3−1
騒がしい共同生活の幕開け。
しかしその中でシエルにひとつの不安がよぎる。
ダンジョン内に、ラビとサシャの口論が響き渡る。
「だから帰るって言ってるでしょ!」
「一日だけ! 一日だけだから!」
サシャがラビの腕を掴んで引っ張れば、ラビは床にへばりつくように抵抗する。
「そう言って何度仕事放りだしてるんですかっ!」
やいのやいの。どうやら二人にとってはこれが平常運転らしい。リクはもう止める気もなく、騒ぎを背にシエルへ向き直った。
「……というわけなんだけど、ダンジョンの改造、できるか?」
シエルは短くうなずく。
「……わかったわ」
次の瞬間、彼女はB1Fのフロアへ向けて静かに手をかざした。
低くうなりが響き、縦長のフロア全体が揺れる。まず、床の岩盤が波打ち、盛り上がり始めた。機材が並ぶ一角を避けるようにして、土色の隆起は壁へと押し寄せ、やがて溶け込む。その色は徐々に抜けて白へと変わり、荒々しかった岩肌は滑らかな壁面へと姿を変えていった。
壁の一部が盛り上がり、ドアが形を取る。金属の取っ手、鍵穴のついた扉。個人用の部屋らしい。それが等間隔に並び、壁伝いにぐるりと一周するように八つの扉が生まれた。
リク、ユズハ、ケイ、シエル、シン、ニュー、ラビ、ついでと言わんばかりにサシャのぶんまで。
ちょうど全員分の部屋だった。ラビが口にしていた「シェアハウス」――ならぬ「シェアダンジョン」の趣を意識したような、整然とした配置である。
さらに、広間には共同スペースらしきものも加わった。
部屋を仕切るように内周に沿って仕切りの壁が立ち並び、残された中央のスペースには長い板がせり上がっていく。それはやがて磨かれた石材のような、冷たく滑らかな質感のテーブルへと変わり、その周囲にこれまた全員分の椅子が置かれた。
「本当に……一瞬でできてしまうんだな」
シンが声を上げた。だが、さきほどの興奮した口調とは違い、今は冷静にシエルの様子を観察している。
「ほら、サシャ、見た!?」
ラビが言うより早く、サシャも視線をダンジョンの新しい壁へ向けていた。
驚きに目を見開いていて、次いでシエルを見やる。
「……なんで」
そのつぶやきを遮るように、シンの声が静かに割って入った。
「しかし、さきほどとは違う」
シエルは無表情で声のした方へ向く。
「ダンジョン改造のときは、まるで作業のように淡々としていた。けれど古代魔術のときは……君はためらいもなく、むしろ楽しげに笑っていたように見えた。何が違う?」
「!」
シエルの瞳がわずかに揺れる。
「え……」
「単に愉快だっただけ? ……いや、そう単純には見えなかったな」
シエルを覗き込む。答えを探すように、その表情をじっと観察していた。
「研究とは観察と実験の積み重ねだ。何度も試し、少しずつ真実に近づくもの。……シエル、もう一度やってみないか。古代魔術の再現を」
その提案に、シエルの視線が落ちる。
これまでなら即答したはずなのに、今回は沈黙だけが返ってきた。
「……シエル?」
リクが声をかける。
「……できないわけではないの。ただ……」
言葉は濁り、そこで途切れた。
「シン、今日はもう魔力も消耗してるし……。明日でもいいか」
「ふむ? これからだと思うんだけどね……我慢するさ」
その間にも、後ろではラビとサシャがまた騒ぎ始めていた。
「……サシャ、どうしたの? やっぱり泊まりたくなっちゃった?」
「そんなわけありますか!」
険悪というよりはいつもの掛け合い。だが、サシャの視線はときおりシエルへと向かっていた。
「……とりあえずご飯にしようか? みんなもお腹空いてると思うし」
見かねたユズハが仲裁に入る。
「賛成ーっ!」
ラビが即答し、他の面々も顔を見合わせてうなずく。
場は自然と食事の準備へと移っていった。
その合間を見計らい、リクは改めてシエルに声をかけた。
「……さっきの、気になることでもあったのか?」
「マスター……古代魔術を使っている時、私は笑っていたの?」
「え? まあ、そう見えた気はしたけど……」
「そう……」
「気づいてなかったのか」
シエルはゆっくりと頷く。
やがて、ためらい、探るように口を開く。
「古代魔術を使ったとき……少しだけ、自分でない気がしたの」
「自分でない?」
「ええ。再現しようとした瞬間、なんでもできるような錯覚にとらわれて……気づいたらできていた」
リクの脳裏に、古代魔術を発動したときのシエルの姿が蘇る。
あの笑みはシエルの意思で自然に出たものではなかった……?
「……それが気になってるんだな」
「これが……いったいなんなのか、私にもわからない」
唇に手を寄せ、考え込む。
弱々しい声音は、いつものシエルではなく。
リクの頭に、つい最近聞いた言葉がよみがえる。シンが語っていた“魔王”に関する話。
――心を奪う。
『本人の知らぬ間に体が動いていて、気づいたら別の場所にいたとか』
『もし“心を奪う”が意思への干渉だとすれば……精神の乗っ取り、あるいは乗り移りか。だとしたら……』
リクは頭の中に浮かびかけた不安を、強引に振り払った。そんなはずはない。
「でも……マスターが命令するのなら、私は」
「いや、今はやめておこう。……考えすぎだよ。初めてなんだ、知らないことがあって当たり前だ」
シエルはしばらく目を伏せ、かすかに息を吐いた。
「……わかった」
リクのあとを追い、食事の準備に向かおうと歩き出す。
だが途中で足を止め、一人きりでつぶやいた。
「私は……いったい……」
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