1試合目:初日からボス戦なんですが?
「こんにちはー!」
「⋯⋯誰よあなた」
夕暮れ。部室の窓からオレンジ色の光が差し込む。教室棟の喧騒から離れた静かな空間に、かすかにゲーミングPCのファン音が鳴っている。そしてそのPCの前に座っているのは、黒髪ストレートの女子生徒だ。目つきがやたら鋭く、肌は白い。完璧な外見に殺気を纏わせている。
「あれ? 今日、クラスで自己紹介したと思うけど⋯⋯八坂明です」
「知らないし、見たくもないし、でも視界に入ったせいで今一番苛ついてる」
少女は一瞬で明に対する興味を失い、ふたたびモニターを見つめ始めた。
話はたった30秒前まで遡る。今日からこの高校の二年生としてデビューした明は、先生に推薦された『パソコン研究部』の部室に来た。そしてドアを開け、夢中でPCゲームをしている美少女に挨拶をしたのだった。
「確か⋯⋯門真京子さん、ですよね? 同じクラスの」
「なぜ私の名前を知ってるの、気持ち悪いわ」
京子はそう言うと、キーボードを片手で器用に操作しながら必死にゲームを続ける。小声で「死になさい」と言っているが、明は動じない。
「その⋯⋯パソコンを勉強に使いたくて入部しに来たんですけど」
「じゃあ外でノート広げときなさい」
「酷いこと言うなぁ」
明は京子のドライアイスより冷たい言葉を全く気にせず、机の上に鞄を置いた。そしてそのまま京子がゲームを遊ぶ姿を見つめる。
「じゃああの⋯30分ぐらいしたら交代してくれますか?」
「無理。こっちは戦争してるんだから」
「そんな大げさな⋯」
明はそう言うと、京子の後ろに周り、モニターを見つめた。
「うぉー、なんかすごいですね」
「ちょ、なんでこっちに来るの!?」
京子が椅子に座ったまま体をなるべく離そうとし、腕を伸ばして必死にマウスを操作する。画面に映っているのは一人称シューティングゲームだ。銃弾やエフェクトが派手に描写され、速いテンポで試合が進んでいる。
「これが門真さんですか?」
明が画面右下の、HPゲージに描かれたキャラクターの顔を指差した。京子が「そうそう、分かったなら出ていきなさいモヤシマン」と返すが、明は「ふーん」と感心したように言うだけだ。
「これ、いつ終わりますか?」
「終わらないわよ、戦争なんだから」
「ゲームですよね」
「画面の向こうに人がいる以上、それはもう戦争でしょ。そんなことも分からないなんて、頭にタンポン詰まってるんじゃない?」
「言葉のナイフの切れ味すごいですね」
明が楽しそうに言った。そのまま表情を変えずに、京子のゲームプレイを見続ける。
「えっ……今の効かないの?」
京子が初めてはっきりと明を見た。目が見開いている。画面に「敗北」の二文字が浮かび、試合が終了した。明は楽しそうな表情を浮かべたままだ。
「なにがですか?」
「いやだって⋯⋯まぁいいわ。とにかく入部は受け付けてないから、とっとと部室から出きなさい」
「けど、先生がこの部活が良いってオススメしてくれましたよ」
「知らないわよ。よく見たらあなた⋯⋯」
京子が明の栗色混じりの髪を見つめる。
「ハーフ?」
「いえ、アメリカ人とのクォーターです」
「あ、どうりで? ポップコーンの匂いがすると思った!」
京子の脳内で嘲笑が響いた。
(さすがにライン超え発言で、ダメージを受けるはずよ)
「え、ありがとうございます。嬉しいです」
「はぁ!?」
明の顔には1ミリも皮肉が無い。
「ポップコーンってめっちゃいい匂いですよね。特に映画館のやつは」
(なにこの男。毒、効かないっていうか……吸収してる?)
かつてないタイプの反応に、京子は困惑した。明は何も気にせず、ゼロカロリーのコーラに口をつけ、時計を指差した。
「ゲーム終わりましたし、交代してもいいですか?」
京子は何を言えばいいか分からなくなった。これまで部室にナンパ感覚で訪れた男子生徒たち全員に、トラウマを与えて退散してきた。だが目の前の男は全く動じないどころかーー。
(この男、私に興味がないの!?)
明の目線はずっとパソコンにフォーカスしている。
(嘘よ、そんなわけないわ。学校1可愛い上に、ゲームがクソうまい私よ? その私が目の前にいて、パソコンに興味が湧くわけーー)
「これってスペック高いんですか?」
「た、高いわよ。このパソコンのスペックからあなたのIQまでジャンプしたら死ぬわ」
「へ~。osはなんですか?」
「windows 10よ」
(全然私の事を聞かないじゃない!! こんなに可愛いのに!? ケモナーじゃないと説明がつかないでしょ!!)
「CGとか勉強したいんですけど、普通のパソコンじゃソフトウェアが動かないんです。なんかGPU? とか言うのが凄くないとダメみたいで」
「はっ、あなたGPUが何なのかも知らないの?」
京子が脚を組み、腰まで伸びている黒髪を手で払うような仕草をした。並の男子なら死ぬまで片思いが続くであろう、可愛さだ。
「はい、教えてください」
「GPUは“Graphics Processing Unit”。ざっくり言うと、映像処理の専門脳よ。CPUがお母さんなら、GPUは筋肉バカの長男ね。ちなみにスペックが低いと、あなたの脳みそみたいにすぐ落ちるわ」
「なるほど。ありがとうございます」
(なにこいつ!? 私がSiriみたいになったじゃない!!)
屈託のない笑顔で感謝の意を示す明を見て、京子の心が激しく動揺した。
(え、なに!? 悪口だけフィルターがかかって聞こえてないの?)
「じゃあ、パソコン使いますね」
明が椅子を引き寄せ、京子の隣に移動させた。そのまま京子の隣に座る。背後から射し入る西日が、2人の背中を照らす。
「ッ!!」
「大丈夫ですか?」
慌てて飛び去る京子を見て、明が心底心配そうに言った。京子はまるで慣れていない人に近寄られた小型犬のように逃げ、遠くで歯ぎしりをしている。
「もしかしてリアクション芸ですか?」
「してないわよ! あなたがセクハラ感覚で近づいて来るからでしょ!」
京子の発言に反応せず、明はルンルン気分でパソコンを操作する。Webブラウザを開き、オススメのソフトウェアを調べている。まるでずっとここにいたかのようなリラックス具合だ。
京子が粗捜しをしようと、明の背後に立った。モニターに映る情報を見て、ふっと鼻で笑う。
「ねえ、その使い方、PCが泣いてるわよ」
「え?」
「そのスペックでウェブ閲覧? あなたそれ、スタバでMacの代わりに3DSを開けてるようなものよ」
「別にいいじゃないですか。あ!」
明が心底困惑した表情で京子を見つめる。
「もしかして、門真さん渾身のボケとか?」
「あなたに対する罵倒として言ったのよ!」
京子は八方塞がりだった。この男には何を言っても、効かない。まるで鉄の壁にスライムをぶつけているみたいだ。ゴミを見るかのような目で明を見る。
明が一生懸命にソフトウェアを起動しようとしているが、何やらたくさんのポップアップが出てきていて、手こずっている様子だ。
「はぁ⋯⋯その程度の操作で詰まるの、逆にすごいわ」
「え?」
「そこ、ダブルクリックしちゃダメよ」
「こうですか⋯⋯?」
明が自信なさげにクリックすると、ポップアップが消えた。
「⋯⋯あ、間違って消しちゃったの? バカね⋯⋯再表示はここよ。わざとじゃないのは分かってるけど⋯⋯」
京子が手を伸ばし、マウスを操作すると、瞬く間にソフトウェアが起動した。
「おお! ありがとうございます、門真さん!」
「いいからとっとと済ませてちょうだい」
京子は明の元から立ち去り、椅子にどっかと座った。
気持ちの整理がつかない。今まで人に言われたことのない言葉ばかりが聞こえてくる。
ここ、常盤西院高等学校に進学して早1年。あらゆる年齢、容姿、性格の男子生徒たちが門真京子に話しかけてメンタルダメージを受けた。そんなことを繰り返していくうちについたあだ名は『氷の女王』。女子からは尊敬を、男子からは憧れと恐れを抱かれている京子にとって、明はニュータイプの対戦相手だった。
(ダメよこのままじゃ、絶対に弱点はあるはずよ!)
京子が拳を強く握った。
家庭の事情で家でゲームが出来ない京子にとって、この部室は安息地だった。優しい老人の先生を騙して、部費で高額のゲーミングPCを購入。京子目当てで部室に訪れる男子は全員言葉で虐殺。そうして守ってきた城だ。そうやすやすと、今日現れた奴と共有する気はない。
(大体、5月半ばに転校してくるって、何があったのよ⋯⋯そうよ、そこだわ!!)
京子がニンマリと笑った。
「それにしてもこんな時期に転校してくるなんて、随分と不思議だわ。家庭の事情かしら? ご両親が離婚されたとか??」
「いえ、父親の仕事の都合です。僕の親が離婚するのは想像できないですね~、家族全員異常なまでに仲良しなんで」
「あ、そうなの⋯⋯」
京子は自分の家族関係と比べてしまい、一気に泣きたくなった。気を取り直して再チャレンジする。
「⋯⋯じゃああなた、GPUの意味覚えてる!?」
「“Graphics Processing Unit”ですよね? 英語だけ得意なんです!」
京子より発音が上手かった。
「CGなんて勉強してどうするの? どうせAIに取られるわよ、その仕事」
「ハリウッド映画を見て興味が湧いたから、趣味として勉強するだけですよ」
京子より生産性のある趣味を持っていた。
「それを観てる間、アホ面でポップコーン食べてた?」
「門真さんってツンのボリュームがアメリカサイズですね」
「誰がスーパーサイズ・ミーよ」
思わず突っ込んでしまった。
(なんで!? なんで刺さらないの!? 刺さらないどころか、この男、カウンターまでーー!!)
京子が額を机に打ち付けた。
一方の明はソフトウェアをいろいろ弄りながら、CGの学習を始めている。そのまま静寂が訪れると思ったが、不意に明が質問をした。
「そういえば門真さんって、ゲームは上手いんですか?」
まるで水を得た魚のように、京子が跳ね上がった。これでもかと言わんばかりの自信満々な笑みだ。
「当たり前でしょ。私はオーバーワークのTOP500プレイヤーよ」
「オーバーワーク?」
「さっき見たでしょ。チーム制のFPSよ。私はアジア圏でTOP500に入ってるの。上位1%のプレイヤー。化け物の一歩手前よ」
明の目が輝いた。京子が少し誇らしい気分になる。泣きぼくろがピカーンと光ったように見えた。
「え? じゃあ実力はプロ並ってことですか?」
「まぁ、そうなるわね。私以上のヒーラーはいないわ」
京子が腕を組み、自信満々の表情で答えた。
「かっこいいですね」
「そうでしょ?」
「はい。確かにそこまでガチ勢だったら、部室にこもって練習したくなりますね」
「やっと分かってくれた? じゃあとっとと失せて」
「だからこそ交代でパソコンをいじって、お互い応援しましょう!」
「⋯⋯話聞いてる? よくもそんな臭い考え方が出来るわね」
「ポップコーンみたいな匂いの考え方って言ってください」
ぐぎぎと京子が歯を噛みしめる。
(私への当てつけじゃなく、この反応だとしたら⋯⋯もしかしてこいつ、最強? ダメよ、このままじゃ本当にこの部室をシェアすることになるわ⋯⋯それだけは絶対に、避けないと!!)
ガツン!
京子が明の椅子の足を蹴った。
「あ、ごめ~んなさ~い。あまりにも存在感が無いから、見えなかったわ~」
アイドルのような整った顔を捻じ曲げ、煽り顔で明を覗き込む。だが明は哀れみの表情で見返すだけだ。
「僕を追い出そうとしてるなら、効果はないですよ。むしろ足、痛かったんじゃないですか?」
「⋯⋯ちょっとね。けどそれはあなたが重いからよ」
「あーもう、ほら。余計な事をするから痛くなるんですよ?」
「私を子供扱いしないで。なにあなた、そういう性癖なの?」
明はため息をつき、京子をまっすぐに見つめた。その真剣な眼差しに、京子の胸が一瞬、ドキンと高鳴った。
「門真さん。分かりますよ。ここってきっと、門真さんにとって1人になれる大事な空間なんですよね?」
「えっ」
「そこに侵食してるみたいで申し訳ないって気持ちはあります。けど、僕はどうしても勉強したいことがあるし、それが出来るのがこのPCだけなんです。僕だって門真さんと同じ学生なんだから、備品を使う権利はありますよね?」
反論のしようがないド正論と、明の真剣な眼差しで、京子の脳はパンク寸前だ。
何とか出した言葉が、
「け、けど」
だが、それに対する明の答えはーー
「けど、なんですか?」
京子が目線をはずし、あたふたする一方で、明は真正面から京子を見る。
京子の体が一気に熱くなった。何も言えない。何も考えられない。
「どうしても一緒にいたくないなら、例えば曜日で分けるってのはどうですか? 月水金は門真さんで、火木は僕とか」
「⋯⋯⋯⋯だめよ。毎日しないと、腕が鈍るわ」
「じゃあ1人30分にしましょう!」
明が満足げにウンウンと頷いた。
京子は深い溜め息をつくと、抑揚のない声で答える。
「1時間」
「え?」
「1人、1時間よ。延長不可能。ルールを破ったら、即退部よ」
「それはここに座ってから1時間ですか?」
「あなたの場合は座ってから、私の場合はマッチングしてからよ」
どういう条件かよく分かっていない明は「おけです」と楽しそうに言いながらスクロールを続ける。
そして5分も経たないうちにーー
「⋯⋯もう1時間経ったわよ」
ーー暇な氷の女王から邪魔が入った。
「うわまじか。門真さんと話すと時間があっという間に感じるなー。なんちゃって。お、ここをクリックすると登録完了か」
京子が明のコーラの缶をチラリと見た。なにか悪いことを思いついたようなニンマリ顔になる。
「あなた味覚終わってそうな顔してるわよね。歯磨き粉でご飯食べてそうだわ」
「歯磨き粉と言えば、チョコミントが苦手な人って歯磨き粉味に感じるみたいですね」
「哀れな人たちね。チョコミントの美味しさを知らないなんて」
(⋯あれ?⋯⋯)
京子の脳内のギアがゆっくりになりつつある。
「ね。チョコミント、美味いですよね」
「ええ、アイスクリームの頂点よ。あれの良さが分からない奴らは救いようがないわ」
「そこまでは言わなくてもいいと思いますけど。あ、じゃあ、小豆味はアリですか?」
「別にアリでしょ。なにあなた、アメリカの血が入っているから小豆味を敵視してるの? マカロニチーズ味のアイスなんてないわよ、残念ね」
「探したらありそうですけどね。どっかのYoutuberが作ってそう」
(⋯⋯私⋯⋯)
この1年で感じたことのない、説明の出来ない感情⋯。
「むしろあなたがやってないのが驚きだわ。やればいいじゃない。パソコン泥棒を引退して、Youtuberになりなさい」
「パソコン泥棒? 誰ですかね、それ。そういえばチョコミントアイス、今度持って来ましょうか?」
「⋯⋯言ったわね? 嘘ついたらゲーミングマウス飲ませるわよ」
「⋯アイス、欲しいですか?」
「⋯欲しい」
(⋯会話できてる⋯⋯)
門真京子、16歳。学園1の美少女にして、学園1の毒舌キャラ。その彼女が、初めてクラスメイトと雑談をしていた。
「⋯⋯のしい」
「門真さん?」
「⋯⋯うるさいわね、うるさい顔をせず、静かにして」
「うるさい顔ってなんですか⋯」
京子が額に手を当て、何やら真剣な表情をしているのを見て、明は自分の作業を続けることにした。さすが最先端のパソコンだ。図書館のものと違い、重いソフトウェアがヌルヌルと動く。
一方、京子は衝撃を受けていた。
(こ、これが⋯⋯雑談⋯⋯!?)
京子の胸が不思議な感情で一杯になった。
なぜだろう、この男にどんな言葉を投げても、思いっきりヒットを飛ばしてくるのだ。そしてその球が、グローブにすっぽり収まる感覚。
何を言っても、会話にしてくれる安心感。
(いつもは男子と話すだけで疲れるのに、今日の私はなんだか⋯⋯変だった。最悪よ⋯⋯)
ーー氷の女王、完全敗北。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
本作『毒舌ゲーマー美少女をバグらせていいですか?』は、
“毒舌で最強ゲーマーな美少女”と“メンタル無敵な転校生男子”の、
ちょっと変わった日常と会話劇を描くラブコメです。
第1話では、ゲーム部屋での出会いと、
「毒舌 vs 無敵スマイル」な応酬を中心にお届けしました。
この作品の魅力は、ヒロイン・門真京子の毒舌と、
それをまったく受け流す八坂明の異常な鈍感力(?)にあります。
今後は、2人の関係がじわじわと、でも爆発的に変化していく様子を
“ギャグとエモ”のバランスを大事にしながら描いていきます。
気に入っていただけたら、「お気に入り」や「感想」など
ポチッとしてもらえると、めちゃくちゃ励みになります!
それでは、次回「2試合目」でお会いしましょう!
毒舌はまだまだ、これからです。