような不安が立ち上がっていた。


(⋯⋯もしかしてあいつ、私の前でも“キャラ”を演じてるの?

 私のことも、どこかで笑ってたりする?)


 明が友達相手の京子のことを面白おかしく弄る風景を想像する。

 胃がぎゅっと締り、胸が苦しくなった。


*  *  *


 掃除が終わると、京子は予定通りパソコン研究部の部室へと向かった。

だがその途中、校舎裏にある自販機の横を通りかかったとき、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。


「いや門真さん怖すぎてビビったわ、マジでwww」


 田中の声だ。今度は、どうやら自分の陰口を叩いているらしい。

 聞き流して通り過ぎようとした、その瞬間──もう一人の声に、京子の足が止まった。


「お前が掃除してなかったからでは?」

「にしても、あそこまでキレるか? 顔は可愛いのに中身が残念すぎるんだよな~」


 ──八坂明。


 一瞬、心臓が跳ねた。

 京子は反射的に壁の裏へと身を潜める。


(⋯⋯聞き間違い、よね?)


 祈るような気持ちで耳をすませる。でも、声ははっきりと八坂明のものだった。

 まるで、全身の血が逆流するような感覚。

 逃げたいのに、足が動かない。耳だけが、その場に縛りつけられる。


 数秒が永遠のように過ぎて──


「お前、口に気をつけたほうがいいぞ」


 声のトーンが、低い。いつもの柔らかさがない。

 京子は息を呑む。


「は? なにマジになってんだよ」

「お前が悪いくせに、門真さんの悪口とか⋯⋯普通にダサいぞ」


 一瞬の沈黙。その間にさえ、明の口調の変化に京子の鼓動はさらに高鳴る。

 今までで一番、彼の“怒り”を感じた。


「お前、門真の影響で口悪くなってね?」

「⋯⋯かもな。言いすぎたのは謝る。ごめん」


 缶ジュースを買う音が、間に入る。

 ふたを開ける音と一緒に、明の声が、優しく──けれど揺るぎなく響いた。


「ただ、門真さんの悪口だけはさ⋯⋯せめて僕の前では言わないでくれ」

「はぁ?」

「あの人は──僕の、憧れの人だから」


 京子は限界だった。

 心臓は暴れ馬のように跳ね回り、顔の温度が一気に上昇する。


 自分でも意味が分からないまま、音を立てずに駆け出し、部室に到着すると同時に机に突っ伏した。


* * *


(な、なによそれ⋯⋯)


 息ができない。

 過去にどれだけモテようと、こんな感情は初めてだった。


(わ、私が⋯⋯あの男の“憧れ”の人?)


 初めての感覚に戸惑う。


(もしかして私って、あの男のことが、すーー)


 京子は勢いよく顔を起こすと、自分に言い聞かせるように手を振った。


「ないないない! それだけはないわ!」


 声が裏返る。誰もいないのに、無理やり冷静さを取り戻そうと必死だった。

 恋だなんて、そんなの──ありえない。


「出会って一ヶ月で好きになるなんて、実質一目惚れじゃない。脳科学的にありえないわよ、そんなもの」


 早口で自分への説得を試みる。


「これは、そう──ただの悔しさ! あの男に毒舌が効かないことへの苛立ちと、私を“憧れ”とかいうナメた認識にムカついてるだけ!」


 そう言って何度も頷くが、耳の奥には「憧れの人」という言葉が残響していた。


 突如、静かに開いたドアから、明が何も知らない顔で入ってきた。

 片手にはお馴染みのゼロカロリーコーラだ。


「⋯⋯お疲れさまです。掃除、大変でしたか?」


 その、いつも通りの柔らかい声が、今だけ異様に胸に刺さる。

 京子は机に突っ伏したまま、ひくひくと肩を揺らした。


「⋯⋯っ、別に。普通だったわ」


「あ、はい⋯⋯?」


 明はやや戸惑いながらも、パソコンのスイッチを入れる。


 京子は机に顔を埋めたまま、目だけで明を追う。

 さっきの“あのセリフ”が、耳の奥で繰り返されていた。


『あの人は、僕のあこがれの人なんだ』


(⋯⋯し、知らなきゃよかった)


 でももう、知ってしまった。

 勝手に意識して、勝手に恥ずかしくなって、勝手に心拍数がバグっていく。


「そういえば門真さん」


 ふいに明が話しかけてきた。


「今日、なんかいつもより静かじゃないですか? 暴言少なめというか、毒素控えめというか⋯⋯僕が勝手にPCを起動しても怒られないし⋯⋯」


「⋯⋯」


「もしかして、何かありました?」


 その優しさが、ますます京子を動揺させる。


「な、ないわよ。別に何も。なんっっにもなかったわ。ゼロよ、そのジュースの栄養素なみに」

「えっ、急に多弁に」

「それ以上喋ったら墓を荒らすわよ」

「誰の!?」

「うるさいわね、墓荒らししてそうな顔してるのよ! 黙祷でもしてなさい!」


 喋りながら、心臓のうるささをごまかすように早口になる。

 なのに、明はいつもの穏やかな笑顔のままだった。


「門真さんが元気そうでよかったです。あ、コーラ飲みます?」

「⋯⋯」


 ほんの一瞬、視線が吸い寄せられる。


(なにこれ、めっちゃ飲みたい)


 でも素直に受け取るなんて、そんなの絶対に無理。


「いらない。ていうか人工甘味料の味、舌がバカになるから無理。体に悪いし、思考力落ちるし、それ飲んでるとIQ溶けるわよ?」


「そういえばこのパソコンのスペックから僕のIQまでジャンプしたら死ぬとか言ってましたよね。あれ、好きでした」


(好き!? えっ、ああ、あの罵倒が!? よね!?)


「⋯⋯とっとと用事を済ませて交代しなさい」


 そんなやりとりをしながら、

 京子の耳には、まだあの一言がこびりついていた。


『あの人は、僕のあこがれの人なんだ』


 心臓が、ひときわ強く鳴った。


* * *


 本日の敗者:2人の生徒にガチギレされた田中くん。


京子、ついに“好き”の入り口に立ちました。

本人は全力で否定してますが、脳内は完全に「憧れループ」です。

次回はさらに心がバグっていきます。お楽しみに。

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