第4話
リクの何気ない一言が、まさかの温泉爆誕に!?
ならばやらねばなるまい、温泉配信というやつを……!
「少し設定を変えて、マナチャが送られたら直接シエルの方に流れるようにしてみた」
そこはダンジョン内の配信スペース。
リクは椅子に腰を下ろし、魔導端末を操作しながら、向かいのシエルに話しかけていた。
「定点配信でちょこちょこマナチャをもらうようになったけど、そのたびにシエルに移し替えるのは骨が折れるし」
「効率的ね」
「これで、ラウンジを作れるくらい溜まってくれればいいけど……先は長いか。――ああでも、いつかマナチャが溜まったら、やっぱり温泉作りたいな」
唐突に出た願望のような一言に、シエルが首をかしげる。
「温泉?」
「そう。広くて、湯気があって、あったかくて……こう、落ち着く温泉」
「……ふうん? 眼の前にあったら、すぐに入るの?」
「そりゃあもちろん」
軽口のつもりだったが、シエルの動きがふっと止まる。
視線を宙にさまよわせ、何かを感じ取っているようだった。
「……」
リクが思わず「シエル?」と声をかけようとしたそのとき、シエルは片手をかざした。
「わかったわ」
「……わかったって――」
背後からドン、と鈍い音が響いた。
振り返ると、配信スペースの隣――未使用だった一角の床がひび割れるように変形し、そこから蒸気がぶわっと勢いよく吹き出している。
みるみるうちに床の色が変わり、水が湧き出すようにして溜まり始め、硫黄にも似た匂いが漂ってくる。
「どう? よくできているでしょう?」
そこにはもう、温泉ができあがっていた。
黒い岩を削り出して敷かれた床に、大小さまざまな石で囲まれた湯船。
張られた湯は光を受けてやわらかく金色に揺れ、湯気が静かに立ちのぼって空間を包んでいる。
リクの言う“湯気があって落ち着いた、あったかい温泉”。
大きいわけではないが、4、5人は問題なく入れそうな広さだった。
「すごい……! って、そうじゃない。マナチャ、溜まってないはずだよな?」
「そんなことないわ。たったいま増えたから、それを使ったのよ」
言いながら、シエルは空中をなぞるように指先を動かして半透明なウィンドウを出現させる。
魔力量:46 → 10046 → 11
「……ええっ!?」
リクは慌てて魔導端末を確認する。
そこには、たしかにマナチャの投げ込みログが残っていた。
そしてシエルは、そのマナチャをそっくりそのまま全て使った。
「ええ……」
といいつつも、引き寄せられるように温泉の縁に膝をつく。
目の前にあるのは、自分が「いつか」と言ったもの。
そんな気はないと思いながら、気づけば手が湯へと伸びていた。
黄金色にかがやく湯。
ほのかに立ちのぼる湯気がやわらかく鼻をくすぐって、こぼれ落ちる湯の感触が、指先にじんわりと染み込んでくる。
「……」
「嬉しそう」
シエルがくすくすと笑った。
その言葉に、リクはピクッと肩を震わせる。
「そ……そうだけど。他に優先したいことがあったんだ」
「配信して、また増やす?」
「そうなれば一番なんだけどな。今のマナチャだって、ただの偶然だし……」
諦めにも似た苦笑いを浮かべるリクの隣で、シエルもまた膝をつく。
「それなら、私とこの温泉で配信してみるのはどうかしら。使ったぶんを、取り戻せるように」
いつもは“命令されてから動く”シエルが、提案をしてくるとは。
驚いて、つい目を合わせる。
シエルはリクの手にそっと触れながら、顔を近づける。
「入りたかったんでしょう? お・ん・せ・ん」
その声音は、どこか楽しそうだった。
リクは視線をそらし、湯面を見つめる。
湯気が立ちのぼり、光を受けてゆらゆらと揺れている。
ごくりと、唾を飲み込んだ。
◇
「で、こんなことになったんすか?」
ダンジョンにこもる湯気を手でぱたぱたとあおぎながら、ケイがため息をついた。
隣ではユズハがあたりを見回している。
温泉スペースにはすでに、マイク、カメラ、光量調整の器具までがきっちり配置されていた。
「あ、あの、リクさん……その、格好は……?」
ユズハがぎこちなく質問する。
リクはタオル一枚を腰に巻いただけの、ほぼ全裸状態。
一方、シエルは服を着たまま温泉の縁に座って、足を湯に浸けているだけ。
「温泉配信するには、必要だった」
「リクさんだけ脱いでもなんも面白くないでしょ! ってか望まれてなくね!?」
ツッコミというより、若干キレ気味にケイが言い放つ。
「最初はそう思ったんだけど……シエルの胸にある刻印のことを考えると、配信で見せるのはまずいだろ?」
「あぁ……そういうとこは冷静なんすね」
ケイは頭をかきながら、リクとシエルを交互に見やる。
「でもマナチャ集めるのに絵面がもうだめ。テコ入れです、テコ入れ」
「まだ始まってすらないのに……」
「ということで――」
ケイは言葉を切り、そのままユズハへと視線を向ける。
「ユズハ、頼んだ! ……こういう演出、得意じゃん? ユズハの力が必要だって」
「え! でもリクさん、シエルちゃんと一緒に配信って言って……」
そう言いながら、ユズハはリクの方を見る。
「?」
リクはユズハの気がかりなどまるで気づく様子はない。
ケイがユズハの耳元で囁く。
「気にしすぎ。 ふたりに遠慮してる場合か〜? むしろこういう時にユズハが出る方が、逆にリクさんの印象残るって」
「そ、それはいま関係ないよ……!」
とっさに否定してから、自分で言った言葉に少しだけ口をつぐむ。
「……そうだよね、関係ないよね……やる。やらないと、配信者じゃないし!」
「さっすが」
◇
「今回は、ダンジョンに新しくできた施設を紹介するよ!」
元気いっぱいの声が、ダンジョン内に響き渡る。
配信画面に映るのは、温泉を背景にしたユズハだ。
自撮りモードでカメラを構え、明るい笑顔でレンズを見つめている。
「なんと……ダンジョンに、温泉ができました〜!」
少し溜めてから言うその口調に、コメントがざわつき始める。
『温泉!』
『温泉……?』
『どこから湧いたの』
「入らないわけにはいかないよね! ってことで、体験レポやっちゃいまーす! あ、配信用に特別に水着着てるから安心してね〜!」
ユズハは自撮りカメラの画角をくるりとずらし、自身を映す。
彼女が身に着けているのは、赤を基調としたビキニ。
トップにはリボンがあしらわれ、ボトムはスカートタイプになっており、明るく華やかな印象を与えるデザインだった。
「そして、シエルちゃんにも、一緒に入ってもらいます!」
カメラの画角をふたたび振ると、その先にはシエルの姿が映し出される。
白と深藍を基調にしたビキニは、露出は控えめながらも品のあるデザイン。
胸元にはフリルが施され、刻印を自然に隠すように工夫されている。
肩にかかる白い髪が湯けむりに溶け込み、静かな立ち姿と相まって、シエルの落ち着いた雰囲気を際立たせていた。
「……私、温泉って、初めてなの」
「そうなんだ! じゃあ感想いっぱい教えてねっ!」
温泉の縁。
カメラには映らない位置で、ケイがふたりのやりとりを見ながら勝利を確信した。
「そうそうそう、やっぱこういう感じでないと!」
満足げに、くるっと勢いよく振り返って声をかける。
「どうすか、リクさん!」
「……ああ、うん……」
タオル一枚を腰に巻き、膝を抱えて座っているリクが虚無な表情で返す。
「俺……温泉、入りたかった……」
「それは〜、配信終わったあとで! ユズハもシエルも、頑張ってくれてんだし!」
リクは黙ったまま、ゆっくりと視線を配信中のふたりに向ける。
ユズハの明るい笑顔。シエルの柔らかな表情。
「……そう、だな」
楽しそうにふたりが配信しているのを見て、思わず言葉がこぼれた。
「……今日だって、シエルが提案したんだ。驚いたけど、こうして任せられるって嬉しいことかもしれない。……ケイも、ありがとうな」
「リクさん……」
ケイは一瞬だけ目を伏せ、それからふっと笑顔になる。
「服、着てもらっていっすか」
リクはスンッと無表情になり、静かに立ち上がった。
「寒い。……着替えてくる」
◇
ユズハの後ろで手を引かれながら、シエルはゆっくりと温泉に足を入れていく。
そして、ふと口を開いた。
「この温泉には、いろんな機能が備わっているのよ」
「機能?」とユズハ。
「泡が出たりするの。そのぶん魔力が必要だけど」
「それって、マナチャが必要ってことだよね? ――みんな、見てみたい? マナチャ、よろしくねっ!」
ユズハはカメラに向かって指で小さくハートを作り、にこりと笑ってアピールする。
『はい』
『見たい!』
『泡風呂来い!』
呼びかけに応じて、コメントが一斉に盛り上がり、マナチャが次々と送られてくる。
すると――温泉の表面がぽこぽこと泡立ちはじめ、あっという間に泡に覆われていった。
「わ、すごい! 泡風呂になった!」
ユズハが嬉しそうに湯をすくう。
隣で、シエルもそっと手を伸ばし、湯を確かめるように触れていた。
満足げな様子だ。
「あ、そうだ、シエルちゃん。温泉にはね、マナーがあるんだよ。お湯に浸かる前に、髪はまとめておかないと」
シエルの長い髪をまとめて、髪留めでキレイにまとめるユズハ。
その間にも、マナチャが途切れることなく投げ込まれ、泡は数を増していた。
「これでよし……シエルちゃんの髪、キレイだね」
「そう?」
「肌もすべすべだし。……いいなあ」
シエルがふと振り返り、じっとユズハの顔を見つめる。
そして、ためらいもなく両手を伸ばすと、そっとユズハの頬に触れた。
そのまま包み込むように手を添え、やわらかく顔を引き上げる。
「あなたの肌だって、特段荒れているようには見えないけど?」
距離のあまりの近さに、ユズハの顔がじわっと赤く染まる。
目の前にいるのは、同性でも思わず見惚れるような整った顔立ちのシエル。
「わ、わわっ……ち、ちょっと……近い……よ……」
「おお……! 最初からこれにしとけば良かったじゃねーか! って、リクさん肝心なとこいないし!」
カメラの外から、ケイの歓声混じりのツッコミが飛び込んでくる。
なお、リクはちょうど服を着替えに行っており、現場不在中である。
コメントは荒れに荒れ――いや、盛りに盛り上がっていた。
『なにこれ』
『距離感ゼロ』
『マナチャ投げマス』
「って、なんだか……泡、すごくない……?」
すでに湯面は白一色。
もはや“泡風呂”というよりも、“沸騰”に近い状態だった。
「そうね……魔力量に比例して、泡が出るから」
「……あと、ね? 気のせいかもしれないんだけど……お湯がぴりぴりするっていうか」
「気のせいじゃないわ。泡以外にも、お湯に魔力を直接流して、微振動させる機能もあるから。微振動が痛みとして肌をすこし刺激するの」
まるで何でもないことのように補足するシエル。
「えっ!? すこしじゃなくて……痛いかも……っ」
そのタイミングで――
ボンッ!
泡のひとつが大きく破裂し、しぶきが派手に飛び散った。
「きゃあっ!」
ユズハは思わずシエルの方へ体を預けてしまい、そのままふたりの身体がぴたりと触れ合う。
驚いて手を伸ばした拍子に、ユズハの指がシエルの手に絡まる。
「ど、どうして……? シエルちゃん、痛くないの……?」
ユズハは、目尻にうっすら涙を浮かべながら、小さく震える声で問いかけた。
「私、こういう刺激には慣れているみたい。あなたには、刺激が強かったのね」
あくまで落ち着いた口調でそう答えたシエルは、静かに微笑んだ。
コメントは大騒ぎだ。
『尊い』
『距離がゼロ』
『シエル、慣れてる!?』
「う、うう……ま、まって、本当に刺激が強いよっ! 止めて!? シエルちゃん!」
「マナチャが止まれば、止まるわ」
けれど、マナチャは止まる気配を見せなかった。
むしろ、コメントの盛り上がりとともに、次から次へと投げ込まれていく。
いつのまにか、ユズハとシエルがいる温泉の中心に、魔力が渦を巻くように集まり始める。
湯がねじれ、ぐるりと回転しながら、湯船全体に広がって大きな渦を作っている。
「ユズハ、シエル! 温泉から出ろ! なんか、まずそうだって!」
さすがのケイも、声の調子が変わり叫ぶように警告を飛ばす。
その声に反応して、シエルがすぐに縁へと移動し、ちらりと後ろを振り返った。
「……制御が効かなくなってるわ」
「ユズハ、なにやってんだ!」
湯の中で動けずにいるユズハに、ケイがさらに声を上げる。
「ピリピリして……うごけ、なくて……!」
ユズハは足を動かそうとするが、うまく力が入らない。
肌を刺すような刺激に身をすくませながら、同時に――足元から引っ張られるような、妙な感覚があった。
まるで温泉の中心に引力でも生まれたかのように、身体がじわじわと湯の中へ吸い寄せられていく。
「あっ――!」
ユズハの身体が、お湯の中へと引き込まれた。
バシャン、と派手な水音が響く。
本来なら腰ほどの深さしかない温泉なのに、渦の勢いがあまりに強く、立ち上がることすらできなかった。
「ユズハ!!」
ケイの叫びと同時に、彼の横を誰かが駆け抜ける。
リクだった。
着替えたばかりの衣服のまま、ためらいもなく湯船に飛び込む。
派手に水面を割り、そのまま潜っていく。泡が弾け、しぶきが舞う。
やがて、水の中からユズハを抱きかかえるようにして浮かび上がる。
「ぷはっ」
息を吸い込んだユズハは、数秒遅れてようやく状況を理解する。
「えっ! えっ!? うそっ、うそっ……!?」
顔を真っ赤にしながら、ばっと両手で顔を覆った。
「はずかしぬ……!」
だがその声は、リクの耳には届いていない。
リクはそのまま温泉の縁を目指して動き出す。
しかし、中心から渦巻く魔力の引力は予想以上に強く、地面が唸りを上げて軋んでいた。
「……つかまって」
「えっ……?」
戸惑うユズハを抱えたまま、リクは底を踏みしめ――
全身に力を込めて、一気に跳ね上がった。
「きゃあああああ!!」
ユズハの悲鳴が、ダンジョン内に高くこだまする。
と、同時に。
天地を引き裂くような轟音が響き渡った。
ボゴォォンッ!!
温泉が、爆発した。
水柱が天井まで吹き上がり、湯気は竜巻のように渦を巻く。
そしてその爆心地からふたりの身体が宙を舞って、豪快に地面へと着地……というより、勢いのまま墜落した。
「う、う〜ん……」
ユズハがうっすら目を開けると、目に飛び込んできたのは濡れた黒髪。
湯けむりのなか、倒れたリクの上に、ユズハの身体が覆いかぶさっていた。
全身が一気に熱くなる。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
ユズハは勢いよく跳ね起き、しどろもどろに謝りながら後ずさる。
一方、リクは仰向けのまま地面に倒れ、湯気の立ちこめる天井をぼんやりと見つめていた。
しばらくの沈黙ののち、ぽつりとひとこと。
「……なにか柔らかいものがあたった気がする」
温泉の雨が、ダンジョン中に静かに降り注いでいた。
コメントは大荒れだった。
『あ〜あ』
『温泉消滅』
『爆発した』
「ごめんね、みんな……配信、終わるね……!」
ユズハは視聴者に頭を下げながら、配信を終了させる。
かつて湯が湛えられていた中心には、ぽっかりと黒焦げの穴が開いている。
リクはむくりと体を起こすと、虚空を見つめながら、心底残念そうに呟く。
「……温泉……」
「マスター」
リクが振り返ると、そこには少しだけ眉を下げたシエルの姿があった。
「……命令してくれれば、修復できるわ。残った魔力の範囲で、になるけど……」
そして、ほんの一拍の間を置いて続けた。
「マスターが、温泉に入れなかったら……意味がないもの」
「……じゃあ、お願いしようかな」
◇
「これって……温泉すかね」
「これが限界だったのよ」
「これも温泉、ですよ……!」
「これはこれで風情がある、気もする」
鉄製の円柱容器に張られた湯に浸かりながら、リクが肩まで浸かってそう答えた。
温泉が爆発し、すべてが吹き飛んだその中心地。
黒く焦げた岩床の中央に置かれたそれは、なけなしの魔力を注ぎ込んで再構築された、低コストの温泉もどきだった。
「……でも楽しかった。温泉には入ったわけだし。一瞬だけど」
「リクさん、助けてくれてありがとうございます! えと、つ、次はちゃんと……温泉配信やります!」
「そうね。次はちゃんと、マスターとふたりで入りたいわね」
あまりにも自然に放たれたその一言にユズハは目を点にしてシエルを凝視した。
が、そんなものシエルは気づかない。
「あら? ……マナチャが送られてきたみたい」
魔力量: 24 → 7024
そこには、ひとつのメッセージも添えて。
『にゃはは! 毎日こんなことしてんの〜? リアタイできなくて悔しいよう! もーマナチャ送っとくね! あ、例の話だけど、明日そっちに行くから!』
「……ラビだ」
リクはメッセージの最後、さらりと書き添えられた「明日行く」という一文に注目した。
重要なことを一番最後に、しかも軽いノリで伝えてくるあたりラビらしい。
「ラビさん、やっぱり配信見るの好きなんですね」
「すげーマナチャ投げてくれるじゃん」
「明日……か」
結果的に、ラビの投げたマナチャによって、ラウンジを作るのに必要な魔力量は確保できた。
目的は達成できた――表向きには、だ。
だが、リクにとって本当に重要なのは、“明日”に起こること。
ラビが言っていた「例の話」、つまり――魔王討伐に関する詳細。
それが、ついに明かされようとしている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
次回第二部開始を予定しております。
それでは、次回もどうぞよろしくお願いします!




