どした? 話、聞く?
シエルは、檻の中のカリンを見下ろしていた。攻撃手段をもたないカリンを閉じ込めてしまえば、もはや勝負は決したも同然だ。
そんな状況を自覚しているのか、カリンの表情には焦りと不安がはっきりと浮かんでいる。
「マスターが言っていた。あなたは攻撃ができないって。だから、この檻で十分なんだと」
シエルは得意げにそう告げながら、カリンの様子を伺うように、檻の正面をゆっくりと行ったり来たり。
「でも私、命じられたのはあなたの無力化なの」
「無力化……?」
「あなたが檻に入っているだけで、目的は達成できていそうな気もするけど」
そう言いながら、シエルはカリンの正面で足を止めた。
「あなたは自分を術式で強化することもできるかもしれない」
檻の格子に手をつかみ、身をかがめる。
「……そう考えたら、まだ油断はできないかもね」
その低く落ち着いた声音に、カリンの背筋が凍りつく。
「だから、ちゃんと無力化したほうが良いと思うの。たとえば、あなたが動けなくなるくらいに」
シエルの言葉に、カリンは反射的に後ずさった。檻の中で逃げ場などないと分かっていながらも、できるだけ距離を置きたいという心理が働くのだ。
「もしかしたら――それ以上になるかもしれないけど」
シエルが手をかざすと、檻の床に黒いシミがじわじわと広がり始める。そこから、先ほどと同じように蜘蛛や虫の類が沸き出す気配を漂わせていた。
カリンはその不気味な光景に青ざめ、呻くように声を漏らす。
「や、やだ……本当に無理、だめ」
床をかさかさと這い回る脚音は、まるで皮膚を撫で回すような感触まで再現している。
払いのけようと手を振っても、頬を掠める小さな毛の嫌な感覚は止まず、カリンの思考は恐怖に飲み込まれて真っ白になっていった。
「ああ……あぁ……!」
シエルは静かに笑みを浮かべていた。しかし、カリンの表情が恐怖に染まっていく様を見つめるうちに、ふと脳裏にある言葉がよぎる。
(やりすぎるなよ――)
それはリクの言葉だった。
シエルはハッとして、再び檻の中のカリンに目をやる。
涙目で震えているその姿を見たとき、もうひとつ思い出したことがあった。
「人に迷惑をかけないこと」というリクとの約束だ。ほんのささいな指切りだったが、リクは照れながらも真剣な顔をしていた。
「……」
シエルは改めてカリンを観察する。怯えきったその顔は、以前配信中にゴブリンの幻術を見せたとき、ユズハやケイたちが恐怖に固まっていた様子とどこか重なる。
「その顔……私は見たことがある」
ぽつりと呟いたシエルの声に、カリンは思わず情けない声を上げる。今やっていることは、本当にリクとの約束を守れているのだろうか。
「ふえ……?」
シエルは短く息を吐き、そっと手を下ろす。虫の幻術も、そこから先は発動を止めたようだ。
「無力化……でも、やりすぎない……」
カリンを見据えながら、独り言のように言葉を漏らす。どうやらリクの命令と“やりすぎない”という約束のはざまで迷っているようだ。
そして「ふう」と小さく息をついて髪をすくい上げると、もう一度腕を上げる。すると今度は別の魔術が動いた。
檻の床がわずかに揺れ、金属の軋むような嫌な音が響く。カリンの手首と足首を輪のような拘束具が勢いよくはめこみ、床から突き出すように伸びていく。
それはまるで生き物のように螺旋状の動きをし、カリンの手足をぐいと引き伸ばして固定した。
「きゃっ……!」
必死にもがくものの、すでに身動きはままならない。カリンの身体は磔にされたかのようにがんじがらめだ。
「あなたは動けない。……そうでしょう?」
「うう……はいぃ……」
「ふふ、これで無力化ね。……私は約束は守るの」
言い放つシエルは、どこか得意げな表情を浮かべていた。
◇
ニールとケイは、円形の部屋の正反対に立っていた。
ニールは杖で体を支えるようにし、ケイは膝に手をついて前かがみになっている。互いに肩で息をしているところを見ると、どちらも限界が近いのは明白だった。
「……っ……しつこいな! 戦えないのに」
苛立ちを隠さないまま、ニールが吐き捨てる。
「それ、言う……?」
視線を上げる余裕すらないケイ。それでも言い返した。
よりボロボロなのはケイのほうだ。服には焦げ痕が散らばっていて、余裕などまるでない。それでも一度も逃げようとせず、いくつもの魔術を喰らいながら食らいついていた。
震える手で杖を構えながらニールは捻り出すように話す。
「僕は、いま、負けちゃ……だめなんだ……グレンになんて言われるか……」
その言葉を聞いたケイは、少しだけ返答をためらう。
しかしすぐに顔を上げ、ニールを見据えた。
「オレだって……負けらんないっての!」
必死に息を整えながら、ケイはゆっくりと体を起こしていく。
「だって、負けたら……ここがなくなるかも……。そしたらここで配信もできなくなって……みんなと集まれなくなるだろ?」
声は震えていたが、ケイは痛みをこらえて唇の端を引き上げる。
「そんなの……やっぱ辛いじゃん……」
その一言に、ニールは思わず動きを止めた。
「……っ」
ほんの一瞬、ニールの動きが遅れた。その間に、ケイはもう踏み込んでいる。
あわてて杖を構え直したニールだが、ケイの顔には迷いのない決意。
いつもより至近距離で放たれた緊急回避の魔術が、灼熱の熱波となってケイを正面から襲う。ケイは苦しそうに顔をゆがめた。
だが――今度は怯まず、一歩、さらにもう一歩と踏み出す。
ただの耐魔ペンダントだけでは説明しきれないほどの根性が、火の閃光をかき分けるように進ませていった。
「……戦えなくても、度胸くらい、あるわ!」
「嘘だろ……!」
ニールが後ずさりかけた隙を逃さず、ケイは懐へ滑り込む。
勢いのまま突進すると、ニールの身体はくの字に折れ、そのまま床へ転倒した。
「う、ぐぅ……!」
同時に魔力を封じる縄が素早く発動する。ニールの体を絡め取るように巻き付き、魔術師の動きを完全に封じ込めた。
杖が床を転がる音が、静まり返った部屋にむなしく響く。
「くそ……」
ニールは悔しそうに顔を伏せる。
悔しそうに顔を伏せるニール。一方のケイも、床に尻もちをついたまま天井を仰ぎ、盛大に肩で息をしている。
「……えぇ? ……オレ、ほんとに、勝った? ……キッツい……」
勝ちは勝ちだが、二人とも限界ギリギリの様子である。
「きみはいいな……また集まりたい人がいるって言い切れて……僕は……なにしてたんだろ……」
ニールが苦い思いを吐き出すように呟く。
それを聞いたケイは、ちらりとニールを見てから重そうに口を開いた。
「……闇深そうなこと言うなよ……どした? 話、聞く?」
しかしニールは何も言わない。ただ、無言で伏せた顔をわずかにそむけるだけだった。
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