3試合目:雨。時々、チート。
夕方。部室のドアが開く。八坂明が入ってくると、そこにはすでに椅子に深く沈み、ゲーミングPCに張りつく門真京子の姿があった。
「あれ? 門真さん、同じクラスなのにどうやって僕より早く着いたんですか?」
「ねぇタンク、あなたモニターの電源入れてる? なんでそこで5回も落下死できるのよ。GG。回線ごと沈め、二度とマッチングしないで」
ヘッドセットのマイクに毒を吐き、ため息をつく。雑にヘッドセットを机に放り投げると、京子はようやく明の方を向いた。
「今日も来たの? この部屋からコーラの匂いがした?」
「門真さん、同じクラスなのにどうやって僕より早く着いたんですか?」
明が何も聞こえなかったフリをして再度質問した。
「⋯⋯猿みたいに騒いでる男子と、毛づくろい感覚で喋ってたから遅れたんでしょ、あなた」
「猿だけに、みんなと話すと“ウッキウキ”。なんちゃって」
明が満面の笑みで言った。部屋に静寂が訪れる。
「⋯⋯帰りなさい。進化の前段階まで」
「門真さん、あと何分で交代ですか?」
京子のドライな反応をまったく気にせず、明が机の上に丁寧に鞄を置いて聞いた。
「そうね。あなたが入ってきた瞬間から遊び始めたから、あと59分ね」
「えっ、でも今ちょうど試合終わってましたよね⋯⋯」
「私が嘘をつくわけないでしょ? 人格にスペック差、あるの理解してる?」
「はい⋯。じゃあ、大人しく、待ってます」
京子はジト目で明を一瞬睨み、そのまま次の試合のマッチングを始めた。画面に『プレイヤー検索中』と出る。素早い動作でメニューを開き、先程の試合の敗北を招いたチームメイトをブロックした。
明は鞄から参考書を取り出し、机に並べる。表紙に『超基礎から学ぶCG入門』と書かれているのを見て、京子は思わず鼻で笑った。
(⋯⋯あのバカ、ホントに勉強してるわ)
明は気にする様子もなく、シャープペンを走らせる。
(凡人って哀れね。⋯⋯でも、何かを一生懸命やってる姿って⋯⋯)
続きの言葉を考えないようにしながら、明をチラリと見る。真剣な眼差しで参考書の情報をノートにまとめる明を見て、何故か一瞬鼓動が速くなる。急いで誤魔化すように、自然と暴言が出てしまう。
「い、違和感があると思ったら、あのバカドリンクはどうしたのよ!」
「え? なんですかそれ?」
「コーラよ、コーラ。さすがに小動物並の脳を持ったあなたでも、体に悪いことに気づいたのかしら?」
(⋯⋯そ、そうよ。これを始めから言いたかったのよ)
明が「あー」と呟き、納得のいった顔がした。
「僕、お小遣いの代わりに、毎日コーラを1缶買ってもいいっていう条件を親と結んでるんです」
「どこまで好きなのよ。さすがの私も引くわよ」
「いや⋯⋯というのも、僕の家、あんまり経済的に恵まれてなくて⋯⋯」
明が少しバツが悪そうな顔になった。
「親は“思春期だし小遣いぐらいやる”って言ってるんですけど、そのまま断ったら申し訳ないんで、代わりにコーラ代を貰ってます」
「あなたの家庭環境ーー」
(ーーってさすがに他所様の経済事情をバカにするのはライン超えよ、門真京子! 門真家の次女としてその品の無さは許されないわ!)
「⋯⋯なんでもないわ。にしてももっと良いものを飲みなさい。そのうち体からアセスルファムの匂いがしてくるわよ」
「なんですか、それ?」
「人工甘味料よ。正式にはアセスルファムK。『カリウム』のKよ。自分が飲んでいる物の成分ぐらい、把握しておきなさい」
「確かにそうですね」
明がいたずらっぽく笑う。
「⋯⋯じゃあ、門真さんがちょっとだけ笑ってくれるジュースってなんですか?」
何故かまた鼓動が速くなった。胸が高鳴るのを誤魔化すように、すぐに口が動く。
「そんなもの自分でーー」
返事をしようとした瞬間、試合の検索が終わり、ゲームが始まった。急いでお気に入りのキャラを選択し、味方と戦略をテキストチャットで話し合う。
ゲームが始まったと察知した明が、勉強を続ける。しばらく部室にはキーボードとマウスの音、シャープペンシルの音、そして京子がたまに発する「なんでそこを撃つの? 何が見えてるのよ」やら「そこでウルトを使うの? タイミングがハッピーセットすぎるわ」と言った文句が聞こえるだけだ。
突如、雨粒がパラパラと地面を叩く音がする。
やがてその音は、パラパラからザアザアへ。校舎の壁も、窓も、地面も、やや強めに打たれていた。
「雨、ですね」
明が窓の外を見ながら言った。つられて京子も外を見る。
「⋯⋯そうね」
雨音がまるで雑音を洗い流すように、抑え込んでいたノイズを削っていく。
ボーっとしながら、培った反射神経だけでゲームを遊ぶ。味方の指示になんとなく従いながら、ヒールを続ける。
「天気予報では晴れだって言ってたんですけどね」
「あいつら頻繁に嘘をつくから気をつけなさい」
「天気って気まぐれなところがありますし、しょうがないと思いますよ。それにしてもーー」
明が京子を見ているのが、視界の隅で分かり、マウスを握る手が少し強くなる。
「ーー少し意外です」
「なにがよ」
「門真さんって、何にでも対して毒を吐くので、雨を見て文句を言うんじゃないかなと思ってました」
「私を毒舌マシーンみたいに言わないでよ」
明の「違うんですか⋯⋯?」という小声のツッコミを聞き逃した京子が、凛とした表情で話を続ける。
「⋯⋯私は雨が嫌いじゃないわ。雨音を聞いていると落ち着くし」
「⋯⋯そうなんですね」
明が穏やかな声色で答えた。
「門真さんの好きなものを初めて聞けました」
「⋯⋯うるさいわね。ゲームに集中できないわ」
ぶっきらぼうに答えたつもりだが、その顔は少し赤みがかかっている。
* * *
明にパソコンを譲った京子は、窓の外を見つめた。雨は絶え間なく降り続き、グラウンドを静かに濡らしている。
(やっぱりこの男とは、変に気を張らずに話せるわね⋯⋯)
悔しさと、どこか温かなものが胸の中でせめぎ合う。こんなふうに、誰かと過ごす部室が心地よく感じるなんてーー。
(⋯⋯雨のおかげよ。きっと)
門真京子は、最後まで意地っ張りだった。
そのまま京子は、教科書を開き、宿題を片付け、小説を拾い読みした。ときどき明のタイピング音が聞こえ、たまにキーボードのリズムが止まると、少しだけ気になって視線を向けそうになる。
でも、何も言わないまま、時間は静かに流れていった。
雨音だけが、一定のリズムで部室を満たしていた。
そして、空がゆっくりと暮れの色に染まりはじめたころ。明が椅子から立ち上がった。
「キリがいいので、帰りますね」
明が立ち上がり、鞄を手に取った。そして、ふと思い出したように京子に尋ねる。
「そういえば門真さん、傘は持ってますか?」
「な、なによ。あるわけないでしょ。あの天気予報士、また平然と嘘ついたのよ」
「やっぱり⋯じゃあ、これをどうぞ」
明が鞄の中から折り畳み傘を取り出し、差し出す。
「僕は走って帰りますから、気にしないでください」
「は? なにそれ。雨に打たれるプレイが性癖なの?」
「違いますよ。門真さんが濡れて風邪ひく方が、よっぽど困るんで」
あっさりと返された言葉に、京子の指先がぴくりと動いた。けれど素直に受け取ることは、どうしてもできなかった。
「⋯⋯ふーん。そうやって女子に優しくしとけば、誰か勘違いして寄ってくるって思ってるんでしょ? やること軽いわね」
言ってすぐに、息を呑んだ。
あ、と。
やっちゃった、と。
明の表情が、一瞬だけ、ほんのわずかに沈んだように見えた。
(最悪⋯⋯なんで、こんな言い方しかできないのよ、私⋯⋯)
胸の奥にじわりと罪悪感が滲む。だが、明はすぐに穏やかな声を返してきた。
「じゃあ、こうしましょう」
手にした傘をくるりと軽く回して見せる。
「もしこの傘を受け取らなかったら——僕、門真さんのアカウントでゲームやりますね」
「⋯⋯なっ!? ちょ、やめて!! 今シーズンの勝率、やっと持ち直したのよ!? 本気でやめて!!」
「じゃあ、ちゃんと使ってください。条件付きで」
悔しさに唇を噛みながら、京子は無言で傘を引ったくるように受け取った。
その頬は、ほんのりと赤い。
「⋯⋯最低」
「よく言われます。でも、気をつけてくださいね。雨、滑りやすいんで」
にこっと笑い、明は手を振って部室を出ていった。
ドアが閉まると、外の雨音が少しだけ大きくなったように感じた。
京子は傘を見つめたまま、ゆっくりと小さく呟いた。
「⋯⋯あ、ありが⋯⋯と」
舌がもつれ、最後まで言えなかった。けれど、胸の奥には確かに温かい何かが残っていた。
傘をそっと抱えるように胸に当てる。
部室に響く雨音が、やけにやさしく聞こえる。
(⋯⋯こんなの、チートでしょ)
門真京子。
今日も静かに、完・全・敗・北。
次回・第4話では、ついに【新キャラ】が登場します。