5試合目:ボイスチャットはOFFがオススメ
「あなた、脳みその代わりにでんでん太鼓でも入ってるんじゃない?」
放課後のパソコン研究部。遠くからは野球部のかけ声が微かに響く中、京子の毒舌が部室に鳴り響いていた。マイクに向かって早口でまくし立てるその姿は、もはや儀式のようである。
明が転校してきてから数週間。彼もひかるも、すっかりこの部室に通うのが自然になっていた。京子と明がパソコンを交代で使う習慣もそのまま。ひかるに至っては、週に2〜3回ふらりと現れては、よだれを垂らして満足げに帰っていく。
そんなある日。珍しく全員が揃っている状態で、京子の暴言がフルスロットルで炸裂していた。
「なに? モゴモゴして聞こえないんだけど。おちょぼ口なの? アヒル?」
「門真さん、今日も絶好調だな⋯⋯」
明が呆れた顔でひかるに視線を送る。
「そうですね〜」
ひかるはスマホをいじりながら、他人事のように頷いた。
「ゲームに夢中な門真先輩も、それはそれで可愛いですけどね」
「⋯⋯暴言吐いてないほうが可愛いと思うけど」
「やさせんは分かってないですね〜」
ひかるが肩をすくめる。「やさせん」というのは、ひかるが勝手に名付けた明のあだ名である。
「見た目クールビューティーなのに、あの子供っぽい癇癪。あれがギャップ萌えってやつなんですよ」
「⋯⋯けど今日は、なんか過激すぎないか?」
明がそっと京子の方を見やる。確かに、今日の京子はいつにも増してトゲトゲしい。
「タンポン」「外国行ったことなさそう」など、地味に陰湿なワードが1分ごとに飛んでくる。
「門真さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょ」
京子がドン、と机を拳で叩く。
「何日も連続で、同じ味方に煽られてるのよ」
「じゃあ⋯⋯ブロックすれば?」
「なんで私が引かなきゃいけないのよ。悪いのはこっちじゃなくて、あっちでしょ?」
門真京子は、“不快なやつをブロックしたら負け”という謎のポリシーを抱えていた。
「門真先輩、可愛い⋯⋯」
ひかるが両手を頬に当ててうっとりする。
「ありがとう、ひかるちゃん」
京子は笑顔で返すが、その直後ヘッドホンからは罵詈雑言が漏れてきた。
「はあ? お前に話しかけてないんだけど? 空気読めないの? 黙ってろや寄生虫」
「⋯⋯門真さん、それミュートでよくないですか? メンタルやられますよ」
「ダメ。ミュートしたらあいつの“勝ち”になるじゃない」
「いや、どっちにしろ負けてない⋯?」
京子は返事をする代わりに、ジト目で明を睨みつけた。
そのままの流れで、手元の操作をカチカチと切り替え、ゲームとVCの音声がスピーカーに切り替わる。
そして、部屋中に嫌な声が響き渡る。
『お前誰と喋ってんの? もしかして見えない友達系? それとも一人で配信ごっこ? クソ痛いんだけどwww』
「⋯⋯あなたが責任とって、このイキリバカを黙らせなさい」
京子がマイクを明の前に突き出す。
「はあ!?」
「私のメンタルヘルス、気になるんでしょう? じゃあ、このタコをどうにかしなさい」
「ええ⋯⋯」
明はしぶしぶマイクを手に取り、恐る恐る口を開く。
「も、もしもし⋯⋯?」
『あ? 誰だよお前。なに? 女が言い返せないから彼氏に喋らせてんの? ダッセwww』
その瞬間、明の表情がぴくりと変わる。マイクをやや遠ざけ、ゴミを見るような目で一言。
「⋯⋯人間としての底辺だな、こいつ」
「きたああああああああああ!!!!」
ひかるの叫びが部室に木霊する。彼女の口元から勢いよくよだれが噴き出す。
「でたー! たまに出るやさぐれやさせん!! 今ので私の水分、枯渇した!!」
京子は明にもひかる(の洪水)にも目もくれず、冷静に操作を続ける。
「⋯⋯ええと。もしもし、なんでそんなにイライラしてるんですか?」
『え、お前誰に喋ってんのwww? 独り言? 怖ッwww』
明はマイクを一度手で覆い、京子に小声で聞いた。
「この人の名前、なんて言うんですか?」
「マチュピチュ野郎よ」
「⋯⋯なぜマチュピチュ⋯⋯?」
明が若干引きつりながらも、律儀にマイクを戻す。
「マチュピチュ野郎さん。あなたに聞いています。なぜそんなに暴言を吐く必要があるんですか?」
『お前の彼女も同じ口してんじゃんwww。どっちも性格終わってんねwww』
⋯⋯ぐうの音も出ない。
「いいえ私は上手いから暴言が許されるの。こいつは下手なのに暴言を吐いているからムカつくのよ。そのことを伝えてちょうだい」
京子の弁解を無視し、明は一生懸命に説得を試みる。
「その⋯⋯ゲームぐらい、みんなで仲良くできませんか?」
「『ゲームぐらい?』」
マチュピチュ野郎と京子の声が重なる。
「『舐めるなよ、小僧』」
(この人たち仲良くなれるんじゃ⋯⋯)
明が呆然と立ち尽くしていると、ひかるが腕を組みながら「やれやれ」と言い、マイクを取った。
「わかってませんねー、やさせん。こういう人にはこれが効くんですよ⋯⋯」
ひかるは目をきらりと光らせた。
「見ていてください! 女子に嫌われがちな女の威力を!!」
ひかるがマイクに向かって、いつもより2オクターブ高い声で話し始めた。
「こんにちは〜! お兄さん、すっごく面白いですね〜! 聞き入っちゃいました♡」
『⋯⋯誰だよお前⋯⋯』
明らかにさっきよりトーンの落ちた声で、マチュピチュ野郎が答える。
「妹です〜! いつもお姉ちゃんのゲーム、後ろで応援してるんですっ」
『⋯⋯お前の姉貴、人間性終わってるから黙らせとけよ』
「すみません〜! お姉ちゃんちょっとツンデレなんですぅ。素直になれないだけで、ほんとは優しいんです!」
そう言ってウインクするひかる。一方、京子の眉はピクピクと痙攣していた。
「ひかるちゃん、媚びてどうすんのよ! その男を今すぐ焼却処分しなさい!!」
女子高生とは思えない殺意を前に、ひかるが「任せてくださいよ」とニヤリ。
「わたし前からこのゲームに興味あって〜、マチュピチュ野郎さん、教えてくれませんか?」
『⋯⋯別にいいけど、お前のランクは?』
ひかるが勝ち誇ったように笑った。
「ってヴァーーーカ!! お前が教えられることなんてねーから!」
ひかる、堕ちた。完全に京子側の人間である。
『はぁ!? どうせお前らブスだろwww ブースブスwww』
その瞬間、京子とひかるが連携コンボを叩き込んだ。
「うるっさいわねぇ!」
「哀れな存在! 親にため息つかれてそう!」
「大体のこと、最初から諦めてるでしょ?」
「今日が“女の子と初めて話した記念日”だね〜!」
明は深いため息をつき、静かにマイクを奪った。そして落ち着いた声で語りかける。
「マチュピチュ野郎さん。まずはお詫びを申し上げます。申し訳ありませんでした」
「「はあああああ!?」」
京子とひかるの怒号がハモる。裏切り者を見る目を向けられても、明は動じなかった。
「ですが、一点だけ訂正させてください。この二人、顔だけはマジで可愛いです。たぶんそこだけは全国レベルです」
「⋯⋯へっ!?」
「⋯⋯んふ♡」
「でもその自信のせいで、何を言っても許されると錯覚してるみたいなんですよ。可愛さって、時に暴力なんです」
京子が顔を赤らめながらエイムを外しまくり、ひかるは嬉しそうに明の腕に抱きつく。
「マチュピチュ野郎さんも、もしかすると現実でうまくいってるから、少しだけ横柄になっちゃっただけかも⋯⋯ですよね?」
『⋯⋯お前、なんだよ』
「この男にリアルの可能性を与えるんじゃないわよ」
京子の一喝にもめげず、明は微笑んだ。
「だから、少しずつ歩み寄ってみませんか? せっかくのゲームなんですから、ハッピーエンドってやつを目指してみましょう」
『⋯⋯なんかうぜぇけど、まぁいいや。GG』
マチュピチュ野郎のVCが途切れた。部室に静寂が戻る。
京子は顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いた。
「へ、ヘッドセット返しなさいよ⋯⋯」
明が素直に手渡す。
それを見ていたひかるが、なぜかがっかりとした目をしていた。
「⋯⋯やさせん。そういうの、求めてないんですよ」
「え、ええ⋯⋯」
明が困惑したまま、机に広がるよだれの池を見つめた。
本日の敗者:全員。
京子の暴言を考えているときが一番楽しいです。
ぜひ次の話も読んでいただけましたら幸いです!