1−3
魔王とは500年まえに存在した魔術師のことだった。
そこに存在するシエルとの共通点とは?
「魔術……王?」
リクが言った。
「そんな大昔の人が……今も生きてるんですか?」
ユズハが続く。
「長寿というわけじゃない。事実、彼はすでに滅んでいるが……そう考えるに足る事件が、昔あってね」
落ち着いた口調で答えたのはシンだった。
「言ってしまえばアルキスは、過激派ってやつだったんだ。“強き者こそ支配すべき”──思想のもとに、当時所属していた同盟の盟主を追い落とそうとしたんだ」
ヒュゥ、とケイが口笛を鳴らす。
「当然、他の同盟員たちは警戒した。結果、争いが起きる。同盟内の小さな亀裂が、やがて“魔術戦争”と呼ばれるほどの大規模で苛烈な戦いへと発展した」
そこでシンは一呼吸置き、視線をテーブルの一点に落とした。空気がわずかに沈む。
「その末に、魔術王は討たれた。──だが、討たれる間際にこう言ったそうだ」
声色が低くなり、言葉に重みが乗る。
「“たとえ肉体が滅びても、自分は再び現れる”」
「……生き返るってことっすか?」
「さあね。死者を蘇らせるだとか、転生するみたいな魔術は現代では再現できていない。少なくとも、僕の知る限りでは」
と、シンは軽く肩をすくめる。
「ただ──アルキスに関する数少ない記録の中で、いくつか共通して現れる記述がある。心を奪われる、というものだ」
「……心を?」
「そう。本人の知らぬ間に体が動いていて、気づいたら別の場所にいたとかね」
シンは顎に指先を添え、考えを転がすように言葉を続けた。
「もし“心を奪う”が意思への干渉だとすれば……精神の乗っ取り、あるいは乗り移りか。だとしたら……」
シンは口元に薄く笑みを浮かべた。
「“肉体は不要”なんて言葉も、不可能じゃないのかも」
その声音には一片の陰りもない。むしろ、未知の術を前にした人間だけが見せる高揚が見え隠れしていた。
「もちろん、魔術王はありとあらゆる魔術を行使できたと伝えられているから、本当に自身を生き返らせるのかもしれないけどね」
短い沈黙が落ちた。空気がわずかに重くなる中、リクが口を開く。
「……まるで、アルキスっていう昔の人が復活してるみたいに話すな。でも……本当にラビたちが会ったのは魔王だったのか? 別のやつって可能性もあるだろ」
「まあ、信じられないよな」
怒るでもなく、シンはあっさりと肯定する。
「なにしろ500年も前の話だ。今は魔術が神秘ではなくなり、技術として確立された時代。マナネットで情報がつながり、生活のツールとして誰もが魔導端末を持っている。そんな魔術が当たり前の社会に、“大昔の魔術師が復活してる”なんて、誰が真に受ける?」
「……そう言われると嘘っぽく聞こえるなぁ」とケイ。
「僕だって、最初は冗談だと思ったよ」
シンが視線を横に送る。
「でも──ラビが実際に“それ”と遭遇したからな」
「にゃはは! じゃあここからはラビちゃんが話そうかな〜」
シンの言葉を引き取るように、ラビが割って入る。
「なんで“魔王”だとわかったのかって? ま、ラビちゃんがそいつに会ったのはもう6年も前なんだけど」
その数字を聞いた瞬間、ケイの眉がぴくりと動く。
「6年、だと……」低く呟き、ラビの方に視線を送った。
ラビはもちろん無視して軽い調子のまま話を続けた。
「ダンジョンで会ったその人は……フードを被ってて顔は見えなかったんだけど、胸元に赤い紋章があったんだよね」
言いながら、ラビは自分の胸元を軽くとんとんと指先で叩く。
リクはその仕草に、思わず反応した。
「……紋章」
「で、油断してたらコテンパンにされちゃった。ダンジョンを自由に変形させて攻撃してくるなんて魔術、他に見たことなかったからね」
ラビの言葉に、リクの拳がわずかにきゅっと握られる。
だが、口を挟まずに続きを待った。
「負け帰ったあとに、唯一の手がかりになりそうな紋章について、シンに調べてもらったんだよね」
「ラビの言う紋章、今はなき“アルキス家の紋章”とされている」
「……それが、魔術王とつながる決定的な根拠ってわけか」
「しかし、ギルド内の反応は君たちと同じだった。僕とラビ以外、誰も信じちゃいなかったよ」
「陰謀論者扱いされたよね〜。やっぱり普段のシンがアレだから信じてもらえなかったんだよ!」
「それを言うなら君だって大概だ。僕は研究のため、多少のことは仕方ない」
軽口を叩き合う二人を見ながら、リクは察した。
この二人はギルドや研究機関の中でも、同じ“異端”に属するのだろう。
「それでも〜、ギルドの中ではいろんな意見が出たんだよ」
やれやれと手を振りながらラビが続ける。
「“魔王なんて復活しない派”、“復活しても脅威じゃない派”、“いや脅威だ派”……意見はバラバラで、まとまる気配なんかないの」
「ギルドも古代魔術の頃から存在する歴史の長い組織だ。派閥同士が足を引っ張り合って、結論なんて出やしない。……で、結局。ギルドの長が折衷案を出した。”脅威には遭遇した。魔術王だと断定はしないが、冒険者が討伐すべき対象であることは間違いない”とね」
「ってことで魔王として、みんなの攻略の的になりましたー! あ、ちなみに“魔術王”より“魔王”のほうがキャッチーだからって、名前まで変えちゃった。目標っぽくて映えるでしょ?」
「……たしかに、魔王のほうが強そうっすけど」
「でしょ? ……ま、ラビちゃんのパーティはあれから解散しちゃったけどね」
ラビは軽く笑う。
「長く悩んでたとこに、シエルの話をユズハから聞いて、こうして今みんなと話してるわけなのよ」
その視線が、リクに向けられる。
「どう? ダンジョンを操れるって、ラビちゃんが会ったフードの人物と、シエルがすごく似てると思わない?」
リクは答えられなかった。
けれど、内心では──似てるどころの話じゃなかった。
(似てるどころか……)
ダンジョンを操るという能力。ラビの言う“紋章”。
それって──
(……シエルが命令を受けたとき、胸に浮かぶあの刻印と同じじゃないか)
ユズハもケイも気づいている。揺れた視線が、不安ごとリクに集まった。
リクは息をのみ、シエルを見る。
返ってきたのは、いつもの穏やかな微笑み。怯えも、拒絶もない。
(『あなたが味方でいてくれるなら、それだけでいい』──その言葉を信じなくて、誰が信じる)
ここで誤魔化せば不信になる。言うなら今だ。
「……たしかに、似てる、と思う」
「能力だけじゃなくて……実は……シエルにもあるんだ。俺たちは刻印と呼んでいるけど」
シンの目がわずかに細くなる。
リクは視線で合図した。シエルは無言でうなずき、首のスカーフを外す。
赤い文様が胸元に浮かび、脈を打つように淡く灯った。
「あーっ、これ……!」
ラビは前のめりになりながら覗き込む。
「ラビちゃんの見たやつと……似てる、かも。いや、フードの人のとは細部がちょっと違うかな」
そういうラビの横で、シンも観察しながら話す。
「ふむ……。そういえば、君たちには“主従の呪”がある──そう聞いているけど、本当かな」
「ああ。だけど、これはシエルが望んだものじゃない。俺たちは……これの外し方を探してる」
言い切ってから、リクは少しだけ視線を落とす。
「だから、これを“魔王の証拠”だと決めつけるつもりはない」
シンはそれを聞いて、ふっと息をついた。
「ラビも“似てる”と言っただけだ。確定じゃないさ。ただ──無関係とも言い切れない。目の前に刻印がある以上は、調べる価値がある」
「調べる……? シエルを?」
リクの声に、わずかな警戒が混じる。
シンは腕を組み、落ち着いた調子で続けた。
「ラビたちが敗れた原因は、“正体不明の魔術”を多用されたことだ。……つまり、手口が割れていなかった。もしこの“刻印”や“呪い”の仕組みがわかれば──魔王攻略の糸口にもなる」
そこで声色を少しやわらげる。
「君は魔王討伐をしなければならない。そのためにも、刻印と呪いの正体は知っておくべきだ。調べさせてくれないか? ……呪いだって魔術だ。ならば解き明かせる。もしかすれば、外す方法だって見つかるかもしれない。悪い話じゃないだろう?」
リクの眉が、わずかに動く。
“外せるかもしれない”──その一言に心が反応した。まったく手がかりがないと思っていた呪いを解く可能性が、目の前に差し出されたのだ。
「……シエルはこのダンジョンの外には出られない。だから調べるなら、ここでできることにしてほしい」
「もちろんだ。彼女がいなければ、始まりすらしないからね」
「調べるって、なにすんですか?」とケイ。
「簡単に言えば──魔術をたくさん使ってほしい。そうだな、なるべく多く。まずは観察から始めたい」
リクは数秒だけ考え込み、短く答えた。
「……魔力が足りない」
「魔力?」
「シエルがダンジョンを改造したり魔術を使うには、魔力が必要なんだ。今は──」
言いかけたところで、シエルが無言で手を動かす。宙に淡い光のウィンドウが展開され、数字が浮かび上がった。
魔力量:1000
「魔力量の数値化、か……」
シンがその数字を見つめ、感心したように小さくつぶやいた。
「これまでダンジョンをいじってきたなら、当然、増やせるはずだ。……どうやる?」
研究者らしいというか、察しが早い。普段からこういう事例や現象に向き合っているからだろう。
「魔力量はマナチャでしか増やせない。前に俺が直接、魔力を流し込もうとしたけど……無理だった」
「ふむ? 面白いな。マナネット経由での魔力付与しか受け付けないわけか」
「だから……まずはマナチャを集めないといけない」
「配信、するしかないですね」ユズハがぽつりとつぶやく。
「おお〜、きたきた〜!」
ラビが勢いよく手をあげる。
「やるやる! ラビちゃんもやる!」
「……なんでそんな乗り気なんだよ」
この場で一番テンションが高いラビに、リクが静かに突っ込んだ。




